横浜F・マリノス
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| 横浜F・マリノス | |
| 原語表記 | 横浜F・マリノス |
|---|---|
| 愛称 | マリノス、トリコロール |
| クラブカラー | ブルー、ホワイト、レッド(トリコロール) |
| 創設年 | 1972年 |
| 所属リーグ | Jリーグ |
| 所属ディビジョン | ディビジョン1 |
| ホームタウン | 神奈川県横浜市・横須賀市 |
| ホームスタジアム | 日産スタジアム、三ツ沢公園球技場 |
| 収容人数 | 日産ス=72,370 三ツ沢=15,046 |
| 代表者 | 斉藤正治 |
| 監督 | 早野宏史 |
横浜F・マリノス(よこはま エフ・マリノス、Yokohama F. Marinos)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。旧名称は横浜マリノス。
目次 |
[編集] クラブの概要
- 1991年、Jリーグ加盟。Jリーグ創設時からの加盟チームのひとつである。
- ホームタウンは神奈川県横浜市と横須賀市(2005年より)。横須賀市は2005年以前より、下部組織の練習会場として長年利用されていた。
- ホームスタジアムは日産スタジアムと三ツ沢公園球技場。近年は、メインとして日産スタジアムをJ1リーグ戦の大部分及びカップ戦等(AFCチャンピオンズリーグ含む)の一部に使用し、残るJ1リーグ戦の数試合(主に平日開催の試合)及びカップ戦等の大部分は三ツ沢球技場を利用している。また、国立霞ヶ丘競技場を使用する場合もある(2006年は使用なし)。
- クラブの法人事務所は横浜市西区みなとみらいにある。後述の練習場との併設である。神奈川区新子安から移転した。
- 練習場は、みなとみらい21地区にあるマリノスタウンである。2007年1月、クラブハウスなどと共に、クラブの全機能を移転した。
- Jリーグ発足時から横浜フリューゲルスとの合併までは横浜市鶴見区の獅子ヶ谷グラウンドを用いており、合併後はフリューゲルスの練習場であった戸塚区の戸塚トレーニングセンターに移転した。横浜国際競技場完成後は、日産フィールド小机(小机陸上競技場。横浜国際の補助トラック)でも練習を行っていた。
- この移転に際し、借地料がかさみ、さらに成績の低迷に伴う観客動員減などが重なった事で、2007年シーズンにおいてはクラブは緊縮財政を敷かざるを得ない状況になっている。監督を後述の早野にした理由の1つが「安く雇える」からであり、また戦力補強においても緊縮財政の煽りを受け、以前の戦力補強は金銭面に関係なく他チームより即戦力選手を中心に獲得していたが、2007年シーズンより移籍金が発生しない30歳以上の選手や高卒・大卒・ユース出身選手を中心に獲得し、世代交代と若手育成を同時に行いながら戦っていく方針に切り替えている。また、2006年シーズンまではホームゲーム入場者全員に配っていた「ハーフタイムプレゼント抽選券」を、「マッチデイプログラム購入者に限定のみに配布」する形式に変更しているなど、クラブのサービスの細かい部分にも影響が出ている。
- チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語で船乗りを意味する。「F」はフリューゲルス (Flügels) の頭文字(詳細は後述)。
- チームカラーは「青・白・赤」のトリコロール(三色)。これは元々日産自動車のコーポレートカラーであったものである。
- チームキャラクターは「マリノス君」と「マリノスケ」。ともにカモメをモチーフとしたキャラクターである。
- クラブの社長は斉藤正治(さいとう まさはる)。日産自動車で商品開発を担当していたが、2007年4月よりチーム顧問を務め、同年6月に社長に就任した。6月9日の就任会見では、挑戦者としてのリスタート・更なる地域密着・風通しの良いクラブの3本柱、2010年にはホームゲームの年間総入場者数100万人を目標とする、などの方針を発表した。
- 前社長は左伴繁雄(ひだりとも しげお 1955年10月26日- 、2001年より2007年5月末)。慶應義塾大学卒で、1979年に日産自動車に入社し、厚木研究所の人事部門など担当、事業部門にチケット販売のプロを、地元の広告スポンサーを招き、補強の原資を支え、2003・2004両年の横浜の連覇に貢献した。また、ユースやスクールを増強して生徒を就任当時のスクール生900人を、2004年12月現在3000人に増やすなど努力した。また事あるごとにオフィシャルホームページに決意文やエッセイを掲載したりもしていた。これは一部サポーターから「社長の作文」として親しまれた。
- しかし近年は、左伴の行動が地域密着やサッカー文化の熟成とは関係しないただの営利目的と受け止められる事が多い事から、サポーターとの信頼関係を損ね、上述の「社長の作文」も、2005年を最後に一度も掲載されなかった。2005年は『Colored Blue 宣言』(サポーターに青いシャツを着る事を推奨したもの。ただし、本来チームカラーは「トリコロール」=青・白・赤の三色)を発表した事、2006年3月25日の浦和レッズ戦(日産スタジアム)で本来横浜F・マリノスのサポーターにのみ許された横断幕の掲出場所を運営の都合としてサポーターの了承も無く勝手に浦和レッズに提供した事、更に同年9月9日の川崎フロンターレ戦(日産スタジアム)で自民党横浜市連に2000人分のチケット購入と引き換えにスタジアム内での政治活動を容認(一時政治家名ののぼりが立てられたがサポーターの抗議により撤去された)した事等、ピッチ外でのトラブルの原因を産み出した。これらの事を含め多くのサポーターに反感を向けられていた。なお、チーム不振の責任を取る形で2007年5月末をもって左伴は辞任した。
- 現在の監督は早野宏史。
- 2006年12月28日に早野の監督就任が正式発表されたが、早野の就任に反対しているサポーターがフロントに宛てて送った抗議のメールが700通となり、更に抗議活動として年間チケットの不買運動が行われていたとの事である。また、同時に発表となった来季のスローガン「Scramble Attack(緊急攻撃)」に関してチーム自体が緊急事態であるという解釈がされている。チーム成績が振るわないこともあり、まさにチームはスローガン通りの「スクランブル」状態となっている。
- 伝統的に優秀なディフェンダーが多く、日本代表の守備陣を多く輩出している。また、過去数年、リーグ戦での失点数の少なさにおいても上位に入っている。J2降格争いに巻き込まれた2001年シーズンにおいても、失点数はリーグ3番目の少なさだった。
[編集] エピソード・アラカルト
- 新規スタジアムの柿落とし試合をアウェイチームとして迎えることが多い。1993年のJリーグ開幕戦(対ヴェルディ川崎・国立霞ヶ丘競技場)、2001年の埼玉スタジアム2002オープニングゲーム(対浦和レッズ)、同年の札幌ドームのサッカー競技場としてのオープニングゲーム(対コンサドーレ札幌)、これまた同年の神戸ウイングスタジアムのオープニングゲーム(対ヴィッセル神戸)、2005年のフクダ電子アリーナオープニングゲーム(対ジェフ千葉)などを戦っている。しかも、これらの試合では一度も負けたことがなく、「柿落とし無敗神話」とも言われる。また、横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)においては、1998年のダイナスティカップの日本-韓国戦が柿落としであったが、Jリーグの初開催となったこの年の開幕戦・横浜マリノス-横浜フリューゲルスの「横浜ダービー」では、延長戦の末佐藤一樹(のちに吸収合併によりF・マリノスに入団)のVゴールで敗れている。命名権により「日産スタジアム」となった初戦の横浜F・マリノス-ジュビロ磐田でも、ロスタイムに福西崇史のヘディングでのゴールを喫し、敗れている。尚、このゴールは福西がジャンプをした時に伸ばしていた手に当たって決まったゴールではないのかとの疑惑が挙がった。また福西本人も手に当たった感触が有った。ラッキーなゴールだね(後日談)と語っている。(その試合で主審を務めていた岡田正義の記事も参照されたい)
- 神奈川県内の4チームで唯一J2を経験していない。
[編集] クラブの歴史
[編集] 前身
1972年、神奈川県横浜市で「日産自動車FC」を設立した。読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ1969)を参考にユース(高校生)などの下部育成組織を早くから整備。JSL1部は、79-80年に昇格。 日本初のプロ監督・加茂周のもとチームは上位を必ずキープし、1988~89年度のJSL、JSL杯、天皇杯の当時の日本サッカー主要大会三冠を達成した。 金田喜稔や水沼貴史、木村和司、井原正巳など数々の日本代表を輩出してきた。名門である読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ1969)との対決は、「黄金カード」として、Jリーグでも、人気カードとして愛されていた。しかし、2006年はヴェルディがJ2に降格、天皇杯でもヴェルディが早期敗退した為、伝統の一戦が27年ぶりに行われなかった。
[編集] 1991年~1998年(横浜マリノス時代)
1991年に、Jリーグ加盟。1993年5月15日のJリーグの開幕試合(対・ヴェルディ戦)を2-1で制した。1995年には、リーグ初優勝を果たした。
1999年に横浜フリューゲルスを吸収合併し、現在の名称となった。「F・マリノス」の「F」は、横浜フリューゲルス(FLUGELS)の頭文字から取ったものである。なお、フリューゲルスはマリノスのチーム史では傍系(別チーム)として扱われるので、フリューゲルスの優勝回数や個人賞などの記録はマリノスに通算されない。
[編集] 1999年~現在(横浜F・マリノス時代)
2000年に5年ぶりとなる1stステージでの優勝を果たしたが、2ndステージ優勝の鹿島アントラーズとのチャンピオンシップに敗れ、年間チャンピオンにはならなかった。 2001年シーズンは、主軸の三浦淳宏、柳想鉄の移籍もあって、1stステージでは15位という不本意な成績に陥り、以後、まさかの残留争いに巻き込まれてしまう。この戦績に日産の社長のゴーンが激怒。翌年、ステージ優勝または年間3位以内でなければチームを解散させる、と発言したという報道も一部あり、サッカー好きが行き過ぎた冗談とも取れたが、チーム存続の危機に立った。 しかし、その翌2002年、東京ヴェルディ1969から中澤佑二(レンタル)、ジュビロ磐田からは奥大介(レンタル)、清水範久、コンサドーレ札幌からは、ウィルなど各チームの主力選手を補強し、2002年シーズンの1stステージは2位と好発進した。この年はジュビロ磐田がJリーグ史上初の両ステージ制覇を達成したため、チャンピオンシップに出場せずに年間総合順位が2位となり、ステージ優勝こそならなかったもののゴーン社長の気まぐれ解散の可能性は消滅した。 そして2003年に岡田武史監督が就任、この年J2へと降格したサンフレッチェ広島から久保竜彦、そして翌年韓国のエースFW安貞桓などを補強し、2003年から翌2004年第1ステージにかけて、3ステージ連続優勝を達成。2004年第2ステージは浦和レッズが優勝したため、年間王者はサントリーチャンピオンシップで決める事に。浦和の圧倒的優位と予想されていたが、第1戦横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)での対戦は河合竜二がコーナーキックから先制ゴールを決め、1-0で勝利。第2戦埼玉スタジアムでの対戦は、三都主にFKを直接決められ0-1。延長戦では決着が着かず、PK戦で勝利し2年連続王者となった。しかし2005年は、期待されたACLでのグループステージ敗退、主力選手の怪我などがリーグでの成績にも影響したのか年間9位と不振であった。2006年は、元名古屋グランパスエイトのFW、マルケスを補強。またみなとみらいへのクラブ移転(『マリノスタウン』)など、名門も節目を迎えることになった矢先に、成績不振で、シーズン途中の8月に岡田監督が辞任、後任に水沼貴史コーチが監督に昇格した。それでもJ2降格を逃れるのが精一杯で、前年と同じ9位で終了した。シーズン途中で辞任した岡田監督の後任監督として就任した水沼貴史監督は天皇杯をもって辞任し、2007年シーズンより1995年~1996年シーズンを指揮した早野宏史氏が11年振りにチーム監督に就任する事が12月28日に正式発表された(奇しくも、早野は水沼が現役引退した年に、(シーズン途中からの指揮ではあるが)マリノスを優勝に導いている)。
[編集] ユニフォームについて
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[編集] 配色について
- ユニフォームのデザインは基本的に上:青、下:白、靴下:赤のトリコロールである。これは日産FC時代から続いた伝統である。
- 副は長らく上:白、下:青、靴下:白でメインとの色違いであるデザインを採用していたが、2003年以降はこの配色を取り止めた。
- 2001年は黒の第3ユニフォームが誕生した。これは海外クラブに倣いチームカラーと関係無い色調のユニフォームを取り入れたものである。尚、2003年は第3ユニフォームの採用を取り止めた。
- 2002年は上衣が青と紺のツートンのユニフォームを採用した(上:青/紺、下:白、靴下:赤) これはYC&AC(横浜カントリー・アスレチッククラブ)で使われた紺と白の概念を取り入れたものである。
- 2003年は上下靴下全て紺のユニフォームで戦った。尚、副は上:白/シルバー、下:黒(チェンジショーツはシルバー)、靴下:シルバーであった。トリコロールの封印は「名門復活なるまでは」という左伴繁雄社長(当時)の大号令に基づくものであった。この年はJリーグ始まって以来のクラブ史上最高位となる完全優勝を納めた。名門復活を果たし、翌2004年には再び伝統のトリコロールのユニフォームに戻した。
- 2007年には、前年度まで着用していたアウェイのスパルタングレー色のユニホームを廃止し、白のユニホーム、青のパンツに白ソックスという伝統的な配色へ戻した。
- 2008年シーズンより、ナイキとユニフォームサプライ契約を結ぶことが内定した、と報知新聞で報道された。史上最長となる契約期間など、破格のオファーであるという。長年親しまれてきたトリコロールのユニフォームから一新して、新しいデザインのユニフォームとなる、とされる[要出典]。
[編集] 現在のユニホームスポンサー
[編集] 過去のユニホームスポンサー
- 日本コダック(1993-98 背番号上部)
- ブリティッシュ・ペトロルフ(潤滑油)(1993-95 袖)
- ザナヴィ(1996-98 袖)
- Fuji ten (2000-2001 袖)
- Naturally Plus (2003・2ndステージ パンツ)
- GE(2003-2004 袖)
[編集] ユニホームサプライの遍歴
- 1992年~1996年 リーグ戦はミズノ、カップ戦はアディダス(デサント)
- 1997年~2007年 リーグ戦・カップ戦ともにアディダスに統一 (厳密には1998年まではデサント社、1999年以降はアディダス・ジャパン社)
- 2008年~ ナイキと8年総額30億円というJリーグ史上最高のユニフォームサプライ契約を結ぶ事で内定している。
[編集] 補足
[編集] スポンサー契約について
- フリューゲルスとの合併で日産自動車と全日本空輸の共同経営を行った後、2002年2月1日付で全日空が同社からの資本を引き揚げ(ユニホームスポンサーについては継続)日産の完全出資となったが、2005年2月1日付を持って第3者割当増資を行い、日産のほか以下の企業からの出資を受けた。
[編集] 表記略称について
- Jリーグ公式サイトでは「横浜FM」、totoでは「横浜M」である。新聞・雑誌等でも、これらに倣い「横浜FM」もしくは「横浜M」とすることが多い。「横浜F」と略した場合、基本的には横浜フリューゲルスのことを指す場合が多く、しかも横浜FCと区別が付かないため、前者は区別が付く2文字目(「横浜FM」「横浜FC」)までを表記している。後者は、前者の表記において重複する「F」の省略か、(マリノスの場合においては)以前の表記(後述)をそのまま使っているものである。
- 一部の媒体、例えば日刊スポーツ、スポーツニッポン、サッカーダイジェストなどでは、単に「横浜」と表記する。これは、横浜FCがJ2リーグに昇格するまでの2年間(1999~2000年)、横浜市をホームタウンとするJリーグのクラブがマリノスのみであったため、マリノスを「横浜」と表記していたことの名残である。
- なお、2006年まで横浜FCとは別カテゴリ(マリノスはJ1、横浜FCはJ2)に所属していたので、J1のみについて扱うなど、特に紛らわしくない場合は単に「横浜」とすることも多かった(これは横浜FCについても同様である)。
- 横浜FCが昇格し、2007年度より同じJ1に所属することになるため、一部媒体が使用する略称を変更している。例えば、スポーツニッポンは、横浜FCと同時に名前が出る記事においては「横浜M」と表記している。
- Jリーグ発足当時は「横浜M」「横浜マ」と表記するマスコミが多かった。ただし、読売新聞とフジテレビ「プロ野球ニュース」では、横浜フリューゲルスの本拠地が横浜市(ホームタウン)と九州地方(特別活動地域。長崎県、熊本県、鹿児島県)にまたがる特殊な扱いであったこと、またプロ野球ニュースでは全日空が番組スポンサーだったこともあり、やはり略称を「横浜」のみで出したことがあった(同時期読売系のスポーツ報知、日本テレビは「日産横浜(マリノス)」と表記)。
[編集] 下部組織
下部組織が非常に充実しており、横浜F・マリノスプライマリーが2006年全日本少年サッカー大会で前人未到の大会3連覇を達成。同年の大会においては横浜F・マリノスプライマリー追浜も3位入賞を果たしている。 また、横浜F・マリノスジュニアユース追浜も全国制覇を成し遂げており、ユースもプリンスリーグで優勝を成し遂げている。ユースからは能力の高い選手が多く輩出されている。
主なユース出身者は以下の通り
天野貴史、坂田大輔、栗原勇蔵、榎本哲也、田中隼磨、山瀬幸宏、飯倉大樹、ハーフナー・マイク、秋元陽太、斉藤陽介、田代真一、長谷川アーリアジャスール(以上横浜F・マリノス)、石川直宏(FC東京)、谷口博之(川崎フロンターレ)、丹羽竜平(セレッソ大阪)、鈴木健太、木村勝太(以上ヴァンフォーレ甲府)、大久保翔(ヴィッセル神戸)、鈴木達也(柏レイソル)
[編集] その他
Jリーグ発足時、同じ横浜市をホームタウンとしていたマリノスとフリューゲルスが同じ日にホームゲームを組むことがあった。しかし、Jリーグではスタジアムの芝生保護や観客入れ替えなどの観点上、1日2試合の開催を認めていなかったので、マリノスが三ツ沢(球)、フリューゲルスは九州地方(特別活動地域の長崎県・熊本県・鹿児島県の3県)または国立などで試合を行うことがあった。なお1995年以後はホームゲームの開催日が調整され、同じ日にマリノスとフリューゲルスの主催試合を重複開催することは皆無となった。
マリノスクイーンと呼ばれる広報や試合運営補助を仕事とする女性がおり、その独特な容姿から一部ファンの熱い支持を集めている。なお、マリノスクイーンは神奈川県在住・通勤・通学者から選ばれている。
[編集] Jリーグ年度別成績
| 年度 | リーグ | J1/J2 | 順位 | 成績 |
|---|---|---|---|---|
| 1993年 | サントリー | J1 | 3位 | 11勝7敗 |
| 1993年 | ニコス | J1 | 3位 | 10勝8敗 |
| 1994年 | サントリー | J1 | 9位 | 8勝14敗 |
| 1994年 | ニコス | J1 | 3位 | 14勝8敗 |
| 1995年 | サントリー | J1 | 1位 | 17勝9敗 |
| 1995年 | ニコス | J1 | 3位 | 15勝11敗 |
| 1996年 | 年間 | J1 | 8位 | 14勝16敗 |
| 1997年 | 1st | J1 | 5位 | 11勝5敗 |
| 1997年 | 2nd | J1 | 3位 | 12勝4敗 |
| 1998年 | 1st | J1 | 4位 | 11勝6敗 |
| 1998年 | 2nd | J1 | 4位 | 11勝6敗 |
| 1999年 | 1st | J1 | 7位 | 8勝6敗1分 |
| 1999年 | 2nd | J1 | 3位 | 10勝3敗2分 |
| 2000年 | 1st | J1 | 1位 | 10勝5敗0分 |
| 2000年 | 2nd | J1 | 5位 | 8勝6敗1分 |
| 2001年 | 1st | J1 | 15位 | 3勝10敗2分 |
| 2001年 | 2nd | J1 | 10位 | 6勝6敗3分 |
| 2002年 | 1st | J1 | 2位 | 11勝1敗3分 |
| 2002年 | 2nd | J1 | 6位 | 8勝6敗1分 |
| 2003年 | 1st | J1 | 1位 | 10勝3敗2分 |
| 2003年 | 2nd | J1 | 1位 | 7勝3敗5分 |
| 2004年 | 1st | J1 | 1位 | 11勝1敗3分 |
| 2004年 | 2nd | J1 | 6位 | 6勝4敗5分 |
| 2005年 | 年間 | J1 | 9位 | 12勝10敗12分 |
| 2006年 | 年間 | J1 | 9位 | 13勝15敗6分 |
| 合計 | - | J1 | - | 257勝173敗46分 |
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
[編集] 国際タイトル
[編集] 個人別タイトル
- 1993年 松永成立、井原正巳、ディアス
- 1994年 井原正巳
- 1995年 井原正巳、鈴木正治
- 1996年 井原正巳
- 1997年 井原正巳
- 1999年 中村俊輔
- 2000年 松田直樹、中村俊輔
- 2002年 松田直樹
- 2003年 ドゥトラ、中澤佑二、奥大介、久保竜彦
- 2004年 ドゥトラ、中澤佑二、奥大介
- 2005年 中澤佑二
- 1993年 ディアス
なお日産自動車時代のタイトルについてはその項参照
[編集] チームカラー
- チームカラーは青色、白色、赤色のトリコロールカラー。フランス代表のユニフォームにも似ている。
[編集] 歴代監督
- 1993年~1994年:清水秀彦(日本)
- 1995年:ホルヘ・ソラリ(アルゼンチン)
- 1995年~1996年:早野宏史(日本)
- 1997年~1998年:ハビエル・アスカルゴルタ(スペイン)
- 1999年:アントニオ・デラクルス(スペイン)
- 2000年~2001年:オズワルド・アルディレス(アルゼンチン)
- 2001年:下條佳明(日本)
- 2001年~2002年:ラザロニ(ブラジル)
- 2002年:下條佳明(日本)
- 2003年~2006年:岡田武史(日本)
- 2006年:水沼貴史(日本)
- 2007年~:早野宏史
[編集] サポーター・応援スタンスについて
[編集] 「トリパラ」
応援の必須アイテムの一つとして、トリコロールの傘、通称「トリパラ」がある。元々は2004年度Jリーグチャンピオンシップ対浦和レッズ戦用に作られたものと見られている。
当初はサポーター有志により作られていたもので、その作業には多くの時間を要したという。現在では、サポーターがグッズショップ「トリコポイント」[1]と連携して生産・販売を行ったり、チームもオフィシャルグッズの一つとして販売するなど、その認知度は高くなっている。
[編集] hamatra
サポーター有志により、hamatra(ハマトラ。Yokohama Traditionalが由来)というフリーペーパーがホームゲーム時に配布されていた。サポートソングの歌詞カードをフリーペーパーとして発展させたものであり、歌詞とともにサポーター有志によるコラムなどが掲載されていた。現在は休刊しており、その名は同名を冠したマリノス・サポーター用のSNS、「ハマトラSNS」[2]を指すことが多い。
なお、hamatraをマッチデープログラムと見る者もいるが(例: サッカーJ+ Vol.1でのホームスタジアム・日産スタジアムの紹介において、「マッチデープログラムはサポーター有志が配布」と記載)、マッチデープログラムはhamatraとは別に販売されており、その捉え方は間違いである。
[編集] トリコロール・ランサーズ
2007年、公式チアリーディングチームとしてトリコロール・ランサーズが結成された。詳細はランサーズの項を参照のこと。
[編集] チャントについて
「俺達が横浜!もう誰にも止められない!」 このチャントは1点、2点と勢いが出てきたときに、更に勢いを加速させる時に使用する。このチャントが出てきたら、相手チームは試合を諦めると言われている[要出典]。ここ最近では大分戦の5-0、新潟戦の6-0が記憶に新しい。
[編集] トラブル
2007年Jリーグ第8節(4月28日)のアウェイで行われたアルビレックス新潟戦の試合終了後、スタジアム付近の交差点にて、マリノスサポーターによる発煙筒および爆竹の使用があった。浦和レッズやFC東京などと同じく、サポーターの数が多いだけに乱闘騒ぎなどのトラブルもやや見受けられがちである。
[編集] チーム名変遷
- 1972年~ 日産自動車サッカー部
- 1991年~ 横浜マリノス
- 1999年~ 横浜F・マリノス
[編集] 関連項目
- 横浜F・マリノスの選手一覧
- マリノスタウン
- 横浜熱闘倶楽部
- TBWA/JAPAN(担当広告代理店)
- キックオフ!!F・マリノス(テレビ神奈川)
- 2003年J1・2ndステージ最終節
- 日本プロサッカーリーグ
[編集] 外部リンク
| 横浜F・マリノス - 2007 |
|---|
| 1 榎本哲也 | 2 エウチーニョ | 3 松田直樹 | 4 那須大亮 | 6 上野良治 | 7 田中隼磨 | 8 マルケス | 9 鈴木隆行 | 10 山瀬功治 | 11 坂田大輔 | 13 小宮山尊信 | 14 狩野健太 | 15 大島秀夫 | 16 吉村光示 | 17 吉田孝行 | 18 清水範久 | 19 乾貴士 | 20 ハーフナー・マイク | 21 高桑大二朗 | 22 中澤佑二 | 23 田代真一 | 25 山本郁弥 | 26 田中裕介 | 27 斎藤陽介 | 28 天野貴史 | 29 長谷川アーリアジャスール | 30 栗原勇蔵 | 31 飯倉大樹 | 32 山瀬幸宏 | 33 マルクス | 34 石原卓 | 35 河合竜二 | 36 秋元陽太 | 37 富永康博 |
監督 早野宏史 | クラブ | |
| Jリーグ 2007 | |
|---|---|
| J1 | |
|
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ | |
| J2 | |
|
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガF.C. | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖 | |
| 過去に存在したクラブ | |
| 横浜フリューゲルス | |
|
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ | |
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 横浜F・マリノス | 横浜市

