氣比神宮

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<tr> <td colspan="2" style="padding:0;background:#fff;text-align:center"></td> </tr> <tr> <th style="white-space:nowrap">社格等</th> <td style="background: #fff">式内社(名神大)・越前国一宮・官幣大社・別表神社</td> </tr> <tr> <th style="white-space:nowrap">例祭</th> <td style="background: #fff">9月2日15日(気比の長祭り)</td> </tr> <tr> <th style="white-space:nowrap">主な神事</th> <td style="background: #fff">総参祭
新年御供
御名易祭(みなかえまつり)</td> </tr>
氣比神宮
所在地 福井県敦賀市曙町11-68
主祭神 伊奢沙別命
帯中津彦命(仲哀天皇)
息長帯姫命(神功皇后)
誉田別命(応神天皇)
日本武尊
玉妃命
武内宿禰
氣比神宮大鳥居

氣比神宮けひじんぐう)は、福井県敦賀市にある神社である。旧称 気比神社笥飯宮式内社越前国一宮で、旧社格は官幣大社

715年、境内に置かれた神宮寺は最初の神宮寺として知られる。

目次

[編集] 祭神

以下の神々を祀る。

[編集] 歴史

伊奢沙別命は神代より現在地に鎮座していると伝えられる。鎮座地は北陸道日本海への海上交通の要地で、古くから北陸道総鎮守として仰がれた。仲哀天皇即位の時期は朝鮮と緊張状態にあり、天皇は即位してすぐに当社を参拝している。三韓征伐の前、神功皇后が武内宿禰・玉妃命とともに当社に祈願し、このとき気比大神が玉妃命に神がかりして皇后の勝利を予言した。三韓平定の後、皇后は子の誉田別命らを従えて参拝した。「誉田別命」という名前は、気比大神と名前を交換したものだという伝承もある旨が記紀に記載されている。

大宝2年(702年)、文武天皇の命により社殿を修造し、仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、応神天皇、玉姫命、武内宿禰を合祀した。遣唐使の海上の安全も当社で祈願された。延喜式神名帳では名神大社に列し、最終の神階は従一位勲一等であった。

北陸道総鎮守・越前国一宮として隆盛したが、南北朝時代には南朝に、戦国時代には朝倉氏についたことから社勢は衰退した。江戸時代に領主の保護を受けて再興した。

明治28年(1895年)、神宮号が宣下されて氣比神宮に改称し、官幣大社に列格した。第二次大戦後は神社本庁別表神社となった。

[編集] 外部リンク

[編集] 関連項目

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