雑民党
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雑民党(ざつみんとう、1983年? - 1998年?)は、昭和後期から平成初期にかけて活動した、日本の政治団体。同性愛者の東郷健によって創立された。官報の政治資金収支報告書によると、政治団体としては現存していない。機関誌は東郷が編集長を務め、株式会社噂の真相から発売されていた「The Gay」が届け出られていた。
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[編集] 概要
[編集] 党結成まで
東郷健は1971年の第9回参院選以来、各種選挙に立候補を繰り返した。東郷は、みずからが同性愛者であることを公表し、庶民の代表者と訴えた。
東郷はみずからをデラシネ(deracine、フランス語で根無し草の意味)と位置づけ、選挙では常に底辺から政治家・資本家の残酷さを暴こうとした。東郷はデラシネを雑民と訳した。
1979年8月24日、東郷は「雑民の会」を設立。お金のない弱い人は雑民であり、これはセックスでも言える。レズビアン、ゲイ、SMなどもまた差別されている。この雑民が互いに助け合って行くのが目的であるとした。
[編集] 比例代表制の影響
1982年(昭和57年)8月18日、参議院選挙の全国区が比例代表区に変わることが決まり、無所属での立候補ができなくなった。そこで立候補するため便宜上の政党(制度上は確認団体)が多く結成されたが、雑民党もその一つであった。
体系化された公約はないが、選挙で訴えた内容は概ね以下の通りである。
- オカマの東郷健が、せめて自らに恥ずかしくなく眠りたいと叫ぶ。
- 東郷健には投票しなくても良いから自公民(自民・公明・民社)以外が推薦する候補に投票して欲しい。
- 君の生のピストルで、自民党のカマを掘れ。
- 君たちのスカッドミサイルで、諸悪の根源である池田大作のカマを掘って掘って掘りまくれ。
- オカマのどこが悪い。愛は自由や。恥ずかしいのは人を愛することがでけへんということや。
- 性表現を含めた表現の自由の擁護と、検閲の禁止。
- PKO法は自衛隊の海外派兵を目的としたものであり、暴力団新法は全ての新左翼、反権力、市民に適用される恐れのある違憲立法であり、いずれも反対。
- ユダヤ陰謀論を主張。太田龍の地球維新党と候補者を互いに融通もした。
- 天皇制廃止。
- 飲尿療法推奨。
候補者には同性愛者を始め、死刑廃止論者、市民活動家、天皇制廃止論者、障害者団体出身者、アングラ演劇の俳優などを擁立していた。マルクス主義政党ではなかったが、全体としては左翼色が強いと言える。
1983年以来、参議院選挙に毎回、衆議院選挙には1993年の第40回総選挙に候補を立てたが、当選には遠く及ばなかった。また、政見放送ではNHKに放送禁止用語を理由に放送の一部をカットされて訴訟を起こすなど、過激な内容で知られた。そのため、雑民党の政見放送にはマニアックな人気があった。
しかし、度重なる供託金の値上げは、毎回全額没収される雑民党には大きな負担となった。さらに、1995年の第17回参院選からは、従来5回まで無料だった新聞広告が、得票率1%未満の確認団体からは実費を徴収するように制度が変えられた。もちろん雑民党は実費徴収の対象となり、この選挙を最後に選挙への擁立は行わなくなった。以降、実質的に自然消滅している。
[編集] 選挙方法への影響
国会では議席獲得に遠く及ばず、直接の政治的影響はほとんど無かったと言える。ただし、同性愛者などの社会的少数者の社会的進出のきっかけになったとの評価もある。
しかし、選挙方法においては、無視できない影響を残している。1983年の第13回参院選では、政見放送で目の見えない竜鉄也や、足の不自由な八代英太などと協力して『太陽はいらない』というコンサートをやった時のエピソードとして、「『メカンチ、チンバの切符なんか、だれが買うかいな』と言われて、あまり売れませんでした。このような差別がある限り、この世に幸福はありません」と主張した。NHKは「メカンチ、チンバ」を差別用語と判断し、自治省に違法ではないと照会を得た上で、放映では東郷に断りなくこの部分の音声を削除した。東郷は削除を公職選挙法違反として訴え、東京地裁の一審判決で勝訴した。しかし、東京高裁で逆転敗訴、1990年4月17日、最高裁で「差別用語を使用した点で、他人の名誉を傷つけ善良な風俗を害する」として削除を正当とし、敗訴が確定した。ただし、これ以降、政見放送での東郷の発言は消されなくなった。
もう一つは、1986年の第14回参院選で、東京都選挙区に聴覚障害者の渡辺完一候補を擁立した。渡辺は障害のため喋れず、手話での会話しかできないことから、テレビでは字幕の、ラジオでは(アナウンサーの音声による)手話通訳を要求した。しかし、自治省は「そのまま放送しなければならない」と指導。その結果、NHKは手話通訳を拒否し、TBSもこれに倣った。渡辺はやむなく手話のみで政見放送を行った。テレビでは手話を理解できなければ内容が分からず、ラジオに至っては全くの無言放送となった。
この事件の後、喋れない障害のある候補者の政見放送に、初めて手話通訳が認められるようになった。なお、通常の政見放送の手話への翻訳は、2007年現在でも政党の任意に留まっている。また、衆議院比例区は、全国11ブロックに別れていて設備が揃わない地方があるとの理由で、現在でも手話による通訳は設けられていない。

