西明寺 (甲良町)
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西明寺(さいみょうじ)は滋賀県犬上郡甲良町にある天台宗の寺院。山号を龍応山と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は三修上人である。金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」の1つに数えられる。
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[編集] 起源と歴史
琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。西明寺は、寺伝によれば承和元年(834年)、三修上人の創建という。三修上人は、修験道の霊山として知られる伊吹山(滋賀・岐阜の県境にある)の開山上人と伝えられる半ば伝説化した行者である。伝承によれば、承和元年のある日、琵琶湖の西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が現われ、その姿を刻んで祀ったのが寺のはじまりであるという。寺のある場所の地名を「池寺」というのは、この伝説に基づいている。承和3年(836年)には仁明天皇の勅願寺となり、寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。「西明寺」の寺号は前述の紫の光が西の方へさしていたことによる。
近江(滋賀県)地方の他の多くの古寺と同様、西明寺も平安時代から中世へかけての歴史は必ずしも明らかではなく、上述の開創伝承もどこまで史実を反映したものかは定かでない。しかし、現存する本堂、三重塔は鎌倉時代の本格的な建築であり、この頃にはかなりの規模を有していたものと思われる。
元亀2年(1571年)、比叡山延暦寺の焼き討ちを行った織田信長は、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じ、西明寺も信長配下の武士によって焼き討ちの運命にあった。しかし、寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やし、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたという。この兵火の後は荒廃していたが、徳川家などの庇護を受けて徐々に復興し、近代に至っている。
[編集] 境内
湖東三山の他の2寺と同様、総門は西に面し、そこから長い石段を上った先に本堂が建つ。本堂へ向かう石段の途中左側には池泉鑑賞式の庭園をもつ本坊がある。
- 二天門(重文)-入母屋造、杮(こけら)葺き。応永14年(1407年)の墨書があり、その頃の建築と思われる。
- 本堂(国宝)-入母屋造、檜皮葺き。鎌倉時代前期の和様建築。中世天台仏堂の代表作として国宝に指定されている。
- 三重塔(国宝)-本堂の右(南)に建つ。檜皮葺きの和様の三重塔である。様式的に鎌倉時代中期~後期の建築とされる。初層内部には大日如来像を安置し、内部の柱や壁面には極彩色で仏・菩薩、牡丹、鳳凰などが描かれている。壁画の主題は、4本の柱には両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅の諸仏を表し、壁面には法華経二十八品(章)の説話を表している。これらは国宝建造物の一部であるとともに、「絵画」として別途重要文化財に指定されている。
- 石造宝塔(重文)-嘉元2年(1304年)
[編集] 文化財
重要文化財(建造物以外)
- 木造薬師如来立像
- 木造二天王立像
- 木造釈迦如来立像
- 木造不動明王及び二童子像
- 絹本着色十二天像
- 絹本着色文殊菩薩像
- 三重塔初層荘厳画4本8面
- 錦幡5旒(りゅう)

