WWE
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WWE (World Wrestling Entertainment) は、アメリカのプロレス団体、及び同団体の興行会社である。
2001年以前はWWF (World Wrestling Federation) という名称であったが、全く同じ略称のWorld Wide Fund For Nature(世界自然保護基金)に名称の改変を求める訴訟を起こされ敗訴、WWEに改めた(ちなみに現在販売されているオフィシャルなDVD等においては、過去の映像の中で"WWF"の語が発せられた場合、全て"WWE"と訳出されている)。
1999年より株式を公開(当初はナスダック、現在はニューヨーク証券取引所)しているが、株式の約8割をオーナーであるマクマホン・ファミリーと関係者で保持しているために会社の経営権は不動となっている。なお、取引所内で使われる証券コードもWWEである。
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[編集] 歴史
[編集] WWWF設立以前
ビンス・マクマホンの祖父、ロドリック・ジェス・マクマホンは1925年からニューヨークのMSG(マジソン・スクエア・ガーデン)を拠点としてプロレス、ボクシングの興行を行っていたプロモーターだった。第二次世界大戦前後の一時期はMSGがプロレスの興行を行っていなかったためにワシントンDCを中心に活動。1954年の彼の死後は息子でビンス・マクマホンの父、ビンス・マクマホン・シニア(ビンセント・ジェームス・マクマホン)が興行会社を引継ぎ、1956年からMSGに再進出。激戦区ニューヨークで唯一MSGのプロレス興行権を獲得する。アントニオ・ロッカやバディ・ロジャースをメインイベンターとして興行を行い、格闘技・プロレスの殿堂と呼ばれるMSGの伝統を引き継いだ。1948年に発足したNWA(National Wrestling Alliance)にも加盟、大物プロモーターとして大きな発言権を得た。
[編集] WWWF設立~WWF改称
1963年、ビンス・シニアは同年1月に起きた自派のバディ・ロジャースからサム・マソニック派のルー・テーズへのNWA王座の移動を認めず、3月に試験的に新団体WWWA(World Wide Wrestling Association)を、5月にはNWAを脱退してWWWF(World Wide Wrestling Federation)を設立する。同時にロジャースを初代WWWF王者に認定、5月14日にロジャースを破って王者となったイタリア系のブルーノ・サンマルチノを新団体の絶対的な主人公とした。1970年代前半にはプエルトリコ系のペドロ・モラレス、中頃には再びサンマルチノからスーパースター・ビリー・グラハムへ、70年代終盤から1980年代前半にかけてはボブ・バックランドへと王座ベルトと主人公の座が移っていった。当時のアメリカプロレス界は北部のAWA(American Wrestling Association)、東部のWWWF、南西部のNWA加盟団体を中心に、各地区のプロモーターが暗黙の不可侵条約を結んでいた時代であり、WWWF所属だったアンドレ・ザ・ジャイアントが各地にゲスト出場し、親善大使的な役割を勤めた。1979年にNWAに再び加盟したことを機会に、WWF(World Wrestling Federation)に改称。1982年、大学を卒業後リングアナウンサーやプロモーターをしていたビンス・マクマホンと妻リンダが、不仲であった父親からWWFの親会社キャピタル・レスリング・コーポレーションを譲渡ではなく株式の買収という形で手に入れ、新会社タイタン・スポーツを設立した。
[編集] 『1984』以降、WrestleMania時代
ビンス・マクマホンはWWFの全米進出によるプロレス界の統一を計画、当時AWAに在籍していたハルク・ホーガンを筆頭に、1983年からロディ・パイパー、ポール・オンドーフなど各地の有力選手を次々と引き抜いた。テレビ局からNWAの試合を放送していた枠の放送権を買い取ると、同年12月27日、いきなりNWAの本部が置かれていたセントルイスで興行を行った。以降も次々と他団体へのM&Aや同様のケーブルTV番組を利用した中継等により事業を大幅に拡大。この一連の侵略行為は旧来のプロモーターから同名の有名SF小説に準えて『1984』と呼ばれた。
1985年には歌手のシンディ・ローパーやホーガンと共に、ロッキー3にも出演したアクションスターミスターTをMTVのプロレス特番に出演させ注目を集めると、同年3月19日にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでWrestleManiaを開催。ローパーの他にも元ニューヨーク・ヤンキース監督のビリー・マーチンや元ボクシング世界王者のモハメド・アリ、ショー・ピアニストのリベラーチェらを招き、ホーガンやミスターTをメインで戦わせたこのイベントは約2万2000人の観客を集め、プロレスイベントとしては異例の400万ドルの興行収益をあげた。全米がホーガンを中心としたプロレス・ブームに沸き、この現象はマスコミから「レスリング・ルネッサンス」と称された。さらに2年後のWrestleMania Ⅲではメインにホーガンvsアンドレ戦を組んでヒューストンのシルバードームに約9万3000人の観衆を集め、全米マット界での一人勝ち状態を誇示してみせた。
ホーガンがプロレスの現場から離れがちになった1988年~1992年頃はランディ・サベージやアルティメット・ウォーリアー、シッド・ジャスティスやジ・アンダーテイカーらが団体の主役の座を担った。また旧NWAから誕生したWCW(World Championship Wrestling)の絶対王者、リック・フレアーの電撃移籍といった事件もあった。
この頃、会社全体でのステロイド流通への関与、それに伴うレスラーたちのステロイド使用疑惑が発覚、FBIによる捜査が行われるまでの事件に発展した。裁判は数年続き、被告としてビンスが出廷する事態となったが最終的には証拠不十分により無罪判決に落ち着いた。だがこの事件の影響は大きく、団体に溢れていたスーパーヘビー級の「筋肉マン」タイプの選手たちは一気にフェードアウトしていく。代わって主役の座を手にしたのは技巧派で体型もナチュラルな"ヒットマン"ブレット・ハートだった。
1993年には「MONDAY NIGHT RAW」(後に「RAW IS WAR」「RAW」と改称)の放送を開始。レックス・ルガー、ディーゼル、レイザー・ラモン、ショーン・マイケルズらが台頭し、ブレットなどと共にニュー・ジェネレーションと呼ばれた。一方、ホーガン、サベージなどかつての団体のスター選手たちの多くはWCWへと移籍し、WCWは徐々にWWFに対抗するほどの人気を獲得していった。
[編集] Monday Night War、アティテュード時代
1995年9月4日、エリック・ビショフが副社長に就任したWCW(オーナーはテッド・ターナー)が「MONDAY NIGHT RAW」の裏番組として「MONDAY NITRO」の放送を開始、両番組の視聴率争いが始まった。WCWはナイトロ第一回放送でいきなり前日までWWFの大会に出場していたルガーを引き抜いて登場させた。これを引き金とし、「月曜夜の視聴率戦争(Monday night war)」と言われる程の壮絶な視聴率合戦が繰り広げられた。
一時期は人気選手の相次ぐ引き抜きやnWoというユニットの大ヒット、無敵のスーパースタービル・ゴールドバーグの大ブレイクなどでWCWがリードし、1996年6月10日から1998年4月13日まで実に83週間連続でナイトロはロウの視聴率を上回った。それに対しWWEは1997年以降、D-Xに代表される悪ふざけやお色気の要素を取り入れたアティテュード(Attitude、態度・感性)路線に切り替え、団体オーナーのビンス・マクマホンとストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争で人気を逆転させた(1998年4月13日に二人の初めての直接対決が組まれていた)。
なお1998年後半、理由は不明ではあるが『UFC』に触発されたのか、プロレス団体なのに格闘技色を前面に押し出した『Brawl For All』なる企画も展開していたことがある(優勝はバート・ガン)。無論、この企画は大失敗に終わり、「WWEの負の歴史」とも一部では呼ばれている(ブラッドショーが決勝戦まで進出していたり、控え室にいたスーパースター達には好評だったらしいが)。
プロレス史に残る抗争と呼ばれるオースチンvsマクマホン抗争に加え、WWFはジ・アンダーテイカーやショーン・マイケルズのライバルとしても活躍したマンカインドがその「自虐的」とも評されるスタイルでカルト的な人気を集める。マイケルズは1998年に引退するものの、マンカインドとの連戦を通して若手のザ・ロックとトリプルHが次代の主役の座を掴み一気にスターダムに駆け上った。二人はすぐにオースチンと肩を並べるまでになり、WWFのストーリーはこの三人を中心として動いていく。そこに元オリンピック金メダリストから転身したカート・アングル、WCWから移籍したザ・ジャイアント、クリス・ジェリコ、クリス・ベノワらが絡むようになる。1999年夏からはSmackDown!の放送も開始、WWFの優位が徐々に確立されていった。
1999年頃からWCWはストーリーラインの迷走から視聴率が急低下し、もともと組織の統制が取れていなかったこともあり内部崩壊。奥の手としてWWFの脚本を書いていた放送作家ビンス・ルッソーを引き抜くが、それは状況をさらに混沌とさせた。一時期失脚していたビショフが復権するも状況を好転させることはできなかった。2001年1月、第三団体だったECWが経営難から活動停止・破産し、WWEはECWの全ての権利を買い上げ債権を回収。同年3月23日、莫大な赤字を計上して経営破綻したWCWをも買収した。これによって「Monday night war」も終結し、米マット界は事実上WWEの独占状態となった。
Monday night warが繰り広げられた90年代後半は全米で空前のプロレスブームが起きた。しかしこの抗争の間には「モントリオール事件」やオーエン・ハートの事故死など、いくつもの後味の悪い事件も起こっている。
「WCWオーナー」とされたシェイン・マクマホンを中心に、WWFに合流した旧WCW、ECWの選手たちによってWCW・ECW連合軍アライアンスが結成されるも、この抗争はWCWの中核選手不在により振るわずフェードアウトしていく。
11月18日にダッドリー・ボーイズによりWWFタッグ王座とWCWタッグ王座が統一(初の同時王者はアンダーテイカー&ケイン)、12月9日にはクリス・ジェリコによってWWF王座とWCW王座が統一され、WWF統一王座が誕生した。
[編集] WWE時代
WCW、ECWといった競争相手買収後は、逆に競争相手不在によりWWE自体の観客動員や視聴率が上がるどころか苦戦を強いられるようになった。2002年には長年にわたるWWF(世界自然保護基金)との名称を巡る裁判に敗れ、5月5日団体名をWWEへと改称(公式発表では「よりエンターテイメントを追求するための改称」とされる)。ささやかな抵抗として「Get the "F" out(Fなんかいらない)」キャンペーンを展開した。大文字の「F」が意味するのは言わずもがな、である。同時に親会社タイタン・スポーツの名称もWWEに統一した。
2001年末には団体の共同オーナー(シェインとステファニーから団体の株式50%を購入した、という設定)としてリック・フレアーが、2002年のWrestleMania X8前にはnWoのメンバーとしてハルク・ホーガンがWWEに復帰、現在に至るまでストーリーでも重要な登場人物となる。元WCW、ECWのレスラーを多く雇用し、一つの番組ではストーリーが賄いきれなくなったことから3月25日に開催されたRAWでビンスGMのSmackDown!、リック・フレアーGMのRAWの間でドラフトを開催。両オーナーがスーパースターを一人ずつ(場合によっては1組)ずつ指名していき、それぞれの番組の専属スーパースターとさせることとなった。時を同じくして、団体の象徴であったオースチンが怪我により事実上の引退、ロックも映画俳優に転向を計画しリング上から離れがちになる。
2002年の2リーグ分裂以降、RAWではHHHを中心とした王座戦線を展開。その中でランディー・オートン、バティスタ、エッジ等の有望な世代が成長し新たなメインイベンターとなる。SmackDown!ではアマレス出身のブロック・レスナーが史上最年少でWWE王座を獲得する等大いに期待されたが、NFL挑戦の為に退団。その後はWWE王座に縁の無かったエディ・ゲレロ、JBLがWWE王座を獲得。ジ・アンダーテイカー、カート・アングル、ビッグ・ショー、ブッカー・T等のベテランも活躍し、王座戦線を盛り上げた。同時にUS王座戦線でジョン・シナが子供や女性の人気を獲得し、徐々にメインイベンターへと上り詰めた。
2005年からはシナ、エッジ、オートン、バティスタ等新世代の時代が始まり、この3人以外にもカリート、クリス・マスターズ、Mr.ケネディ等期待の若手が次々とデビューしている。
[編集] ECW復活
2006年、Monday Night War時代にハードコア路線でWWF、WCWと興行戦争を行っていたECWがWWE傘下で復活する事が決定。2005年に開催されたECW One Night Stand以降、ECW人気が再燃した事もあり、6月13日からはレギュラー放送も開始された。Monday Night War時代にECWを率いていたヘイマンが番組の指揮を執り、ロブ・ヴァン・ダム(RVD)、サブゥー、サンドマン等90年代の旧ECWの人気選手が参戦した事もあり大きく注目された。しかし、番組復活直後からかつてEC"Fuckin'"Wと評された頃の過激なECWとはまるで違った団体となってしまった事が露呈。旧ECWの名タッグであったダッドリー・ボーイズやライノ、レイヴェンがTNA所属の為参戦不可となり、人材不足からてこ入れとして旧ECWとは関係の無かったボビー・ラシュリー、ビッグ・ショー、テスト、CMパンク等をメインイベンターとして起用せざるを得なくなる。こういった旧ECWとは関係の無いレスラーの起用が旧ECWファンの違和感を誘発させ、新ECWの苦戦の原因の一つとなっている。
[編集] 現在
WWEの全盛期を支えていたオースチンやロックは稀にしか登場しないが、シナ、オートン、エッジ、バティスタ等の新世代が主力となり、WWF全盛時から出場しているHHH、マイケルズ、テイカー等も変わらずトップを張り続けている。世代交代は着実に進行しているが、クリス・ジェリコ、クリスチャン、ダッドリー・ボーイズ、カート・アングル等トップレスラーの大量離脱やレスラーのドラッグ使用等の課題も多く存在している。最近ではレスラーの負傷が相次いでおこっているHHH、テイカー、レイ・ミステリオなどのベテランから、期待の新人レスラーMR.ケネディまでと様々でシナリオがかなり雑になってきている。特に、2005年のエディ・ゲレロ・2007年のクリス・ベノワの死去はWWEに大きなショックを与えた。現在米マット界で独占状態になっているWWEにわずかながら対抗しうる団体はTNA(Total Nonstop Action)、ROH(Ring Of Honor)等。中でもTNAは元WWEのジェフ・ジャレットが立ち上げた団体で、元WWE選手や元WCWのスターが多く所属している。また2005年9月まで「WWE RAW」を放送していたSpike TVが10月より「TNA iMPACT!」の放送を開始したこともあり、その成長が期待されている。
[編集] 特徴
プロレス団体としてのスタイルは、完全にドラマ仕立てのショープロレスで、試合における技の美しさや流れよりも、ストーリーの流れの方が注目されることが多い。しかし試合そのものはプロレスの基本に忠実な正統な展開を好み、あまり大技を使わずに試合を構成できる実力派の選手も多い。一方では凶器有りのデスマッチを得意とする者もおり、単にストーリーだけの団体ではない。
WWEが株式上場する以前は、「シナリオなど存在しない」という建前であったが、株式上場の際、事業内容を公開するにあたってシナリオ(アングル)の存在を公式に認めた。またプロレスリングという言葉は一切使われず、「スポーツ・エンターテイメント」という用語が使われる(シナリオの流れは「ソープオペラ(昼ドラマ)」のような、と表現されることが多い)。同様にレスラー達の呼称は「スーパースター」に統一されており、プロレスラーという単語は使われない。また、レスリングビジネスに関しても「この業界」(This business)と表現し、レスリングとは別のものであることをアピールしている。
主役級のスーパースターは善玉(ベビーフェイス)と悪玉(ヒール)がはっきりと色分けされており、悪玉は観客、地域について罵詈雑言を浴びせ、観客はそれに対してブーイングで応えることを楽しんでいるが、アングルにより、ある日突然役割が入れ替わることも珍しくない。しかし最近ではWWE側がベビーフェイスと設定したスーパースターにブーイングを浴びせることもある(ジョン・シナなど)。
アングルには下品、流血、色気、暴力、犯罪等ありとあらゆる悪徳が採用されており、当然、多くの者の顰蹙を買い攻撃されているが、それも肥やしにしてしまう強さがある。
WWEにおいて特徴的なのは、時々経営者一族(マクマホン一家)がシナリオに絡むことであり、彼等が登場することで、スーパースター達のみの興行より盛り上がることである。
ビンスはレスラーではなく御年60歳を超えたにもかかわらず鍛え上げた身体でスーパースター達と抗争を繰り返し、息子のシェインは10m以上の高さからのダイビングを得意としている。娘のステファニーに至っては自身の豊胸手術までもが番組のネタとされてしまったことがある。妻のリンダもCEOの地位にありながら、設定上夫の浮気に傷つき精神障害に陥ったふりをしたり、ケインからツームストン・パイルドライバーを受けたりしている。
登場するスーパースターはレスリングの元金メダリストや義足のスーパースターなど、多彩である。しかし生存競争は激しく、怪我による長期休場や他団体による引き抜き、また人気が無くなると二軍落ちや解雇となり出場そのものが出来なくなる等、長期間連続で出演できるスーパースターは少ない。
新規に番組に出演する方法としてはアマレスやボディビル等の他のスポーツからのスカウト、他団体からの移籍、またはタフイナフやディーバサーチという番組内の新人発掘コーナーや、不定期に行われるトライアウトで優勝または合格、もしくは才能が認められる必要がある。こうしてWWEとの契約に至っても、そのほとんどはDevelopment Deal(育成契約)であり、すぐにRAW、またはSmackDown!に登場するのは稀である。ほとんどの場合OVW(Ohio Valley Wrestling)やDSW(Deep South Wrestling)というWWEのDevelopment Systemを担っているインディー団体でトレーニングや試合を行ってからRAW、SmackDown!でのダークマッチ(TV放送されない試合)に出場し、認められたらRAW、SmackDown!どちらかの番組でデビューするという方式がとられている。もっともDevelopment Dealにサインしたからと言って、WWEへの登場が保証されている訳ではなく、途中で解雇されることもあり得る。また育成期間も予め決まっている訳ではない。
OVW出身のスーパースターは多く、バティスタ、ジョン・シナ、ユージン等が挙げられる。また、OVWやDSWではケガをしたスーパースターのリハビリやギミック(キャラ設定)がうまくはまらなかったスーパースターのギミックの練り直し等にも使われることがある。
なおOVWやDSWにはそれぞれWWEのDevelopment Systemとは関係のない独自に契約を結んでいるレスラーもいる。彼らはNon-WWE-Talentとも呼ばれている。
またUPW(Ultimate Pro Wrerstleing)というインディー団体もDevelopment Systemの一翼を担っている。この団体は前出の2団体とは異なり、Development Dealにサインしたレスラーを引き受けて育成するのではなく、WWEのオフィシャルタレントスカウトが所属レスラーからスカウトをするという方式がとられている。またペイパービューイベントなどでの重要な脇役の供給源でもある。
UPW出身のスーパースターは、シルベスター・ターカイ、マーティー・ルバルカーダが挙げられる。
WWEに登場する女性はディーバ(DIVA)と呼ばれ、マネージャーからレスリングまで行う。
日本人レスラーとしてはタジリというレスラーが非常に有名であったが、2005年12月12日に自ら退団した。その他にも、2004年から2005年にかけて夫婦で活躍した鈴木健三や、現在WWEに所属する日本人選手としては、1997年から活躍しているフナキが有名である。
近年はアメリカだけに留まらず、ヨーロッパやアジア諸国(日本・韓国や香港など)での興行も多く組まれている。ヨーロッパでのWWEの人気は高いが、特にイタリアではその人気が急速に高まっている。
WWEのスーパースター達の社会的地位は高く、大統領選の応援演説にレスラーが駆り出されたりする。また、WWE自体が社会貢献のために軍の慰問や投票率アップキャンペーン等に積極的に協力している。
最近ではWWEフィルムズという映画会社を設立して、所属選手を主演にハリウッド映画界に進出したり、CDを発売したりなど、かつてのようにレスリング以外での活動もよく見受けられる。
政治思想的には極右色が強く、アメリカのイラク攻撃に賛同し、アメリカ軍の駐屯地へ赴き慰問興行も行なっている。アメリカに敵対する国に対する当てつけとして、その国に倣ったギミックの選手がヒールとして登場する事も多い。湾岸戦争の際はサージェント・スローターがフセインの友人というギミックで登場し、イラク戦争の際にはイラク攻撃に反対したフランスに対する当てつけとして反米フランス人ギミックのラ・レジスタンスが登場した。ただしこの手のギミックはアメリカではファンの憎悪を集めるが、反戦思想の浸透した国ではある種、正論とも取れるため人気を獲得し難い。
[編集] スケジュール
WWEのスケジュールは、基本的には毎週月曜日に「RAW」の生放送と前座番組の「HEAT」の収録。毎週火曜日に「ECW」の生放送と「SmackDown!」の収録を行う(海外ツアーなどが直後に開催される場合はRAWも収録になる)。収録されたSmackDown!は毎週金曜日に放送される。HEATは2005年までテレビ放送されていたが、2006年現在はWWEの公式HPから配信されている(ただし日本ではテレビ放送されている)。この他に週に何回かのテレビ収録のない興行(ハウスショー)を開催し、月に一度PPV(ペイ・パー・ビュー)形式で特番興行を行う。
PPV興行は2002年まではRAW、SmackDown!共催で12回行われていたが、2003年からRAW、SmackDown!単独開催の場合と両ブランド共催の二形態になり、2005年からは14本、2006年はECWも含めて16本に増えた。しかし、その多さゆえシナリオがきちんと成り立っていなかったり、またレスラーの疲労も激しいため2007年は計15本、3ブランド共催の形になった。そのPPVの中で歴史ある4つのPPV(Royal Rumble 、WrestleMania、SummerSlam、Survivor Series)をBig Four(ビッグ・フォー)と呼び、その中でも最大のイベントがWrestleManiaであり、2007年に23回目を数えた大興行である。PPVはWWEにとって大きな収入源となっており、通常その様子の動画は一般放送では流されない。
2006年時点での番組の特色としては、RAWはアングル重視、SmackDown!は試合重視、ECWは過激さ重視と言える。チャンピオンシップは各番組毎に「ヘビー級シングル王座」と「タッグ王座」があり、その他に「RAW」は「女子王座」と「IC(インターコンチネンタル)王座」、「SmackDown!」には「クルーザー級(他団体でのジュニアヘビー級に相当)王座」と「US(ユナイテッドステイツ)王座」、「ECW」には「ECWヘビー級王座」のみがある。同等の王座を比較すると、歴史が長い「RAW」の方が位置付けが高い。
先に述べたPPVはそれぞれの番組の主催、それに共催という三種類の形態をとっていたが2007年からはPPVは全て3ブランドの共催に変更された(Backlashより)。WWEが拡大していく過程でECW、WCWといった他団体を併合してきたため、所属スーパースターが多くなり過ぎたこともあり、現在ではスーパースターは「RAW」か「SmackDown!」か「ECW」どれかの所属となっており、トレード、またはドラフトが行われることもある。
「HEAT」といった番組では、新人レスラーや養成中のレスラーなどの試合(アンダーカード)も放送されている。
マッチメイクは「カード」よりも「興行」に価値が置かれ、特番以外の通常興行やハウスショーでもタイトルマッチや「黄金カード」と呼ばれるようなエース級のスーパースター同士のシングルマッチが平然と行なわれる。(ただしハウスショーでのタイトル移動はほぼ皆無であり、「PPV等の大一番に向けての公開リハーサル」という見方もできる)WWEでは同じカードでも「誰と試合を行なうか」よりも「何処で試合を行なうか」が重要視されているためであり、その最高峰としてレッスルマニアが位置付けられている。このような考え方はビッグマッチまでカードを温存する日本のプロレスとは大きく異なる。
[編集] 日本との関係
NWA内での同じ反主流派と云う事もあり、1975年頃から新日本プロレスと協力関係を持ち、団体同士の提携を結び、当時のトップレスラー達の派遣や王座の認定等、積極的に関わっていた。だが、ビンス・マクマホン・ジュニアが実権を握ってからは、高額な提携金を要求し、支払ったにもかかわらず、トップレスラーの派遣を渋るなど、徐々に新日本プロレスとは疎遠となっていった。
新日本プロレスとの提携解消後、特定の団体とは提携を結ばなかったが、1990年には新日本プロレス及び全日本プロレスの3団体合同で東京ドーム興行「日米レスリングサミット」を開催した。その後はSWSと提携を結び、幾度かの合同興行を開催したり、レスラーを送り込んでいた。
この頃、単独での日本進出を目論んでいた事もあり、日本のプロレスマスコミには好意的で、アメリカのマスコミでも入ることが出来なかったリングサイドでの取材や、マクマホン本人が日本向けにテレビインタビューに出演する等、積極的に協力している。
1994年には「マニアツアー」として横浜、大阪、名古屋、札幌で単独興行を行ったが、当時のWWFとは関係無い日本人レスラーの出場や、バックステージの趣向を凝らさなかった事、それにプロレスの興行を扱った事のない興行会社がプロモートを行った事などがあり、直輸入を期待していたファンからの支持が得られず、興行成績も振るわず、2002年に再上陸するまで自社の手による興行は行われなかった。
日本国内でのテレビ放送はJ SPORTSが担当している。また、PPV特番はパーフェクト・チョイスで放送されるが、いずれも権利料の高さから3週間遅れでの放映となる。字幕翻訳は株式会社ルミエールが担当しており、エディ・ゲレロの「オイラは~だっての」口調、ダッドリー・ボーイズの広島弁などレスラーのキャラクター性を強調した字幕には定評があり、レスラーの人気獲得にも一役買っている。
地上波では、2001年10月から2002年12月までテレビ東京が深夜枠で放送。当初は『ライブワイヤー』を放送していたが、本国での同番組の終了以降は『アフターバーン』を放送した。マイクアピールを除く、試合の実況解説などを字幕ではなく日本語吹き替えで対応したことが大きな特徴といえる。なお、英語圏以外の国でのWWEの番組は吹き替えが一般的である。
テレビ東京での放送終了後、2003年4月から2005年3月まではフジテレビが関東ローカルの地上波で放送した。(J SPORTS協力の元、新たに字幕スーパーや日本語ナレーションを追加。)現在でもWWEが映像の編集を外部の会社に許可したのはフジテレビだけである。 2004年3月までは、実況に佐野瑞樹。解説にDDTの高木三四郎。 2004年4月以降は、三村ロンドと「Mrビーフジャーキー」ことブラザートムが担当。 多くのライト層の新規ファンを獲得したが、マニア層のファンの評価は極めて低かった。理由としては佐野アナのプロレス実況特有の技術や技名などの知識の不足、MC役の千野志麻アナウンサーのWWEに関する全くの無知(ポール・ヘイマンが復帰した際には「誰ですかこのおじさん?」と大声で発言)などが上げられる。(千野アナに関しては新規ファンと同じ目線で、という局側の意向もあった。)また番組放送末期に行われた日本初のテレビショーでは、アリーナ席最前列のテレビカメラ正面という最高の席を番組のキャスト・スタッフで占拠したこともマニア層の多くのファンから嫉妬や反感を買った。しかし、フジテレビが放送を中止した後、ライト層のファンを失ってしまい、2005年、2006年のWWE日本公演(後述)の観客動員数は大幅に減少、結果として2007年の日本公演が開催しないことが決定される。2008年以降の開催予定は現在のところ不明である。
PPVやレスラーを特集したDVDはユークスが発売していたが、2005年夏をもって生産を終了。代わってJ SPORTSからDVDが販売されるようになった。
2005年に開催されたWrestleMania 21では元横綱の曙が特別出演し、sumo matchを行った。
現在はWWEを解雇されたレスラーがジョニー・エースの斡旋等で日本のマットに上がることが多くなり、ジャマールとチャック・パルンボのように復帰が認められるケースもある。
J SPORTSでの放送以降、他のスポーツを視聴することが目的でJ SPORTSを視聴した視聴者がWWEのファンになることが多く、一般的なプロレスファンとは異なるファン層を獲得している。特に団体外の要素が団体内に絡むことが嫌われる傾向にあり、来日公演では
- シェイン・マクマホンの通訳を務めていたウォーリー山口にブーイングを浴びせ退場させた。
- フレッド・ブラッシー追悼VTRの説明をしていたフジテレビの千野志麻アナウンサーに「ass hole」コールを浴びせ号泣させた。
などのエピソードがある。
[編集] 日本での放送スケジュール
2007年現在では地上波放送はなくスカパー!やケーブルテレビなどのJ SPORTSを視聴するしかない。
- 「RAW」 ------ J SPORTS PLUS(有料)で毎週月曜日(初回放送)
- 「ECW」 ------ J SPORTS 1で毎週火曜日で(初回放送)
- 「SMACKDOWN!」 ------ J SPORTS PLUS(有料)で毎週水曜日(初回放送)
- 「BOTTOMLINE」 ------ J SPORTS ESPNで毎週木曜日で(初回放送)
- 「AFTERBURN」 ------ J SPORTS ESPNで毎週金曜日で(初回放送)
- 「Heat」 ------ J SPORTS 1で毎週土曜日で(初回放送)
以下有料のJ SPORTS PLUSでなくてもRAWやSMACKDOWN!も再放送されている。
映像権などの事情により日本では3週間遅れての放送となる。(字幕制作のルミエールは1日でも可能だといっている) そのため、ハウスショーが日本で行われる際にチャンピオンが違っていたりすることもある。
また、日本ではRAWの3時間のスペシャル番組は編集で2時間にされ、年に2、3回行われるSaturday night main eventは放送されていない。
[編集] 2002年以降の日本興行
2002年の再上陸以降は、ハウス・ショーが中心の興行である。2005年2月4日(RAW)・5日(SmackDown!)にさいたまスーパーアリーナで、アジア初、世界では3カ国目となるテレビ収録試合が開催された。いつもは当日生放送(海外からの収録でも時間差で当日放送)するRAWも史上初の収録試合となった。2007年の日本興行は開催しない事が発表されている。
- 2002年3月 : SMACKDOWN! TOUR LIVE in JAPAN(横浜アリーナにて開催)
- 2003年1月24日、25日 : WWE FAR EAST TOUR January 2003(国立代々木競技場第一体育館にて開催)
- 2003年7月 : SMACKDOWN! UNLEASHED IN THE EAST(横浜アリーナ、神戸ワールド記念ホールにて開催)
- 2004年2月5日、6日、7日 : ROAD To WRESTLEMANIA TOUR(RAW、広島サンプラザ(5日)、大阪城ホール(6日)、さいたまスーパーアリーナ(7日)にて開催)
- 2004年7月 : SmackDown! at the Budokan Return of the Deadman (日本武道館にて開催)
- 2005年2月4日(RAW)、5日(SmackDown!) ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOUR(TV収録、さいたまスーパーアリーナにて開催)
- 2005年7月1日、2日 : WWE SUPERSHOW(RAW、SmackDown!共催、さいたまスーパーアリーナにて開催)
- 2006年2月4日、5日 : SMACKDOWN LIVE TOUR(横浜アリーナにて開催)
- 2006年10月18日、19日 : WWE RAW & ECW LIVE@BUDOKAN(日本武道館にて開催)
[編集] WWEファンを公言する芸能人
日本の芸能人でも、多くのファンが存在し、日本公演にも観戦に訪れる者もいる。
代表例
- 草野仁
- 力也
- 古田新太
- 袴田吉彦
- 井ノ原快彦(V6)
- ブラザートム
- 野村真美
- 安めぐみ
- 佐藤寛子
- ビートたけし
- ガレッジセール
- ダチョウ倶楽部
- 安田大サーカス
- ますだおかだ(増田英彦・岡田圭右)
- 三又忠久(ジョーダンズ)
- レイザーラモン(HG・RG)
[編集] WWEのオフィシャルCDアルバム
- WWEからオフィシャルで販売されている、または過去に販売されていたCD
- WWF ザ・ミュージック Vol.2-(1997年)
- WWF ザ・ミュージック Vol.3-(1998年)
- WWF ザ・ミュージック Vol.4-(1999年)
- WWF ザ・ミュージック Vol.5-(2001年)
- WWF Forceable Entry-(2002年)
- WWE Anthology-(2002年)
- WWE Originals-(2004年)
- WWE ザ・ミュージック Vol.6-(2004年)
- You Can't See Me-(2005年)
- WWE WRECKLESS INTENT-(2006年)
[編集] WWEのPPV特番
前記の通りWWEでは月に1度特番を行うが、RAW単独、SmackDown!単独、ECW単独、3ブランド共催など大会によっての違いが決められていた。2007年のBacklashよりすべてのPPV特番を3ブランド共催に変更。
基本的に毎年行われる大会は決まっているが、特別に組まれるPPVや現在は行われていないPPVも存在する。
以下の15大会は2007年に行われる予定のPPV大会。なお、日付は現地時間。
- 1月7日 New Year's Revolution
- 1月28日 Royal Rumble
- 2月18日 No Way Out
- 4月1日 WrestleMania
- 4月29日 Backlash
- 5月20日 Judgment Day
- 6月10日 One Night Stand
- 6月24日 Vengeance:NIGHT OF CHAMPIONS
- 7月22日 The Great American Bash
- 8月26日 SummerSlam
- 9月16日 Unforgiven
- 10月7日 No Mercy
- 10月28日 Cyber Sunday
- 11月18日 Survivor Series
- 12月6日 Armageddon
またPPVではない特番Saturday night main event(2007年は6月2日、8月13日)に開催。
[編集] タイトルホルダー
WWEが管轄するベルトの保持者(2007年6月24日のVengeance 2007終了時点)
RAW
- WWE Champion:ジョン・シナ
- WWE Intercontinental Champion:サンティーノ・マレラ
- WWE Women's Champion:キャンディス・ミシェル
- World Tag Team Champion:ランス・ケイド & トレバー・マードック
Friday Night SmackDown!
- World Heavyweight Champion:エッジ
- WWE United States Champion:M.V.P
- WWE Cruiserweight Champion:チャボ・ゲレロ
- WWE Tag Team Champion:デュース・アンド・ドミノ(デュース & ドミノ)
ECW
特別な試合の勝者
[編集] 興行の特徴
[編集] 試合形式
WWEでは、多彩な試合形式が行われる。WWE発祥の試合形式も存在する。
- アイアンマン・マッチ
- インフェルノ・マッチ
- ロイヤルランブル・マッチ
- ランバージャック・デスマッチ
- サブミッション・マッチ
- スティール・ケージ・マッチ(金網デスマッチ)
- ヘル・イン・ア・セル
- エリミネーション・チェンバー・マッチ
- ラストマン・スタンディング・マッチ
- ハードコア・マッチ
- ファースト・ブラッド・マッチ
- テーブル・マッチ
- TLC戦
- キャスケット・マッチ(棺桶デスマッチ)
- スモウ・マッチ
- ベリードアライブ・マッチ(生き埋めデスマッチ)
- アンビュランス・マッチ(救急車デスマッチ)
ディーバ関連の特殊な試合形式も存在する。
- 水着・コスプレ・下着等の各種コンテスト
- ランジェリー・ピロー・ファイト(下着姿で枕投げ)
- ブラ・アンド・パンティマッチ
- 泥んこマッチ
- 敗者髪切りデスマッチ
[編集] 観客参加型興行
WWEでは、興行の楽しみ方のキーワードとして、「観客参加型」を提唱。主に、次の4つが主流となる。
- サインボード
- ボードに自己主張一杯のメッセージを書いて掲げる、最も定番の一つである。
- 直球型・・・スーパースターの名前・ニックネーム・必殺技を書いたモノ
- 変化球型・・・名前にちなんだユニークな語呂合わせを書いたモノ。下記はほんの一例。
- 「Randy Always Win(ランディはいつも勝つ)」(「RAW」に引っ掛けて)
- 「Jbl Best Looser(JBLは偉大なる負け犬)」
- デコレーション型・・・写真やイラストなど、オリジナリティあふれる工夫を凝らしたモノ
- ボードに自己主張一杯のメッセージを書いて掲げる、最も定番の一つである。
- チャント(掛け声)
- スーパースターの台詞や、登場曲などに合わせて大合唱
- カート・アングルの場合・・・登場曲に合わせて「You Suck!(へなちょこ!)」
- ロブ・ヴァン・ダムの場合・・・コールされる時、ポーズと一緒に「Rob Van Dam」
- リック・フレアーの場合・・・水平チョップを繰り出す時に「Wooooo!」
- D-ジェネレーションXの場合・・・トリプルH、ショーン・マイケルズのマイクに合わせて「Suck it!」
- また悪役が気に入らないことを言ったり、SCSA(ストーンコールドスティーブオースチン)のマイクパフォーマンスの場合に「What?」ということもある。
- スーパースターの台詞や、登場曲などに合わせて大合唱
- コスプレ
- スーパースターのコスチューム・ギミックを真似るモノ。楽しみ方としては上級者の部類になる。
- よくコスプレの題材にされる選手
- ザ・ロック・・・日本公演で「代々木ロック」なる者が出現。試合開始前や休憩時間中に会場中を回り、パフォーマンスをする。
- ジ・アンダーテイカー・・・現在のギミックどおり、白目も。
- Tシャツバズーカ
- 試合の合間に客席に向かってTシャツを込めたバズーカ砲を打ち上げる。
- 日本公演では、主にツアータイトルが描かれたTシャツが打ち上げられる。
- 試合の合間に客席に向かってTシャツを込めたバズーカ砲を打ち上げる。
[編集] 所属レスラー(THE WWE SUPERSTARS)
現在、過去にWWEに所属していた人物についてはWWEに所属する人物一覧を参照してください。
[編集] スーパースターの関係
WWEではアングル上、スーパースターの兄弟や夫婦、親戚といった設定が出てくるがもちろん全てが真実な訳ではない。特に、1980年代後半からタッグチームの多くに兄弟、親戚のギミックが頻繁に設定された。ただし、実際の人間関係がストーリーに絡むことも多く、そこにこの団体を楽しむ醍醐味がある。
- 現実でも肉親で、番組ストーリーでもそれが取り上げられた例
- ギミック上のみの肉親関係の例
- 現実でも婚姻、または恋愛関係で、番組ストーリーでもそれが取り上げられた例
- ランディ・サベージとエリザベスは実際の夫婦だった。リング上で結婚式もあげているが、後離婚。後に続く「夫婦もの」の嚆矢となった。
- トリプルHとステファニー・マクマホンは本当に結婚している。(ストーリー上では離婚、夫婦ストーリー終了後に結婚)
- キング・ブッカーとシャーメルは本当の夫婦。
- マット・ハーディーとリタは以前本当にプライベートでも恋愛関係にあった。
- エッジとリタは以前本当にプライベートでも恋愛関係にあった。但し、当時エッジは別の女性と結婚したばかりであった。その事を自己のHP上で批判したマット・ハーディーはWWEを解雇され、その解雇に反発したファンのブーイングは一時番組収録に支障をきたすほどであった。
- トリー・ウィルソンとビリー・キッドマン(注:番組内では恋愛ストーリーのみ展開。2006年に離婚。)
- ゴールダストとテリー(注:現在は離婚。)
- チャーリー・ハースとミス・ジャッキー(注:番組内では恋愛ストーリーのみ展開。)
- ストーリー上は関係ないが、現実に恋愛関係、または婚姻関係の例
- ロドニー・マックとジャズ
- ケニー・ダイクストラとミッキー・ジェームズ
[編集] かつて認定していた王座
かつて、新日本プロレスと提携していた時代、新日に対して様々な王座を認定していた。一時期はあまりにもベルトの数が増えすぎたためなくなったものや、シナリオ上必要であったが自然に消滅したものなど様々な形で消えていった。
- WWE Undisputed Championship (2001-2002)
- WWE Hardcore Championship (1998-2002)
- WWE European Championship (1997-2002)
- WWF Canadian Championship (1985-1986)
- WWF Kuwaiti Cup (1996-1997)
- WWF Light Heavyweight Championship (1981-2001)
- WWF Middle East Cup (1996)
- WWF Million Dollar Championship (1989-1992, 1995-1996)
- WWF Intercontinental Tag Team Championship (1991)
- WWF Women's Tag Team Championship (1983-1989)
- WWF International Heavyweight Championship (1959-1963, 1982-1985)※
- WWF Junior Heavyweight Championship (1967-1985)※
- WWF International Tag Team Championship (1969-1985) ※
- WWF New Japan Martial Arts Championship (1978-1985)※
- WWF North American Championship (1979-1981)※
※については、主に新日本プロレスで使用された王座。Light Heavyweight Championshipに関してはメキシコ版と呼ばれた王座と、後に新たに認定された王座が存在する。又、International Heavyweight Championshipに関しては新日版とUWF版が存在する。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- WWE.com(英語)
- WWE.co.jp(日本語)
- WWEオフィシャル・ファンクラブ(日本語)

