織田寛広

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織田 寛広(おだ とおひろ、織田寛廣)は室町時代戦国時代武将織田広近の子。織田敏広の養子。子に織田達定。官位は大和守、兵庫助。幼名は千代夜叉丸。正室は斎藤妙純養女(甘露寺元長女)。尾張国葉栗郡丹羽郡・春日井郡・海西郡山田郡の大半を支配した。


尾張国武将織田広近の子の千代夜叉丸として生まれる。元服して、主君の尾張国守護斯波義寛の一字「寛」を取り、寛広と名乗った。織田敏広の養子となり、文明13年(1481年3月、敏広が亡くなると家督を継ぐ。明応3年(1494年)船田合戦では寛広は斎藤妙純養女(甘露寺元長女)を正室に迎えた為、斎藤氏方に付いた。明応4年(1495年6月、斎藤方の援軍として石丸方の同族・織田敏定と戦い、敏定を破る。明応5年(1496年5月10日、再び、斎藤方の援軍として向かった。


先代:</dt>
織田敏広</dd>
清洲織田家歴代当主</dt>
織田寛広</dd>
次代:</dt>
織田達定</dd>
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