武田百合子

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武田 百合子たけだ ゆりこ1925年9月25日 - 1993年5月27日)は武田泰淳の妻で、武田泰淳の死後に、泰淳と過ごした富士山荘での日記富士日記を出版し評価を受ける。それから多くの作品を書き随筆家として活躍した。娘は写真家武田花

各界に親交が多く、埴谷雄高村松友視大岡昇平色川武大吉行淳之介いいだもも女優加藤治子などと親しかった。

目次

[編集] 略歴

1925年(大正14年)9月25日、神奈川県横浜市で代々の富豪、鈴木家の三女として生まれる。1932年母、あさの死去。以後、大叔母みつが母代わりになる。1944年父、精次死去。

1946年、鈴木家は地主不在のため没落。百合子は行商や海音寺潮五郎の秘書などを転々とする。この頃、旺森社社長が経営する喫茶店兼酒場「ランボオ」に勤務する。ランボオは出版社社長が経営していたことから作家達が数多く集まる場であった。ここで百合子は泰淳と出会う。1948年鈴木家を出て武田泰淳と同棲する。4回の妊娠、堕胎を繰り返した後、1951年10月31日長女・花を出産。同11月、出生届と共に武田泰淳と結婚。

1953年、泰淳の実家、長泉院に転居し、泰淳の母と同居。卒塔婆書きなどを手伝う。1956年、自動車運転免許を取得。

1960年、港区赤坂に転居。自動車を購入し、泰淳の送り迎えを務める。1964年8月、山梨県富士桜高原の山荘が完成。以後、週の半分をここで過ごす。

1969年、6月10日から7月4日まで泰淳、竹内好と共にロシア諸国と北欧を旅行。この旅の日記が後年『犬が星見た-ロシア旅行』として出版される。この旅行の同乗者銭高老人は錢高組の会長である。

1971年11月27日、泰淳が脳血栓で入院。右手に障害が残ったため、これより百合子が原稿清書や口述筆記を務める。1976年10月5日泰淳が胃がん及び肝臓がんで死去。

1977年、『富士日記』を出版。富士日記は雑誌『海』の「武田泰淳追悼号」で発表された作品で、泰淳の通夜の日に編集長が頼むと快諾し、寄稿された。この作品は山荘完成から泰淳の死までの日記を清書しなおしたもので、日常の出来事から泰淳とのやり取りにいたるまでストレートに書かれている。

1979年、『犬が星見た-ロシア旅行』を出版。タイトルは、本書で近所の犬がビクターの犬のように座り星を見上げていたのを見て名付けたとしているが、村松友視の『百合子さんは何色』によるとゴールデン街の酒場のトイレで、閉て付けが悪い扉を片手で押さえながら用を足す姿から来ていると告白している。

1984年、『ことばの食卓』を刊行。1986年、弟、修の元を訪ねにドイツ訪問。

1987年、『遊覧日記』刊行。1992年、雑誌『マリ・クレール』に掲載していた『日々雑記』を刊行。この日記の中では自分の死期を悟りつつある姿が書かれている。

1993年5月7日、北里病院に入院。同27日、肝硬変で死去。享年67。

[編集] 評価

友人の埴谷雄高は彼女のことを全的肯定者と評価しており、また泰淳の口述筆記などで文章力が培われたのではなく、元々の天賦の才があったとも評価している。それは色川武大も認めており、『犬が星見た-ロシア旅行』の解説に「どうしてこんな作品が書けるのか」と彼女の選択眼を評価している。

泰淳の編集者であり作家の村松友視は『百合子さんは何色』という本を出版し、武田百合子との思い出や百合子自身のことを追及している。

また、彼女の作品は女性層に人気があり、女性誌『クウネル』創刊号にて武田花による母との思い出が執筆されると多くのファン層を増やした。

2004年2月、『KAWADE夢ムック 文藝別冊 武田百合子』が出版され、多くの文筆家が寄稿した。またこのムックではサブタイトルとして天衣無縫の文章家と彼女のことを評している。

[編集] 代表作

[編集] 参考資料

[編集] 関連項目

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