西生浦倭城

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西生浦倭城
韓国)</dd>

本丸跡
通称

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城郭構造

山城

天守構造

連結複合式

築城主

加藤清正

築城年

1593年

主な改修者

加藤清正

主な城主

加藤清正

廃城年

1598年

遺構

石垣

位置


西生浦倭城(서생포왜성、そせんぽわじょう)は、文禄・慶長の役加藤清正により、現在の大韓民国蔚山広域市蔚州郡に築かれた倭城(日本式の)。

目次

[編集] 構造

現在の蔚山市の中心部から南に約15kmほどの位置する海に面した小高い200mの山の上に築かれた。海は入り江になっており、城の築かれた山の北側には川も流れている。形態は山城。山頂に本丸、山腹に二の丸、麓に三の丸という配置である。本丸には天守閣も築かれた。

現在では、山頂と山腹に石垣のみが残る。朝鮮半島に当時築かれた倭城のなかでも保存状態が良い。日本に残る城跡のほとんどが、江戸時代に大名・幕府の威光を示す「見せる城」として作り替えられたもので、安土桃山時代の実戦用城郭の遺跡は少ない。このため、築城研究の貴重な資料ともなっている。

[編集] 歴史

1593年、加藤清正が築城。

1594年、文禄の役の和平交渉が、西生浦倭城内で行われた。朝鮮側の記録では4回行われている。

1598年、豊臣秀吉の死去を受けて放棄される。朝鮮側の資料では明の麻貴が城を奪うことに成功となっているようである。

1599年、文禄・慶長の役で戦死した人を弔うため蒼表堂が作られる。


[編集] 交通手段

  • 蔚山市外バスターミナルから、鎮下(ジナ)、海雲台(ヘウンデ)行き市外バスで約30分、鎮下下車。

[編集] 関連項目

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