生稲晃子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年4月28日 - )は、昭和末期から平成期(1980年代後半 - )の日本歌手女優。本名、佐山 晃子(さやま あきこ)。旧姓、生稲(いくいな)。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] 生い立ち

東京都小金井市出身。小金井フットボールクラブに所属し、全国大会優勝した時のメンバーである。

私立吉祥女子高等学校恵泉女学園短期大学英文学科卒業。高校は芸能活動禁止であったが成績優秀であったため好成績を継続することを条件に芸能活動が特別に許可された。但し芸能活動をしているということで、成績優秀だったが大学入試の際に学校からの推薦が得られなかった(本来は兄の母校である早稲田大学を志望していたといわれる)。

[編集] デビュー

1986年3月に開催された『タッチ』ヒロイン・浅倉南のイメージガールを選ぶ「ミス南コンテスト」に出場。落選したもののコンテストを共催していたホリプロの系列モデル事務所からスカウトされて芸能界入り。

ちなみに同月発売された『ing高校コース』(学研、『高1コース』をこの年に改名した。その後再度誌名を変更の後に廃刊)4月号の「ハイスクールライフ大特集/バイトしたい恋したい高校生したい!」に、高校生生活について語る先輩として写真入で出ていることから、『高校コース』の読者であったと思われる(同誌の編集時期から、芸能界繋がりによる登場とは考え難いため)。なお、このときは名字に「いくいね」と間違ったルビが振られたが、後に同誌がおニャン子クラブ関係で彼女を取り上げた際も特に訂正は入らなかった。

[編集] おニャン子入り

1986年6月におニャン子クラブの会員番号40番としてデビュー。10月、渡辺満里奈のデビュー曲『深呼吸して』で工藤静香と共に「withおニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加。11月、おニャン子クラブの6枚目のシングル『恋はくえすちょん』で、フロント4人の中に入る。12月、ローソンからあげクンのCMに単独で出演、自身の歌う『ハートに募金を』(アルバム『SIDE LINE』収録)が流れる。

1987年5月、工藤静香、斉藤満喜子と共に「うしろ髪ひかれ隊」のメンバーになり、アニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌『時の河を越えて』でユニットデビュー。9月のおニャン子クラブ解散後も、グループで活動する。

[編集] おニャン子解散後

1988年4月をもって「うしろ髪ひかれ隊」の活動が休止となり、5月に『麦わらでダンス』(フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』主題歌)でソロデビュー。7月にはフジテレビ系ドラマ『あそびにおいでヨ!』で連続ドラマに初出演。以後ドラマやバラエティ番組など多数出演。

2001年4月、デビュー以来所属していたプロダクション尾木より独立。女優としてCBCテレビ制作のドラマ『キッズ・ウォー』シリーズに長く主演した他、テレビ朝日の人気時代劇暴れん坊将軍』にはVIIシリーズ~VIIIシリーズ第1話は魚屋兼岡引おぶん、VIIIシリーズ第2話~800回スペシャルは江戸町火消しめ組の頭長次郎(山本譲二)の妻おぶんとして出演していた。

最近は古典芸能に造詣を持ち、NHKの『日本の古典芸能』『芸能花舞台』の司会も務めた。(毎回和服姿で番組を進行。下記の理由により降板した)

[編集] 現在

2003年にCM制作会社プロデューサーと結婚。2005年10月、妊娠していることが判明、「思っているよりつわりがひどかった」とのこと。2006年3月に第一子(長女)を出産。2006年からは芸能事務所・株式会社ポートレーブに所属。近年は子育てをしながらテレビ出演、また、夫婦で鉄板焼き屋を経営している。

[編集] エピソード

  • アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がさまざまな形で使われることがあった。1917年ロシア革命の年であるため、「生稲晃子がロシア革命」という語呂合わせが成立する。『夕やけニャンニャン』内でも紹介され、最近ではドランクドラゴンのコントの中でも使われた。
  • 写研が開発したフォントの一つ「イクール」は、生稲晃子の手書き文字がモチーフとなっている。
  • TIMレッド吉田が『内村プロデュース』内で「友達の友達が生稲晃子!」というフレーズを独特のイントネーションで発する。(NO PLANのアルバム内の一曲『内P"COCO JAPAN"Remix』にレッドの「生稲晃子!」が収録されている)
  • 『麦わらでダンス』の替え歌が1988年にプロ野球広島東洋カープに在籍していたランスの応援ソングに使われ、現在でも他の選手の応援に使われる事もある。またJリーグFC東京の応援ソングにも長年『麦わらでダンス』の替え歌が使われており、現在でも試合の度に数千の人たちが生稲の曲のリズムを口にしている等、親しまれる曲となっている。
  • 近年ではテレビ朝日系で2006年12月24日に放送された『M-1グランプリ』でゲストとして観客席に座って、番組を観覧している姿が見られた。島田紳助とは以前クイズ番組で共演しており、この頃から紳助はよく生稲に「このおニャン子クラブの生き残りが!」と言ってからかっていた(もちろん親しさがあった上での発言である)。紳助は大の工藤静香ファンで、うしろ髪ひかれ隊の頃『オレたちひょうきん族』に出演した際工藤を贔屓していた(生稲を押しのけて工藤に近づいた、発泡スチロールに埋もれた中から工藤だけを助けた、など)と言われると「そんなん当たり前や」と答えていた。
  • 上記のつながりからか、島崎和歌子と仲がいい。また小林千絵は生稲が「親友」だという。

[編集] 作品

[編集] シングル

  • 麦わらでダンス (1988年5月21日)

 作詞 秋元康、作曲・編曲 後藤次利、c/w 夢に逢いたい

  • Virgin少年に接吻を (1988年9月21日)

 作詞 売野雅勇、作曲・編曲 後藤次利、c/w Shadow Of Palm Tree

  • ファンファーレが聴こえる (1989年1月25日)

 作詞 高柳恋、作曲・編曲 後藤次利、c/w わたしだけのリバティー

  • Japanese Girl (1989年5月24日)

 作詞 売野雅勇、作曲・編曲 後藤次利、c/w 夕映えの橋

  • 忘れたいのに (1989年9月27日)

 作詞 田久保真見、作曲 国安わたる、編曲 戸塚修、c/w 朝露の瞳

  • 日曜日はいらない (1990年3月7日)

 作詞 原真弓、編曲 松本俊明、編曲 西平彰、c/w 海になりたい

  • LUNA Great (1991年2月21日)

 作詞 和泉ゆかり、作曲・編曲 川井憲次、ストリングスアレンジ 田中公平、c/w ルナ・バルガー走る!

 作詞 三浦徳子、作曲・編曲 羽田一郎、c/w ファンキーララバイ-Long Version-

[編集] アルバム

  • 「生稲」De-Dance(1988年11月21日)
  • 日本「生稲」紀行(1989年8月2日)

[編集] 出演

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ

[編集] その他のテレビ番組

  • 芸能花舞台( - 2006年2月、NHK教育テレビ
    古谷敏郎アナウンサーとのコンビで進行役。この番組では和服姿で臨月ぎりぎりまで出演したが、出産直前に降板。古谷アナウンサーが直後松山局へ異動となったため、そのまま完全降板した。
  • インターネットテレビ&掲示板連動型casTY 生稲晃子のひかりバラエティ

[編集] ラジオ

[編集] 外部リンク

ことばこって?

「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

おススメサイト
トラブログ
アレどう?
アフィリエイトB