紫香楽宮
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紫香楽宮(しがらきのみや)は、奈良時代、現在の近江国甲賀郡(現在の滋賀県甲賀市信楽町)に置かれた皇居。甲賀宮とも称される。
[編集] 概要
740年(天平12年)の藤原広嗣の乱ののち、聖武天皇は皇居を恭仁京(現在の京都府相楽郡加茂町付近)に移し、742年(天平14年)には紫香楽の地に離宮を造営してしばしば行幸した。翌743年(天平15年)には紫香楽の地に大仏を造営することを発願、745年(天平17年)1月紫香楽の地を都と定めたが、人臣の賛同を得られず、また天災など不幸なことが相次ぎ、同年5月には奈良平城京へ戻った。
この紫香楽は当時の感覚においては余りに山奥である事から、この遷都を巡っては諸説があり、恭仁京周辺に根拠を持つ橘氏に対抗して藤原仲麻呂ら藤原氏に関与したとする説や天皇が自らの仏教信仰の拠点を求めて良弁・行基などの僧侶を助言を受けて選定したとする説などがある。
最近では国史跡・紫香楽宮跡の北約1kmに位置する宮町遺跡から大規模な建物跡や税納入を示す木簡が大量に出土したことから、ここが宮跡の有力地となっている。国史跡・紫香楽宮跡は甲賀寺(甲可寺)跡であるという説が有力である。
現在でも、地名「宮町」「勅旨」「内裏野」に都が在った名残がある。
[編集] 関連項目
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