織田信友

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織田 信友(おだ のぶとも、永正13年(1516年) - 弘治元年4月20日1555年5月10日))は戦国時代の人物。尾張下四郡の守護代。大和守として知られる織田達勝の養子。諱は広信、また信豊とも。通称:彦五郎。

主家斯波氏の当主斯波義統を傀儡の守護として擁立し、元々は家来筋であった織田信秀と尾張の覇権をめぐって争った。信秀の死後はその後を継いだ織田信長と対立し、信長暗殺計画を企てたが、事前に斯波義統に知られて信長に密告されたために失敗してしまう。そのため1554年、これを恨んだ信友は家老の坂井大膳と図り、斯波氏の家臣の大部分が義統の子の義銀に従って城外に出かけた隙に義統を暗殺した。義銀は信長を頼り逃亡した。翌1555年、義銀を擁した信長の反撃を受けた信友は、主殺しの咎を受けて織田信光によって殺害された。

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