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中国の歴史
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かん)とは、中国の河川名、地域名(郡名・国名)、王朝名、地名(中国全土をさす)、民族名である。

目次

[編集] 漢水・漢江

「漢」という文字は「水の流れていない川」をあらわす象形文字(音は「乾」に通ず)。長江の支流で現在の陝西省南部、秦嶺山脈の南麓に源を発し、湖北省に注いで武漢(漢口)に注ぐ漢江(漢水)をさす。今でも支流では冬期に断流することがある。また中国では、天上のあまのがわを「銀河」または「天漢」といっていた(漢の音「乾」に天に意味があることから)。

[編集] 漢中(郡名・国名)

戦国時代、この地を支配したは漢江の上流域に漢中郡を置いた(「〜中」は河川流域の盆地をいう命名法)。秦が滅ぼされると、咸陽攻略の功労者劉邦が漢中・巴・蜀の地に王として封ぜられ、漢王(「漢中王」の意)を名乗った。劉邦は漢中とその奥地、巴蜀で力を蓄え、項羽との戦いに勝利して、秦についで中国の再統一を果たすと、秦に引き続いて漢中郡を設置した。

[編集] 漢王朝(朝代・朝号)

中国を統一した劉邦は、皇帝として即位するにあたって旧来の国号であったをそのまま統一王朝の国号として用いた。この劉邦が開いた前漢と、いったん滅亡したのち劉秀によって再興された後漢の漢王朝は、あわせて400年の長きに渡った。漢王朝の歴史の詳細については、前漢後漢蜀漢をそれぞれ参照。

[編集] 中国の地を意味する「漢」

漢王朝400年の事績を踏まえて、「漢」は「神州」「九州」「天下」「支那」などと同様に、中国の地を指す代名詞のように用いられるようになった。「漢土」とも。同様な言葉に「秦」「唐」がある。(南北朝期からモンゴル時代にかけて、華北(黄河流域)と華中(長江流域)を区別し、前者のみをさす用法もあった)

[編集] 民族名・文化名としての「漢」

民族としての「漢民族」、エスニックグループとしての「漢人」「漢族」、そして漢字漢語、漢風などの特定文化をさす「漢」は漢王朝の名に由来している。(漢王朝の時代に古代中国文化が完成したため、崇拝をこめて漢王朝が回顧されることが中国では一般的である)(南北朝期からモンゴル時代にかけて、華北(黄河流域)住民と華中(長江流域)住民を区別し、前者のみをさす用法もあった)

[編集] 漢を国号とした諸国

漢の国号は皇帝であった劉氏の姓と密接に結びつき、これ以後も劉姓の王朝によってたびたび使われた。

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