舞鶴市

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<tr> <td style="border-color: #aaa; border-style: none none solid; background-color: #f0f0f0; text-align: center;">市の木</td> <td colspan="2" style="border-color: #aaa; border-style: none none solid solid">ケヤキ </td></tr> <tr> <td style="border-color: #aaa; border-style: none none solid; background-color: #f0f0f0; text-align: center;">市の花</td> <td colspan="2" style="border-color: #aaa; border-style: none none solid solid">ツツジ </td></tr> <tr> <td style="border-color: #aaa; border-style: none none solid; background-color: #f0f0f0; text-align: center;">市制記念日</td> <td colspan="2" style="border-color: #aaa; border-style: none none solid solid">5月27日 </td></tr>

</td><td colspan="2" style="border-style: solid none none solid; border-color: #aaa; text-align: right;">

<tr> <td colspan="3" style="border-color: #aaa; border-style: solid none none; border-width:2px 0px 0px 0px">特記事項 :

舞鶴市のデータ
日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府 
団体コード 26202-1 
面積 342.14km²
総人口 91,820
(2005年11月)
隣接自治体 京都府:綾部市宮津市福知山市
福井県大飯郡:高浜町 
舞鶴市役所
所在地 〒625-8555  京都府
 舞鶴市字北吸1044番地
電話番号 0773-62-2300 
外部リンク 舞鶴市 
位置

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総世帯数 35,322世帯
(2005年11月1日)
外国人登録者数 1361
(2004年)
市長
斎藤 彰
(2007年2月11日に当選)
市職員数 1062
(2005年度)
当初予算規模 329.3億円(一般会計)
360.4億円(特別会計)
市議会議長
(選出日)
林三弘
(2006年12月1日)
市外局番 0773(市内全域)
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Template (■ノート ■解説) 日本の市町村pj

舞鶴市(まいづるし)は、京都府北部(旧丹後国)の、日本海に面する国際港湾都市

目次

[編集] 概要

  • 旧東舞鶴市については「東舞鶴」も参照せよ。


北近畿の中核都市であり、行政・経済面において中心的な立場を担う。市内東部にある軍港を中心に、造船硝子といった重厚長大産業都市として発展し、舞鶴都市圏を形成している。

現在の舞鶴市は、軍港から発展した東舞鶴市と、商港から発展した舞鶴市(-1943年5月26日)が、1943年5月27日に合併して誕生した。この内、1943年5月26日以前の舞鶴市が西舞鶴旧舞鶴市などと呼ばれる(以下、本項ではこの市を便宜上「(旧)舞鶴市」とする)。

[編集] 地理

舞鶴湾のリアス式海岸

日本海に面し、東西に分かれた舞鶴湾リアス式海岸を臨む都市である。舞鶴湾口を東西から博奕岬金ヶ岬が固めた、天然の良港である。

福井県嶺南)との県境には、舞鶴市最高峰の青葉山があり、若狭湾から市内東北部に位置する大浦半島にかけては若狭湾国定公園に指定されている。

市の中部には、東部(東舞鶴)と西部(西舞鶴)を分ける五老岳が峙えているため、市街地も東西で分かれて発展している。東舞鶴はかつての軍需都市で、旧軍港や造船などを中心とする重工業地区である。一方、西舞鶴はかつての城下町で、国や京都府の行政機関や工業団地が集中する商工業地区である。このように同じ舞鶴市ながら違った顔を持っており、(旧)舞鶴市と東舞鶴市以来の「東西舞鶴の張り合い気質」が今でも残っている。

西舞鶴の市街地のさらに西側に位置する由良川を境に、天橋立で有名な宮津市などと接している。

総面積が10,320haながら宅地面積は1,143haあり、山林面積は6,410haと山地が多く、森と海に囲まれた都市である。またオオミズナギドリの最後の楽園といわれる冠島は有名。

市内をJR舞鶴線小浜線が横断し、市西部には北近畿タンゴ鉄道宮津線が走っている。また舞鶴若狭自動車道がある。現在、東舞鶴駅西舞鶴駅では駅前再開発が行われている。

[編集] 気候

日本海側気候に属し、冬季は北西の季節風の影響で気温が低く、雨や雪が多くなりやすいが(代表的な格言:「弁当忘れても傘忘れるな」)、盆地に位置する地域と比べると夏と冬の気温の差が比較的小さく、過ごしやすい気候でもある。舞鶴市の年間平均気温は14.3℃、年間降水量1786.3mm<ref>気象統計情報・1971年-2000年平年値(気象庁)</ref>は、全国152気象台の平均値に近い数値である。

[編集] 歴史

[編集] 江戸時代まで

丹後田辺城(舞鶴城)

舞鶴の地に人が住み始めたのは約1万年前だと言われている。その後、弥生時代になると由良川流域など広範囲で稲作が営まれた。奈良時代丹波国から舞鶴を含む五郡が分割され、丹後国が成立。

南北朝時代には、醍醐寺の荘園が置かれた。 室町幕府の成立によって一色満範が丹後国守護職となり舞鶴を含む加佐郡も一色家の統治下に置かれた。以後、丹後国は一色家の領国として代々続いた。

戦国時代末期の1575年織田信長から丹波・丹後進攻の命を受けた家臣の明智光秀細川藤孝らに攻め入られ、守護職の一色義道は殺された。信長の命により丹後国は細川藤孝の領地となり、舞鶴が本拠地となった。(明智光秀は丹波国を与えられ、亀岡市を本拠地とした)。細川家の手によって舞鶴は開発され、本能寺の変後も細川家の所領は安堵され、そのまま統治した。

1600年慶長5年)に勃発した関ヶ原の戦いで、細川家は徳川家康率いる東軍に味方した。細川藤孝は当時は小城であった宮津城から、大規模な水堀もあり、守りやすい本城の田辺城(舞鶴城)に移り籠城。西軍の派遣部隊と対戦したが、後陽成天皇の勅命により、城を敵明け渡した(詳細については細川藤孝の項目を参照)。戦後は京極氏京極高知)が信州飯田より転封され、宮津藩として舞鶴を統治した。後に分立して丹後田辺藩となり、一時は天領となったが、その後は牧野氏が入城し、35000石の城下町として発展した。

[編集] 明治から第二次大戦まで

軍需物資を運ぶために建設された旧中舞鶴線。(現在は跡地に遊歩道が整備されている)

明治維新翌年の1869年明治2年)に版籍奉還が行われ、その後、紀伊田辺藩との同一藩名を解消するため太政官より田辺藩の名称変更を命じられ、同年6月に田辺城の雅号・舞鶴城に因んで舞鶴藩に改称した。1871年(明治4年)には廃藩置県により、西舞鶴は舞鶴県の県庁所在地となったが、同年10月には豊岡県に編入され、1876年(明治9年)に京都府へと編入された。

1873年(明治6年)には舞鶴藩の家老であった河村真六によって、舞鶴藩の藩校であり多くの学者を輩出した明倫館が明倫小学校として開校し、1889年(明治22年)に市町村制が導入されると舞鶴町(西舞鶴)が誕生した。その後1901年(明治34年)10月には、軍事的要地として東舞鶴に舞鶴鎮守府が設置され、初代長官には東郷平八郎が就任した(東郷が生み出したとされる肉じゃがは、一説には東舞鶴が発祥地とされる)。それに合わせ東舞鶴の浜村などでは大規模宅地開発が計画され、京都市に模して碁盤目状の市街地が形成され(南北に一条から九条、東西に軍艦の名前が使われる)、多くの海軍官署が設置された。(日本海軍の駆逐艦雪風』は舞鶴での建造である。)

戦後は舞鶴港が政府の在外邦人引揚港に指定され、大陸からの引き揚げの拠点となった。1945年昭和20年)から13年に渡って66万人余りの引揚者が舞鶴の地に降り立ち、懐かしの母国の土を踏みしめた。その頃の岸壁の母は有名。現在は当時の引揚桟橋があった平に、舞鶴引揚記念館が建っている。

[編集] 近代

舞鶴は日本海側唯一の軍事都市として、軍事施設が両舞鶴市に跨がるように設置されるなり、軍都一括管理の重要性が増した。そこで1943年(昭和18年)に海軍は東西両舞鶴市に合併を要請し、それを受けて(旧)舞鶴市と東舞鶴市が1943年5月27日合併。新しい舞鶴市が誕生した。当時の人口は86,051人。

しかし、前述のように、城下町・商業都市として発展した(旧)舞鶴市(西舞鶴)と、鎮守府が設置され、軍需都市として発展した旧東舞鶴市(東舞鶴)では、住民気質が全く異なり、1950年(昭和25年)には住民投票が行われ、舞鶴市をふたたび東西に分割する案が決議されたが、府議会によって否決された。

1957年(昭和32年)に舞鶴市と関係の深かった加佐郡加佐町を編入して現在の舞鶴市が形成され、初めて人口10万人を超えた(その後、人口はやや減少している)。北近畿の中核都市としての地位を確立した。

現在でも海上自衛隊舞鶴地方総監部(1952年設置)や第八管区海上保安本部(1948年設置)があり、国防拠点都市としての性格と、舞鶴港1951年(昭和27年)に重要港湾に指定、また1995年(平成7年)には日本海側港湾では初めてFAZ(輸入促進地域)の指定を受けるなど、国際港を持つ交流・物流都市として発展を続けている。

[編集] 年表

[編集] 政治・行政

中丹広域振興局(京都府の出先機関)

市役所本庁は東舞鶴にある。

  • 市長:斎藤彰(さいとう あきら)2007年2月11日の市長選挙にて当選
  • 市議会:30名
  • 市職員数 1,062人(2005年度)

[編集] 市長選挙・市議会の会派の構成

2002年(平成14年)11月17日の市議会議員選挙では30名の定員に対して31人が立候補し少数激戦となった。舞鶴でも国政と同じく自民党民主党がともに公認・推薦候補を擁立し、いずれも当選している。現在において与党的な立場にある保守2会派に加え、民主党系の翔友会も市長の市政運営を評価している。なお、2005年12月に無所属議員らによって新会派・市民フォーラム・舞鶴が結成された。現在の市議会においては日本共産党を除く各政党でオール与党体制を構築しているといわれている。

2006年(平成18年)11月19日の市議会議員選挙では30名の定員に対して32人が立候補、前回に引き続き少数激戦となり、総じて市長与党的な立場にある保守系議員が得票を伸ばした。なお、この後の議会より特別委員会を、従来の4特別委員会から3特別委員会に再編した。

2007年(平成19年)2月11日の市長選挙では現職の江守光起が引退を表明した事から、市立舞鶴市民病院の諸問題(民間病院への業務委託の是非)と江守市政の継続を唱えて谷垣禎一伊吹文明ら国会議員と一部の府会議員および自民党が推薦した前助役、元市民病院院長や元舞鶴市長(故人)の親族の応援を得て無所属で出馬した元舞鶴市会議員で前府会議員の斎藤によって保守分裂し、更に国会議員の福山哲郎が後押しする民主党候補の他、共産党候補と合わせて4名が立候補して激しい選挙戦となったが結果は斎藤が当選。今後の市政が注目されている。

舞鶴市役所
会派名議席数代表者
創政クラブ11 藤田正一
鶴声クラブ5 桜井裕
公明党4 上羽和幸
日本共産党4 小杉悦子
翔友会3 鳥居文子
市民フォーラム・舞鶴2 未定 

[編集] 議会の構成

常任委員会
  • 総務文教委員会(8名)
  • 経済消防委員会(7名)
  • 民生労働委員会(8名)
  • 建設委員会(7名)
  • 議会運営委員会(10名)
特別委員会
  • 火電・企業誘致・雇用促進特別委員会(9名)
  • 由良川対策特別委員会(9名)
  • 港湾・交通対策特別委員会(10名)

[編集] 舞鶴市選挙区選出の府議会議員

  • 岡本忠藏(無所属)
  • 千歳利三郎(自民)
  • 中島則明(無所属)

※五十音順、2007年4月8日の府議会選挙による

[編集] 予算

2005年度予算では赤れんが倉庫群の補修費も組み込まれた。

2005年度(平成17年)の一般会計予算は329億3337万円で、台風23号被害の復旧事業などに重点をおき、対前年比で0.6%の増加であった。そのうち市税等の自主財源は関西電力の火力発電所稼動にともない固定資産税が大幅に増加したことから48.9%まで上昇した。また特別会計予算は360億4230万円で、そのうち民生費が30.1%、土木費が18.0%であった。

個別事業では舞鶴倉庫(株)から譲渡された赤れんが倉庫1棟を転活用するため、調査費として1430万円、耐震補強工事などに2億4375万円を計上した他、東舞鶴駅周辺事業には2億8317万円を予算化し、2005年度内での完成をめざす事となった。他にも和田埠頭(仮称)や臨海道路などの舞鶴港修築事業負担金として2億8620万円を、道路新設改良事業に9億6231万円を計上している。

[編集] 国の機関

舞鶴市は、京都府北部の経済・行政の中心都市として、また舞鶴港を擁することから多くの国の出先機関が置かれている。京都地方裁判所舞鶴支部は、北部の4支部のなかで唯一、地裁の合議事件、実裁の少年事件を受け持っている他、法務省管轄施設である拘置所も北部では唯一、舞鶴拘置支所だけにある。

[編集] 経済

舞鶴市は戦前・戦中は鎮守府も置かれ、軍都として軍需産業、また戦後は臨海型重厚長大工業都市として、北近畿最大の経済規模を誇る。しかしながら現在は産業構造の変化や、慢性的な土地不足のため経済は停滞気味である。近年は海上自衛隊舞鶴総監部の増員などがあるものの、舞鶴に立地している企業の支店統合等により、人口そのものは減少が続き、1975年(昭和50年)の人口97,780人と比べると現在は約3%減少している。

[編集] 商圏・都市圏

バザールタウン舞鶴

舞鶴都市圏は舞鶴市全域を含め福井県大飯郡高浜町の全域とおおい町の一部、綾部市・宮津市の一部を含んでおり、商圏人口は約12万人である。1995年に「らぽーる」(後述)が出来るまでは、大規模小売店は西舞鶴に一箇所(さとう舞鶴店)しか無く、駅前商店街(東舞鶴:三条・八島・大門商店街、西舞鶴:マナイ商店街)が競争とは無縁な経営を続けていた。

近年では東舞鶴駅前に平和堂系列の「らぽーる」(本社:舞鶴市、1995年開業)が進出し、西舞鶴にも駅東側にさとう系列の「バザールタウン舞鶴」(2000年開業)、駅前に「さとう舞鶴店」が出店しており、また東西両舞鶴市街地を結ぶ白鳥街道(京都府道28号小倉西舞鶴線)沿いや、西舞鶴の国道27号線沿いには郊外型飲食店や娯楽施設、大規模小売店などが立地するなど、北近畿の商業地域として近隣市町村にその商圏を広げている。それを受けて、前述の駅前商店街は衰退の一途を辿り、空店舗が目立つようになっている。また、ローソンを始めとする24時間営業のコンビニも出店している。

なお、前述した白鳥街道にはバイパス計画や四車線化計画があるものの、既に市街地が形成されていることなどから事業が進んでおらず、白鳥街道の旧道を拡張しバイパスとする新たな道路計画がある。

[編集] 将来の展望

舞鶴市は戦中の一時期は人口20万を数える日本海側での一大工業都市であったが、現在では相対的に地位が低下している。しなしながら今なお京都府北部では経済的中心都市として重要な地位を占めているばかりか、畿内に最も近い日本海側の拠点として、府や国土交通省などが、船舶の大型化や荷役のコンテナ化に対応する港湾にするべく「和田埠頭」(仮称)を整備中である。

なお、中心市街地の人口は1985年度の約8,400人から2000年度には約6,300人に減少しており、また実質商品販売額も約170億円から約110億円と35%も減少しており、市と京都府ではその活性化に力を注いでいる。現在は東舞鶴駅前を中心に高層マンションが建設されている。

[編集] 産業

舞鶴市にある造船所

舞鶴市の製造業事業所数は2002年現在で326ヶ所、建設業事業所数は531ヶ所、卸小売・飲食店数は2,390ヶ所である。そもそも舞鶴市の産業は造船ガラス木材を中心とした臨海型の重厚長大産業が中心であり、近時では造船業の好況で活気がある。製造業全体では2700億円の経済規模があり、北近畿では最大の規模であるものの、大企業を除くと650億円しかなく、中小零細企業は少ない。ちなみに工業製品別では第1位が窯業(ガラス)で、約800億円規模であり、続いて飲料缶、輸送機器(造船)、木材産業となっている。

なお第一次産業への従事者は約3,400人で全体の7.3%、第二次産業は約14,300人で29.9%、第三次産業では約30,000人で62.8%であり、近隣市町村と比べるとサービス業を中心とした第三次産業が盛んであり、商業の街であるとも言える。

最近の大規模な企業進出例として、1990年(平成2年)倉谷地区に市が造成した倉谷工業団地に進出した大手清涼飲料メーカーと大手化粧品メーカーや、2004年(平成16年)12月に喜多工業団地へ誘致成功した日本交通の他、2006年には倉谷工業団地の資生堂跡にケンコーマヨネーズが進出することが決定している。

[編集] 主な立地企業

製造業
非製造業

トマトアンドアソシエイツ(外食/トマトアンドオニオンなどを運営)の創業地で市内に本店があったが、2006年すかいらーくグループ入りの後に、実質的な本社機能がある大阪府吹田市に本店を移動した。

[編集] 金融

京都北都信用金庫・舞鶴中央支店 (旧舞鶴信用金庫本店)

[編集] メディア

[編集] 農業

舞鶴の水源地・与保呂川の上流

舞鶴市は由良川水源地与保呂川水源地をもち、市の耕作に用いられる土地は全体の4.7%の1,620haである。そのうち水田率は77.8%であり、主にコシヒカリを生産している。また畑に用いられる土地は368haで、主に普通畑である。総人口に占める農家人口は2000年には11.9%まで低下している(2,831戸。ちなみに1990年には15%強あった)。全国と同じく農業就労者の高齢化も進んでいる。

[編集] 水産業

2000年現在で387世帯が漁業に携わっており、個人漁業経営体332世帯で、 漁業従事者世帯は55世帯である。舞鶴市でも就労者の高齢化が進んでおり、漁業就業者数に占める65歳未満の割合は59.3%まで低下している。なお舞鶴漁港ではいわし類やあじ類が多く水揚げされており、近年では舞鶴近海でとれる岩牡蛎を「舞鶴牡蛎」としてブランド化しようとする動きがある。

  • 京都府漁業協同組合連合会(京漁連・漁連・ぎょれん)
  • 舞鶴漁協
  • 田井漁協
  • 成生漁協
  • 小橋漁協
  • 三浜漁協
  • 野原漁協
  • 水ヶ浦漁港

[編集] 林業

市全体の林野率は79.0%で27,015ha、人工林率は34.0%で8,597haである。国有林率は民間林の26,261haに比べ、754haで全体で2.8%になっている。林家数は1,239戸で、総世帯数に占める林家数の割合は僅3.6%でしかない。ちなみに保安林は4,322haで全体の16.0%にあたる。

[編集] 姉妹都市・提携都市

2005年現在の姉妹都市は3市。国内に姉妹都市・友好都市はない。

[編集] 海外

1961年(昭和36年)6月21日姉妹都市提携 - 日ロ(当時はソビエト連邦)間で初の提携
1982年(昭和57年)5月8日友好都市提携
1998年(平成9年)5月15日姉妹都市提携

[編集] 地域

[編集] 方言

舞鶴市では京都弁とも福井弁とも違う独特の方言で「ちゃった」に代表される舞鶴弁(ちゃった弁)がある。前述の「ちゃった」の使用例である「-しちゃった」は標準語では「-された」である。また舞鶴弁の「-しとってん」は標準語でいう「-しているの?」の疑問形であり、大阪弁の「しとってん」として使われる過去形とは全く異なり、発音のイントネーションが明らかに違う。 日本海側中心に位置する軍港であったためか、基本的に関東弁、関西弁と違い、標準語に限りなく近い言語、発音であるのが特色である。

[編集] 出生率・高齢化率

京都府全体の高齢化率(19%)に比べ、舞鶴市は若年層の域外流出が多く、高齢化率は比較的高めである。また東西市街地の高齢化率が近年高まっており、府と市では対策に乗り出している。出生率は1.8を超えるなど全国的な傾向からは高いものの、2004年には人口動態が初めて自然減となっている。

  • 舞鶴市の高齢化率:21%(市街地に限定すると28%)
  • 舞鶴市の出生率:1.82(京都府全体では1.28)

[編集] 保健福祉

[編集] 健康・医療

舞鶴赤十字病院

舞鶴市には国立病院機構舞鶴医療センター市立舞鶴市民病院舞鶴赤十字病院舞鶴共済病院と大型総合病院が4つあり、他にも9つの大型病院が集積している。また、中小規模の病院を加えると約75もの病院が市内各地に点在している。市内に拠点をおく医師は211人。宮津市や与謝郡、福井県大飯郡からの通院者も多い。

さらに、京都府北部の医療拠点としての位置付けられていて、京都府立の子ども療育センターや盲・聾学校などが置かれている。

[編集] 子育て

  • 保育所 - 公立5ヶ所、私立9ヶ所、認可外保育園6ヶ所
  • 地域子育て支援センター - 単独型1ヶ所、保育園併設型2ヶ所
  • 放課後児童健全育成事業(いわゆる学童保育) - 10ヶ所で実施
  • 児童養護施設 - 2施設

[編集] 高齢者福祉

  • 高齢者福祉 - 養護老人施設1ヶ所、老人福祉センター2ヶ所
  • 障がい者福祉 - 身体障害者福祉センター1ヶ所、聴覚言語障害者支援センター1ヶ所

[編集] 教育・研究機関

小学校中学校および高等学校の他、工業高等専門学校(高専)、大学の研究機関および海上保安庁の教育機関である海上保安学校がある。また、2005年には府立の養護学校も建設された。

2003年(平成15年)より京都精華大学と協同で、舞鶴自然文化園の活用による地域づくりなど様々な分野で連携を深めており、2005年(平成17年)3月3日には市と京都精華大学が「舞鶴サテライト事務所」を設置することで合意、それに先立ち「準備室」が開設された。

[編集] 小学校

20ヶ所(休校中のものを除く)

  • 舞鶴市立新舞鶴小学校
  • 舞鶴市立三笠小学校
  • 舞鶴市立倉梯小学校
  • 舞鶴市立倉梯第二小学校
  • 舞鶴市立与保呂小学校
  • 舞鶴市立志楽小学校
  • 舞鶴市立朝来小学校
  • 舞鶴市立大浦小学校
  • 舞鶴市立中舞鶴小学校
  • 舞鶴市立明倫小学校
  • 舞鶴市立吉原小学校
  • 舞鶴市立余内小学校
  • 舞鶴市立池内小学校
  • 舞鶴市立中筋小学校
  • 舞鶴市立福井小学校
  • 舞鶴市立高野小学校
  • 舞鶴市立岡田上小学校
  • 舞鶴市立岡田下小学校
  • 舞鶴市立八雲小学校
  • 舞鶴市立神崎小学校

[編集] 中学校

8ヶ所

[編集] 高等学校

3ヶ所

[編集] 高等専門学校

[編集] その他研究機関・学校

[編集] 養護学校等

[編集] 交通

特急「タンゴディスカバリー」
JR京都駅から
JR大阪駅から
  • 特急「北近畿」 - 福知山駅で舞鶴方面行き普通列車などに乗換(東舞鶴駅まで所要約2時間10分程度)
その他
  • 舞鶴若狭自動車道 - (神戸から舞鶴東ICまで所要約1時間程度)
  • 京都・大阪・神戸から直通バスあり(京都便以外は予約必要)

[編集] 鉄道

東舞鶴駅

舞鶴線は日露戦争を控え着工を急ぐ必要から私設鉄道全盛の時代にも関わらず官営で建設され、1904年(明治34年)11月3日に開通した。後に支線として舞鶴港線中舞鶴線も建設されたが、現在はいずれも廃止されている。1987年(昭和62年)4月1日にJR西日本に継承され、1991年(平成3年)には舞鶴線を担当する舞鶴鉄道部が新設された。1996年(平成8年)7月13日には東舞鶴駅が高架化され、1999年(平成11年)9月25日には西舞鶴駅が橋上化されている。

路線

[編集] 船舶

新日本海フェリー

[編集] 道路

1991年(平成3年)3月26日舞鶴自動車道(現・舞鶴若狭自動車道)の福知山IC - 舞鶴西IC間が開通し、市内初の高速道路が開通した。また 1998年(平成10年)3月8日には京都縦貫自動車道舞鶴大江ICが開通、同年3月18日には念願であった舞鶴西IC~舞鶴東IC間が開通し、ようやく高速道路網が整備された。

2006年(平成17年)11月8日に舞鶴市東地区と綾部市上林地区を結ぶ、府道舞鶴和知線の「菅坂バイパス」(延長2.3キロ)が開通した。

高速道路
舞鶴東IC舞鶴西IC舞鶴PA
舞鶴大江IC由良川PA
一般国道
主要地方道

[編集] 観光

赤れんが博物館

室町時代から安土桃山時代にわたって丹後国の国府として発展した舞鶴には、数多くの史跡がある。また、かつて舞鶴鎮守府が設置されていた関係で、旧海軍に由来する施設も多い。

「倉庫群と舞鶴湾」を望むコースは、遊歩百選にも選ばれている。

土・日・祝日には、点在する観光名所を循環する舞鶴観光周遊バス「プリーズ号」(運転協力費100円)が運行されている。

[編集] 観光名所

[編集] 体験型施設等

舞鶴自然文化園「アジサイ展」

[編集] マリンレジャー

[編集] 特産品

[編集] 祭事・催事

[編集] 出身有名人

[編集] その他

  • 郵便番号は以下の通り(2006年9月19日変更)
    • 東舞鶴郵便局:625-00xx、625-85xx、625-86xx、625-87xx、625-01xx
    • 西舞鶴郵便局:624-08xx、624-09xx、624-85xx、624-86xx、624-87xx、624-01xx
  • 市外局番は、市内全域「0773」。
  • 総世帯数 : 35,232世帯(2005年5月1日)
  • 外国人登録者数 : 1,361人(2004年)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

<references/>