瞑想

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瞑想(めいそう、Meditation,メディテーション )とは、何かにを集中させること。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者()をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。

目次

[編集] 訳語

元来、"Meditation" という言葉はラテン語の "meditatio" から由来しており、「身体的/学問的なエクササイズ一般」を意味していた。

一方、「内観」「禅定」等の仏教用語や「ヨーガ」などが、欧米においてはしばしば"Meditation"と翻訳されるため、それらを紹介した欧米の書物がさらに和訳される際(いわば再輸入される際)、それらが元の「内観」等ではなく、"瞑想"と訳されていることも少なくない。つまり翻訳で「瞑想」や「メディテーション」と表記されていても、その指示対象は日本人が「内観」や「ヨーガ」と呼んでいるものであるかも知れない。

[編集] 概説

瞑想は2種に大別することも可能で、それらは例えば"肯定法"、"消去法"とも呼ぶこともできるであろう。"肯定法"とは、神やのイメージ、聖なるフレーズ、特定の文字などを心に描き、それと心的に融合する方法のことである。"消去法"とは、究極的な存在だけを出現させるために、それ以外の全てのイメージを消してゆく方法である。

瞑想には、人間の心が多層的な構造を持っていることを踏まえて、高次の意識レベルへと到達することを目的として、その方法が組み立てられているものが多い。例えば、仏教哲学・心理学では意識は「八識」に分類され、その中には「マナ識」「アーラヤ識」と呼ばれる層があり、仏教の瞑想には、そこへと到達するための極めて合理的、システマティックな方法が含まれている。

(注)「マナ識」「アーラヤ識」は、近代になって西洋心理学で「深層心理」と呼ばれるようになったものに近い、とも言われる。

[編集] 各宗教

[編集] キリスト教

キリスト教の伝統においては、特に修道院修道士らの日課には瞑想を行う時間が設けられていることが多い。信者にとって、俗世から離れたうえで、神への祈りを絶やさず瞑想に励む修道士は、1つの理想、憧れの姿でもある。

東方教会においては、「主の祈り」を唱え続けつつ深い瞑想の境地へと入ってゆく方法があり、これは「ヘカシズム」と呼ばれている。

[編集] インド発祥の宗教

インドでは極めて古くから瞑想が行われていたようであり、紀元前25世紀ごろに栄えたインダス文明の遺跡「モヘンジョダロ」からは、座法を組み瞑想を行う人物の印章が発見されている。

紀元2~3世紀ごろにパタンジャリが、サーンキヤ学派の理論にもとづいて瞑想の技法を体系づけ、その技法を継承する集団が形成されるようになった。その瞑想は「ヨーガ」と呼ばれ、継承者集団はヨーガ学派と呼ばれている。意識をただ一点に集中させ続けることによって、瞑想の対象と一体となり、究極の智慧そのものとなるのである。この状態は三昧(さんまい、ざんまい)と呼ばれる。

仏教の始祖ブッダ("悟った人"の意)は、究極の智慧を得たのであるが、それは上述のインドの瞑想の技法(あるいはヨーガ)によって得られたものである。それゆえ仏教の諸派の中には、今でもヨーガの瞑想の技法を脈々と継承している派もあり、さらに独自に発展させている派もある。(詳細は瑜伽法相宗真言宗天台宗、天台止観、などの項を参照のこと)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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