興津

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興津(おきつ)は、静岡県静岡市清水区地名。現在、清水区興津と呼ばれる区域は旧興津町と重なる。

風光明媚で知られた清見潟は、古代、清見ヶ関(きよみがせき)と息津(おきつ)駅がおかれた。この場合の息津は現在の興津と異なり西よりの横砂あたりではないかと言われている。江戸時代になり東海道の17番目の宿場町として発展し、明治以降は鉄道が開通したことにより、西園寺公望などの元勲の別荘が建ち、避寒地として全国的にも知られていた。現在、清見潟の海岸寄りは埋め立てられ、清水港の興津埠頭となっている。

目次

[編集] 歴史

古代
  • 680年頃-東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設けられ清見ヶ関と呼ばれた。のち関所の鎮護として仏堂が建立され、この仏堂を以って清見寺の始めと伝えている。
  • 927年-延喜式が奏進され、その中の諸国駅伝馬条に息津の駅家には駅馬が十匹配されたとある。
鎌倉時代
  • 興津氏が宿の長者として一帯を支配した。
南北朝時代から戦国時代まで
江戸時代
  • 1601年-宿駅伝馬制度により興津宿駅が制定される。
  • 1663年-府中に駿府代官所が置かれ、清見寺・興津・中宿・洞・薩埵・八木間がその支配下となる。承元寺は清見寺領。
  • 1793年-興津・中宿・洞・八木間が韮山代官所の支配となる。
明治維新から第二次大戦まで
  • 1872年-大区小区制が導入され、興津は小区2区に属しそれぞれ戸長と副戸長がおかれる。
三十六区(洞村、薩埵村、承元寺村)
三十八区(中宿町、興津宿、清見寺町、濁沢村、八木間村、谷津村、横山村)
  • 1879年-地方三新法が施行される。大区小区制が廃止され庵原郡全部を一群役所の所管とし、清見寺本堂が仮の役所となる。
  • 1884年-庵原郡役所を新築し(現在のマックスバリューの場所)清見寺本堂から移る。
  • 1889年-町村制施行により興津宿外八ヶ町村を合併し、興津町と定める。
  • 1890年-庵原郡役所が江尻に移転する。
  • 1914年-興津町役場落成。
第二次大戦後
  • 1961年-袖師町、庵原村、小島村、両河内村とともに清水市と合併する。

[編集] 名所・旧跡・観光スポット

東日本で一番早くアユ漁を解禁する。(5月20日頃)
西園寺公望の別邸で現地にあるのは復元されたもの。オリジナルは博物館明治村に移築されている。
  • 薩埵峠
  • 清見寺
  • 水口屋ギャラリー(フェルケール博物館別館)

[編集] 産業・名産品

[編集] 隣の宿

東海道
由比宿 - 興津宿 - 江尻宿

[編集] 関連項目

興津中町交点=国道1号交点が起点

[編集] 外部リンク

興津地区の歴史や観光・名所・物産の紹介。
常葉学園大学造形学部造形学科土屋研究室のページ。別荘地としての興津の項目がある。


東海道
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