織田信正

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織田 信正(おだ のぶまさ、天文23年5月5日1554年6月4日) - 正保4年(1647年)11月)は、織田信長の庶長子。母は原田直政の妹と言われている。妻は織田信広の娘、村井貞雲の娘。子には信衡、的寿の二男がある。幼名、勝。官位は帯刀、大隅守、主膳正。

古渡城主を務めていたという。1585年に剃髪して見性軒と号する。1647年11月、94歳という高齢で没する。墓は京都の見性寺。法名は見性寺正誉英厳了盛。

信長の長男は織田信忠であるが、この人物の存在が事実とすれば次男ということになる。但し信正の存在は、江戸時代末期に編纂された『系図纂要』などを根拠にしており、幕府の公的な系譜集『寛政重修諸家譜』などには記載されていない。同時代の上質史料にも一切登場しないため、その実在を疑問視されており、一般的には信長の子として数えられていない。

[編集] 関連項目

  • 織田氏
  • 『織田大戦記』(竹中亮) - 信正の子、織田信衡を主人公とした戦国シミュレーション小説
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