神田神保町
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神田神保町(かんだじんぼうちょう)は、東京都千代田区にある町の1つ。中心部には東西に靖国通りが、南北に白山通りが敷設されており、この交差地点が神保町交差点である。多くの書店や出版社、出版問屋の取次店が所在し、世界最大級の古書店街として知られている。
神保町とその周辺には大学や専門学校が集まっており、学生街としての一面も持つ。そのためもあり、書籍のほか、マニアック方面の音楽やアイドル関連の品も充実しており、安価な飲食店も多く立ち並んでいる。
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[編集] 沿革
「神保町」の名は、江戸時代の旗本・神保長治に由来する。彼の邸宅は現在の神田神保町二丁目にあり、その前面を通る道は「神保小路」と呼ばれていた。
1913年(大正2年)、当時小川町を広域地名としていたこの辺り一帯が、大火で焼失した。元神田女学校教員岩波茂雄が焼け跡に古書店を開き、同店内で夏目漱石の作品や『哲学叢書』の出版販売も行って大成功を収めた。岩波の成功により教養人・大学生が神保町に足を運ぶようになり、以後2匹目のどじょうを狙うべく一誠堂古書店、東京堂等の店舗新設が見られ、また読書の場を供すべくカフェを開業する者が相次いだ。
1921年(大正10年)、神田区駿河台に芸術教育で名高い「文化学院」が開校され、音楽、美術、舞踊など芸術関係書が濃紺くるみの学術書、けばけばしい猥雑本とともに書店の軒先に彩りを添えるようになり、「ない本はない」ありさまとなった。震災後、復興事業として一大舗装道路「大正通り」(現・靖国通り)が完成すると、交差点名として「神保町」が登場、昭和期には今日と変わらぬ景観を呈した。
[編集] 書店街・古書店街
神田古本祭りや神保町ブックフェスティバル等、本に関するイベントも毎年行われている世界最大級の書店街である。特に古書店が多く、古書店街としても世界最大級である。神保町最大の書店は三省堂書店神田本店で、神保町のランドマーク的存在として親しまれている。神保町は三省堂書店創業の地でもある。その他、書籍チェーン店としては書泉なども所在するが、大部分は小規模な店舗の書店・古書店であり、全国区の有名店も少なくない。
古書店の多くは靖国通り沿いにあり、それらは通りの南側に、すなわち北向きに建っている店が多い。これは、日光が当たって古書が傷むのを避けるためといわれている。
[編集] 飲食店街
飲食店も充実しており、カレー専門店が多いことから「カレーの街」としても知られている。他にもてんぷら、麺類、洋食、中華など、手軽な値段で食べられる飲食店が豊富にある。クラシカルな喫茶店が多いのも特徴で、「文豪が通った」とされる店もある。近隣に出版社が多いため各社の編集者らが打ち合わせや雑談をしている姿は日常風景となっている。
[編集] 周辺地域
神保町近辺は複数の大学・高等学校や専門学校、予備校が集まっている学生街でもある。歩いて行ける範囲には、日本大学(経済学部・法学部・理工学部・歯学部)、専修大学、明治大学、法政大学、東京電機大学、東京医科歯科大学、順天堂大学、共立女子大学、東京YWCA専門学校、駿台、大原簿記学校、TAC(学校法人ではなく株式会社)などがある。
また、靖国通りと明大通りの交わる駿河台下交差点を境に、楽器店街の御茶ノ水とスポーツ用品店街の神田小川町に隣接しており、商業地域として賑わっている(小川町を東に抜ければ秋葉原に至るため、足を伸ばす事も可能)。近年は大学校舎の高層化(明治・法政など)や、再開発による高層ビル、マンションの建設で街並みも変貌を遂げつつある。小学館、集英社の本社がある一ツ橋に隣接しており、神保町内にも多数の出版社が所在している。
[編集] 奇数番地と偶数番地
神田神保町の現在の町域は、1934年1月1日の区画整理により誕生した。この区画整理は現在の靖国通りの拡幅工事と並行して行われ、神田神保町の地番の数字を新たに割り当てる際、靖国通りより南では奇数を(靖国通り側から順に)割り当てた(北では偶数を同様に割り当てた)。
この地区は現在でも住居表示が行われておらず、依然として上記の地番によって住所を表現している。このため、住所を見るだけで靖国通りの南北どちらに位置するのか、靖国通りからどれくらい離れているのかを直感的に把握できる反面、上記の地番割り当ての法則を知らないバイク便などが同じところをぐるぐる回る光景も見られることがある。
住居表示の街区表示板と同機能のものを、町会が独自に設置している地区もある。
町名と番地が記載されている電柱広告 |
[編集] 再開発事業・ジェイシティ東京
神田神保町は周辺地区と同様、いくつもの道路により細かく分断された街区上に古くからの建物が密集しているため、防災性と「土地の高度利用」が課題として挙げられている。この課題への克服と、土地価格高騰による人口流出の傾向に歯止めをかけるため、千代田区は1990年に再開発基本計画を作成し、この地区を「住み続けられる街」のモデル地区にすることを具体化した。その後この計画は「神保町一丁目南部地区第一種市街地再開発事業」として1994年2月に都市計画決定され、2000年に権利変換を終えて工事が開始された。
再開発事業の内容は、神田神保町一丁目の43番地から71番地(偶数番地を除く)と33番地の計16街区2.5ヘクタールを区画整理により3街区に統合し、総延床面積14万2000平方メートルの複合施設(商業施設棟と居住棟)を建設するというものであり、2003年11月をもって事業は完了した。総事業費はおよそ645億円(そのうち約8パーセントは千代田区の補助金を利用)。事業主体は地権者およそ130人からなる神保町一丁目南部地区市街地再開発組合で、三井不動産が「プロジェクトマネジメント業務」(総合企画)を担当した。(なお、地区の防災性を高めるため、周辺の白山通りの拡幅と広場の設置が同時に行われた。)
この複合施設はジェイシティ東京と呼ばれ、再開発計画における北街区(現101番地、旧33番地)には神保町101ビルが、西街区(現103番地、旧49・51・53・55・69・71番地)には東京パークタワーが、東街区(現105番地、旧43~47・57~67の奇数番地)には神保町三井ビルディングが建設された。
[編集] 神保町101ビル
- 延床面積:4,517平方メートル
- 地上:12階
- 地下:なし
- 高さ:50.60メートル
- 鉄骨造、コンクリート充填鋼管柱
- 文化産業信用組合など
[編集] 東京パークタワー
- 延床面積:48,243平方メートル
- 地上:29階
- 地下:3階
- 高さ:104.79メートル
- 高層鉄筋コンクリート造、一部は鉄骨鉄筋コンクリート造
- 流通科学大学東京オフィス、住宅など
[編集] 神保町三井ビルディング
- 延床面積:88,649平方メートル
- 地上:23階
- 地下:3階
- 高さ:108.30メートル
- 鉄骨造、一部は鉄骨鉄筋コンクリート造
- 会計検査院、IIJ、国立情報学研究所グリッド研究開発推進拠点、NTTグループ、ベネッセコーポレーション神保町オフィスなど
[編集] 再開発事業の沿革
- 1994年2月:都市計画決定(東京都告示第84号、この決定内容はその後2年ごとに計2回修正)、東京都住宅マスタープランで「住宅供給型再開発促進ゾーン」に指定
- 1995年10月:事業主体・神保町一丁目南部地区市街地再開発組合が設立される
- 1997年3月:権利変換計画の認可
- 2000年2月:権利変換完了
- 2000年10月:工事着工
- 2001年:一般販売した251戸が即日完売する
- 2002年1月:神保町101ビル竣工
- 2003年3月:神保町三井ビルディング・東京パークタワー竣工
- 2003年9月:神保町一丁目南部地区市街地再開発組合が解散
[編集] 交通
- 鉄道
- バス
- 都営バス
- 東43(東京駅北口~駿河台下~荒川土手操車所)
- 都02乙(一ツ橋~神保町~神保町二~池袋駅東口)※日曜除く朝のみ3本運行
- 都営バス
- 道路
- 靖国通り
- 白山通り
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 千代田区の町名</dt>
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