筒井康隆

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筒井 康隆(つつい やすたか、1934年9月24日 -)は日本小説家劇作家俳優ホリプロ所属。血液型はB型。変名に澱口襄(おりぐち じょう)や櫟沢美也(くぬぎさわ みや)などがある。

父は、草分け期の日本の動物生態学者で、大阪市立自然史博物館の初代館長筒井嘉隆。息子は画家筒井伸輔日本を代表するSF作家の一人で、小松左京星新一と並んで「SF御三家」と称される。 ツツイスト(命名者は筒井康隆研究家平石滋)と呼ばれる熱狂的なファンを持つ。

目次

[編集] 受賞(受賞候補)歴

※『スタア』は演出:福田恆存荒川哲生による。

[編集] 年譜

1934年大阪府大阪市住吉区粉浜の母方の実家で誕生。

1940年、腰から足にかけて大やけどを負う。田辺愛児園入園、カトリック聖母園に転園。

1941年南田辺国民学校に入学。榎本健一、『のらくろ』に夢中になる。

1944年吹田市千里山に疎開千里第二国民学校に転校。地元の農家の子供たちから激しいいじめを受ける。

1946年、大阪市立中大江小学校に転校。知能検査の結果IQ178ということが判明し、特別科学学級に通う。

1947年、大阪市立東第一中学校に入学。授業をサボタージュして映画館に通い詰める。その一方で、手塚治虫に熱中し、赤塚不二夫藤子不二雄などとともに『漫画少年』誌の投稿欄の常連でもあった。

1948年、児童劇団子熊座に入る。

1950年大阪府立春日丘高等学校に入学。マルクス兄弟の映画に傾倒。演劇部の部長として活躍するも学業不振、受験勉強への反発から新潮社版世界文学全集を読破。サルトルトーマス・マンの作品に影響を受ける。

1952年2月、関西芸術アカデミー研究科に研究生として入学。同年4月、同志社大学文学部心理学科に入学。同志社小劇場に所属。カフカ、アルツィバーシェフ、アーネスト・ヘミングウェイ等の作品から多大な影響を受ける。吹田市の実家から京都市まで電車通学し、長い通学時間を利用して日本教文社版のフロイト全集を読破し、精神分析学に傾倒するが、のちに美学美術史学科に転じる。

1954年、関西芸術アカデミーを卒業して劇団青猫座に入団。初舞台は飯沢匡の『北京の幽霊』。日活ニューフェイスに応募するも、二次試験で落選。

1955年、大阪毎日会館で行われたスタインベック作『二十日鼠と人間』での演技が評価され、「東の仲代達矢、西の筒井康隆」と新聞に報じられる。

1957年、卒論『心的自動法を主とするシュール・リアリズムにおける創作心理の精神分析的批判』を提出して大学を卒業。乃村工藝社に入社。サラリーマンによる劇団、劇団・明日に入団。

1960年6月、父や3人の弟たちと共に同人誌『NULL』を立ち上げる。同誌に発表した短篇『お助け』が江戸川乱歩に評価され、『宝石』誌1960年8月号に転載。実質的なデビュー作となる。

1961年乃村工藝社を退社。大阪市北区でデザイン事務所「ヌル・スタジオ」を立ち上げる。

1964年、脚本家にも商品化権料が認められていたテレビアニメ『スーパージェッター』に脚本スタッフとして参加。

1965年4月に小松左京夫妻の仲人で結婚。その直後に夫婦で上京、作家専業となる。10月に処女出版『東海道戦争』。

1966年2月、伊藤典夫大伴昌司豊田有恒平井和正と『SF新聞』を創刊。最初の子が死産。相倉久人の仲介で山下洋輔と知り合う。

1967年野坂昭如の「酔狂連」に参加。文壇バーデビュー。

1968年8月、長男・伸輔誕生。

197?年、手塚賞審査員に就任。(1984年上半期?まで)

1971年、著書の文庫化が始まる。12月、文春文士劇に初出演。

1972年4月、妻の実家がある神戸市垂水区に転居。9月~10月、日本対外文化協会の派遣で宇能鴻一郎とともにソビエト、ポーランド、ハンガリーなどの国を歴訪。

1974年1月、SF界の若手を育成するため、『NULL』を復刊し、会名を『ネオ・ヌル』とする。

1975年、第14回日本SF大会(SHINCON)を主催。

1976年7月、公認ファンクラブ「筒井倶楽部」が発足。(1982年11月に解散)

1977年4月、全日本冷し中華愛好会(全冷中)の2代目会長に就任。7月、『面白半分』の編集長に就任。(1978年6月まで)

1978年1月、エラリー・クイーン選 Ellery Queen’s JAPANESE GOLDEN DOZEN に「Perfectly Ladies」(如菩薩団)が収録される。

1981年1月、中篇小説「ジャズ大名」を発表。同作品の脱稿直後にクラリネットの演奏に傾倒している。同年8月9日、日比谷野外音楽堂で『ジャズ大名セッション ザ・ウチアゲ コンサート』を行い、クラリネット奏者としての初舞台を踏む。

1982年、筒井康隆大一座を旗揚げ。

1983年、公認ファンクラブ「日本筒井党」発足。会長・幸森軍也(1987年に解散)

1984年? 小説新潮新人賞 選考委員

1988年三島由紀夫賞選考委員に就任。4月、父・嘉隆が死去。9月~10月、「文学部唯野教授」「残像に口紅を」の連載のストレスで胃に穴を開け入院。

1990年5月、永山則夫の入会希望を拒絶した日本文芸家協会の対応を不服として、中上健次柄谷行人とともに同協会を脱会する。

1991年朝日新聞紙上でパソコン通信の会議室「電脳筒井線」とコラボレーションした長篇「朝のガスパール」の連載を始める。(1992年3月まで)

1992年サントリーミステリー大賞の選考委員に就任。(1994年まで)

1993年9月、噂の眞相での連載「笑犬樓よりの眺望」上にて、マスコミの自主規制や言葉狩りの風潮に憤慨して断筆宣言を発表、執筆活動を停止する。以降、俳優活動を本格的に始める。10月、母・八重が死去。

1994年4月、中野サンプラザにおいて『筒井康隆断筆祭』が行なわれる。ASAHIネット主催・第1回パスカル短篇文学新人賞の選考委員を務める。(1996年まで)

1995年阪神・淡路大震災で神戸市垂水区の自宅が被災。

1996年7月、公式サイトを開設。ファンのための秘密朗読会などを経て12月、新潮社文藝春秋角川書店と覚書を交わし、断筆を解除。

1997年10月、ホリプロとマネージメント契約を結ぶ。

2007年現在、兵庫県神戸市垂水区の他、東京都渋谷区に居を構える。

[編集] 人物

この節は、書きかけです。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

[編集] 文体

「どんな物語にもそれに見合った形式がある」という持論のもと、作品によって文体や一人称が異なっている。

[編集] 漫画

作家になってから学生時代の投稿歴を担当らに見出され、数作の短編漫画を『漫画読本』誌に発表した。このとき下絵の下絵を夏目房之介が描いた。

[編集] SF黎明期

小松左京星新一と並んで「SF御三家」と称されるが、それぞれの役割は異なる。小松左京は、たとえ荒唐無稽な筋書きだとしても、徹底的な取材と緻密な理論を重ね合わせて作品を仕立て上げる。星新一は、通俗性を出来るかぎり排して、普遍性のある作品を仕立て上げる。筒井康隆は、通俗性にあふれた作品を仕立て上げ、SFの読者層を広げるためにあらゆる媒体に執筆する。中間小説誌にたびたび執筆していたことが災いして、一部のSF関係者から悪感情を持たれ、SF史上悪名高き匿名座談会で酷評される憂き目に遭った。日本SF界の黎明期を表現する「SFという星があった。星新一矢野徹がこの惑星へのルートを開拓し、福島正実が青写真を描き、小松左京が万能ブルドーザーで地ならしし、光瀬龍がヘリコプターで測量し、眉村卓が貨物列車で資財を運び、筒井康隆が口笛を吹きながらスポーツカーで乗りこみ…」という笑い話があるが、筒井本人は「同人誌時代も含めれば小松左京より俺のほうがSFキャリアは長い」「俺だけ楽してるみたいだけどそんなことは決してない」と苦笑している。

[編集] ドタバタ・スラップスティックSFの旗手

1970年代から1980年代はドタバタ・スラップスティックSFの旗手として、中高生を中心に筒井ブームを巻き起こした。スラップスティックに関しては、マルクス兄弟チャーリー・チャップリン榎本健一などの喜劇映画の影響が土台になっている。日常生活上のある一点を過激に押し進めた作品を多数執筆し、その作品には自分自身をモデルにした主人公が登場している。元・演劇青年という過去もあり、「自分が主役を張りたい」という意識が前面に出ている。過激なスラップスティックの行く先は主に二つに分かれる。ひとつは形式の激化。実験的小説の台頭である。ルビの妙を狙った1960年代中期の初期短篇「トーチカ」からその傾向はあるが、1970年代に入りその傾向は増し、数々の傑作、怪作を世に送り出した。そして、もうひとつは内容の激化。すなわちブラック・ユーモアである。エログロナンセンスとパロディがどうしても目に付きやすく、読者以前に編集者(ボツになることもかなり多い)を選ぶうえに、その性質上、物議を醸すことが多い。「士農工商犬SF」とSF作家の評価の低さを自嘲した発言にはじまり、いくつかの作品・発言について部落解放同盟から抗議を受けている。創価学会のパロディを書いた際には『聖教新聞』紙上で糾弾を受けている。また、「問題外科」が富士見産婦人科病院事件として現実になったり、「大いなる助走」に影響を受けた少年が祖母殺し高校生自殺事件を起こすなど、その影響力と上記の作風ゆえに一部の識者・文芸評論家からは長い間敬遠・罵倒されていた。

[編集] 言語実験~メタ・フィクション

1978年、大江健三郎の仲介で『海』編集長の塙嘉彦と知り合い、多大な影響を受ける。ガルシア・マルケスバルガス・リョサなどのラテンアメリカ文学、アメリカのニューライターズの作品に刺激を受けて、言語実験を突き進めたメタフィクションをモチーフにした作品が増え始める。

[編集] ジャズと演劇

山下洋輔一派と公私にわたる長い交流の末に、1981年に小説「ジャズ大名」を書き、筒井自身もクラリネット演奏の虜になっていた。同年8月9日、日比谷野外音楽堂で『ジャズ大名セッション ザ・ウチアゲ コンサート』を行い、筒井はクラリネット奏者としての初舞台を踏む。山下洋輔トリオが大阪のジャズ喫茶いんたーぷれい8で行っていた定例ライブ「ウチアゲ」と筒井の小説「ジャズ大名」をテーマにコンサートをやろうという斬新な試みで、大好評のうちに幕を閉じた。この時期の前後から筒井はエッセイ上で『筒井康隆大一座』の構想を表明している。

[編集] 筒井全集完結記念パーティ事件

1985年5月14日、筒井康隆全集全24巻の完結を記念したパーティーにおいて、「君が代」が演奏されるたびにタモリ昭和天皇の声帯模写をし、パーティーの最後にはそのままになり、二次会、三次会、翌朝5時までそれを続けた。

このパーティーの様子は翌週の「週刊読書人」に掲載されることになり、それ以降タモリ右翼から脅迫を受け続け、最終的にはタモリの所属事務所、田辺エージェンシーの社長田邊昭知が監禁される事態にまで至った(筒井はエッセイ「笑犬樓よりの眺望」にこのパーティーの様子を書いているが、タモリの身辺に危険が及んだためか、一部の固有名詞を『伏字』にしている)。

[編集] 闘う作家

筒井は貶されるのが嫌いで、評論家に貶された場合には即座に応戦・反撃をする。初期は単なる罵倒が大半だったが、メタ・フィクション期に文学理論などを再度咀嚼し、理論的かつ文学的に反撃するようになった。「文学部唯野教授」では、文学理論の講義とスラップスティックを組み合わせ、非常に話題になった。書評が面白いことでも知られ、実作者としての経験も活かし「感情移入批評」を実践している。

渡部直己に『HELLO GOOD-BYE 筒井康隆』という本を出された際には最初は静観していたが、のちにさらに批判を受け、激怒し、『噂の眞相』での連載『笑犬樓よりの眺望』で痛烈に反撃した。

日記は「恐怖の筒井日記」と言われ、人名などを伏せずに出していたので、周囲の人物、関係者を青ざめさせた。

[編集] 過激な前衛(1985年~)

体の衰えとともに身体性をもつスラップスティックを書くことに違和感を持ち始め、精神的な面でのスラップスティックの方法を模索。のちに饒舌というスタイルで確立された。また、メタ・フィクションの流れで夢をテーマにした作品が増え始める。また、カート・ヴォネガットの「前衛=炭鉱のカナリア」という言葉に強く共感して以降、前衛の度合いは言語実験に収まらず、視覚実験や意識化の描写など多岐にわたりはじめる。1988年には「残像に口紅を」「文学部唯野教授」の連載中にストレスで胃に二つ穴を開け、1ヶ月も入院している。入院の最中に読んでいたマルティン・ハイデッガーの影響で、死や別れをテーマにした作品も増える。

1992年には朝日新聞紙上での連載小説『朝のガスパール』で、毎日少しずつ連載されるのを利用して、パソコン通信『朝日パソコンネット』(現在の『ASAHIネット』)でそれに連動した「電脳筒井線」というフォーラムを主宰して、読者の意見を取り入れながら物語を進めていくという手法を取った。

[編集] 断筆宣言

1993年角川書店発行の高校国語の教科書に収録されることになった『無人警察』の癲癇の記述が差別的であると日本てんかん協会に抗議を受け、数度交渉を行ったのちに決裂。マスコミの自主規制や言葉狩りの風潮に憤慨し、噂の真相に連載していたマスコミ日記「笑犬樓よりの眺望」上で断筆宣言を発表し、執筆活動を休止した。断筆宣言は業界内でも賛否両論を巻き起こした。長年の友人である大江健三郎(息子の大江光は癲癇の症状を持っている)からは読売新聞紙上で「社会に言葉の制限があるのならば、新しい表現を作り、使っていくのが作家ではないか」との批判を受けている。

この件に対して『朝まで生テレビ!』にも出演したことがあるが、出演直前に母親が他界し、通夜葬儀の準備で忙しい中出演したにも関らず、煮え切らない論議にあきれ返っていた(尚、この時の様子を、筒井と一緒に『朝生』に出演した漫画家小林よしのりが、当時『週刊SPA!』に連載していた漫画『ゴーマニズム宣言』に描いている)。

[編集] 筒井康隆断筆祭事件

小林よしのりvs平岡正明

[編集] 俳優

元々役者志望であり「日活ニューフェイス」にも応募しているが、背が低いことを理由に落選している。自身の作品も含め、俳優としての活動は少なくない。

[編集] 断筆解除以降

齢を重ねて還暦古希を過ぎたこともあり、『敵』や『銀齢の果て』といった『老い』をテーマにした作品を執筆するようになった。2000年頃から、それまでトレードマークであった眼鏡サングラスを掛けるのをやめ、代わりに口ひげを伸ばしている。但し、芸能活動の関係で、口ひげを剃る場合もある(例・『芋たこなんきん』出演時)。

[編集] 作家としての活動

[編集] 単行本

  • 東海道戦争(1965年、早川書房)
  • 48億の妄想(1965年、早川書房)
  • 時をかける少女1967年、盛光社)
  • ベトナム観光公社(1967年、早川書房)
  • 創作S・Fどうわ かいじゅうゴミイ(1967年、盛光社)
  • 馬の首風雲録(1967年、早川書房)
  • アフリカの爆弾(1968年、文藝春秋)
  • アルファルファ作戦(1968年、早川書房)
  • にぎやかな未来(1968年、三一書房)
  • 幻想の未来・アフリカの血(1968年、南北社)
  • 筒井順慶(1969年、講談社)
  • 創作SFえほん 地球はおおさわぎ(1969年、盛光社)
    イラスト:横山隆一
  • ホンキイ・トンク(1969年、講談社)
  • わが良き狼(ウルフ)(1969年、三一書房)
  • 霊長類 南へ(1969年、講談社)
  • 夢からの脱走(1969年、新風出版)
    アンソロジーの監修。
  • 異形の白昼 現代恐怖小説集(1969年、立風書房)
    アンソロジーの編集。
  • 心狸学・社怪学(1969年、講談社)
  • 欠陥大百科(1970年、河出書房新社)
  • 母子像(1970年、講談社)
  • 馬は土曜に蒼ざめる(1970年、早川書房)
  • 緑魔の町(1970年、毎日新聞社)
  • 12のアップルパイ(1970年、立風書房)
    アンソロジーの編集。
  • SF教室(1971年、ポプラ社)
    編集。日本SFの歴史、作家、作品紹介を筒井、海外を伊藤典夫、映像、漫画、用語解説を豊田有恒が担当。
  • 三丁目が戦争です(1971年、講談社)
    イラスト:永井豪
  • 発作的作品群(1971年、徳間書店)
  • 脱走と追跡のサンバ(1971年、早川書房)
  • 日本列島七曲り(1971年、徳間書店)
  • 乱調文学大辞典(1972年、講談社)
  • 家族八景(1972年、新潮社)
    七瀬三部作 part1
  • 新宿祭 初期作品集(1972年、立風書房)
  • 将軍が目醒めた時(1972年、河出書房新社)
  • 俗物図鑑(1972年、新潮社)
  • 狂気の沙汰も金次第(1973年、サンケイ新聞社出版局)
    イラスト:山藤章二 - このとき山藤は筒井の顔を「のっぺらぼう」で描き、以降定着する。
  • スタア(1973年、新潮社)
  • 農協月へ行く(1973年、角川書店)
  • おれの血は他人の血(1974年、河出書房新社)
  • 暗黒世界のオデッセイ 筒井康隆一人十人集(1974年、晶文社)
  • おれに関する噂(1974年、新潮社)
  • 男たちのかいた絵(1974年、徳間書店)
  • ウィークエンド・シャッフル(1974年、講談社)
  • デマ 実験小説集(1974年、番町書房)
  • ミラーマンの時間(1975年、いんなあとりっぷ社)
  • 七瀬ふたたび(1975年、新潮社)
    七瀬三部作 part2
  • '71日本SFベスト集成(1975年、徳間書店)
    アンソロジーの編集。
  • '74日本SFベスト集成(1975年、徳間書店)
    アンソロジーの編集。
  • 村井長庵 歴史・時代小説集(1975年、番町書房)
  • やつあたり文化論(1975年、河出書房新社)
  • 笑うな ショート・ショート集(1975年、徳間書店)
  • '73日本SFベスト集成(1975年、徳間書店)
    アンソロジーの編集。
  • メタモルフォセス群島(1976年、新潮社)
  • '72日本SFベスト集成(1976年、徳間書店)
    アンソロジーの編集。
  • 私説博物誌(1976年、毎日新聞社)
    イラスト:大竹雄介
  • SF作家オモロ大放談(1976年、いんなあとりっぷ社)
    共著:小松左京・筒井康隆・星新一大伴昌司平井和正矢野徹石川喬司豊田有恒
  • '60年代日本SFベスト集成(1976年、徳間書店)
    アンソロジーの編集。
  • '75日本SFベスト集成(1976年、徳間書店)
    アンソロジーの編集。
  • エディプスの恋人(1977年、新潮社)
    七瀬三部作 part3 完結編
  • 初期ショートショート あるいは酒でいっぱいの海(1977年、集英社)
  • ジャングルめがね(1977年、小学館)
    イラスト:長尾みのる
  • バブリング創世記(1978年、徳間書店)
  • 富豪刑事1978年、新潮社)
  • 定本ハナモゲラの研究(1979年、講談社)
    共著:山下洋輔タモリ赤塚不二夫赤瀬川原平、奥成達
  • 筒井康隆劇場 12人の浮かれる男(1979年、新潮社)
  • 大いなる助走(1979年、文藝春秋)
  • 宇宙衞生博覽会(1979年、新潮社)
  • 不良少年の映画史 PART1(1979年、文藝春秋)
  • 腹立半分日記(1979年、実業之日本社)
  • みだれ撃ち涜書ノート(1979年、集英社)
  • トーク8 筒井康隆対談集(1980年、徳間書店)
  • 実験小説名作選(1980年、集英社文庫)
    編集。
  • いかにして眠るか(1980年、光文社)
    アンソロジーの編集。
  • 美藝公(1981年、文藝春秋)
  • 虚人たち1981年、中央公論社)
  • エロチック街道(1981年、新潮社)
  • 不良少年の映画史 PART2(1981年、文藝春秋)
  • 筒井康隆劇場 ジーザス・クライスト・トリックスター(1982年、新潮社)
  • 着想の技術(1983年、新潮社)
  • 言語姦覚(1983年、中央公論社)
  • 筒井康隆全集(全24巻)(1983年 - 1985年、新潮社)
  • 最悪の接触(ワースト・コンタクト)(1984年、新潮社)
  • 純文学書下ろし特別作品 虚航船団1984年、新潮社)
  • 虚航船団の逆襲(1984年、中央公論社)
  • 玄笑地帯(1984年、新潮社)
  • ネオ・ヌルの時代 PART1(1985年、中公文庫)
    編集。
  • ネオ・ヌルの時代 PART2(1985年、中公文庫)
    編集。
  • ネオ・ヌルの時代 PART3(1985年、中公文庫)
    編集。
  • 串刺し教授(1984年、新潮社)
  • イリヤ・ムウロメツ1985年、講談社)
    イラスト・手塚治虫
  • お助け・三丁目が戦争です(1986年、金の星社)
  • 日本の名随筆41 嘘(1986年、作品社)
    編集。
  • 筒井康隆歌舞伎 影武者騒動(1986年、角川書店)
  • イチ、ニのサン!(1986年、河出書房新社)
    イラスト:ミハエル・リューバ
  • 旅のラゴス(1986年、徳間書店)
  • 夢の木坂分岐点(1987年、新潮社)
  • 歌と饒舌の戦記(1987年、新潮社)
  • 原始人(1987年、文藝春秋)
  • 日々不穏(1987年、中央公論社)
  • 驚愕の曠野(1988年、河出書房新社)
  • 新日本探偵社報告書控(1988年、集英社)
  • ユートピア探し 物語探し(1988年、岩波書店)
    共著:大江健三郎井上ひさし
  • ベティ・ブープ伝 女優としての象徴 象徴としての女優(1988年、中央公論社)
  • 薬菜飯店(1988年、新潮社)
  • 突然変異幻語対談 汎フィクション講義(1988年、朝日出版社)
    共著:柳瀬尚紀
  • 筒井康隆劇場 スイート・ホームズ探偵(1989年、新潮社)
  • 残像に口紅を1989年、中央公論社)
  • 夢探偵「光る話」の花束(1989年、光文社)
    編集。
  • ダンヌンツィオに夢中(1989年、中央公論社)
  • フェミニズム殺人事件(1989年、集英社)
  • 文学部唯野教授(1990年、岩波書店)
  • 夜のコント・冬のコント(1990年、新潮社)
  • 短篇小説講義(1990年、岩波書店)
  • 文学部唯野教授のサブ・テキスト(1990年、文藝春秋)
  • ロートレック荘事件(1990年、新潮社)
  • 幾たびもDIARY(1991年、中央公論社)
  • 人間みな病気(1991年、福武文庫)
    編集。
  • 電脳筒井線 朝のガスパールセッション(1992年、朝日新聞社)
  • 文学部唯野教授の女性問答(1992年、中央公論社)
  • 電脳筒井線 朝のガスパールセッション PART2(1992年、朝日新聞社)
  • 朝のガスパール(1992年、朝日新聞社)
  • 電脳筒井線 朝のガスパールセッション 完結編(1992年、朝日新聞社)
  • サイバー大魔王の襲撃―パソコン通信症候群のカルテ (1993年、中央公論社)
    『電脳筒井線』に参加した早川玄との共著
  • 最後の伝令(1993年、新潮社)
  • 本の森の狩人(1993年、岩波書店)
  • パプリカ1993年、中央公論社)
  • 断筆宣言への軌跡(1993年、光文社)
  • 筒井康隆の文藝時評(1994年、河出書房新社)
  • 座敷ぼっこ(1994年、出版芸術社)
  • 笑犬樓よりの眺望(1994年、新潮社)
  • パスカルへの道(1994年、中公文庫)
    編集。
  • 時代小説-自選短篇集-(1994年、中央公論社)
  • 家族場面(1995年、新潮社)
  • 悪と異端者(1995年、中央公論社)
  • 脳ミソを哲学する(1995年、講談社)
  • 筒井康隆スピーキング 対談・インタビュー集成(1996年、出帆新社)
  • 写真小説 男たちのかいた絵(1996年、徳間書店)
    原作・監修。文章:花田秀次郎
  • ジャズ小説(1996年、文藝春秋)
  • 邪眼鳥(1997年、新潮社)
  • 筒井康隆かく語りき(1997年、文芸社)
  • 科学の終焉(おわり)(1997年、徳間書店)
    監修。著:ジョン・ホーガン 訳:竹内薫
  • 純文学書下ろし特別作品 敵(1998年、新潮社)
  • 満腹亭(アナーキーなレストラン)へようこそ(1998年、北宋社)
    例の
  • わたしのグランパ(1999年、文藝春秋)
  • エンガッツィオ司令塔(2000年、文藝春秋)
  • 続・科学の終焉(おわり) 未知なる心(2000年、徳間書店)
    監修。著:ジョン・ホーガン 訳:竹内薫
  • 細菌人間(2000年、出版芸術社)
  • 魚籃観音記(2000年、新潮社)
  • 恐怖(2001年、文藝春秋)
  • 大魔神(2001年、徳間書店)
  • 天狗の落し文(2001年、新潮社)
  • わかもとの知恵(2001年、金の星社)
    画:きたやまようこ
  • 文学外への飛翔 俳優としての日日(2001年、小学館)
  • 21世紀文学の創造1 現代世界への問い(2001年、岩波書店)
    編集。
  • 21世紀文学の創造3 方法の冒険(2001年、岩波書店)
    編集。
  • 愛のひだりがわ(2002年、岩波書店)
  • 笑犬楼の知恵 筒井康隆トークエッセー(2002年、金の星社)
  • 筒井版 悪魔の辞典〈完全補注〉(2002年、講談社)
    意訳。
  • 小説のゆくえ(2003年、中央公論新社)
  • 筒井康隆の現代語裏辞典「あ~き」(2003年、文源庫)
  • 眠気をあやつる本(2003年、PHP研究所)
    監修。編著:造事務所、横田美奈子
  • ヘル(2003年、文藝春秋)
  • 筒井康隆の現代語裏辞典「き~こ」(2004年、文源庫)
  • 筒井康隆漫画全集(2004年、実業之日本社)
  • 笑犬樓の逆襲(2004年、新潮社)
    噂の眞相」連載時の『狂犬樓の逆襲』を改題。
  • 哲学の冒険(2004年、集英社インターナショナル)
    監修。著:マーク・ローランズ 訳:石塚あおい
  • 笑いの力(2005年、岩波書店)
    共著:河合隼雄養老孟司
  • 対談 笑いの世界(2005年、朝日新聞社)
    共著:桂米朝
  • 銀齢の果て(2006年、新潮社)
  • 壊れかた指南(2006年、文藝春秋)
  • 巨船ベラス・レトラス(2007年、文藝春秋)

[編集] 戯曲・シナリオ

  • スーパージェッター(1964年
  • 荒唐無稽文化財奇ッ怪陋劣ドタバタ劇-冠婚葬祭葬儀編(1970年
  • スタア(1973年
  • 情報(1976年
  • 改札口(1976年
  • 将軍が目醒めた時(1976年
  • 12人の浮かれる男(1976年
  • 部長刑事-もうひとつの動機(1979年) ※第1100回、1979年11月24日放送
  • 三月ウサギ(1980年
  • ジーザス・クライスト・トリックスター(1981年
  • ジス・イズ・ジャパン(1982年
  • 人間狩り(1982年
  • ウィークエンド・シャッフル(1982年
  • 部長刑事-刑事たちのロンド(1984年) ※第1300回、1983年9月24日放送
  • スイート・ホームズ探偵(1984年
  • 俊徳丸の逆襲(1984年
  • 破天荒鳴門渦潮(1985年
  • 影武者騒動(1985年
  • 猪熊門兵衛(1986年
  • 若くなるまで待って(1988年
  • ひとり(1988年
  • 俄・納涼御攝勧進帳(1999年
  • 大魔神2000年
  • フリン伝習録(三幕)(2003年

[編集] レコード

[編集] 作曲

[編集] カセットブック

  • 筒井康隆大一座 ジーザス・クライスト・トリックスター(1984年
  • 昔はよかったなあ他(1987年
  • カラス エロチック街道(1987年
  • 急流 関節話法(1987年
  • 泣き語り性教育 一について(1987年
  • ショートショート・フェスティバル(1987年
  • 機械(1988年
    横光利一作品の朗読
  • 誰にもわかるハイデガー(1990年

[編集] デジタルブック

  • 筒井康隆四千字劇場(1994年
    PC-9800専用

[編集] 単行本装丁

[編集] 漫画原作

[編集] テレビ原作

[編集] 映画原作

[編集] 俳優・タレントとしての活動

[編集] テレビ

[編集] 映画

[編集] 舞台

筒井康隆大一座等

[編集] 参考文献

  • 八橋一郎『評伝筒井康隆』(1985年)

[編集] 関連人物

  • ロジャー・パルバース - 筒井を「ユダヤ人以上にユダヤ的」と評する。
  • 野部利雄 - 『時をかける少女』の漫画化を熱望していた。
  • 山藤章二 - 筒井の作品の表紙絵や挿絵を多く手掛けるイラストレーター。表紙絵や挿絵などで筒井の似顔絵を描く場合(例・『笑犬樓よりの眺望』の表紙カバー)、目・鼻・口を省略し「のっぺらぼう」にしている。夕刊フジに筒井が連載していたエッセイ「狂気の沙汰も金次第」のイラストを山藤が担当した時より続いている。
  • 桂米朝 - 「笑いの世界」(朝日選書)の共著。
  • 小松左京 - 長年の友人のSF作家。
  • 大江健三郎 - 長年の友人の作家の一人。
  • 星新一 - 長年の友人のSF作家。故人。日本沈没のヒットを祝うSF作家たちの集まりで、星新一は「『日本以外全部沈没』なんて題名もいいんじゃない?」と題名を考案。小松左京の許可を得て筒井康隆は『日本以外全部沈没』を執筆した。

[編集] 外部リンク

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「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

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