孝謙天皇

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孝謙天皇(こうけんてんのう、女性、養老2年(718年) - 神護景雲4年8月4日770年9月1日))は、日本の第46代天皇(在位:天平勝宝元年7月2日749年8月23日) - 天平宝字2年8月1日758年9月11日))。父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。史上6人目の女帝で、天武系からの最後の天皇である。

淳仁天皇を経て重祚し、第48代称徳天皇しょうとくてんのう、稱德天皇、在位:天平宝字8年10月9日764年11月10日) - 神護景雲4年8月4日(770年9月1日))。この称徳天皇以降、江戸時代明正天皇に至るまで実に850余年女帝はいない。

目次

[編集] 経歴

[編集] 皇太子

聖武天皇と光明皇后の間にはついに男子が育たず、天平10年1月13日738年2月10日)に娘・阿部内親王を立太子し、史上初の女性皇太子となる。結婚はできず、子もなかった。将来皇位につくことが決定した事が理由と考えられる。

[編集] 孝謙天皇

天平勝宝元年(749年)に父・聖武天皇の譲位により即位した。母・光明子(光明皇后)が後見し、皇太后のために紫微中台を新設。長官には皇太后の甥の藤原仲麻呂(後に恵美押勝に改名)が任命され、皇太后を後盾にした仲麻呂の勢力が急速に拡大した。これに反抗した橘奈良麻呂は討たれる。また天武の孫である何人かの王が皇位を狙って挙兵したが、いずれも刈り取られた。

[編集] 孝謙上皇

天平宝字2年(758年)に孝謙天皇は退位し、仲麻呂が後見する大炊王が即位して淳仁天皇となったが、権力は仲麻呂と光明皇太后が握った。仲麻呂は安禄山の乱が発生したことを機に、淳仁天皇の名において隣国新羅の討伐を目論み、国内制度も日本的なものから唐のものへ名称を変更するなど、派手な政策を採る。

天平宝字4年(760年)、光明皇太后が死去。翌年、病に伏せった孝謙上皇は、看病に当たった弓削氏の僧・道鏡を寵愛するようになるが、それを批判した淳仁天皇と対立する。天平宝字6年(762年)に孝謙上皇は平城京に帰還し、5月23日6月23日)に法華寺に別居、その10日後、尼僧姿で重臣の前に現れ、淳仁天皇から天皇としての権限を取り上げると宣言した。以後、孝謙上皇は親裁を行って、新羅討伐を中止するなど、仲麻呂の政策をなし崩しにする。

[編集] 称徳天皇

光明皇太后の後見を無くして、上皇の専制政治に焦りを感じた仲麻呂は天平宝字8年(764年)9月に挙兵(藤原仲麻呂の乱)するが敗れ、同年10月淳仁天皇を追放して孝謙上皇が重祚し、称徳天皇となった。即位後、道鏡を太政大臣禅師とするなど重用し、専制政治を行った。また下級貴族ながら実力のある吉備真備右大臣に用いて、左大臣藤原永手とのバランスをとった。天平神護元年(765年)には墾田永年私財法によって開墾が過熱したため、寺社を除いて一切の墾田私有を禁じた。

神護景雲3年(769年)、「道鏡が皇位に就くべし」との宇佐八幡の託宣を受る。事の真偽を確かめるべく、和気清麻呂が勅使として再度宇佐八幡の神託を受けてこれを阻止したが、清麻呂は称徳天皇の怒りを買って大隅国へ配流された。だが、天皇が本当に道鏡に皇位を譲ろうとしたのか、また道鏡が本当に皇位を望んだのかは真相は不明である(宇佐八幡宮神託事件)。その後、道鏡の故郷である河内国に由義宮を造営して、自らの政権の強化を志す。また、諸説においては事件後、独断で道鏡に皇位を譲ろうとしたといううものもある。

しかし翌年、称徳天皇は偶然にも天然痘で死去した。このとき、看病の為に近づけたのは宮人(女官)の吉備由利(吉備真備の娘。姉妹ともいう)だけで、道鏡は崩御まで会うことはなかった。また、病気回復を願う祈祷も行われなかったことから、十分な治療を施さずに見殺しにしたという説(さらに踏み込んで暗殺説)もある。

称徳天皇は生涯独身で子がなく、兄弟もなく、父聖武天皇にも兄弟がなく、他に適当な天武天皇の子孫たる親王、王が無かったため、藤原永手藤原百川の推挙によって天智天皇系の白壁王(光仁天皇)が即位した。また、道鏡は失脚して下野国に配流され、彼が禁じた墾田私有は再開された。

[編集] 異名・別名

名(本名)は阿倍(あべ)。生前は宝字称徳孝謙皇帝と称した。高野天皇(たかのてんのう)、高野姫天皇(たかのひめてんのう)、倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)とも呼ばれたこともある。

[編集] 孝謙天皇が登場する作品

[編集] 漫画

[編集] 偽史

偽史(いわゆる古史古伝と称されるもので史料として信憑性が著しく薄い後世の偽作)の一つ「東日流外三郡誌」によれば、孝謙天皇は安倍系であり、蝦夷の安倍一族の出身で、大野東人の率いる朝廷の軍隊が蝦夷に大敗した際に、講和の条件として、安倍氏の血を引く彼女が次期天皇となる旨の一条があり、その結果、彼女が聖武天皇の後を継ぐことになったという。また、奈良の東大寺大仏建立に用いられた黄金は、彼女の縁で奥州から送られたともあるが、もとより史実ではない。

先代:</dt>
聖武天皇</dd>
天皇</dt>
第46代: 749-758</dd>
次代:</dt>
淳仁天皇</dd>
先代:</dt>
淳仁天皇</dd>
天皇</dt>
第48代: 764-770</dd>
次代:</dt>
光仁天皇</dd>
歴代天皇一覧
1 神武 2 綏靖 3 安寧 4 懿徳 5 孝昭 6 孝安 7 孝霊 8 孝元 9 開化 10 崇神
11 垂仁 12 景行 13 成務 14 仲哀 15 応神 16 仁徳 17 履中 18 反正 19 允恭 20 安康
21 雄略 22 清寧 23 顕宗 24 仁賢 25 武烈 26 継体 27 安閑 28 宣化 29 欽明 30 敏達
31 用明 32 崇峻 33 推古 34 舒明 35 皇極 36 孝徳 37 斉明 38 天智 39 弘文 40 天武
41 持統 42 文武 43 元明 44 元正 45 聖武 46 孝謙 47 淳仁 48 称徳 49 光仁 50 桓武
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