茨城県立水戸第一高等学校
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茨城県立水戸第一高等学校(いばらきけんりつみとだいいちこうとうがっこう)は、茨城県水戸市三の丸にある県立高等学校。
| 茨城県立水戸第一高等学校
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| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 茨城県 |
| 設立年月日 | 1878年10月2日 |
| 創立記念日 | 11月22日(1901年制定) |
| 校是 | 至誠一貫 堅忍力行 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 単位制(進学重視型) |
| 学科 | 普通科(8クラス) |
| 所在地 | 〒310-0011 |
| 電話番号 | 029-224-2254 |
| FAX番号 | 029-225-5694 |
| 外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
通称は水戸一高(みといちこう)であり、水戸市内などでは一高(いちこう)とさらに略されることもある。また、茨城県内に複数ある他の一高と区別するために水戸一(みといち)と呼ばれたり、水高(すいこう)と呼ばれることもあるなど、数多くの略称を持つ。茨城県内の高等学校の中では、近代の学校制度の枠内で最初に設置された伝統校である。
創立以来、県内一の進学校としての地位を保ってきたが、1970年代の筑波研究学園都市整備に伴う茨城県立土浦第一高等学校の躍進により、相対的なレベルの低下を招いた。これに危機感を抱いた県教委は、県内全域から優秀な生徒が隣接学区枠で本校を受験できるよう学区の改編を行ったが、かえって水戸市近郊の優秀層がそれまで受験できなかった土浦一高へ流れる結果となり、県教委の失策と言われている。しかしながら近年では、私服通学に象徴される自由な校風や2005年度から進学重視型の単位制教育となったことなどが追い風となり、盛り返しつつある。長らく県内トップクラスの進学校の一つであり、現在でも公立高校では茨城県立土浦第一高等学校と茨城県立竹園高等学校とともにトップ集団を形成する優れた実績を有している(一部に言う いわゆる茨城公立御三家)。
本校出身の作家、恩田陸が書いた小説夜のピクニックがベストセラーとなり(後に映画化)、約70kmにも及ぶ距離を歩く「歩く会」という学校行事があることも全国的に知られるようになった。部活動も活発で、弓道部はインターハイに出場するなど全国レベル。1992年には、クイズ研究同好会が全国高等学校クイズ選手権で優勝している。
[編集] 沿革
1878年に茨城師範学校に予備学科として設置された。その後明治時代に何回も改称が繰り返されたが、1901年に茨城県立水戸中学校という校名になり、以後は第二次世界大戦後まで改称されなかった。その後、1948年に学制改革によって、改組などにより茨城県立水戸第一高等学校が成立し、現在に至る。
なお、1948年には、全日制の課程がおかれ、加えて「通信による教育」(現在の「通信制の課程」における教育)も同時に行われた。その後、1971年に茨城県立水戸南高等学校(定時制の課程と通信制の課程を設置)が開校したことにともない、1975年に通信制は廃止された。
[編集] アクセス
[編集] 教育方針
- 校是
- 「至誠一貫」 (しせいいっかん)
- 「堅忍力行」 (けんにんりょっこう)
校是は、校訓のようなものであるが、過去には校是と校訓の双方が存在し、校是と校訓は区別されている。至誠一貫は江戸幕府十五代将軍徳川慶喜に関係がある。
[編集] 校歌
1908年(明治41年)、菊地謙二郎校長当時に制定されて以来、ほとんど改訂無しに連綿と歌い継がれている。水戸学を生んだ地だけあって、今日ではめずらしい、旧制学校時代の雰囲気を残した古風かつ格調高い校歌である。そのため、第二次世界大戦後は自主規制で歌われず、1950年ころ(昭和25年)ころに一番だけが復活、二番が復活したのは、1970年(昭和45年)過ぎになってからである。校歌に関しては、「校歌を廃止する会」という生徒団体も起こった。また、創立100周年にあたる1978年(昭和53年)には生徒の間から廃止議論が起こり、校歌問題模擬裁判にまで発展する騒ぎとなった。「校歌問題」は今日でもしばしば議論の対象として蒸し返されるが、結局改定や差し替えといった事態には及ばず、今日に至っている。
- 作詞 古賀快象
- 作曲 片岡亀雄
- 一、旭輝く日の本の
- 光栄(はえ)ある今日のそのもとは
- 義人烈士の功績(いさおし)ぞ
- 忠孝仁義の大道を
- 貫く至誠あるならば
- 天地も為に動きなん
- 二、世界にきおう列強と
- ならびて進む帝国の
- 基礎(もとい)は堅忍力行ぞ
- 花朝月夕※つかのまも
- 古人に恥じぬ心して
- ゆめ怠るな一千人
※「花朝月夕」表記のものと、「花鳥月夕」表記のものが混在している。
[編集] 第二校歌
1921年(大正10年)、菊地謙二郎校長(当時)が舌禍事件から辞職をせざるを得なくなったことに反発し、生徒800余人が同盟休校(ストライキ)を敢行した。この時、4年生(旧制水戸中学)の塙義幹の作詞で作られた正義の歌が、後に正式に第二校歌として制定されることになる。当時のエリート層であった旧制中学生達が、校長の復職を求め、退学を覚悟して血判の上同盟休校を行ったことは、旧制水戸中学・水戸第一高等学校生徒の誇りであり、正義の歌は精神的なバックボーンとして永らく生徒の間で歌い継がれて来た。曲は旧制一高寮歌「都の空」の旋律を借りて歌ったと言われている。当時は5番まで歌詞が存在したが、第二校歌としては三番までになっている(現第二校歌の三番は、同盟休校時の四番と五番の折衷)。
- 作詞 塙義幹
- 作曲 旧制一高寮歌「都の空」
- 一、那珂の流れはいや早く 迷雲とざす水城の
- 巷に立てる赤族の 悲壮にさけぶ詩窖子
- 二、白玉のごと若人の 心は清きほのほなれ
- 威き男子の一生は 血潮に燃ゆる歌となる
- 三、血潮のおどりに眼を閉じて 見よその力は偉大なれ
- 立てよ水高健男児 立つべき時は今なるぞ
- 立てよ水高健男児 立つべき時は今なるぞ
[編集] 学校行事
[編集] 学苑祭
水戸第一高校の文化祭。略して『苑祭』とも呼ばれる。各クラスと展示希望の有志団体(部・同好会等)が自主的に企画・運営し、お化け屋敷等のアトラクション、喫茶店等の出店、ダンスや自主製作の映画の公演などが行われる。毎年かなりの盛り上がりを見せ、来校者数は数千人にのぼる。来校者からの投票による人気が最も高かったクラスには「三の丸大賞」が与えられ、3年生を中心にどのクラスもこの賞を取るために躍起になる。
実施時期は9月の初旬で、毎年在校生は夏休みいっぱい苑祭の準備に燃える者も多い。また当日は通常大学の夏休みと重なるため、OB・OGもかなりの人数が来校する。
そのため高校の文化祭としては相当派手なものとなっており、それだけ内容も充実していると言える。かつては3日間行われていたが、現在は2日間。学苑祭は2007年で59回目を数える。
[編集] 歩く会
水戸一高の名物行事。2007年で苑祭と同じく59回目を数える。毎年10月、全校生徒が学校指定の真っ白なジャージで一昼夜かけて約70kmを歩く。コースは3コースあり、ちょうど3年間で1回りするようになっている。スタート地点は学校であったり、学校付近に集合してバスで行ったりするが、どのコースもゴールは学校である。
コースにより細かい距離数は異なるが、1日目の昼食後にスタートし、前半45kmは1年生からクラス順に長い列になって歩く集団歩行。各クラスはクラスのスローガンなどを書いたのぼり旗を用意し、先頭の人が持って歩く。例年のぼり旗の文句は注目を集め、一番面白いクラスは一種の尊敬を集める。途中短い休憩をはさみながら、およそ半日強をかけて深夜に休憩場所に着く。
数時間の休憩時間をとった後、後半25kmは走るも歩くも各々次第という自由歩行となる。自由歩行は陸上部員など速い人で2時間強、ゆっくり歩く人は6~7時間ほどでゴールにたどり着く。なお、自由歩行においてはコース途中にいくつか「関門」(軽い飲食物や休憩スペースがある)が設けられており、各関門に設定されたタイムリミットに間に合わない生徒はマイクロバスに強制収容され、ゴールの学校まで運ばれる。自由歩行の最後尾にはタイムリミットとほぼ同じペースで歩く「追い上げ隊」がおり、追い上げ隊から距離を離されるとマイクロバスに強制収容される。
完歩率(全参加者中リタイアせずにゴールできた生徒の割合)は毎年高く、天候が良好なら95%以上、雨天でも90%以上は完歩するのが通例である。なお、自由歩行での上位入賞者は表彰され、名前の掲示と記念のメダルが贈られる。
例年歩く会の前の体育の授業はランニングを中心とした体力作りの授業になるが、1999年(51回)、体育授業中に死者を出し、中止になったことがある。当時の定例生徒集会では無期中止も含め激しい議論となったが、生徒の間で存続の声も多く、翌年から再開された。
- 「夜のピクニック」
- 水戸一高OGの作家・恩田陸の著書「夜のピクニック」は、歩く会がモデルとなっている。この本は第二回本屋大賞を受賞し、歩く会が更に有名になるきっかけとなった。小説を原作とした同名映画では、近隣の市町村や水戸一高でも撮影が行われ、水戸一高など近隣の多くの高校生が白ジャージでエキストラ出演した。
[編集] 三の丸音楽祭
当初は9月の学苑祭に包含されていたが後に独立し、毎年6月頃に行われていた、自由参加の音楽祭。軽音楽同好会を中心とした実行委員会による自治運営のもと、毎年20~30ほどの希望者が体育館に設置されたステージで演奏をした。参加者の音楽ジャンルはロックからラップ、歌謡曲、室内楽に至るまで様々で、教師もしばしば舞台に立った。2001年を最後に休止状態となっている。
[編集] 著名な出身者
- 飛田穂洲(学生野球の父)
- 栗田健男(旧大日本帝国海軍中将・レイテ沖海戦での「謎の反転」で有名)
- 渡辺保正(旧大日本帝国海軍少将、第1駆逐隊司令)
- 小島新一(商工次官)
- 川又克二(日産自動車元社長・元会長)
- 深作欣二(映画監督・代表作に「仁義なき戦い」「バトル・ロワイアル」など)
- 長谷川五郎(オセロの考案者、茨城大学卒)
- 玉造陽二(元西鉄ライオンズ外野手)
- 徳大寺有恒(本名: 杉江博愛、自動車評論家、成城大学経済学部卒)
- 小泉堯史(映画監督・代表作に「博士の愛した数式」「雨あがる」「阿弥陀堂だより」など)
- 川又昂(映画撮影監督・小津安二郎監督の下で撮影助手、大島渚、野村芳太郎監督の作品の多くで撮影監督をつとめた)
- 橋本昌(茨城県知事、東京大学法学部卒)
- 鳥居泰彦(経済学者、文部科学省中央教育審議会会長、元慶應義塾大学塾長)
- 坂口博信(ゲームクリエイター・代表作にファイナルファンタジーシリーズ、「クロノトリガー」など、横浜国立大学工学部中退)
- 恩田陸(作家・「歩く会」をモデルとした小説「夜のピクニック」(新潮社)の作者、「図書室の海」は同校の図書室が舞台。早稲田大学教育学部卒)
- 山口那津男(参議院議員、元衆議院議員、公明党、東京大学法学部卒業)
- 高野博師(参議院議員、元環境副大臣、公明党、東京外国語大学外国語学部卒業)
- 石川城太(一橋大学教授、国際経済学、一橋大学卒、PhD)
- 中島典之(東京大学環境安全研究センター助教授、環境科学)
- 宮垣聡(弁護士、アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー)
- 小林元(参議院議員、民主党、京都大学法学部卒)
- 藤田幸久(衆議院議員、民主党、東京ブロック選出、慶應義塾大学文学部卒)
- 新井欣弥(鹿島建設副社長)
- 古山恵理(「ガラスの青春応援団」(かのう書房)の作者)
- 太田英明(文化放送アナウンサー)
- 河原泰則(WDRケルン放送交響楽団首席コントラバス奏者)
- 妹島和世(建築家)
- 長塚節(歌人、小説家、正岡子規の弟子、茨城尋常中学校中途退学)
- 立花隆(東京大学教授、ジャーナリスト、水戸第一高校から都立上野高校へ転校、東京大学文学部卒業)
- 常陸山谷右エ門(大相撲第19代横綱、旧制水戸中を中退して相撲に進む)
- 八剱洋一郎(株式会社ウィルコム顧問、東京工業大学理学部卒業)
- 大藤晋司(テレビ北海道アナウンサー)
- 藤田卯一郎(松葉会初代会長。旧制水戸中学校卒)
- 馬場章(東京大学大学院情報学環教授、日本デジタルゲーム学会会長)
- 平勢隆郎(東京大学東洋文化研究所教授、中国史家)
- 大矢敏行(代々木アニメーション学院創業者)
- 大川俊道(脚本家、映画監督)
- 石井連蔵(元早大野球部監督)
[編集] 関連学校
- 栃木県立宇都宮高等学校(北関東旧制5大中学、※注1)
- 茨城県立土浦第一高等学校(北関東旧制5大中学、※注1)(旧制・茨城中学校土浦分校、※注2)
- 群馬県立前橋高等学校(北関東旧制5大中学、※注1)
- 群馬県立高崎高等学校(北関東旧制5大中学、※注1)
- 茨城県立下妻第一高等学校(旧制・茨城中学校下妻分校、※注2)
- 茨城県立日立第一高等学校(茨城県立水戸第一高等学校と同時期に自由服となる)
- 茨城県立水戸南高等学校(水戸南高等学校に通信制の課程をおき、水戸第一高等学校の通信制の課程を後に廃止した)
※注1: 北関東旧制5大中学には、水戸一、土浦一、宇都宮、前橋、高崎の5つの学校がある。
※注2: 現在の学校法人茨城が設置していた旧制茨城中学校とは異なる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 茨城県立水戸第一高等学校 (公式サイト)
- 茨城県立水戸第一高等学校 (ハイスクールガイド、 茨城県教育委員会発行、PDFファイル)
- 茨城県教育委員会 (学校管理者)
- 水戸一高 弓道部
- 水戸一高 クイズ研究会

