江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書

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江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書(えどをしょうしてとうきょうとなすのしょうしょ)とは、明治元年7月17日明治天皇が発した詔勅である。天皇江戸で政務を執ることを宣言し、江戸を東京と改称することを内容とする。首都京都の副都として旧江戸の地域に東京が定められた天皇の命令書。東京遷都ノ詔または東京奠都ノ詔とも呼ばれる。

[編集] 名称

一般の詔書と同様にこの詔書にも正式名称はないが、内閣官報局『法令全書』は目録や索引で「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」と呼称し、国立公文書館では件名を「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔」(一字違い)として保管している。

詔の内容から東京奠都ノ詔という通称がある。この通称をもとにして「平安遷都ノ詔とは異なり、東京への首都機能移転に際して発せられた詔の名称には、遷都ではなく奠都の語が用いられた。奠都は都を定めるの意味しかなく、東京も都とするという内容にしかすぎない。京都から東京に遷都するという詔ではなく、行政の便宜上、悠久のミヤコ京都の副都として東京を置くという内容である。」という都市伝説がある。この詔書に「奠都」の文字はなく、また平安遷都ノ詔と呼ばれる詔書にも、「遷都」を意味する文言はない。「平安遷都ノ詔」も「東京奠都ノ詔」も、どちらも通称にすぎない。さらに、明治28年には京都で「平安奠都千百年記念祭」が祝われている。遷都と奠都で意味が違うという発想は近年のものである。

[編集] 内容

内容は以下の通り。全文はウィキソースを参照のこと。

朕今萬機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス江戸ハ東國第一ノ大鎭四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ稱シテ東京トセン是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ衆庶此意ヲ體セヨ

現代語訳

私は、今政治を自ら裁決を下すこととなり、すべてを鎮め治めている。江戸は東国で第一の大都市であり、四方から人や物が集まる場所である。当然、私自らその政治をみるべきである。よって、以後江戸を東京と称することとする。これは、私が国の東西を同一視するためである。国民はこの私の意向を心に留めて行動しなさい。

[編集] 関連項目

ウィキソース江戸ヲ稱シテ東京ト爲スノ詔書の原文があります。
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