極右

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極右(きょくう)とは、極端に過激で右翼的な思想、人物、勢力を指す。対義語極左

極右と呼ばれる政治勢力の典型的な例としては、国民愛国心を強制し、全体主義を取り入れる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が挙げられる。また、現代においてドイツロシアなどでナチスを賛美するネオナチ運動や外国人排斥を訴える欧州の国民戦線(イギリス国民戦線フランス国民戦線、オーストリア自由党)や人物(ルペンハイダー)もしばしばメディアにより極右と表現される。

極左が極右に転向する事もある。その代表的な例がベニート・ムッソリーニ赤尾敏赤松克麿である。

極右は宗教右派であったり、ナチズム(国家社会主義)の信奉者であったり、“祖国の為”としてテロ等の犯罪行為を行う熱狂的確信犯的且つ愛国主義的な過激派であったり、その国々によって活動の動機や内容は違う。 他にも日本人や日本政府に批判的である者や左翼が「右翼」「極右」と呼ぶ人物や勢力は数多いが、左翼・反日側の敵対者に対するレッテルと言う意味合いもあるので注意を要する。

[編集] 日本における極右の歴史

 日本で「極右」を自称するのはネット右翼でもある瀬戸弘幸である。したがって本項目は従来の右派思想と瀬戸の極右思想の関係が中心となる。

 極右と言うことは英語に直すとneo nationalismである。ネオナチと略されることもある。それゆえ瀬戸は国家社会主義を研究してきたわけである。しかしだからといって極右がネオナチであると言う理解は一面的である。なぜならばナチズムは極右の中のごく一派でしかないということ、さらに最近の欧州における極右運動の実態を見ていないからである。ナチスは「民族」と言うよりも「人種」を重んじた。ヒトラーはむしろ「民族」と言う概念を嫌っていた。ここからもナチスが極右、もしくは右派思想の中の一断面でしかないことがわかる。

 右翼思想はさまざまな潮流をたどっている。大きく分けると三つである。国粋主義と、新保守主義と、極右である。もちろんこれらは右派思想を持った一個人においてはこの二つもしくは三つが同居しているケースが多い。しかし、国粋主義は右派思想の根幹であり、ほとんどの右派思想家がこの思想を持っているといえよう。

 国粋主義とは、保守主義とも言い表すことができるが、自国の伝統を大事にし、その伝統を顧みることにより今後の自国の道筋を決めることだ。この思想は先例主義と親和性が高い。何事も先例を見て、それにないと「伝統に反する」として猛反発する考え方である。しかし陸羯南など、保守を標榜しながら先例主義をきっぱりと拒否した人間もいる。

 次は新保守主義である。新保守主義はアメリカネオコンにその端緒を発している。徹底した反共主義で自由主義経済の熱烈な信奉者であることに特徴がある。  最後は極右である。極右は特に最近の欧州の移民問題に端を発してその勢力を大きくし、外国人問題に主張の多くを割くところに特徴がある。

 さて、戦後日本においてはこの三つの思想がどのような人びとによって主張され、どのように消長していったかを見ていく。  敗戦後、GHQは公職追放を行った。これにより戦前からあった右翼団体は全て解散を命ぜられた。その結果戦後新たにできた右翼団体、及び公職追放後に復活した団体は親米の論調を取るものが多かった。反米思想の団体もいたが、それは先鋭的な組織にとどまった。逆コース政策の中で、親米反共こそが右派のとる道と言う空気は出来上がっていった。最大の右派団体日本会議がその典型である。

 街宣右翼は時に資金繰りに困りヤクザとつるみ企業から金を巻き上げるものもいた。その結果政府や財界に甘い親米反共路線を先鋭化させていくことにも繋がった。

 それを憂いた若手から、新右翼運動が始まった。これは野村秋介鈴木邦男によって始まり、反米を明確に謳い、新左翼とも共同歩調を取ろうと画策するなど、非常に新しい動きであった。しかしこれらは野村や鈴木の人格的側面による運動という要素が強かったので、時と共に収束化していく。

 それから交代するように現れるのが親米保守と言う集団である。彼らは日本会議などにあった親米反共主義を、アメリカのネオコンの動きと対応するように強調していった。藤岡信勝八木秀次がその典型である。親米保守は街宣右翼とはきっぱり縁を断った知識人による集団となった。彼らは「新しい歴史教科書を作る会」をつくり、日本の教育界に一大旋風を巻き起こした。論壇の寵児となった彼らは「自虐史観排撃」を主張し、それは多くの右派思想を持つ人に好意的に受け止められた。しかし「つくる会」にイラク戦争により親米・反米論争が起こったことで広告塔小林よしのり西部邁の離脱、また西尾幹二、藤岡信勝と八木秀次の内紛によりその勢力を落とすと、急速にその影響力を下げた。彼らの親米性が伝統を重んじる国粋の部分まで侵食し始め、それと齟齬をきたし始めたことが最大の思想的矛盾であり、弱点であった。

 親米保守の発言力の減退と共に活性化したのが極右運動である。極右は瀬戸弘幸によって唱えられ、インターネットを機軸とするところに大きな特徴があった。瀬戸はネット右翼を「平成維新の維新志士」と位置づけ、国民の声を国政に反映させることを強く主張した。創価学会統一教会部落解放同盟在日朝鮮人、外国人問題を強力に主張する瀬戸は多くの支持層を集めた。瀬戸は「新しい風を求めてNET連合(新風連)」を設立。維新政党・新風を支持することを表明、現在に至っている。親米保守論壇が分裂、勢力を失った契機である親米、反米論争において瀬戸は「現代の薩長同盟」を主張。分裂を回避することにひとまず成功している。

[編集] 関連項目

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