穢れ
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穢れ(けがれ)とは、仏教、神道における観念の一つで、清浄ではない汚れて悪しき状態のことである。汚れ(けがれ)とも書くが、物理的な汚れ(よごれ)というよりはむしろ精神的・観念的な汚れのことである。
罪と併せて「罪穢れ」と総称されることが多いが、罪が人為的に発生するものであるのに対し、穢れは自然に発生するものであるとされる。穢れが身体につくと、個人だけでなくその人が属する共同体の秩序を乱し災いをもたらすと考えられた。穢れは普通に生活しているだけでも蓄積されていくが、死・疫病・出産・月経、また犯罪によって身体につくとされ、穢れた状態の人は祭事に携ることや、宮廷においては朝参、狩猟者・炭焼などでは山に入ることなど、共同体への参加が禁じられた。穢れは禊(みそぎ)や祓(はらえ)によって浄化できる。
近年の民俗学では、「ケガレ」を「気枯れ」すなわちケがカレた状態とし、祭などのハレの儀式でケを回復する(ケガレをはらう、「気を良める」→清める)という考え方も示されている。
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[編集] 部落差別との関連
[編集] 穢れ観念の起源
穢れという観念が日本に流入したのは、平安時代だと言われる。死、出産、血液などが穢れているとする観念は元々ヒンドゥー教のもので、同じくインドで生まれた仏教にもこの思想が流入した。特に、平安時代に日本に多く伝わった平安仏教は、この思想を持つものが多かったため、穢れ観念は京都を中心に日本全国へと広がっていった。
[編集] 賤視から不浄視へ
これ以前の日本にも、邪馬台国の奴婢制や奈良時代の五色の賤など、身分差別は存在したが、それは賤視(下へ見下す見方)であった。これに対し、穢れ観流入後の被差別民に対する差別は、不浄視(穢れ視する見方)へと変化した。江戸時代の最も代表的な賤民が穢多(穢れが多いと言う意味)と呼称されたのは、その象徴である。
[編集] 神道との関連
上記のように、穢れは元々仏教により日本にもたらされた観念であるが、次第に天皇を神聖視する神道の考えと結びつき、被差別民は神聖な天皇の対極に位置する穢れた民と見なされるようになったという説がある。だが、朝鮮半島においても、牛馬の解体・皮革産業に従事する被差別民「白丁」が存在し、中世ドイツでも焚書を牛馬の解体場で行うなどの例があり、この種の差別を神道と直結する説には反対意見もある。また、学者の網野善彦などの研究により、被差別民と天皇との密接な結びつきが明らかとなっている。天皇を「清め」(不浄なものの浄化)の職能の最高者とみる説もある。高取正男は仏教の不浄観によって「ケガレ」の観念が変容したと見ている(『神道の成立』)。
[編集] 関連項目
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