織田 教長(おだ のりなが)は室町時代の武将。織田常松の子。尾張国守護代。通称は勘解由左衛門。子に織田淳広。『大徳寺文書』によると初め朝長(ともなが)と名乗った。正長2年(1429年)尾張国守護代に任じられた。主君の尾張国守護代・斯波義重が第6代将軍・足利義教の偏諱を受け、義教と名乗ると、それに倣って、朝長は教長と改める。
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