祈年祭

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祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)は、毎年2月に行われ、一年の五穀豊穣などを祈る神道の祭祀である。11月の新嘗祭と対になる祭祀である。

[編集] 実施時期

明治の改暦前は旧暦2月4日に行われていた。改暦後は2月17日に行われるようになったが、特に統一されているわけではなく、北国には3月・4月の春祭りと併せて行う神社もある。

[編集] 歴史

元々は律令国家の恒例祭祀の一つであり、7世紀後半の天武天皇の時代にはすでに行われていた記録がある。日本古来の春の農耕儀礼に中国の大祀祈殻の要素を取り入れて、律令国家祭祀として成立したものと考えられている。当初は神名帳記載の全ての神社(3132座)が祈願の対象であった。平安時代に入ると祭儀が形骸化し、神祇官の内部でのみ行われる祭祀となった。平安時代中頃になると、天照大御神を主に祀る祭祀であると認識が変化しはじめ、院政期にはその傾向がさらに強くなり、祈年祭は天照大御神を奉祀する天皇の祭祀として厳修されるようになった。13世紀初め、鎌倉時代初頭の順徳天皇の『禁秘抄』では、祈年祭は伊勢神宮関係の祭祀であると明記されている。

室町時代後半の戦乱期には、他の祭祀と同様に宮中での祈年祭も廃絶し、神祇官の伯を世襲してきた白川家が行うようになった。江戸時代に入り、元禄年間に宮中での祈年祭の復興が企画されたが為らず、明治の神祇官復興に至ってようやく再開された。祈年祭は再び重要な国家祭祀と位置づけられ、明治2年(1869年)からは、宮中および全国の官国幣社で「大祭」として祈年祭が行われるようになった。官国幣社以外の民社でも行われた。

第二次世界大戦後に日本の国家神道が解体されると、祈年祭から国家的祭祀としての性格は消え、宮中では天皇家の私的な祭祀として、他の神社でも通常の祭祀の一つとして斎行している。

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