涅槃

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仏教

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涅槃図(19世紀)

涅槃 (ねはん、サンスクリット: nirvana, パーリ語: nibbaana, タイ語: นิพพาน nípphaan)は、サンスクリットのニルヴァーナ(nirvana)、パーリ語のニッバーナの音写である。この語のほか、泥曰(ないわつ)、泥洹(ないおん)、涅槃那(ねはんな)、泥丸などとも音写される。漢訳では、滅、滅度、寂滅、寂静、不生不滅などと訳した。また、サンスクリットでパリニルヴァーナ(parinirvaaNa) マハーパリニルヴァーナ(mahaaparinirvaaNa)ともいわれるところから円寂、大円寂などと訳された。

涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味である。しかし、ニルヴァーナは「吹き消すこと」「吹き消した状態」という意味だから、煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態をいう。その意味で、滅とか寂滅とか寂静とか訳された。また、涅槃は如来の死そのものを指す。涅槃仏などはまさに、死を描写したものである。「人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態」という意味で涅槃寂静といわれる。

釈迦入滅(死去)してからは、涅槃の語にさまざまな意味づけがおこなわれた。

  1. 有余涅槃・無余涅槃とわけるもの
  2. 灰身滅智、身心都滅とするもの
  3. 善や浄の極致とするもの
  4. 苦がなくなった状態とするもの

などである。

涅槃を有余と無余との二種に区別する際の有余涅槃は、釈迦が三十五歳で成道して八十歳で入滅されるまでの間の「さとり」の姿を言う。無余涅槃は八十歳で入滅した後の「さとり」の姿とみるのである。この場合の、「余」とは「身体」のこととみて、身体のある間の「さとり」、身体のなくなった「さとり」とわける。

有余涅槃・無余涅槃は、パーリ語のsa-upaadisesa-nibbaana, anupaadisesa-nibbaanaで、このうち、「余」にあたるウパーディセーサ(upaadisesa)は、「生命として燃えるべき薪」「存在としてよりかかるべきもの」を意味する。仏弟子たちは有余無余を、釈迦の生涯の上に見た。釈迦の入滅こそ、輪廻転生の苦からの完全な解脱であると、仏弟子たちは見たのである。


このような「さとり」が灰身滅智、身心都滅である。灰身滅智(けしんめっち)とは、身は焼かれて灰となり、智の滅した状態をいう。身心都滅(しんしんとめつ)とは、肉体も精神も一切が無に帰したすがたをいう。このことから、これらは一種の虚無の状態であると考える事ができるため、初期の仏教が、正統バラモンから他の新思想と共に虚無主義者(ナースティカ、naastika)と呼ばれたのは、この辺りに原因が考えられる。

ナースティカとは呼ばれたが、釈迦が一切を無常無我であると説いたのは、単に現実を否定したのではなく、かえって現実の中に解決の道があることを自覚したからである。

この立場で、のちに無住処涅槃という。「さとり」の世界では、無明を滅して智慧を得て、あらゆる束縛を離れて完全な自在を得る。そこでは、涅槃を一定の世界として留まることなく、生死と言っても生や死にとらわれて喜んだり悲しんだりするのではなく、全てに思いのままに活動して衆生を仏道に導く。

このような涅槃は、単に煩悩の火が吹き消えたというような消極的な世界ではなく、煩悩が転化され、慈悲となって働く積極的な世界である。その転化の根本は智慧の完成である。ゆえに「さとり」が智慧なのである。

この点から菩提と涅槃を「二転依の妙果」という。涅槃は以上のように、煩悩が煩悩として働かなくなり、煩悩の障りが涅槃の境地に転じ、智慧の障害であったものが転じて慈悲として働く。それを菩提(ぼだい)という。

以上のように「さとり」は、涅槃の寂静と菩提の智慧の活動とを内容とする。そこで涅槃の徳を常楽我浄の四徳と説く。「さとり」は常住不変で、一切の苦を滅しているので楽、自在で拘束されないから我、煩悩がつきて汚れがないから浄といわれる。


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