福岡市
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| 福岡市のデータ | ||
| 国 | 日本 | |
| 地方 | 九州地方 | |
| 都道府県 | 福岡県 | |
| 団体コード | 40130-7 | |
| 面積 | 340.60km² | |
| 総人口 | 1,424,680人 (推計人口、2007年6月1日) | |
| 隣接自治体 | 福岡県: 大野城市・春日市・前原市・志摩町・ 佐賀市・神埼市・吉野ヶ里町 | |
| 福岡市役所 | ||
| 所在地 | 〒810-8620 | 福岡県 |
| 福岡市中央区天神一丁目8番1号 | ||
| 電話番号 | 092-711-4111 | |
| 外部リンク | 福岡市役所 | |
| 位置 | </td><td colspan="2" style="border-style: solid none none solid; border-color: #aaa; text-align: right;">(市役所)東経130度24分6秒||
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福岡市(ふくおかし)は、九州の北部、福岡県の西部に位置する市である。福岡県の県庁所在地であり、政令指定都市となっている。
目次 |
[編集] 概要
人口約140万人を抱えており、名実共に九州第一の都市である。商業都市として有名であるが、多くの官公庁の機関や全国企業の支社なども置かれている。東京特別区を含む市人口では全国で8位で、福岡市周辺に福岡都市圏を形成する。百貨店、大型ファッションビル、地下街などがある天神が商業の中心地区であり、周辺の大名、今泉、警固、上人橋通り、赤坂けやき通りにも店舗は拡大している。また、天神の東方にキャナルシティ博多、博多リバレイン、川端通商店街などがある川端という繁華街もある。その集客力は広域におよび、佐賀県、長崎県、大分県、熊本県、山口県などが商圏に含まれていると言われている。さらに夜の街といえば全国的に有名かつ歓楽街の規模も指折りに入る中洲であるが、中洲以外には博多区に雑餉隈という街がある。ビジネスの中心エリアは天神地区周辺に加え、博多部の博多駅周辺や祗園駅周辺である。
福岡市は天神・博多駅周辺の都心部を中心として西に西新地区、東に香椎地区、南に大橋地区の3地区をそれぞれ副都心として位置付けており、特に西新や香椎は小規模な繁華街を形成しており活気ある街になっている。
市の規模に対して犯罪率(認知件数÷人口)は3.3%と高めである。(ちなみに、他の主要都市の犯罪率は札幌市2.0%、横浜市2.1%、東京23区2.4%、名古屋市3.8%、大阪市4.2%である)※参考[1] [2]
本州(特に東京・大阪など)在住の人に、主要駅の名前から、福岡市全般の事を指して「博多」と呼ばれることがある。
これは、中世よりこの地域は「博多」という街として認識されていたことや、山陽新幹線の終着駅が「博多」であり、ビジネスでも福岡へ出張することを「博多へ行く」と呼んでいた程、博多という名前が浸透していたからである。歴史的にも、明治22~23年に福岡市にするか博多市にするか、議会で議論されていたくらいである。又、福岡と博多をあわせて「福博」と呼ばれることもある。
[編集] 地理
[編集] 位置
九州の北部、日本海(博多湾・今津湾・玄界灘)に面した半月型の福岡平野の大半の部分を市域とする。北は博多湾の北辺に位置する砂州である海の中道・陸繋島である志賀島、西は糸島半島の東部まで市域となっている。南・南西は脊振山地に含まれる山間部まで市域が伸びており、佐賀県に接している。ほかに有人島嶼として、博多湾上の能古島や市の西部の玄界灘上に浮かぶ玄界島、そのさらに西北部にある小呂島を市域に含んでいる。
福岡市から壱岐・対馬を挟んで向かい側に朝鮮半島がある。日本の主要都市としては朝鮮半島や中国などの東アジア諸国・地域に最も近い都市で、直線距離では東京特別区から約1100km、大阪市から約550km、韓国の釜山広域市から約200km、同国の首都・ソウル特別市から約550km、中国の上海市から約900km、台湾の台北市から約1300kmの位置である。
[編集] 地形
市域の多くは福岡平野に含まれており、一部に小高い山なども存在するものの概ね平坦である。市街地の海岸部は大半が埋立地となり、港湾・住宅などが建設されている。市域西部・西南部は脊振山地の一角を成しており、標高が高く起伏の大きい地形となっている。
市内を流れる河川としては、市域中心部を流れる那珂川・御笠川や市域東部を流れる多々良川、市域西部を流れる室見川などがあるが、一級河川はない。
長大河川はない一方で、前述のとおり平野周辺の山地から短い河川長とやや急な勾配で博多湾に流れ込む河川はおおむね市街地を経由しているため、集中豪雨があった場合に氾濫しやすく、それが福岡平野を形成したと見られるが、現代において都市治水上の課題となっている。
[編集] 気候
地形や海流が複雑に影響しあい、温暖で夏期において多雨な太平洋側気候の一面を見せつつ、冬場においては日本海側気候の一面も見せる二面的な気候が特徴である。年平均気温は概ね17℃前後、年間降水量は概ね1500~2000mm程度で推移している。
夏期は最高でも36℃に達することは少なく、九州の他地域と比べると極端な猛暑とはなりにくい。ただし、都市化によるヒートアイランド現象により周辺部より気温が高い場合がある。冬期は北側の玄界灘を流れる暖流である対馬海流の影響を受けるので、平野部においては最高気温が零下となることは少ないが、北西季節風の影響を受けるため曇天の日が多い日本海側気候の特徴を見せる。
年間日照時間は概ね1800~1900時間程度にとどまっており、九州の他地域に比べてやや短い。
[編集] 行政区
| 福岡市の行政区 | |||||||||||||||
赤:東区、緑:博多区、青:中央区 | |||||||||||||||
以下の7区で構成される。
[編集] 市街地構成
市の中央部にある天神地区(中央区)が市の中心部で、ここには数多くのデパートやビルが建ち並んでいる。天神から那珂川を挟んだ東隣には那珂川の本流と支流に挟まれた中州地形部分があるが、そこが九州最大の歓楽街、中洲である。そのさらに東隣は「博多」の市街地である。その博多市街地の南東のはずれに博多駅が位置している。中洲から博多駅の間の一帯はオフィスビルやビジネスホテルなどが建ち並ぶビジネス街である。天神地区の西隣は大名と呼ばれる地域で、1990年代後半ごろから主に若者をターゲットとした店舗が増え、急速に発展している。
大名から西へ行くと福岡城跡がある。さらに西方、天神から約4kmの位置には、福岡市の副都心を成す繁華街の西新(早良区)がある。西新の北側は1980年代に埋立により開発された土地で、シーサイドももちと呼ばれ、新しい市街地が形成されている。
市域東部の博多湾沖にはアイランドシティ(東区)と呼ばれる埋立地が建設されている。現在は港湾地区の一部が供用されている他、住宅地も一部分譲が開始されている。将来は宅地開発による発展が期待されている。
このほか、香椎駅・西鉄香椎駅周辺の香椎地区(東区)や、福岡市営地下鉄姪浜駅周辺の姪浜地区(西区)、西鉄大橋駅周辺の大橋地区(南区)にも商業地が発達している。
[編集] 「福岡」と「博多」
都市名は「福岡」であるが、中央駅名は「博多」を称する。「福岡」を称する駅は、西鉄天神大牟田線の西鉄福岡(天神)駅がある。また、「福岡」を称する駅として当市外では富山県高岡市(旧西礪波郡福岡町)にJR西日本北陸本線の福岡駅がある。
福岡は福岡藩黒田氏の武家町、博多は商人町として栄えた歴史があり、元々は別々の都市であった。市制施行の際に一悶着があったが、都市名を福岡、中央駅名を博多にすることで合意(詳しくは歴史で後述)。新幹線開通時は博多が玄関口となり、博多の知名度が大きく上回ったが、今日では天神地区(福岡城下町)の台頭もあり、「博多」より「福岡」という名称で呼ばれることが多くなり、博多は都市内の一地区名でしか用いられないことが多くなった。
[編集] 隣接する自治体
以下の各市町に隣接している。括弧内は、その市町が隣接している福岡市の行政区。
- 福岡県
- 佐賀県
隣接市町のうち、福岡県にある市町は、いずれも福岡市のベッドタウンとして発達している。しかし、佐賀県にある市町は、福岡市とは脊振山地によって隔てられており、ベッドタウンとして発展するには至っていない。
2005年10月1日に佐賀県内の佐賀市と佐賀郡諸富町・大和町・富士町・神埼郡三瀬村が合併し、新市制による佐賀市が誕生したことで、県境を挟んで県庁所在地同士が接することになった。
海を挟んだ長崎県壱岐市・対馬市とも隣接扱いされる事もある。実際、市内電話料金は隣接扱い(離島特例)である。
[編集] 歴史
[編集] 古代
紀元前4世紀には日本初の稲作が始まり、市内の板付遺跡(博多区)にはその跡が残る。また志賀島(東区)で発見された金印「倭奴国王印」は、1世紀頃の大陸文化との交流を示す貴重な資料である。後漢書東夷伝にある「建武中元二年(西暦57年) 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」の記事がそれであり、これは日本と日本人について文字で書かれた最初の記録である。
ちなみにこの「中国に朝貢していた」という記録が金印の発見時にひとつの騒動を起こす。天明4年(1784)に百姓甚兵衛により金印が発見されたとき、主として国学系の学者たちが「中国に朝貢していたとはけしからん。このようなものは鋳つぶしてしまうべきである」と強硬に主張し、一次、藩論もそちらに傾くのである。それを、儒学者である亀井南冥が身体を張って阻止したという。
663年、百済再興を目論んで派遣した倭国軍が、白村江の戦いにて唐、新羅軍に大敗北を喫する。唐、新羅連合軍の報復に備えた大和朝廷は、その守りとして博多湾岸に防人を配し、水城、大野城などの城砦を築く。これより後、全国から徴発された若者が防人として北部九州に配備され、故郷を遠く離れて軍務に就く辛さと哀しみを詠い、万葉集に残されている。
史実であるかどうかは定かではないが、神功皇后の三韓征伐伝説がこの地には多く残る。東区香椎の香椎宮は、神功皇后が夫である仲哀天皇の神霊を祀ったところである。
7世紀から11世紀にかけては、国際交流が盛んになり、665年には筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)が建設され、これが後に大宰府の迎賓館となる鴻臚館(こうろかん)となった。外国からの使節の接待、遣唐使などの送別といった迎賓館としての機能に加えて、貿易事務所的な役割も果たしていたらしい。鴻臚館遺跡は昭和63年に当時の平和台球場の外野席の土盛りの下から発見され、市民を驚かせたのだが、奈良時代は目の前が海岸であり、使節の船は沖がかりして小舟で上陸した。
なお、遣唐使廃止の建白を行った菅原道真が901年に大宰府に左遷されたとき、博多を通過し、川の清流を水鏡として自らの姿を見、そのやつれようを嘆いたという。その地に建立されたのが水鏡天満宮(水鏡天神)であり、福岡市の都心・天神の地名は、ここから来ている。
[編集] 中世
1161年には平清盛により日本初の人工港「袖の湊」が建設された。これは埋め立てにより埠頭を築いたもので、それだけの投資に見合う実需があったと考えられる。天神・博多部はまだ海の底であり、整備された港湾の沿岸部には筥崎宮、住吉神社、櫛田神社などの大きな寺社が立地していた。中世の寺社は、貿易の重要な出資者であり、博多の冒険商人たちのスポンサーであった。
11世紀の終わりごろから、博多にはのちに「大唐街」とよばれる中国人街が形成された。異国風の建物が建ち並び、多数の外国人商人が行き交う国際都市であった。この時代に博多で活躍した中国人商人に謝国明がいる。宋の時代(日本では平安後期~鎌倉時代)、中国大陸と博多を船団を組んで盛んに往来し、日中貿易で巨万の富を築いた中国人商人は、博多に居住して活発な商業活動を行い、博多の寺院とも結び、その力は中央にも及んで特に「博多綱首」と称されるに至った(「綱首」とは「船長」の意の尊称)。
国際都市・博多は先進文化の受け入れ窓口でもあった。1195年 栄西が博多に日本初の禅寺である聖福寺を開いたが、このときも博多綱首らが物心両面の援助をしている。栄西禅師は、中国からお茶を持ち帰り喫茶の習慣を日本中に広めたことでも知られるが、「饅頭(まんじゅう)」「饂飩(うどん)」などの日本人になじみ深い食物が日本に入ってきたのもこの時期の博多を通じてであった。
[編集] 元寇
しかしその反面、他国から侵略の被害にも遭っており、869年には新羅海賊が博多湾に侵入、1019年には刀伊の入寇があり、博多は常に対外的な脅威に曝されていた。その最大の脅威は、宋を滅ぼしてユーラシア大陸のほとんどを支配したモンゴルから来た。
高麗を屈服させた大元帝国のクビライが日本の服属を求め、鎌倉幕府がこれを拒否したことから、1274年、モンゴル人・漢人・女真人・高麗人などからなる3万人の元軍が襲来した(文永の役)。10月5日に対馬、10月14日に壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の本拠を全滅させた元軍は、元軍は10月19日には博多湾に現れ、湾西端の今津に停泊し一部兵力を上陸させた。
10月20日(太陽暦では11月25日)、船団は東に進み百道原つづいて博多、箱崎に上陸し、激しい地上戦が展開された。これは、日本が開国以来初めて経験した「日本本土における外国軍との交戦」である。武士たちの頑強な抵抗に手を焼いた元軍は、撤退を決定するが帰還途上玄界灘で遭難してしまう。
このときの経験を踏まえて幕府は博多湾岸に約20Kmにも及ぶ防塁を築いた。今に残る「元寇防塁」である。そして、1281年に元軍が14万もの大軍で押し寄せてきたが、防塁で防衛力を固めた日本軍は再度撃退する(弘安の役)。
そして博多湾上に浮かんだ元軍の船団に大暴風雨が襲いかかった。船団は海の藻屑となり、この大暴風雨は神仏の加護であるとして、神風伝説が発生することとなった。この日本を震撼させ鎌倉幕府衰亡のきっかけとなった二度の戦役を元寇と呼ぶが、元寇の恐怖の記憶は長く北部九州の民衆の中に語り継がれた。
ごく最近まで、玄界灘沿岸地方では、むずがる子どもに対して「ムクリコクリが来るぞ!」と脅していたという。ムクリ=蒙古、コクリ=高麗である。千年の時を閲してなお、恐怖の記憶は引き継がれていた。
また室町時代を通じて博多は堺と並び貿易都市として繁栄するが、それゆえに戦国時代には戦国大名の争奪の対象となり、堺と異なって防備することができず、まちは戦火で焼け、ほとんど廃墟となった。
[編集] 近世
1587年からは九州をすべて服属させた豊臣秀吉により博多の復興がなされた。これを太閤町割と呼ぶ。交易の自由や、町人による街の自治が行われ、新たな自治都市が確立された。なお当時の博多とは、博多湾南岸の東西に渡る地域を指したものだった。このときの秀吉の意図には、文禄・慶長の役で出兵を行うにあたり、貿易都市・博多を物流の補給基地として活用しようというものがあったと思われる。
関ヶ原の合戦の後の1600年に黒田如水、黒田長政親子が筑前国に入国し、その後市内中心部の那珂川から東を博多、西を福岡と呼び、そのまま定着した。黒田親子は、小早川秀秋の居城であった名島城(東区)に入城したが、名島城は博多湾に面した小高い丘の上にあるために城下町が作れなかった。そこで1661年に当時の警固村(現・中央区)福崎に新たな城と城下町をつくった。
その際、出身地の備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に由来して、城下町を福岡と命名した。黒田藩は博多のまちの自治を広く認めたため、町人の商業都市・博多と武士の行政都市・福岡が機能分担しつつ隣接するという、全国的にあまり類例のない「双子都市」が誕生した。なお、歓楽街として有名な「中洲」は、博多と福岡の境界である那珂川の中州に江戸期に発達した。
どちらにも属しているようで、どちらにも属さないという曖昧性が「悪所」としての歓楽街の発展に有利であったと考えられる。
江戸期を通じて福岡はあまりぱっとしない。これは徳川幕府の鎖国政策により貿易都市としての機能を長崎にすべて奪われたことが大きい。
なお、前述のとおり、天明4年(1784)に志賀島で金印が発見されている。まったくの偶然であるがこの同じ年、現福岡県立修猷館高等学校の前身である藩校修猷館(東学問稽古所)が開設されている。
[編集] 近代
その後、江戸時代から明治時代初期まで博多と福岡は共存していたが、1876年に地域区分の再編によって「福博」(ふくはく)という一つの地域区分とした。さらに1878年、郡区町村編制法の施行により福博が福岡区に改称され、「博多」を名乗る自治体は消滅した。
1889年に市町村制度の施行に伴い福岡区が市制を施行する際、市名を「博多市」にする、或いは福岡と博多を再分離する声も上がったが、いずれも実現せず、都市名は福岡市となった。市制施行のときの「名前争い」は深刻で、福岡派と博多派が互いに闇討ちをしあうという過熱ぶりであったという。第1回市議会は「名称問題」で紛糾し、採決したところ完全に賛否同数であり、最終的に福岡部出身の議長の裁決で「福岡」と決したものである。
明治のこの時点では、「福岡」と「博多」は別の地域という概念が強く残っていた。そのためちょうど同じ頃、当時の九州鉄道会社(後に国有化)が福岡市に鉄道を敷設する際、市の中心駅は「博多」地区にあるということで駅名は福岡駅ではなく、博多駅となった。
なお「福岡駅」の名は、福岡市中央区天神に位置する西鉄の駅が名乗り、2001年には西鉄福岡(天神)駅と駅名が変更された。なお、1972年の政令指定都市昇格に伴い、行政区として「博多区」が設置され、ここにほぼ百年ぶりに「博多」の地名が復活することとなった。
[編集] 年表
[編集] 古代~近代
- BC40000- 諸岡遺跡
- BC10000- 大原遺跡
- BC450 板付遺跡(日本初の稲作農業)
- 57年 奴の国王が後漢光武帝から「漢委奴国王」の金印を受ける
- 527年 磐井の乱。筑紫国造磐井がヤマト政権に対し反乱を起こす
- 536年 那の津(博多区比恵、南区三宅付近)に官家(みやけ)をつくる。(那津宮家)大宰府の前身
- 664年 前年倭国軍が、白村江(はくすきのえ)にて唐、新羅軍に負け百済が滅亡。その守りとして博多湾岸に防人をおき、水城(現在の大野城市、太宰府市境付近)を築く
- 665年 筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)を設置。のち鴻臚館となる
- 757年 櫛田神社(博多区)創建
- 806年 空海が唐より帰り、真言宗東長寺を開く
- 869年 新羅海賊が博多湾に襲来
- 919年 箱崎放生会(ほうじょうや)が始まる
- 923年 筥崎八幡宮創建。穂波郡大分宮を移築
- 941年 小野好古(おののよしふる)が博多湾にて、大宰府を放火した藤原純友を退散させる
- 1019年 刀伊の入寇(といのにゅうこう)。女真族の一部(刀伊)が壱岐・対馬を襲い、更に筑前を襲った。大宰権帥の藤原隆家が奮戦し撃退する。
- 1161年 平清盛が日本初の人工港「袖の湊」を建築
- 1179年 博多どんたくの起源である博多松囃子が始まる
- 1195年 栄西が博多に日本初の禅寺である聖福寺を開く
- 1241年 博多祇園山笠が始まる
- 1242年 弁円(聖一国師)が謝国明の助力で承天寺を開く
- 1274年 蒙古襲来(文永の役)元軍は4万
- 1276年 元寇防塁を築く
- 1281年 蒙古襲来(弘安の役)元軍、高麗軍、江南軍あわせて14万
- 1282年 北条時定が姪浜(西区)に鎮西探題を定める
- 1336年 多々良川河口(東区)にて、足利尊氏が菊池武敏を破る(多々良浜の戦い)
- 1550年 フランシスコ・ザビエル博多へ来舶
- 1569年 毛利、大友両軍が博多で戦い、市街地焼失
- 1587年 豊臣秀吉が町割りを定め博多を復興(太閤町割り)
- 1600年 黒田如水、黒田長政親子が筑前へ入国
- 1601年 福岡城の建設に着手。以来、黒田氏の城下町となる
- 1687年 博多祇園山笠の追い山が始まる
- 1784年 志賀島(現在の東区)で甚兵衛が「漢委奴国王」の金印を掘り出す
[編集] 近現代
市制施行以後の行政区域の変遷については、「行政区域の変遷」を参照のこと。
- 1871年 7月14日、廃藩置県により、福岡藩は福岡県となる。
- 1872年
- 1月、県内を32区に区分し、福岡を第一区、博多を第二区とする。
- 9月15日、県内を16区に再編成し、福岡を第一大区、博多を第二大区とする。
- 1876年 5月、県内を9区に再々編成し、福岡と博多を1つの区に統合し第一大区とする。
- 1878年 11月1日、郡区町村編制法施行により福岡区とする。
- 1889年
- 1899年 8月4日、博多港開港
- 1903年 京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学、現在の東区内)を開設
- 1909年 医科大学教授榊保三郎により、日本最古級のアマチュアオーケストラであるフィルハーモニー会設立(現在の九大フィルハーモニー会の前身)。
- 1910年 3月9日、市内電車の福博電気軌道が開通(のちの西鉄福岡市内線)
- 1911年
- 10月2日、市内電車の博多電気軌道が開通(のちの西鉄福岡市内線)。
- 九州帝国大学(現・九州大学)設立。
- 1923年 3月、曲淵ダムと平尾浄水場が完成し、上水道による給水を開始(平尾浄水場は現存せず)
- 1924年 4月12日、九州鉄道(二代目。現在の西鉄天神大牟田線)が開業
- 1927年 3月25日~5月23日、東亜勧業博覧会開催
- 1929年 福岡~大阪~東京の定期旅客航空便が開設。旧入船町(現在の中央区内)の日本航空の水上機発着場を使用
- 1930年 名島水上飛行場(福岡飛行場、現在の東区内)が開場。福岡~大阪間は35円
- 1931年 9月、チャールズ・リンドバーグが名島水上飛行場に来場
- 1933年 人口が熊本市を抜き、九州最大となる(1963年、新しく発足した北九州市に一旦九州一の座を明け渡した)
- 1936年 雁ノ巣飛行場(福岡第一飛行場、現在の雁ノ巣レクレーションセンター、現在の東区内、当時は糟屋郡和白村)が日本初の国際空港として開場。名島水上飛行場(福岡飛行場)は福岡第二飛行場と改名
- 1937年 5月28日、ヘレン・ケラー来訪。西南学院、福岡女学院および福岡聾学校を訪問
- 1945年
- 1946年 10月15日、天神地区で新天町商店街が営業開始。
- 1948年
- 1950年
- 平和台野球場完成。
- プロ野球チーム西鉄クリッパース(パシフィック・リーグ)、西日本パイレーツ(セントラル・リーグ)誕生。
- 1951年
- 西鉄クリッパースと西日本パイレーツが合併し、西鉄ライオンズ誕生。
- 10月、福岡空港(別称:板付空港)で民間航空が再開
- 1953年 8月22日、福岡市動物園が開園
- 1954年 2月8日、マリリン・モンロー、ジョー・ディマジオ 新婚旅行で来福。
- 1957年 福岡水族館が開館(196x年に閉館)
- 1958年 西鉄ライオンズが3年連続日本一を達成
- 1963年 12月1日、博多駅が現在地に移設
- 1972年
- 1975年
- 1976年 中央区天神地区に天神地下街が開業
- 1977年 太平洋クラブライオンズがクラウンライターライオンズに改称(クラウンガスライターとの提携のため)。
- 1978年
- 1979年
- 2月11日、市内電車(西鉄福岡市内線)全線廃止。
- 人口が北九州市を抜き、再び九州最大となる。
- 1980年
- 6月1日、福岡市植物園が開園。
- 10月20日、福岡都市高速道路開通
- 1981年 7月26日、福岡市地下鉄開業
- 1982年 5月10日、西区が西区・早良区・城南区に3分割される
- 1988年 大阪市を本拠地にしていたプロ野球チーム南海ホークスが球団売却に伴い福岡市に移転し、福岡ダイエーホークスと名称を変更(現・福岡ソフトバンクホークス)。
- 1989年
- 1990年
- 1993年 3月31日、福岡ドーム竣工
- 1995年
- 8月23日~9月3日、ユニバーシアード福岡大会開催。
- 博多の森球技場が完成。
- 静岡県藤枝市のJFLサッカーチームである藤枝ブルックスが福岡市に移転。福岡ブルックスと名称を変更。
- 1996年 福岡ブルックスがアビスパ福岡に名称変更し、Jリーグに加盟。
- 1997年 8月9日~8月13日、パンパシフィック水泳選手権大会開催。
- 1999年 福岡ダイエーホークスがチーム発足後初優勝。日本一にもなる。
- 2000年 7月8日、福岡市博物館にて、九州・沖縄サミット(蔵相会合)開催。
- 2001年 7月16日~29日、第9回世界水泳選手権大会開催(アジアで初の世界水泳選手権大会開催)。
- 2003年 7月下旬、梅雨末期の大雨で浸水等の被害を受ける。
- 2004年 福岡ダイエーホークスがソフトバンクの球団買収により、福岡ソフトバンクホークスとなる。
- 2005年
[編集] 発祥
福岡市が発祥の地とされる事象には、極東アジア地域との文化交流や貿易によってもたらされたものが多い。
- 日本における稲作農業の発祥の地
- 板付遺跡(博多区)から稲作の跡が発見されている。縄文時代後期のものとされている。
- 1191年(建久2年)、栄西が中国から帰国後に禅宗を布教。その帰国時に茶の種を持ち込み日本で栽培を始めたとされる。
- 日本における饅頭発祥の地
- 1241年(仁治2年)、円爾弁円(聖一国師)が立ち寄った博多の茶店の主人、栗波吉右衛門に教えたのが最初とされる。
- 制服としてのセーラー服発祥の地
- 1921年(大正10年)、福岡女学院中学校・高等学校が採用。
[編集] 行政
[編集] 行政区域の変遷
市町村制施行以後。
- 1889年4月1日 市町村制度施行により、福岡市が発足。
- 1912年10月1日 筑紫郡警固村を編入。
- 1912年10月1日 筑紫郡千代村が町制施行。千代町となる。
- 1913年10月1日 筑紫郡堅粕村が町制施行。堅粕町となる。
- 1915年4月1日 筑紫郡豊平村の一部を編入。
- 1919年11月1日 早良郡鳥飼村を編入。
- 1922年4月1日 早良郡西新町を編入。
- 1922年6月1日 筑紫郡住吉町を編入。
- 1926年4月1日 筑紫郡八幡村を編入。
- 1928年4月1日 筑紫郡堅粕町を編入。
- 1928年5月1日 筑紫郡千代町を編入。
- 1929年4月1日 早良郡原村・樋井川村を編入。
- 1933年4月1日 筑紫郡席田村および早良郡姪浜町を編入。
- 1933年4月5日 筑紫郡三宅村を編入。
- 1940年12月26日 糟屋郡箱崎町を編入。
- 1941年10月15日 早良郡壱岐村・残島村および糸島郡今宿村を編入。
- 1942年4月1日 糸島郡今津村を編入。
- 1954年10月1日 早良郡田隈村および筑紫郡曰佐村を編入。
- 1955年2月1日 糟屋郡多々良町・香椎町を編入。
- 1955年4月5日 筑紫郡那珂町を編入。
- 1960年8月27日 糟屋郡和白町および早良郡金武村を編入。
- 1961年4月1日 糸島郡元岡村・周船寺村・北崎村を編入。
- 1971年4月5日 糟屋郡志賀町を編入。
- 1975年3月1日 早良郡早良町を編入。
[編集] 歴代市長
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|---|---|---|
| 初 | 山中立木 | 1889年5月27日 | 1892年11月26日 |
| 2 | 磯野七平 | 1893年1月11日 | 1894年12月7日 |
| 3 | 奥山亨 | 1895年5月21日 | 1899年7月3日 |
| 4 | 松下直美 | 1899年8月21日 | 1905年8月20日 |
| 5-6 | 佐藤平太郎 | 1905年9月23日 | 1914年7月6日 |
| 7 | 井手佐三郎 | 1914年11月28日 | 1918年11月27日 |
| 8-9 | 久世庸夫 | 1919年3月24日 | 1924年5月29日 |
| 10 | 立花小一郎 | 1924年8月23日 | 1925年8月17日 |
| 11 | 時実秋穂 | 1926年3月10日 | 1930年3月9日 |
| 12-13 | 久世庸夫 | 1930年6月17日 | 1938年1月21日 |
| 14 | 河内卯兵衛 | 1938年4月6日 | 1938年8月9日 |
| 15-16 | 畑山四男美 | 1939年1月7日 | 1946年5月18日 |
| 17 | 三好弥六 | 1946年8月14日 | 1947年3月28日 |
| 18(以後、公選) | 三好弥六 | 1947年4月5日 | 1951年4月4日 |
| 19-20 | 小西春雄 | 1951年4月23日 | 1956年7月31日 |
| 21 | 奥村茂敏 | 1956年9月17日 | 1960年9月16日 |
| 22-24 | 阿部源蔵 | 1960年9月17日 | 1972年9月16日 |
| 25-28 | 進藤一馬 | 1972年9月16日 | 1986年11月8日 |
| 29-31 | 桑原敬一 | 1986年12月7日 | 1998年12月6日 |
| 32-33 | 山崎広太郎 | 1998年12月7日 | 2006年12月6日 |
| 34 | 吉田宏 | 2006年12月7日 | 現職 |
[編集] 市議会
[編集] 地方公営企業
- 福岡市交通局(地下鉄を運営)※バスは民間各社による運営である(下記「交通」を参照)
- 福岡市水道局
[編集] 国政
- 衆議院小選挙区
- 東区・博多区:福岡県第1区
- 中央区・南区・城南区:福岡県第2区
- 早良区・西区:福岡県第3区
[編集] 司法
[編集] 経済・産業
福岡市の博多湾地域は、古来から、大宰府の外港として日本の外交・貿易の窓口となり、時代が変わっても商人や有力者の本拠地となってきた。自然の良港であるため、悪天候時の船溜まりとしての機能もあったが、壱岐・対馬伝いでの朝鮮半島南部との国際貿易ルートを結ぶ重要中継貿易港の一つであった。
第二次世界大戦後は全国総合開発計画によって九州全体を管轄する政府の出先機関が集中して、地方行政拠点都市としての道を歩んだ。行政機能が集中するに従って民間の事業所なども集まり、九州を代表する商業・業務都市となっている。
近年は中国や韓国の企業が日本進出の足がかりとして、福岡市へ進出する例も散見される。このような動きを評価して、米国の雑誌ニューズウイーク誌2006年7月号は「世界で最もホットな10都市」に福岡市を選出した。
- 卸売業販売額:九州内シェア45%(1999年商業統計調査)
- 預金残高:九州内シェア36%(2000年度末福岡市統計書・金融経済統計)
- 人口千人あたりの学生数:政令指定都市中第2位(2000年国勢調査及び学校基本調査)
- 福岡空港利用客数:全国第3位(2001年福岡市総務企画局調べ)
- 博多港の外航旅客者数(釜山航路):全国第1位(1993年以降連続)
- 博多港コンテナ取扱個数:全国第6位、九州第1位(2001年福岡市港湾局調べ)
外食産業のロイヤル、総合スーパーのユニード(ダイエーに吸収合併)、家電小売のベスト電器など、物販やサービスの分野で新しい産業を生み出す土地柄である。しかし一方で、大手企業の九州支社・九州営業所・九州支店に依存する「支店経済都市」としての側面も強い。福岡市内の民営事業所のうち市外に本社を持つ事業所は全体の35%(2001年)を占めて、高い水準にある。
2002年度市内総生産額は6兆5642億5200万円。
[編集] 第一次産業
2002年度の第一次産業による総生産額は91億6600万円。
[編集] 農業
市内の農家戸数は3,000戸程度(2002年で3,261戸)と、他の大都市同様、農家戸数は極めて少ないが、農地面積は3,000haと、市域面積の1割弱を占める。全農地面積中、田の占める割合は約7割に及ぶ。農業形態は野菜と花卉を中心とする典型的な近郊農業の特徴を示しており、農業生産額に占める割合の半分程度を野菜が、4分の1程度を花卉が占めている。
[編集] 林業
市域南西部などにある山林で、わずかながらスギ、ヒノキ伐採を中心とした林業が行われている。
[編集] 漁業
[編集] 第二次産業
福岡市の産業のうち、第二次産業は市内総生産および事業所数において約10%、従業者数において約12%を占める。いずれも大都市としては低い水準にあり、市内総生産に占める第二次産業の割合は製造品出荷額は小さい(政令指定都市の中では下から2番目)。工業の中心は、都市型工業である食品加工業(食料品・飲料)や出版・印刷業などの情報関連産業が占めている<ref>広島都市圏に必要なことを考える~札幌・仙台・広島・福岡4つの中枢都市圏の比較から~ (国土交通省中国地方整備局、2005年)(pdfファイル)より</ref>。
福岡市では重工業があまり発達していないため、福岡市内の小学校では5年生を対象に、北九州工業地帯にある工場など(日産自動車苅田工場など)を見学する「北九州見学」という行事が行われている。
[編集] 第三次産業
福岡市における第三次産業は市内総生産額の約95%、事業者数の約90%、従業者数の約87%を占めている。いずれの割合も政令指定都市としては最も高い水準にあり、大都市の中でも第三次産業のシェアが極めて高い都市であることを示している。特に卸売・小売業とサービス業は、それぞれ市内総生産の約4分の1を占めている。このため商業・サービス業中心の大都市としての色合いが強く出ている。
[編集] その他
[編集] 伝統工芸品
[編集] 福岡市内の主な百貨店
[編集] 開店予定の百貨店
[編集] 本社を置く主な企業
[編集] 公益
[編集] 金融機関
[編集] その他
- アサヒ緑健
- キューサイ(青汁)
- コカ・コーラウエストジャパン
- サニー(スーパーマーケット)
- サニックス
- 三洋信販
- ダイショー
- タマホーム(2005年6月に登記上の本社を東京に変更)
- テクニカル電子
- 南陽
- 日本タングステン
- パナソニック コミュニケーションズ
- 福岡ソフトバンクホークスマーケティング(ソフトバンク関連会社)
- はせがわ
- プレナス(ほっかほっか亭)
- ベスト電器
- MrMax
- 楽天KC
- ロイヤル