羽地朝秀

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羽地王子朝秀 から転送)

羽地 朝秀(はねじ ちょうしゅう、1617年 - 1675年)は、尚質王尚貞王摂政を務めた琉球王国の政治家。初位は按司、後に王子位に昇った。摂政の任期は1666年 - 1673年

[編集] 生涯

羽地朝秀は、1617年、琉球王族の羽地御殿(ウドゥン)に生まれた。唐名は象賢(しょう・しょうけん)。1640年、羽地御殿の家督を継いで、羽地間切の按司地頭となった。

1650年、羽地は王命により『中山世鑑』の編纂を行い、琉球王国最初の歴史書を完成させた。1666年、尚質王の摂政となり、数々の改革を断行。薩摩藩による琉球侵攻以来、疲弊していた国を立て直すのに成功した。のちに、琉球の五偉人に数えられるほど評価が高く、彼の葬儀には尚貞王も臨席する国葬級の葬儀であったという。1673年に摂政の地位を退き、1675年に死去した。

[編集] 関連項目

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