電流戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1880年代後半の電流戦争の時代、ジョージ・ウェスティングハウスとトーマス・エジソンは、エジソンが直流送電(DC)を提案したのに対して、ウエスティングハウスとニコラ・テスラ交流送電(AC)を主張したために、敵対関係にあった。この戦争にはいくつかの底流がある。エジソンは完全無欠な実験者であったが数学者ではなかった。交流送電は、本質的に数学的であり、テスラが行っていたような数学的物理学なオリエンテーションなしでは理解し開発することができない。テスラがエジソンのもとで働いていたことがあるため、悪い印象を受けることがあるが、エジソンは約束されたボーナスをテスラからだまし取ったという調査報告がある(テスラの伝記を参照)。

電力事業の最初の数年間、エジソンの直流送電はアメリカの標準であり、エジソンは彼の特許使用料を失うことはなかった。直流は、モータと同様に当時の主要な電力需要であった白熱灯のためにうまく働いた。テスラは、彼自身の回転磁界の研究から交流電力の発電、送電、使用のシステムを考案した。彼はこのシステムを商業化するためにジョージ・ウェスティングハウスと組んだ。ウエスティングハウスは、以前にテスラの多相システムの特許とLucien Gaulardおよびジョン・ディクソン・ギブズからAC変圧器のための他の特許権を買っていた。

低周波(50―60Hz)の交流は、交替する変動が心臓に調整を失わせて急速に死につながる心室細動を引き起こす場合があるので、同レベルの直流より危険になりうる。一方、高電圧の直流は、筋肉を固着させる傾向があり、犠牲者が導体から離れるのを妨げることにより、交流より危険になりうる。しかしながら、実際に用いられる送配電のシステムは直流にせよ交流にせよ危険な電流が流れるに十分な電圧を用いることになる。感電死に対する危険は類似しているので、結局、交流送電の利点はこの危険より重要と考えられ、交流送電が世界の標準となった。

交流の利点は、変圧器を用いた電圧の変換が容易である事である。電線自体の抵抗によって送電する電流の減衰はやむを得ない事であるが、電圧をより高くすれば減衰は抑えられ、効率が良い。そのため発電所からの送電は高電圧で行われ、家庭に配電する直前に家庭用として使われる電圧にまで下げられる。


目次

[編集] Electric power transmission

[編集] 競合するシステム

エジソンの直流送電システムは、発電所と、重い分配導体、そしてそれから取り出される消費者の負荷(照明とモーター)よりなっていた。そのシステムは全体を通じて同じ電圧で作動した。例えば,100Vの電球が消費者の場所に接続されていたとすると、発電機は発電所から消費地までの送電線の抵抗による電圧降下を考慮して110Vを発電した。この電圧は電球製造の都合で決められ、また当時,極端に致命的でないと感じられた。

電線の銅の節約の為に三線式の配線が使用された。エジソンのシステムでは、三本の線はそれぞれ+110V,0V,-110Vの電圧がかけられていた。100V電球は+110Vの線と0Vの線の間、または0Vと-110Vの線の間のいずれかに接続された。0Vの線(「中性線」)には、+線と-線の電流差分だけが流れた。この三線式システムは、使用電圧が低い値に留められたのに関わらず、比較的高い効率を示した。しかし、この発明をもってしても、導体の抵抗による電圧降下は大きく、そのために発電所と消費地の距離は1.6kmに留めるか、さもなくば極めて太く、そのために高価な銅線を使用するか、または極めて大きい電力損失となる。

[編集] Limitations

Tesla's US390721 Patent for a "Dynamo Electric Machine"

[編集] 送電損失

交流送電の有利さは変圧器によって電圧を変えることが容易であることによってもたらされる。 電力は電圧と電流の積によってあらわされる(電圧V,電流I,電力Pとして,P=VI)。高い電圧を送電線で使用することにより,同じ電力を送るときに電流を相対的に低い値で抑えることができる。金属電線(超伝導ではない)には電気抵抗があるので、送電時に一部の電力は熱として失われる。変圧器で高い電圧に変えてから送電することで電流を相対的に減らし、この送電損失を減らすことができる(送電線の電気抵抗Rとして、送電損失P=R・I^2、即ち電圧を10倍にすれば電流は10分の1、損失は100分の1)。現在、100万ボルト級の電圧が使用されている。

交流送電線は波長の影響を受け、波長より十分短い距離しか送電できないのに対して、直流送電線ではその制限はない。そのため、極めて長い距離の送電には直流送電が必要となる。 現在半導体技術により直流電圧変換が容易になったので,一部区間では長距離直流送電も行われている。

[編集] Edison's publicity campaign

エジソンは交流の使用に反対するための宣伝工作を行った。エジソンは個人的に人々に交流の危険性を印象付けるために交流による動物の処分を取り仕切った。はじめに野良犬や野良猫、最終的には象に及んだ。

エジソンは処刑されることをウェスチングハウスされると呼ぶことを一般化させようともした。 エジソンは死刑制度には反対派だったが、しかし電気椅子の発明によって彼は交流を非難することを願った。ハロルド・P・ブラウンはエジソンの秘密の資金によって,交流はより致命的であるという考えを普及させるために最初の電気椅子をニューヨークに設置した。

最初の電気椅子が1890年に使用されたとき、技師は死刑囚、ウィリアム・ケムラーを殺すのに必要な電圧の判断を誤った。最初の電撃はケムラーの処刑には不十分で,彼は重傷を負っただけだった。その手順は繰り返されなければならず、リポーターは、「恐ろしい光景だ。絞首刑よりはるかに悪い」と書き残した。ジョージ・ウェスチングハウスはこのようにコメントした:「彼らは斧を使うべきだった。」

[編集] ナイアガラの滝

専門家は、エネルギー伝達手段として圧縮空気も考慮したうえで、ナイアガラの滝を利用して発電することを提案した。ゼネラル・エレクトリックおよびエジソンの提案に対して、テスラのACシステムは国際的なナイアガラフォールズ委員会から契約を勝ち取った。委員会はケルヴィン卿によってリードされ、J・P・モーガン、ロートシルト卿、ジョン・ジェイコブ・アスター四世のような企業家に支持された。ナイアガラフォールズ発電プロジェクトは1893年に始まり、テスラの技術は滝からの電力を生成するために適用された。設備を完成するのに5年かかった。

このシステムがバッファローの工業の電力需要をまかなうことができるか否か疑問を呈する者もあった。テスラは発電所がうまく機能することを確信しており、ナイアガラの滝は東海岸のすべての電力需要をまかなうことができると発言した。1896年11月16日にナイアガラの滝のEdward Dean Adams Stationに設置された水力発電機からバッファローの工業地帯への送電が始まった。水力発電機はテスラの特許を用いてウェスティングハウス・エレクトリックが作成した。発電機の銘板にはテスラの名前が刻まれていた。

テスラは北アメリカの電源周波数の標準として60ヘルツを設定したが、ナイアガラの最初の発電所は25ヘルツであった。この発電所は長い間25ヘルツで発電していた。

[編集] Outcome

[編集] References

<references/>

[編集] 関連項目

[編集] Further reading

  • Tom McNichol, "AC/DC: The Savage Tale of the First Standards War".
  • Westinghouse Electric Corporation, "Electric power transmission patents; Tesla polyphase system". (Transmission of power; polyphase system; Tesla patents)
  • "Westinghouse Electric & Manufacturing Company, "Collection of Westinghouse Electric and Manufacturing Company contracts", Pittsburgh, Pa.

[編集] 外部リンク

ことばこって?

「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

おススメサイト
トラブログ
アレどう?
アフィリエイトB