甘利明
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| 生年月日 | 昭和24年(1949年)8月27日 |
|---|---|
| 出生地 | 神奈川県厚木市 |
| 出身校 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
| 学位・資格 | 学士 |
| 前職・院外役職(現在) | ソニー社員 |
| 所属委員会 ・内閣役職(現在) | 経済産業大臣 |
| 世襲の有無 | 二世 父・甘利正(衆議院議員) |
| 選出選挙区 (立候補選挙区) | 神奈川県第13区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 所属党派(現在) | (新自由クラブ→) 自由民主党(山崎派) |
| 党役職(現在) | |
| 会館部屋番号 | 衆・第2議員会館528室 |
| ウェブサイト | www.amari-akira.com/ |
甘利 明(あまり あきら、1949年8月27日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。神奈川県厚木市出身。
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[編集] 経歴
神奈川県立厚木高等学校を経て、1972年、慶應義塾大学法学部卒業、ソニーに入社。
1974年、同社を退社し、自民党神奈川県議から衆院選に無所属で立候補しながらも落選していた父・正の秘書に転身する。
1983年、新自由クラブに所属していた正が次期選挙に出馬せず引退を表明したため、同年末の第37回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選を果たした。
1986年、新自由クラブの解党に伴って自民党に移り、山口敏夫の勧めもあって中曽根派に入る。
1996年、初めて小選挙区制で行われた第41回衆議院議員総選挙では、選挙区で落選したものの比例区で復活当選。この時の経験から、以降は比例区名簿に名前を搭載せず、選挙区のみで毎回選挙に臨み、勝利を収めている。
1998年、小渕内閣で労働大臣として初入閣。同年に山崎派の結成に参加し、以降山崎拓への忠誠心を示す。
2004年の臨時国会から翌年の通常国会終了まで衆議院予算委員長を務める。自民党内においては、商工分野に精通しており、党商工部会長、衆議院商工委員長などを歴任している。 また、知的財産に関する取り組みも積極的に行っておりコンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律の成立を主導した。その一方、同年の著作権法改正案におけるレコード輸入権を強硬に推進したことを始め強引な政治手法に対する批判もあった。
2006年の自民党総裁選では、山崎拓の出馬に一貫して反対し、早くから安倍晋三への支持を表明して安倍選対の事務局長を務めた。このため山崎との間に隙が生まれたのではと見る意見もある。
2006年9月26日発足の安倍内閣で経済産業大臣に就任。この日午後の記者会見で早速甘利は、ロシア連邦が先月8月30日に石油・天然ガス開発計画である 「サハリン2」の一部事業の中止を命じたことについて「日本側に過剰反応の面がある。ロシア側が指摘する環境破壊にどう対処するのか精査してから、反論を組み立てるべきだ」と冷静に対応する姿勢を示した上に、日本と中華人民共和国(中国)が対立している東シナ海のガス田開発の件に関しては「日本と中国は共同で(開発に)取り組む方向で一致しており、粛々と取り組みたい」と話しており、その政治的スタンスは親中国派と言われてきた前任の二階俊博とさほど差がないと評される。
[編集] 人物
- NTV系テレビ番組『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』に出演した際、政治家山本一太とともにイラクの位置をシリアと間違えた。
- 消費者金融(サラ金)など貸金業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)から政治献金を貰っている。この為か、消費者金融の上限金利の引下げに猛反対してる。
- 議員室にセーラームーンや島耕作のサイン色紙があり、漫画やアニメ産業にも力を入れたいと言っている。
- 著作『われら知財派』を著すなど、知的財産権について造詣が深い。
[編集] 家系
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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