花魁
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花魁(おいらん)は、吉原遊廓の中で位の高い遊女の呼称。妹分である禿や振袖新造が「おいらの所の姉さん」と呼んだのが語源とされる(花の魁と著すのは、梅毒のために鼻の先が欠けることからとの俗説がある。)。 近年吉原以外の遊郭の高位の遊女を花魁と表現することが見うけられるがこれは誤りである。 花魁と付き合うためには、莫大な資金が必要であるため傾城(けいせい)などとも呼ばれる。
花魁は格の高い遊女であって、相手もそれなりの地位が必要であった。このため、花魁は幼少の頃から徹底的に古典や書道、茶道、和歌、三味線、囲碁などの教養、芸事を仕込まれていた。
花魁と付き合うには莫大な資金が必要であった為、一般庶民には手が出せないものであった。その為、人気の花魁が被写体となった浮世絵を見たり、それ関連の書籍を読み楽しんでいた様である。
目次 |
[編集] 花魁の位
- 太夫
- 格子
- 散茶、埋茶・・・と続くが、これ以下の遊女は一般的には花魁とは言わない
[編集] しきたり
遊女と一夜を共にするのとは異なり、花魁と付き合うためには様々なしきたりが存在していた。
- 花魁には、茶屋を通して取り次いでもらう必要があった。このため、茶屋で豪勢に遊び茶屋に金を落とす必要があった。
- 座敷では、花魁は上座に座り、客は常に下座に座っていた。花魁クラスの遊女ともなると、客よりもえらかったのである。
- 初会(つまり一回目)、花魁は客とは離れたところに座り、客と口を利かず飲食もしなかった。この際、客は品定めをされ、花魁にふさわしくないと思われたらその花魁とは付き合うことができなかった。客はたくさんの芸者を呼び、派手に遊ぶことで財力を示す必要があった。
- 裏(つまり二回目)には、少し近くに寄ってくれるものの、基本的には初会と同じである。
- 三会目にようやく馴染みになり、自分の名前の入った膳と箸が用意される。このとき、ご祝儀として馴染み金を支払わななければならなかった。通常は、三会目でようやく床入れ出来るようになる。
- 馴染みになると、客は他の花魁の元に通うと浮気と見做される様になる。他の花魁に通った場合には、その花魁の新造や禿に馴染みの花魁に知らされてしまうことになる。
- 花魁は馴染みの客が何人もいるため、時には指名がかち合うこともある。その際は名代といって、新造が相手をするが新造とは床入れ出来ない。一方で、通常の揚代金を取られることになる。
[編集] 関連用語
- 花魁道中(おいらんどうちゅう)
- 花魁が禿、振袖新造などを引き連れて揚屋に向かうこと。
- 禿(かむろ)
- 花魁の身の回りの雑用をする10歳前後の少女。彼女達の教育は姉貴分に当たる遊女が行った。
- 廓詞(くるわことば)
- 遊女達は全国から集められており、訛りを隠すために「~ありんす」など独特の言葉を使っていた。廓詞は揚屋によって異なっていた。里詞、花魁詞、ありんす詞とも。
- 三枚歯下駄(さんまいばげた)
- 花魁が履く黒塗りの下駄。重いこともあって、普通に歩くことが出来ないため、外八文字(吉原遊廓)・内八文字(嶋原遊廓)と呼ばれる独特の歩き方をする。きちんと八文字で歩けるようになるには三年かかったともいわれる。
- 番頭新造(ばんとうしんぞう)
- 器量が悪く遊女として売り出せない者や、年季を勤め上げた遊女が務め、マネージャー的な役割を担った。
- 振袖新造(ふりそでしんぞう)
- 15~16歳の遊女見習い。禿はこの年頃になると姉貴分の遊女の働きかけで振袖新造になる。
- 身請け(みうけ)
- 花魁に限らず、遊女の身代金や借金を支払って勤めを終えさせること。大見世の花魁では千両(数千万円)にものぼった。
- 『吉原細見』(よしわらさいけん)
- 吉原細見は店ごとに遊女の名を記したガイドブック。当時のベストセラーの一つであったといわれる。
[編集] 有名な花魁
- 薄雲太夫(江戸吉原)
- 高尾太夫(江戸吉原)
[編集] 関連項目
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