織田秀子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
織田秀子(おだ ひでこ、生年不詳 - 寛永9年4月12日(1632年5月30日))は、織田信長の三女。筒井定次の正室。法名は日栄。
織田有力家臣筒井家との政略結婚で筒井順慶の養嗣子、定次へ嫁ぐ。定次は伊賀上野20万石の大名になり、関ヶ原の戦いでも東軍に与し所領を安堵されるが、1608年に突如幕命により改易される。(理由は、素行乱行や領国における悪政、キリシタン訴訟など様々な理由があるが、結局は幕府のでっち上げという説が強い。)その後、夫定次は自害。その間の秀子の消息は不明。

