D・W・グリフィス

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D・W・グリフィス

D・W・グリフィスDavid Wark Griffith, 1875年1月22日 - 1948年7月23日)は、アメリカ合衆国ケンタッキー州出身の映画監督。父親が南北戦争の英雄ジェイコブ・ウォーク・グリフィス大佐。幼少時には黒人の乳母がいた。

アメリカの映画草創期に東海岸のバイオグラフ社で『ドリーの冒険』(1908年)を皮切りに、400本以上のショートフィルムを制作した後、新天地を求めて、形を成しつつあったハリウッドに渡り、1915年にアメリカ映画最初の超大作『國民の創生』を制作した。KKKの誕生秘話を南部白人の立場から描いた物語だったため、北部においては上映拒否されたこともあったが、作品自体は大ヒットする。しかし、同時期にイタリアで制作されたジョヴァンニ・パストローネの『カビリア』のスケールの大きさに打ちのめされ、これに対抗すべく翌年『イントレランス』を制作した。四時代の物語が同時並行的に描かれる当時としては革新的な作品だったため、難解との評判を呼び、アメリカ本国では商業的に失敗したが、ヨーロッパ諸国では絶賛され、特にレーニンはこれに感銘を受け、ロシア全土における上映を命じた。

その後『散り行く花』(1919年)や『東への道』(1920年)など、サイレントトーキーを問わず映画史に残る数々の傑作を残したが、トーキーには適応できず、1930年代以降は忘れ去られてしまった。

クローズアップクロスカッティング等の様々な映画技法を生み出すと共に、大々的で系統的な編集をしたので、「映画の父」と呼ばれており、カール・テオドア・ドライヤーなどグリフィスを敬愛する映画作家は少なくない。

サイレント時代を代表する名女優リリアン・ギッシュ(『國民の創生』、『散り行く花』」、『東への道』および『嵐の孤児』に主演)や、アメリカの恋人と呼ばれたメアリー・ピックフォードを育てたことでも、功績がある。特にリリアン・ギッシュとは、生涯を通じて芸術家同士として尊敬し合う友情で、結ばれていた。

1936年アカデミー特別賞を受賞。

[編集] 主な監督作品

  • ホーム・スイート・ホーム(1914年Home, Sweet Home
  • 國民の創生1915年The Birth of a Nation
  • イントレランス1916年Intolerance古代バビロン、イエス時代のパレスティナ、宗教改革期のフランスそして20世紀初頭のアメリカでの4つの物語が同時進行で描かれる。人々の中にある「イントレランス」(不寛容)がもたらすさまざまな悲劇を、巧みな映像手法で描き出している。特にバビロン編で使われた豪勢な宮殿のセットは有名。この作品の興業不振は、グリフィスの映画人生を大きく変えた。
  • 散り行く花1919年Broken Blossoms
  • 東への道1920年Way Down East
  • 嵐の孤児1921年Orphans Of The Storm

[編集] ギャラリー

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