答志島

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答志島(とうしじま)は、三重県鳥羽市にある離島

東西約6キロメートル、南北約1.5キロメートル。面積約7平方キロメートルで、鳥羽湾内では最大。

目次

[編集] 歴史

古くは『万葉集』にて、持統天皇伊勢行幸にあたって都に残った柿本人麻呂により、

  • 釧着く答志(手節)の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ(巻一・41)

とよまれた地である。平城京跡から発見された和銅5年(712年)木簡にも『志摩国志摩郡手節里』、養老7年(723年)木簡に『志摩国答志郡和具』の文字がみえる。『和名抄』でも、答志郷・和具郷との名もみられる。

答志には志摩国の国衙があったとされ、その跡と思われる大畑遺跡が発見されている。

[編集] 交通

鳥羽港の佐田浜桟橋から、市営定期船で答志まで約30分、答志(桃取)まで約15分。

運賃は平成18年10月現在、それぞれ530円と430円。

[編集] 主な産業


[編集] 九鬼水軍

答志島は、中世の九鬼水軍の根拠地であり、九鬼嘉隆終焉の地。

嘉隆は、信長、秀吉に仕えて志摩地方一円に名をはせる。しかし関ヶ原の合戦では情勢の見きわめに悩み、家名存続のため嘉隆が大阪の豊臣方に、子の守隆は家康の東軍について戦うことになる。敗れた嘉隆はこの地にのがれ、ついに自刃する。

嘉隆の遺言により、自ら築城した鳥羽城を望む岬の頂きに首塚、その麓に胴塚が残されている。

詳細は九鬼嘉隆を参照。

[編集] 参考文献

  • 『日本の神々 第6巻 伊勢・志摩・伊賀・紀伊≪新装復刊≫』(2000年7月5日発行、編者:谷川健一、発行:白水社)

[編集] 外部リンク

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