鵜戸神宮

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<tr> <th style="white-space:nowrap">社格等</th> <td style="background: #fff">官幣大社・別表神社</td> </tr> <tr> <th style="white-space:nowrap">例祭</th> <td style="background: #fff">2月1日</td> </tr> <tr> <th style="white-space:nowrap">主な神事</th> <td style="background: #fff">神幸祭</td> </tr>
鵜戸神宮
所在地 宮崎県日南市大字宮浦3232
主祭神 日子波瀲武鸕鶿葺不合尊
大日孁貴尊
天忍穂耳尊
彦火瓊々杵尊
彦火々出見尊
神日本磐余彦尊

鵜戸神宮(うどじんぐう)は、宮崎県日南市にある神社である。旧社格官幣大社

日向灘に面した断崖の中腹の岩窟内にあり、参拝するには崖にそって作られた階段を降りる必要がある。

目次

[編集] 祭神

日子波瀲武鸕鶿葺不合尊を主祭神とし、天照大神から神武天皇までの6代の皇祖神を祀る。

[編集] 歴史

創建の年代は不詳であるが、社伝では崇神天皇または舒明天皇の時代、岩窟の中に大日孁貴尊以下六柱の神を祀る社殿を造営し鵜戸神社と称したのに始まると伝える。また、豊玉姫命が鸕鶿葺不合尊を産んだ地であるという伝承もある。

延暦元年(782年)、天台宗の開僧光喜坊快久が神殿を再建して別当寺を建立し、初代別当となって桓武天皇より「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」の勅号を賜った。その後、宗派が真言宗に移り、両部神道の一大道場となり、「西の高野」とも呼ばれた。明治時代までは仁和寺が別当を担当していた。筑前・薩摩琵琶は鵜戸山が発祥である。地域の信仰の中心地として、当地を治めた島津氏伊東氏の崇敬を受けた。

明治の神仏分離によって権現号と寺院を廃して鵜戸神社に改称、明治7年に鵜戸神宮と改称された。明治28年に官幣大社に列した。

鸕鶿葺不合尊が産まれた地との伝承から、縁結び・夫婦和合・子授け・安産などの神とされ、昭和40年代に宮崎への新婚旅行がブームとなった時には多くの新婚夫婦が当社に参拝した。

日本神話山幸海幸神話に登場する潮干瓊・潮満瓊が神宝として伝わる。

[編集] 備考

御本殿近くには「霊石亀石」がある。霊石亀石には穴があり、「運玉」を投げ入れることで願いがかなうといわれている。男性は左手、女性は右手という掟がある。かつては貨幣を投げ入れていたが、諸事情により1954年より鵜戸小学校の児童らによって作られる「運玉」を投げ入れることとなった。

日子波瀲武鸕鶿葺不合尊の陵墓といわれる吾平山陵も境内にあるが、宮内庁の御陵墓参考地は鹿児島県肝属郡吾平町(現・鹿屋市)である。ちなみに吾平町には「鵜戸神社」があり、日子波瀲武鸕鶿葺不合尊が分霊されている。

[編集] 外部リンク

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