紀貫之

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紀貫之(菊池容斎・画、明治時代)

紀貫之きの つらゆき866年貞観8年)、または872年(貞観14年)頃? - 945年天慶9年))は、日本の平安時代前期の歌人随筆家である。三十六歌仙の1人。紀友則は従兄弟にあたる。男性。
905年醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集古今和歌集』を紀友則、壬生忠岑凡河内躬恒と共に編纂した。古今和歌集の序文には漢文による「真名序」と平仮名による「仮名序」の二つがあるが、仮名序を書いたのも紀貫之である。また、『小倉百人一首』にも和歌が収録されている(人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける)。
随筆家としては『土佐日記』の著者として有名である。男は漢文を書くのが常識とされていた時代に、女の作者を装って土佐から京都までの紀行を平仮名で綴った。そのため本文中の語り手も女性である。日本文学史上、おそらく初めての平仮名による優れた散文であり、その後の日記文学や随筆、女流文学の発達に大きな影響を与えた。

[編集] 年譜

※日付=明治5年12月2日までは旧暦。

  • 866年(貞観8)?(872年(貞観14)?、 このころ生まれる?
  • 905年(延喜5)4月、醍醐天皇の勅命により『古今和歌集』を選者の1人として編纂。
  • 906年(延喜6)2月、越前権少掾に任官。
  • 907年(延喜7)2月27日、内膳典膳に遷任。 9月、宇多天皇が大井川に外出された際に、歌や序を供奉。
  • 910年(延喜10)2月、少内記に遷任。
  • 913年(延喜13)4月、大内記に転任。
  • 913年(延喜13)、『亭子院歌合』に参加。屏風画などを作る。
  • 917年(延喜17)1月7日、従五位下に叙位。大内記如元。加賀介兼任。
  • 918年(延喜18)2月、美濃介兼任。加賀介任替。
  • 923年(延喜23)2月、大監物に遷任。
  • 929年(延長7)9月、右京亮に転任。
  • 930年(延長8)1月、土佐守に遷任。
    • 醍醐天皇の勅命により『新選和歌集』を編纂。
  • 935年(承平5)2月、土佐守の任を終え、帰洛。後にこの紀行を参考に、『土佐日記』を書く。
  • 940年(天慶3)3月、玄蕃頭に任官。
  • 943年(天慶6)1月7日、従五位上に昇叙。玄蕃頭如元。
  • 945年(天慶8)3月28日、木工権頭に遷任。
    • 同年没?
  • 1904年明治37)4月18日、贈従二位。

[編集] 代表歌

霞たちこのめも春の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける(古今・春上・9)
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん(古今・春上・2)
吉野川いはなみたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし(古今・恋一・471)

[編集] 外部リンク

ウィキクォート紀貫之に関する引用句集があります。
小倉百人一首
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