赤松範資

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赤松 範資(あかまつ のりすけ'、1280年弘安3年)? - 1351年5月4日正平6年/観応2年4月8日))は、南北朝時代大名赤松則村の嫡男。官位は信濃守。左衛門尉。

1333年、父の則村が鎌倉幕府討幕のために挙兵したとき、これに従って京都での戦いで武功を挙げた。ところが、その後の後醍醐天皇建武の新政赤松氏が行賞で冷遇されたため、父と共に足利尊氏に与し、朝廷軍と各地で戦って武功を挙げた。それにより、室町幕府成立後、尊氏から摂津国守護に任じられた。1350年、父・則村の死により家督を継いで当主となる。同年、尊氏の弟・足利直義高師直の対立である観応の擾乱では、尊氏側、つまり師直側に与して直義軍と戦っている。

1351年4月8日、京都堀川七条の自邸にて急死。後を弟の赤松則祐が継いだ。法号は世範。ちなみに範資の系統は、七条氏として存続している。

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