清水徳川家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清水徳川家(しみずとくがわけ)は、徳川氏の一支系で、御三卿のひとつ。単に清水家とも言う。
目次 |
[編集] 概要
江戸幕府9代将軍家重の2男重好を家祖とし、徳川将軍家に後継ぎがないときは他の御三卿とともに後嗣を出す資格を有する。家格は徳川御三家に次ぎ、所領は10万石。家名の由来となった屋敷、清水邸は江戸城清水門内で田安邸の東、現在の北の丸公園・日本武道館付近にあった。維新後は、元下屋敷の1つであった甘泉園(東京都新宿区西早稲田)に邸宅を構えていた。
宝暦3年(1753年)、賄料3万俵を賜わり、宝暦7年、御守(家老)両名が付けられ、翌宝暦8年、清水門内に宅地を賜わった。宝暦9年、元服して宮内卿を称し、賄料1万5千俵を増され、屋形に移徙した。宝暦12年、新規に賄料領知10万石を武蔵・上総・下総・甲斐・大和・和泉・播磨の7ヵ国に賜わった。
清水家は実子のなかった初代重好以来、幼少の当主が多く、御三家に転出した当主が相次いだこともあって一時的な断絶を繰り返しており、御三卿の中で最も事績に乏しい家である。 なお初代重好死去の際、嗣子なくして空位となったが、所領・家屋敷・家臣は一時的に幕府に収公されている。これは同じ御三卿である他の2家が空席の場合は明屋敷となるも、それら組織が存続される2家と比して異例であった。
明治維新後は華族に列した。明治3年2月、水戸徳川慶篤の2男篤守が入嗣し、第7代を相続、家禄2500石を賜わった。明治3年(1870年)、空席であった家督を篤守が相続した際に清水姓に改めているが、明治10年(1880年)元の徳川姓に復している。明治17年(1884年)伯爵を授けられたが、6代当主篤守は華族の礼遇に耐えられずとして1899年、爵位を返上した。しかしのちに、日本最初の航空パイロットとして知られる篤守の嫡子好敏(7代当主)が陸軍中将に昇進、1928年には再び爵位(男爵)を授けられている。
[編集] 歴代当主
- 初代当主 重好
- 1795年、実子なく死去
- 1795年 - 1798年 清水徳川家空位
- 2代当主 敦之助 (徳川将軍家から養子、11代将軍家斉の子)
- 1799年、4歳で夭折
- 1799年 - 1805年 清水徳川家空位
- 3代当主 斉順 (11代将軍家斉の子)
- 4代当主 斉明 (11代将軍家斉の子)
- 1827年、19歳で夭折
- 5代当主 斉彊 (11代将軍家斉の子)
- 1846年、紀州藩12代藩主として紀州徳川家に入る
- 1846年 - 1866年 清水徳川家空位
- 6代当主 昭武 (水戸徳川家から養子、15代将軍慶喜の実弟)
- 1868年、水戸藩11代藩主として水戸徳川家に入る
- 1868年 - 1870年 清水徳川家空位
[編集] 明治維新後の清水徳川家当主
[編集] 戦後の清水徳川家
- 9代当主 徳川豪英
[編集] 系譜
凡例 太線は実子、細線・二重線は養子、太字は当主
重好 ∥ 敦之助 ∥ 齊順 ∥ 齊明 ∥ 齊彊 ∥ 昭武 ∥ 篤守 ┃ 好敏 ┃ 豪英

