玉砕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

玉砕(ぎょくさい)は、大東亜戦争(太平洋戦争)において、外地において日本軍守備隊が全滅した場合、大本営発表に於いてしばしば用いられた語である。出典は『北斉書』元景安伝の「大丈夫寧可玉砕何能瓦全(立派な男子は潔く死ぬべきであり、瓦として無事に生き延びるより砕けても玉のほうがよい)」。また、明治維新の頃、藩閥政府が天皇を「玉(ぎょく)」と呼ぶようになったが、それによって天皇のイメージに、威厳や崇高さ、潔さなどが付け加えられるという効果があった。そのため、明治以来、「『玉砕』とは、天皇のために潔く死ぬことです」(山科三郎、「『特攻』と『玉砕』について考える」、「部落」54(3)、2002年3月、60頁)ということになる。その態度表明を表す用例には例えば、西郷隆盛による次の詩がある。

 幾歴辛酸志始堅 幾たびか辛酸をへて志はじめて堅し、
 丈夫玉砕恥甎全 丈夫は玉砕するも瓦全を愧ず。

また、明治19年発表の軍歌「敵は幾万」(山田美妙斎作詞・小山作之助作曲)にも

 敗れて逃ぐるは国の恥 進みて死ぬるは身のほまれ
 瓦となりて残るより 玉となりつつ砕けよや
 畳の上にて死ぬ事は 武士のなすべき道ならず

と歌われた。 

  • 同義に使われた語に散華さんげ)がある。主として特攻の結果の戦死に用いられた。
  • 対義語は、保身的態度を表す瓦全(がぜん)である。

なお、玉砕が瓦全より高いとする価値判断は普遍的なものではない。たとえば沖縄における「命どぅ宝」(ぬちどぅたから 命こそが宝、諺「命あっての物種」に近い)という言葉は瓦全的態度を意味すると考えられる。

目次

[編集] 始まり

第二次大戦の中で最初に使われたのは、1943年5月29日アリューシャン列島アッツ島の日本軍守備隊約2600名が全滅した時である。「全滅」という言葉が国民に与える動揺を少しでも軽くし“玉の如くに清く砕け散った”と印象付けようと、大本営によって生み出された言い換えである。

大本営発表。アッツ島守備部隊は5月12日以来極めて困難なる状況下に寡兵よく優勢なる敵兵に対し血戦継続中のところ、5月29日夜、敵主力部隊に対し最後の鉄槌を下し皇軍の神髄を発揮せんと決し、全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり。爾後通信は全く途絶、全員玉砕せるものと認む。傷病者にして攻撃に参加し得ざる者は、之に先立ち悉く自決せり。

[編集] 主な玉砕戦

[編集] 本土決戦と一億玉砕

連合国軍日本本土に接近すると軍部は、「本土決戦」の準備を開始するとともに、1億人の日本の全国民(ただし、この当時の人口である1億人という人口は朝鮮半島台湾などの日本本土以外の地域居住者(その大半が朝鮮人台湾人)を含む数字であり、日本人の総人口は7千万人程であった事に留意する必要がある)の全てが玉砕攻撃をする事で連合国軍は恐怖を感じて撤退するだろうし、例え全滅したとしても日本民族の美名は永遠に歴史に残るだろうと主張し国民を鼓舞した。だが、1945年8月に入ると原子爆弾の投下やソ連対日宣戦布告などの軍部の思惑を裏切る事態が次々に発生し、遂に日本はポツダム宣言を受諾して降伏をしたため、本土決戦は行われることは無かった。

[編集] 日本以外の国での「玉砕」

玉砕の意味を広く捉え、テルモピュライの戦いでのギリシア連合軍の全滅や、マサダ砦でのユダヤ人の全滅、アラモの戦いでのテクシャン反乱軍の全滅など、「守備側が降伏を拒否し、全滅するまで戦うこと」を「玉砕」と表現することもある。

ことばこって?

「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

おススメサイト
トラブログ
アレどう?
アフィリエイトB