花の御所

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花の御所はなのごしょ)は、現在の京都市上京区烏丸今出川北西一帯の地域にあった室町幕府足利将軍家の邸宅の通称である。現在の同志社大学今出川校地の烏丸通を挟んで向かい側の場所にある寒梅館に位置する。

[編集] 概要

当時この地域が「室町」と言われていたことから、室町殿室町第とも呼ばれ、「室町時代」というのもここから採られている。室町御所とも呼ばれていた。

南北朝時代後醍醐天皇と対立して北朝を後見するため、京都に武家政権を開いた足利尊氏は二条高倉に住み、2代将軍の足利義詮は三条坊門に住んでいた。3代将軍となった足利義満は1378年(天授4年/永和4年)に京都北小路室町、室町通りの正面の崇光上皇の仙洞御所や菊亭公直邸の焼失跡地に造営をはじめ、1379年には寝殿が作られ、1381年に完成すると、それまでの三条坊門第から移住する。北小路は土御門内裏に近く、敷地だけでも御所の倍にも及ぶ規模の新邸は公家社会に対する義満のデモンストレーションを兼ねている。

庭内には鴨川から水を引き、各地の守護大名から献上された四季折々の花木を配置したと伝わり、「花の御所」とよばれた。義満はここに後円融天皇関白二条師嗣などを招いて詩歌や蹴鞠の会などを催した。1394年に将軍職を息子の足利義持に譲ると、義満はここから新築した北山第(現鹿苑寺)へ移る。義満と不和であったとされる義持は義満の死後に室町第を離れるが、6代将軍の足利義教が住むなど長く将軍の邸宅であった。8代将軍足利義政の頃に応仁の乱の戦火で焼失する。

その後、室町殿は何度か再建されるが、将軍権力の衰退を現すかのように昔日の面影がないほど小規模なものだった。14代将軍足利義輝が1559年に新たに二条御所を造営・移転したために廃止された。

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