石ノ森章太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石森章太郎 から転送)

石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、男性1938年1月25日 - 1998年1月28日)は、日本漫画家ジャンルを問わない作品の量産ぶりから「漫画の王様」、「漫画の帝王」の評も。後年自身では『漫画家』という表現を用いずに『萬画家』としたプロフィールも存在している。『萬画家』とした理由は概要を参照のこと。

俳優の小野寺丈は長男。次男の小野寺章は石森プロ並びに石森エンタテインメント社長

代表作に『サイボーグ009』、仮面ライダーシリーズ(原作)など。

ウィキポータル
日本の漫画作品
日本の漫画家
漫画原作者
漫画雑誌
カテゴリ
漫画作品
漫画 - 漫画家
プロジェクト
漫画作品 - 漫画家

目次

[編集] 概要

本名、小野寺章太郎。宮城県登米郡石森町(いしのもりちょう、現登米市中田町石森)出身。父・康太郎(こうたろう)、母・カシクの長男として生まれる(姉・弟2人・妹の5人兄弟)。宮城県佐沼高等学校を1956年3月に卒業。

旧名は石森 章太郎で「いしのもり」と読ませるはずだったが、「いしもり」が定着してしまったため、画業30周年を期に、「石ノ森」に改名した。「ノ」の字の表記については、石ノ森存命時、出版物や映像原作表示の際には、他の字に比して縦横2/3~1/2のサイズに表記する(「半角文字ではない」といわれる)ことを求められたケースが殆どであり、それが正式表記といわれることもある。 尚、女優・菊容子の非業の死が切っ掛けで改名したと言う説もある。

少年の頃、生来病弱で外出もままならなかった三歳年上の姉のため、学校での出来事や外での見聞などを絵に描いて見せていたのが漫画への原点であったという。

高校生のころから、『漫画少年』の寄稿者も含めた漫画業界では「宮城県に天才がいる」と評判になっていたらしく、手塚治虫に『鉄腕アトム』を手伝ってくれないかと依頼されたことがある。アシスタントなので背景や脇役だけを描けば充分であるにもかかわらず、アトムやヒゲオヤジなどのメインキャラクターまですべてを手塚タッチで描いてみせたため、手塚も度肝を抜かれたという。

高校卒業後に漫画家を目指すことを厳格な公務員であった父からは反対されたが、姉が応援してくれたこともあり、姉の病気治療も兼ねて二人で上京。手塚をはじめ多くの漫画家たちが住んでいたトキワ荘に住み、作家活動を始めるが、後に姉は石ノ森が外出中に部屋で倒れ、そのまま亡くなってしまう(この出来事は藤子不二雄Aの著作『愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春』にも描かれている)。最大の理解者であった姉を失った事は後の石ノ森の作風にも大きな影響をもたらしていく。

初期の『少女クラブ』に掲載された作品には、赤塚不二夫との共同ペンネーム「いずみあすか」名義、赤塚不二夫および水野英子との共同ペンネーム「U.マイア」名義のもの等がある。

元々映画監督志望であったこともあり、1971年より放映の実写特撮番組仮面ライダー』の原作者(既にある漫画の実写映像化ではなく、製作会社である東映の企画に設定とキャラクターデザインを提供、出来上がったものを元に漫画も執筆するという「メディアミックス」における原作者名義)を務めたのをきっかけに、同社における数多くの特撮変身ヒーロー番組の原作を手がけることになる(このことが一部の漫画ファンからは「本業を疎かにして商業主義に走った」としばしば批判の対象になり、石ノ森ヒーローを支持する特撮ファンとの間に見解の相違を生んでいる)。仮面ライダーやイナズマンでは実際に監督として演出した回もある。

上記のとおり、漫画に関する技量は非凡であり、また、多くのジャンルで冴え渡ったその才能もあった。

後年、漫画には「面白い、おかしい」だけではない多数の表現が可能になったとして、漫画の新しい呼び名「萬画(マンガ)」を提唱し「萬画宣言」を発表した。萬画宣言を発表した後は、自らの職業の事を漫画家ではなく萬画家と称していた。

享年60。死因はリンパ腫による心不全。誕生日の3日後であった。戒名は「石森院漫徳章現居士」。東京都豊島区池袋三丁目の祥雲寺にある。

ちなみに松本零士と生年月日が全く同じである。また、『AKIRA』などで知られる大友克洋は、同郷、同高校出身。

[編集] 石ノ森章太郎と平成仮面ライダーシリーズの関係

仮面ライダークウガ』以降のいわゆる平成仮面ライダーシリーズには没後の作品であるため当然制作に関与してはいないものの「仮面ライダー=石ノ森章太郎」というイメージを壊さないためか原作者としてその名をクレジットされている(『仮面ライダークウガ』の第1回目の冒頭では、「この作品を石ノ森章太郎先生に捧げる」というメッセージが放送された)。この事と関係しているのか彼の誕生日であった1月25日(2004年)に『仮面ライダー剣』が始まり、3回目の命日になる2001年1月28日には『仮面ライダーアギト』が、9回目の命日になる2007年1月28日には『仮面ライダー電王』が始まった。

[編集] 経歴

[編集] 作品リスト(一部)

石ノ森萬画館の外にある石ノ森章太郎の手のブロンズ

[編集] 特撮原作

この欄で紹介する作品は、漫画が原作というわけではない(詳細は上記の「概要」を参照)。また、自らは漫画を描いていない作品も少なくない。

以下は没後製作されたが、テロップでは原作者とされている。

[編集] 八手三郎との共作扱い

作品自体は八手三郎原作だが、石ノ森の手によるキャラクターも登場しているため共作扱いになっている。

[編集] アニメ原作

以下は没後の製作。

[編集] ドラマ原作

[編集] 映画原作

[編集] 他作家が執筆した作品の原作

映像作品のコミカライズ、ノベライズは除く。

[編集] 漫画

[編集] 小説

[編集] 石ノ森章太郎萬画大全集

角川グループ創立60周年の記念企画。2006年2月22日第1期発売開始。全12期500冊。770タイトルにもなる。2007年5月現在第5期刊行中。

ネットでの予約販売のみ(一般書店では購入不可能)、各期ごとのセット販売のみ(1冊ずつの購入は不可能)、限定生産という、入手を難しくする条件が重なったため、復刊ドットコムで販売形式が発表された当初は、掲示板に批判的な意見が多数寄せられた。

[編集] その他

  • 石ノ森章太郎のマンガ超電導講座-講談社Quark編。高温超電導体の発見、フィーバーの様子を独特の表現で描いた。
  • シージェッター海斗(→参照)
  • みごろ!たべごろ!笑いごろ! - デンセンマンのキャラクターデザイン
  • 正義だ!味方だ!全員集合!! - 松竹ドリフ映画。劇中の戦隊ヒーロー・「ゴリレンジャー」のキャラクターデザインを担当。ゴレンジャーのパロディーを敢えて本家が引き受けた。
  • マナビィ
  • デューン/砂の惑星フランク・ハーバートの長編SF小説。初期の日本語版(早川書房)の表紙イラストと挿絵を手がけた。
  • 宇宙からのメッセージ-原案の一人として参加。映画のコミカライズ、ならびに野田昌宏による小説版のイラストも手がけた。
  • あしたの朝は星の上
  • 2012 009 conclusion GOD'S WAR-これのために膨大な量のプロットを用意したが、自身が作品として執筆したのは第2章の初稿のみ。その他の部分は、小野寺丈が共著という形で完成させた。
  • 漫画の表現規制を求める「コミック規制騒動」に対し、「コミック表現の自由を守る会」を結成し、表現規制の動きを食い止めた。

[編集] 主な出演作品

原作者という立場ではあるが、いくつかの作品では、石ノ森章太郎本人がテレビ番組や映画作品中に出演している。

出演時期によっては「石森章太郎」名義になっている。

[編集] テレビ

  • 仮面ライダー (1972年、東映) 釣り人
  • イナズマン (1973年、東映) 助手
  • 快傑ズバット (1977年、東京12チャンネル) 石森選手
  • ロボット110番 (1977年、東映) ロボット博士
  • 大恐竜時代(アニメ) (1979年10月7日公開、日本テレビ) ジュン(主人公)の父

[編集] 映画

  • フィンガー5の大冒険 (1974年、東映) 観客として家族4人でカメオ出演(監督も行っている)。
  • 仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王(1980年、東映)
  • 仮面ライダーBLACK 鬼ヶ島へ急行せよ(1988年、東映)

[編集] ビデオ

[編集] ラジオ

[編集] アシスタント

[編集] 関連項目

石ノ森萬画館

[編集] 外部リンク

ことばこって?

「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

おススメサイト
トラブログ
アレどう?
アフィリエイトB