渡辺篤史

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<tr><th>本名:</th><td>渡辺篤史</td></tr><tr><th>出生地:</th><td> 日本茨城県下妻市</td></tr><tr><th>生年月日:</th><td>1947年11月28日</td></tr><tr align="left"><th valign="top" class="wikitable">現年齢:</th><td>61歳</td></tr> <tr><th style="font-size: 90%; text-align:center; background-color:#EFEFEF;" colspan="2">活動</th></tr><tr><th>活動時期:</th><td>1960年代~</td></tr><tr><th>活動内容:</th><td>ナレーターレポーター俳優</td></tr><tr><th>主な作品:</th><td>渡辺篤史の建もの探訪</td></tr>
渡辺篤史
プロフィール

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渡辺 篤史(わたなべ あつし、1947年11月28日 - )は、昭和中期 - 後期・平成期の日本俳優。本名同じ。

茨城県下妻市生まれ。

目次

[編集] 来歴・人物

日本大学文理学部国文学科中退。幼少時代に両親が離婚、母方に引き取られて育つ。小学3年のときに上京、5年のとき茨城なまりを矯正するため、劇団若草に入団。1960年フジテレビのドラマ『にあんちゃん』でデビュー。翌1961年、同じくフジテレビ『三太物語』に主演、子役として人気を獲得。以降、多数のテレビドラマ、映画に出演、個性的な脇役として活躍する。既婚、二女あり。ビートたけしの長男である、北野篤の名前の由来となっている。

近年はテレビの情報番組旅番組ドキュメンタリー番組、テレビCMのナレーター、レポーターとしての活躍が多く、1989年テレビ朝日系列でスタートした『渡辺篤史の建もの探訪』は、毎週ユニークな一戸建てを紹介する住宅情報番組である。彼自身はこの番組で出会ったユニークな家を参考に自宅を建てている。同番組で「わかりました」、「いや~、すばらしい!」と褒めるところが、小堺一機イジリー岡田ものまねのネタにされている。尚、「わかりました」は、「次の部屋に行って下さい」の意味である。イジリーに真似されたとき、苦笑しながら「いや~、俺ってあんまり特徴ないのによく真似できるねぇ。」と言い、「いやメチャクチャ特徴あるじゃないですか!」と周囲から突っ込まれまくっていた。

趣味はオーディオ陶芸建築。得意なスポーツは、ボクシングテニス。特にテニスの腕前はプロ級といわれるほどである。

生野文治とともに小林製薬のTVCMナレーションでおなじみ。CMのナレーションの一つである「小林製薬の糸ようじ」は大泉洋が『水曜どうでしょう』内でモノマネをしている。

[編集] 主な出演

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ・情報番組

[編集] 映画

[編集] CM

※氏が“建もの探訪”風に悪魔の家を解説する。

[編集] 著作物

以上、講談社より刊行

  • 元気が育つ家づくり 建築家×探訪家×住み手(共著・仙田満、2005年ISBN 4000227416

岩波書店より刊行

[編集] 備考

実は、渡辺は、大学2年のときに数千万円の借金を抱えてしまっている。母親がある占い師を信じ、株式を購入していくうちに借金が雪だるま式に増えてしまい、さらに渡辺本人も連帯保証人を引き受けてしまった。

これにより、彼の自宅は自己破産に至る。しかし、脚本家佐々木守の助言もあり、上記のとおり、テレビドラマのレギュラー出演を掛け持ちしながら借金を返済。35歳で完済するまで15年かかった。(週刊文春2001.10.11号「家の履歴書」で告白している)

芸能界に大変感謝していると振り返っているが、自身の俳優としての才能を見失ったためか、テレビのトーク番組に出演の際に俳優としての活動を質問するのは一切しないでほしいという噂が流れているらしい。

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