玉川大学
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玉川大学
| 大学設置 | 1949年 |
|---|---|
| 創立 | 1929年 |
| 学校種別 | 私立 |
| 設置者 | 学校法人玉川学園 |
| 本部所在地 | 東京都町田市玉川学園六丁目1番1号 |
| 学部 | 文学部 農学部 工学部 経営学部 教育学部 芸術学部 リベラルアーツ学部 通信教育部 |
| 研究科 | 文学研究科 農学研究科 工学研究科 マネジメント研究科 教育学研究科 |
| ウェブサイト | 玉川大学公式サイト |
玉川大学(たまがわだいがく、英称:)は、東京都町田市玉川学園六丁目1番1号に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は玉川大。 首都圏西部大学単位互換協定会協定校、日本私立大学協会会員校、大学基準協会正会員校。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 施設
詳細は学校法人玉川学園を参照
現在、学園全体の施設を刷新しており、2007年からは農学部校舎の建設が予定されている。(2009年完成予定)これに伴い、玉川学園21世紀プロジェクト募金事務室が中心となって在学生保護者、卒業生、教職員、後援会、法人企業などに任意という形で寄付金(21世紀寄付金)を募っている。([1])しかし実際には、2007年6月現在、未納の在学生保護者に対して一斉に、学部長の直筆署名入りで督促状を送付するという圧力をかけている。
校外施設には、箱根(神奈川県箱根町)約77万m²、北海道(北海道弟子屈町)約122万m²、鹿児島(鹿児島県南さつま市)約10万m²、カナダ(カナダ・バンクーバー島ナナイモ市)約34万m²がある。カナダの玉川学園ナナイモキャンパスは、主に中学部カナダ研修や大学農学部研修で利用されている。
[編集] 創立者・学長
創立者は小原國芳で、小原國芳が存命中の卒業生の中には、國芳を崇拝する人も多い。本学の年配の教員には玉川出身者が多く、彼らは異常なほど國芳に傾倒しており、その様子は北朝鮮さえ連想させるという指摘も一部にはある。若手の教員には他大学出身者も多い。
現在の学長は小原芳明。名誉総長(前学長)として小原哲郎。創立者小原國芳の孫と子供にあたり、世襲制を貫いている。
[編集] 教育信条・行事・学風・学生
全人教育を教育信条に掲げていて、学園全体で行う行事も多い。その1つとして挙げられるのは、10月に行われる総合体育祭である。この体育祭には、幼稚部から大学1年までの数千名が参加する。目玉は中学部による組体操、大学生によるマスゲームなど。開会式では国旗掲揚・国歌斉唱がある他、閉会式では学長の音頭で「玉川学園万歳!」を全員で叫ぶという一幕もあり、これらのことが学長の世襲とあいまって一部では悪評を買い、某受験雑誌で「日本の中の北朝鮮」として紹介されたこともある。[要出典]
男子は、公式行事などでの第一装は、紺の背広上下とネクタイ着用と決まっていて、男女とも指定のバッジをつけることになっている。女子の第一装については、「男子の第一装に合う清楚な格好」とだけ定められているため、男女差別の疑いも指摘されている。
キリスト教会と結びついたミッションスクールではないが、キャンパス内にはチャペルや礼拝堂もあり、教育の一環として礼拝の時間がある。キリストの教えに従うことは、学則にも謳われている。それは創立者である小原國芳がクリスチャンであり、教育における宗教的情操・感化を重視したからである。幼稚部から高校までは礼拝があり、大学でも1年次は必修の授業として存在する。また、通信教育部の夏期スクーリングにおいても、かつては朝の授業前に各期ごとに1回、全3期通じて計3回行われていた(労作同様、卒業までに最低でも1回出席すれば可。2006年現在、授業時間延長やカリキュラム変更などの影響で全3期通じて放課後1回のみの実施となっている)。なお、2000年に新設されたチャペルには、礼拝堂にあった辻オルガン(1978年製)が移設された。(礼拝堂にあるパイプオルガンは、アメリカ・シカゴのキンボール社製で、1931年設置)。
礼拝の時間と共に音楽の時間も大切にされ、大学1年生全員はその集大成として、立正佼成会普門館にて毎年12月に音楽祭として、ベートーベンの第九を歌っている。さらに12月頭には、サントリーホールでの第九特別演奏会を毎年行っており、その歴史も長い。通信教育部でも音楽を大切にする伝統は引き継がれており、かつては教職課程においては音楽の授業が必修であった(現在は自由選択制)。夏期スクーリング中盤で行われる運動会「通大祭」や、最終日の授業終了後に行われる閉講式「丘の終鈴」をはじめとする各種行事では、学生歌・校歌の他、「丘のコスモス」「素晴らしい言葉」といった玉川学園児童の作による曲も多く歌われるのが伝統となっており、玉川の教育が音楽と密接に結びついていることがうかがえる。
学内では学生運動が全面禁止であり、左翼組織の温床となりがちな学生自治会は存在しない。大学側が学生たちの意見・要望等を聞く機会は少なく、高すぎる学費や学長の世襲、カリキュラムに対する不満のある学生が仮にいたとしても、交渉する術も無い。なお、通信教育部には学生会が存在し、大学側との懇談の場も設けられている。
玉川は大学生協には加盟していないが、玉川学園前駅前に購買部があり、文具・書籍等を割引価格で購入することが可能である。敷地内の牧場の乳牛からとれたミルクで農学部生が製造した通称「玉川アイス」もここで購入可能だったが、現在は製造・販売をしていない。理由はアイス製造機の操作方法を知っていた農学部の教員が退職してしまったからだと言われている。かつては玉川学園が直接運営していたが、2007年4月より紀伊国屋書店に業務委託された。
学食は学生食堂にしては高い。(例:りんどう食堂のカレーライスは400円)。幼稚園から大学まで玉川の生徒である者を「完玉」と呼び、小学校から大学まで玉川の生徒である者を「純玉」と呼ぶ。現在の在籍者数は通信生も含め2万人を超える。
2002年、文部科学省が推進する21世紀COEプログラムに、玉川大学の「全人的人間科学プログラム」が、2005年度には大学・大学院における教員養成推進プログラム(教員養成GP)において「広域大学間連携による高度な教員研修の構築」(筑波大学、東京学芸大学などとの共同プロジェクト)、「実践的指導力を育てる体験学習プロジェクト」(玉川大学単独のプロジェクト)が採択された。
[編集] 学費・カリキュラム・授業
学費が高く、高級住宅地に所在するため、お坊ちゃま・お嬢様が通う学校とも言われている。大学の授業料も、人文・社会系学部では上位にランキングされている。
教育学部を設置しており、四年制私立大学としては珍しく小学校の教員免許を取得できる。「教育の玉川」をうたい、教員採用率は全国トップクラスであると宣伝しているが、実際には玉川より実績のある大学は私立も含めて多く、ほとんどの卒業生は教員就職していない。教員就職する者でも、公立でよりも私立で採用される者の方が多いと言われる。文部科学省の推進する「教職大学院」の設置に名乗りを上げている。
[編集] 事件・話題
2007年1月、平成19年度一般入試出願期間において、朝鮮高校3年の男子生徒が農学部受験を出願しようとしたところ、大学側が「朝鮮高校の生徒に出願資格はない」として拒否し、出願には高卒認定試験の合格が条件であるとした。これに対して生徒側が弁護団とともに本学へ乗り込んで抗議し、注目を集めた。一般人による本学入試課への電話での抗議も殺到したが、結局出願は認められなかった。朝鮮学校をはじめ「各種学校」と定められた学校の生徒の出願資格については、各大学の判断に委ねられているため、「玉川の行為に法律上問題はなく、受験したければ高卒認定試験に合格すればいいだけの話」と本学を擁護する声もある一方、本学が欧米系インターナショナルスクールの生徒には出願資格を認めている事実が指摘され「悪質な民族差別だ」という批判もなされた。
[編集] 沿革
1929年(昭和4年)創立者小原國芳により「全人教育」を第一の教育信条に掲げて開校された玉川学園を母体とする。1942年には学園内に国の主導のもと準官立大学として興亜工業大学(現・千葉工業大学)が創立されたが、これは元々、小原國芳の構想だった。(ただし、同大学と現在の玉川大学の間で、大学としての系譜に直接のつながりはない。)当時は戦時下で工学系の大学設置が比較的容易だった事と全人教育が当時の軍国主義教育と相容れず、工学部を設置することで官憲(特に軍部)からの圧力を回避したという見方もある。設置の際には玉川学園の土地の一部も興亜工業大学名義に書き換えた。しかし、大学設立時に官僚に過ぎた接待をした責任を問われて小原國芳は学長にはなれず、初代学長は教育学者の小西重直だった。開学後間もなく大学運営をめぐる混乱が起こり、小原國芳は興亜工業大学に対する経営権を失ない、同大学は千葉県に移転して千葉工業大学となった。その後、千葉工業大学から苦労して玉川学園の土地を時価で買い取った。なお、玉川大学から千葉工業大学に当時使われていた興亜工業大学の校旗が寄贈されている。
1947年に旧制玉川大学が開学、1949年に新制大学となり文学部と農学部を設置。1950年には、全人教育を広く社会に開放することを目的として通信教育部がスタートし、日本初の「小学校教員免許状」を取得可能な課程として注目された。1962年に悲願の工学部設置(再興)、2002年に経営学部を設置。2003年に文学部から教育学部・芸術学部が独立し6学部になり、2007年にリベラルアーツ学部を開設した。法学系、医療系の学部や学科はないが、文系・理系を擁する総合大学に成長した。現在の学長は小原芳明。総長は小原哲郎。創立者の孫と子供にあたる。
- 1947年 大学令によって旧制大学として最後の設置認可。予科、文農学部文学科・農政学科、研究科を設置。ただし、実際に学生が入学したのは予科のみの段階で、学制改革を迎えた。学長は田中寛一(心理学)。
- 1949年 新制玉川大学を設置。文学部教育学科、英米文学科と農学部農学科を設置。学長は田中寛一(心理学)、次いで波多野精一(宗教哲学)。小原國芳の学長就任は1952年。
- 1950年 全人教育を広く社会に開放することを目的として通信教育部(通大と通称される)を設置(文学部教育学科)。日本で初の通信制による「小学校教員1種免許状」取得可能な課程として注目された。
- 1962年 工学部機械工学科、電子工学科、経営工学科を開設。
- 1964年 文学部に芸術学科、農学部に農芸化学科を開設。
- 1972年 文学部に外国語学科、工学部に情報通信工学科を開設。
- 2001年 経営学部国際経営学科を開設。農学部の農学科を生物資源学科、農芸化学科を応用生物化学科と名称を変更。
- 2002年 文学部を改組し人間学科、国際言語文化学科を開設。また、文学部教育学科は(通信教育部とも)教育学部教育学科、芸術学科は芸術学部パフォーミング・アーツ学科、ビジュアル・アーツ学科に改組。
- 2003年 文学部にリベラルアーツ学科、教育学部に乳幼児発達学科を開設。
- 2004年 工学部を改組。機械工学科を機械システム学科、電子工学科を知能情報システム学科、情報通信工学科をメディアネットワーク学科、経営工学科をマネジメントサイエンス学科とする。
- 2005年 農学部に生命化学科を開設。
- 2006年 文学部の国際言語文化学科を比較文化学科に名称変更。芸術学部にメディア・アーツ学科を開設。
- 2007年 経営学部に観光経営学科を開設。文学部リベラルアーツ学科をリベラルアーツ学部リベラルアーツ学科に改組。
(大学院、専攻科、かつて設置されていた玉川学園女子短期大学については省略)
[編集] 組織
[編集] 学部・学科
- 文学部
- 人間学科
- 比較文化学科
- リベラルアーツ学部
- リベラルアーツ学科
- 農学部
- 生物資源学科
- 生物環境システム学科
- 生命化学科
- 工学部
- 機械システム学科
- 知能情報システム学科
- メディアネットワーク学科
- マネジメントサイエンス学科
- 経営学部
- 国際経営学科
- 観光経営学科
- 教育学部
- 教育学科
- 乳幼児発達学科
- 芸術学部
- パフォーミング・アーツ学科
- ビジュアル・アーツ学科
- メディア・アーツ学科
- 通信教育部
- 教育学部教育学科
[編集] 大学院
- 文学研究科
- 哲学専攻(修士課程)
- 英文学専攻(修士課程)
- 教育学専攻(博士課程後期)
- 農学研究科
- 資源生物学専攻(修士課程・博士課程後期)
- 工学研究科
- 機械工学専攻(修士課程) (機械工学系と経営工学系を設置)
- 電子情報工学専攻(修士課程) (電子工学系と情報通信工学系を設置)
- 生産開発工学専攻(博士課程後期)
- 脳情報専攻(博士課程後期)
文学、農学、工学の三研究科により、学際領域プログラムとして人間情報科学を設置
- マネジメント研究科
- マネジメント専攻(修士課程)
- 教育学研究科
- 教育学専攻(修士課程)
[編集] 専攻科
- 専攻科
- 芸術専攻
[編集] 関連団体
- 玉川大学出版部…教職員らが執筆する論説集や学生向け教科書、教育学を中心とする書籍などを出版。
[編集] 就職状況・卒業後進路
- 就職率(=就職決定者÷就職希望者)は、大学全体で男子96.8%、女子96.7%。(2005年度)
学部別では、文学部94.4%・農学部98.8%・工学部99.3%・経営学部95.9%・教育学部98.0%・芸術学部91.1%。(2005年度)

