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やぐら)とは日本古代以来多くのに存在した、重層または単層の建造物。またはそれに類似した、木材などを高く積み上げた建築物(芝居小屋の櫓や、火の見櫓が知られる)や大型和船の上部構造を言う。 原義は矢などの武器や物品を納めておく倉庫であり、矢倉矢蔵兵庫などの字も当てられる。

目次

[編集] 城郭

[編集] 歴史

[編集] 起源

  1. 簡単な物見の建物が発達したものとする説。
  2. 「矢倉」・「矢蔵」を本来の呼称と見て、武器庫が発達したものとする説
  3. 「矢の坐」すなわち「弓を射る場所」が原型だとする説。

[編集] 発展

奥が江戸城伏見櫓

初期の頃は、中世の絵巻物に見られるように、篭城戦での防御・物見のための仮設の建造物としての要素が強かったが、戦国時代末期、近世城郭が築かれ始めると、櫓は礎石の上に建ち、防火と防弾を考慮して厚い土壁が塗られ、屋根で葺かれるなど恒久的建築に発展した。織田信長近畿平定の頃からは、その家臣団達の居城に築かれ始め、全国的に広まった。

[編集] 安土桃山時代

豊臣秀吉天下統一を成し遂げた天正末期より、配下の武将達により各地に築城工事がはじまったが、それらの城に櫓は少なく、構造も旧式で未発達の望楼型ばかりだった。

[編集] 江戸時代

関ヶ原の戦い後、各地に移封され、大幅に加封された外様大名達によって次々に城が建設され、既存の城もほとんどは大きな改築を施された。この時期、徳川幕府による天下普請を媒介として最新の築城技術が全国に広まった。

櫓も大きく発達し、構造は新式の層塔型が主流になり、機能では石落・狭間の増加、隠狭間の登場、など元和頃までその成長は続いた。

慶長末期になると、外様大名による築城も下火になり、幕府への遠慮からか、築城は自主的に憚られるようになった。さらに大坂の役後、1615年元和元年)7月に2代将軍徳川秀忠伏見城で諸大名に発布した武家諸法度によって新規築城が原則禁止されると、天下普請による大坂城再築や、一部の譜代大名による築城(福山城など)を除き城は築かれなくなり、櫓も次第に実戦から離れて、石落が小さすぎる例(大洲城など)も現れた。

[編集] 明治以降

明治まで、城には多くの櫓が立ち並んでいたが、明治以降の取り壊し、火災、戦災により、ほとんどの櫓は失われ、現在109棟を残すのみである。一方、天守を失った城では櫓が一番目立つ構造物であるため、天守に変わる存在感を示すこともある。例としては江戸城の富士見櫓があげられる。

[編集] 構造

櫓は天守に比べて、概ねつくりは貧弱で、使用される部材も細めのものが多い。そのため、櫓は天守より耐用年数が短く、また土蔵と同様に、厚い土壁が湿気を呼ぶため構造材が腐りやすく、多くの櫓は長い江戸時代の内に建て替えられ、創建当初の櫓は明治にはあまり残っていなかった。

大型の櫓の平面構成は、中央に身舎を設け、周囲に入側(武者走)を巡らしており、その構成は天守に近いものになっている。江戸城大坂城名古屋城など幕府と関わりの深い大城郭に建てられた櫓は、中央に設けられた身舎をさらにいくつかの部屋に区切るなど天守とほぼ同じ構成となり、規模は小規模な天守を凌ぎ、幕府権力の象徴となっていた。

地方の城郭に建てられた小型の櫓では、内部が一室で身舎と入側の区別もなく、一階の中央に1本か2本ほど独立したを立てるか、室内に1本も柱を立てないものが多かった。二重櫓と三重櫓は、天守と同じく望楼型・層塔型に区別でき、前者が旧式、後者が新式で、層塔型の櫓は慶長末期に現れた。現存例は層塔型の方が圧倒的に多い。櫓には通柱(二階以上を貫き通す柱)があまり使われず、全ての柱が一階ので止まっているのが普通だった。

[編集] 代表的な櫓の種類・名称

隅(角)櫓
曲輪の隅に配置される櫓。その方位・位置により二十四方位にちなんだ名称が与えられることが多い。たとえば東南(辰巳)に配置された櫓は、「巽櫓」など。
多聞(門)櫓
松永久秀が創築した長屋状の櫓。渡櫓とも。
三重櫓・二重櫓・平櫓
それぞれ三層・二層・一層の屋根を持つ櫓。
月見櫓
その名の通りで、戦闘用の施設ではない。

そのほか、その役割・形状・由来にちなんだ名称を持つ櫓が数多く存在する。

[編集] その他

[編集] 芝居小屋

建物中央、庇の上で藍色の幕の張ってある個所が櫓(旧金毘羅大芝居

本格的な芝居小屋では建物正面、入り口の上に櫓を設置するのが通例であった。特に江戸時代までは常設の芝居小屋には認可が必要であり、それを得ている芝居小屋は槍や梵天を飾ってその地位を示した。明治以降になっても建築様式として引継がれ、伝統的な様式を採用する芝居小屋には櫓が設置される。

[編集] 仮設の櫓

祭りや盆踊りなどの会場にするため、広場に塔状の構造物を仮設する事がある。これも櫓と言う。櫓の上で音楽を演奏したり、櫓と繋いだ縄に飾りつけをして見栄えを整える。

相撲興行の際に、寄せ太鼓(当日の興行実施を知らせる)やはね太鼓(当日興行の終わりを知らせる)をうつために作られる太鼓櫓もこれに含まれる。ただし、現在の両国国技館では、安全上の観点から、仮設ではなく常設の太鼓櫓が作られ、エレベーターも備えられている。

[編集] 火の見櫓

火の見櫓を参照。

現在では、火災が発生したときに人が登って火事現場の位置を確認するとともに、上部に設置された半鐘をたたいて音で火事の発生を知らせるための建物として使われていたり、防災行政無線スピーカーの設置塔となっていることも多い。

[編集] 将棋の矢倉

将棋の囲いには矢倉囲いがある。居飛車戦法で用いられることが多い。

[編集] トーナメント表

トーナメント戦で組み合わせが塔状に伸びていくことから、トーナメント表のことを「やぐら」とも称する。

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