木更津市

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木更津 から転送)


<tr> <td style="border-color: #aaa; border-style: none none solid; background-color: #f0f0f0; text-align: center;">市の木</td> <td colspan="2" style="border-color: #aaa; border-style: none none solid solid">ツバキ </td></tr> <tr> <td style="border-color: #aaa; border-style: none none solid; background-color: #f0f0f0; text-align: center;">市の花</td> <td colspan="2" style="border-color: #aaa; border-style: none none solid solid">サツキ </td></tr> <tr> <td style="border-color: #aaa; border-style: none none solid; background-color: #f0f0f0; text-align: center;">市章</td> <td colspan="2" style="border-color: #aaa; border-style: none none solid solid">木更津の「木」の字を円枠で囲った図案。円は港、上部は港口を表し、合わせて市民の団結と発展を意味する。(1947年12月22日制定) </td></tr>

</td><td colspan="2" style="border-style: solid none none solid; border-color: #aaa; text-align: right;">東経:139度55分12秒
北緯:35度22分21秒
市役所位置
木更津市のデータ
日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県 
団体コード 12206-8 
面積 138.66km²
総人口 122,946
(2007年2月1日)
隣接自治体 市原市袖ケ浦市君津市、神奈川県川崎市川崎区 
木更津市役所
所在地 〒292-8501  千葉県
 木更津市潮見一丁目1番地
電話番号 0438-23-7111 
外部リンク 木更津市 
位置

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木更津市きさらづし Kisarazu.City)は、千葉県中西部に位置する東京湾に面し房総半島中部の上総地方における代表的な都市の一つである。地名にを表す津の文字が用いられている通り、古代より房総半島の物流拠点である港町として発展する。

明治維新期には廃藩置県により成立した木更津県の県庁所在地として機能していた時期があり、1950年代以降の高度成長期には県の東京湾岸では京葉工業地域が発展する中、木更津市は商業都市としての性質を強め、県南地方において木更津商圏を形成し商業中心都市となるが、1990年代のバブル崩壊の影響により地域経済が低迷する。現在、東京都心への一極集中緩和を目的とする第4次首都圏基本計画に基づいて業務核都市に位置付けられ、第5次首都圏基本計画では東京圏内における広域連携拠点として整備が進められる。また、国際会議(コンベンション)推進を目的とする国際会議観光都市に認定されている。

市内の主な名所には海ほたる東京湾アクアライン)や狸囃子伝説で知られる證誠寺などが挙げられる。歌舞伎の演目『与話情浮名横櫛』の舞台として知られる他、2002年には当市を舞台にしたテレビドラマ『木更津キャッツアイ』がTBS系列で放映され話題となる。


目次

[編集] 地理

木更津市の地勢について<ref>『木更津市史』頁10「第一節 地理」より</ref><ref>『角川日本地名大辞典 12千葉県』頁1013「立地」より</ref><ref>距離情報はGoogle Earth(Ver4.0.1565)のルーラー機能を用いて概算を求める</ref>

房総半島の中西部、東京湾岸(内房)に面しており、県庁所在地である千葉市から南西約30kmに位置する。東京都心から南東に30~40kmに位置しており、東京圏の範囲に含まれる。但し、東京都心と木更津市との間に東京湾を挟む為、移動距離はこれよりも長くなる。東京湾北側を周回した場合の移動距離は70~80km程度であり、東京湾アクアラインを利用した場合は45km程度である。

隣接する自治体

市域は東西に長く広がっており、市の東部は山地、西部は平地と地形の性質が異なる。市中西部(木更津地区、清川地区)は東京湾に面しており、東京湾へ流れ込む複数の河川により沖積平野が形成する。また、東京湾臨海地区は木更津港南岸から君津市、富津市に掛けて工業用埋立地となっている。市北部(岩根地区、金田地区、中郷地区)では泥層を主とする田園地帯が広がり、木更津駅から千葉方面に向かって走る列車の車窓からはハス田が確認できる。市南部(波岡地区、鎌足地区)を中心に洪積台地が形成され、住宅地として整備されている。特に鎌足地区ではかずさアカデミアパーク構想における研究開発拠点としての整備が行われている。市東部(富来田地区)は、小櫃川流域では田園地帯を形成し、房総半島内陸部の特徴として見られる房総丘陵の山林が広がっている。

市の主な河川として、県内では利根川に次いで2番目に長く総延長88㎞の小櫃川がある。小櫃川は君津市、袖ケ浦市、木更津市の3市を貫流し、市内では東部から北部にかけて流れ下り東京湾へと注いでいる。また、小櫃川河口付近では1,400ha程の盤洲干潟が形成されている。市内には特に高い山が無く、最も高い場所でも標高200m程度である。

市域<ref>市域の延長は木更津市公式ホームページ「市のプロフィール」より</ref>
  • 東西:21.98km
  • 南北:14.54km
自然

市街地は木更津地区に位置している。木更津地区には市役所警察署図書館等といった公共施設が集中し、市の玄関口に該当する木更津駅木更津港が存在する。市役所から北東約1.2km程の位置に木更津駅がある。木更津駅から西に約1.0km程の位置には重要港湾として指定されている木更津港がある。1997年以前、木更津港から川崎港までを結ぶカーフェリーが主要交通機関として機能していた事から、商業の中心地区は木更津駅西口と木更津港を結ぶ地区を中心に形成されていた。しかし、アクアライン開通により主要交通機関がフェリーから高速バスに替わったことを契機に、館山自動車道東京湾アクアライン連絡道に接続する国道16号沿いに量販店が店舗を構えるようになる。

市内各地区の風景

[編集] 地域

[編集] 人口

市制が開始された当初はおよそ3万人の人口であった。市制開始以降は近隣の町村との合併により人口増加を続け、1971年に富来田町と合併した時点で人口が86,335人となる。1960年代に入ると県内では内房地域の市町村を中心に、海岸線を埋め立て工業地として整備し、重化学工業メーカーが多数進出する。木更津市においても関連企業の転勤者およびその家族が転入し人口が著しく増加する。1976年には人口10万人を突破し県内で9番目の10万人都市となる。1985年には人口12万人まで増加するが、1990年代に入ると増加傾向にあった人口推移はピークを迎え、横ばい、減少傾向へと変わり始める。

人口推移 <ref>『木更津市統計書 2002年度版』頁5「7.人口と世帯の推移」よりグラフ化</ref>

総数 [単位: 人]

各年10月1日現在

1942年 33,817 (市制開始)
1950年 37,901
1955年 51,741
1960年 52,689
1965年 54,928
1970年 73,319
1975年 96,840
1976年 100,132 (10万人突破)
1980年 110,711
1985年 120,201
1990年 123,433
1995年 123,499
2000年 122,768
2005年 123,355


人口構成


木更津市と全国の年齢別人口分布図(比較) 木更津市の年齢・男女別人口分布図
紫色は木更津市
緑色は全国
青色は男性
赤色は女性
総務省統計局 平成17年国勢調査より

[編集] 区分

地区(◎は市役所位置):
1.木更津地区、2.岩根地区、3.清川地区、4.波岡地区
5.鎌足地区、6.金田地区、7.中郷地区、8.富来田地区

人口統計マスタープランの策定などにおいて、市内を市制施行以前の町村区分で大まかに地域区分し、各地域の特色を示す事がある。また、1889年町村制が施行される以前の区分は、そのまま大字として残る。


難読・異読地名 <ref>市の大字の中から『難読・異読辞典』を参考に抜粋</ref>

吾妻(あづま)、犬成(いんなり)、茅野(かやの)、祇園(ぎおん)、畔戸(くろと)、下内橋(げないばし)、幸町(さいわいちょう)、新田(しんでん)、築地(つきじ)、真里(まり)、真里谷(まりやつ)、望陀(もうだ)


地区 大字・町名
木更津地区 木更津、新田、幸町、中央、東中央、貝渕、吾妻、富士見、新宿、請西、請西東、請西南、文京、真舟、大和、桜井、桜井新町、桜町、太田、東太田
岩根地区 万石、高砂、久津間、岩根、西岩根、江川、中里、高柳、本郷、坂戸市場、若葉町
清川地区 椿、笹子、犬成、日の出町、中尾、菅生、祇園、清川、永井作、長須賀、朝日、伊豆島、清見台、清見台東、清見台南、ほたる野
波岡地区 畑沢、畑沢南、港南台、小浜、大久保、上烏田、八幡台、中烏田、下烏田、羽鳥野
鎌足地区 矢那、かずさ鎌足、草敷
金田地区 中野、牛込、中島、瓜倉、畔戸
中郷地区 大寺、下望陀、上望陀、有吉、牛袋、牛袋野、曽根、井尻、十日市場
富来田地区 真里谷、真里、下内橋、戸国、茅野、茅野七曲、山本七曲、大稲、田川、佐野、下郡、下宮田、根岸、上根岸
埋立地 他 潮見、潮浜、木材港、新港、築地、、北浜町、中の島、海ほたる(中島地先)

[編集] 教育

[編集] 社会教育施設

  • 市民センター
    • 木更津市民会館
    • 木更津駅前ホール
  • 公民館
    • 中央公民館 - 岩根公民館 - 岩根西公民館 - 金田公民館 - 鎌足公民館 - 中郷公民館 - 富来田公民館 - 文京公民館 - 八幡台公民館 - 東清公民館 - 清見台公民館 - 西清川公民館 - 畑沢公民館 - 富岡公民館 - 波岡公民館 - 桜井公民館
  • 図書館
    • 木更津市立図書館
  • 博物館
    • 上総博物館

[編集] 学校教育施設

  • 中学校
    • 市立中学校
      • 金田中学校 - 岩根中学校 - 岩根西中学校 - 中郷中学校 - 清川中学校 - 太田中学校 - 木更津第一中学校 - 木更津第二中学校 - 木更津第三中学校 - 鎌足中学校 - 富来田中学校 - 波岡中学校 - 畑沢中学校
    • 私立中学校
  • 小学校
    • 市立小学校
      • 金田小学校 - 岩根小学校 - 高柳小学校 - 中郷小学校 - 請西小学校 - 祇園小学校 - 木更津第一小学校 - 木更津第二小学校 - 清見台小学校 - 東清小学校 - 西清小学校 - 南清小学校 - 鎌足小学校 - 八幡台小学校 - 富岡小学校 - 馬来田小学校 - 波岡小学校 - 畑沢小学校
    • 私立小学校
      • 暁星国際小学校

[編集] 他の自治体との関係

[編集] 近隣自治体

かつては4市を併せた範囲でもって君津郡が設置されていた経緯があり、歴史的・行政的に関係が深い。2000年代に入り日本国内の各地で市町村合併の気運が高まる中、青年会議所を中心に4市の合併に向けた活動が行われる。各市に対して合併協議会の設置請求を行うが、袖ケ浦市議会において否決された事で不成立になる。もし合併が実現した場合には人口が30万人を超え、中核市としての用件を満たすことになる。新市名には、県庁所在地との位置関係から南千葉市、旧国名の上総を用いて上総市(またはひらがなで、かずさ市)などが検討されていた。

[編集] 姉妹都市

1990年6月29日 木更津市姉妹都市調印団が渡米し、オーシャンサイド市において姉妹都市提携に調印、8月14日には、オーシャンサイド市調印団を招き木更津市でも調印をした。

[編集] 政治

[編集] 市政

木更津市役所(2006年12月31日撮影)

[編集] 三役

  • 市長 水越 勇雄(2期目、2006年3月26日再選)
    • 助役 川畑 喜代志
    • 収入役

[編集] 歴代市長

  • 石川 善之助 (1943年3月11日 - 1946年11月6日)
  • 山崎 直 (1946年11月12日 - 1955年4月2日)
  • 浜名 儀三 (1955年5月1日 - 1963年4月30日)
  • 荻原 孫太郎 (1963年5月1日 - 1967年4月30日)
  • 北見 日吉 (1967年5月1日 - 1979年4月30日)
  • 石川 昌 (1979年5月1日 - 1995年4月30日)
  • 須田 勝勇 (1995年5月1日 - 2002年2月20日)
  • 水越 勇雄 (2002年3月31日 - 現在)

[編集] 行政区域変遷

年月日 現木更津市市域に関連する行政区域変遷
1889年(明治22)4月1日 明治憲法下による町村制の実施により、望陀郡50村、周淮郡6村から1町9村が発足する

望陀郡(1町8村)木更津町、真舟村、清川村、巖根村、鎌足村、金田村、中郷村、馬来田村、富岡村

周淮郡(1村)波岡村

1933年(昭和8)4月1日 君津郡真舟村が木更津町に編入される
1942年(昭和17)11月3日 木更津町、清川村、巖根村、波岡村が合併し市制開始。木更津市が成立する
1954年(昭和29)11月3日 君津郡鎌足村が木更津市に編入される
1955年(昭和30)2月11日 君津郡金田村が木更津市に編入される
1955年(昭和30)3月1日 君津郡中郷村が木更津市に編入される
1955年(昭和30)3月31日 富岡村の一部(田川、佐野、下郡、根岸、上根岸)と馬来田村が合併し富来田町が成立する
1971年(昭和46)9月10日 君津郡富来田町が木更津市に編入される

[編集] 政策

木更津業務核都市基本構想 <ref>木更津市公式ホームページ「政策プラン・財政」の「基本構想」より</ref>

東京圏への一極集中を打開し大都市問題を解決する目的の為、東京圏近郊都市の中から地域の広域中心都市となるべき都市を業務核都市として指定し、東京都の持つ業務機能や商業、医療等といった諸機能を請負い、担うための整備・育成を行う。「第4次首都圏基本計画」(1986年6月決定)により、千葉県では千葉市成田市千葉ニュータウン、木更津市の3地域が業務核都市として位置付けられる。「第5次首都圏基本計画」(1999年3月)では新たに「分散型ネットワーク構想」が方針に盛り込まれ、柏市を含めた4地域について広域連携拠点としての整備を進める。

1992年3月には木更津業務核都市基本構想が策定され承認を受ける。その概要は次の通り。

  • 県南地域の広域中心都市として認知されると共に、業務核都市としての形成を行う
  • 東京湾アクアラインや首都圏中央連絡自動車道により、交通網を整備・強化して他の業務核都市との連携を図る
  • 木更津駅、木更津港を中心とする市街地を木更津都心地区(約195ha)として、商業、金融、医療等の諸機能の集約し、業務核都市の中心地区として整備を行う
  • かずさ鎌足に整備された、かずさアカデミアパーク地区(約278ha)を中心に研究施設や学術施設、国際会議施設など複合機能を有した施設を集約して、国際水準に対応した研究開発拠点の機能を有する

[編集] 財政

市の財政について<ref>総務省発表『地方財政分析 平成16年度決算』より</ref>、歳入減と歳出増と状況として悪化の傾向をたどっている。歳入減の要因として住民税固定資産税による税収の減少が挙げられ、歳出増の要因には市の高齢者人口の割合の増加による扶助費の増加が挙げられる。

一時期と比較し、東京湾横断道路建設やかずさアカデミアパーク整備のような大規模公共事業が少なくなり、歳出に占める公共事業費の割合は減少しているとは言え、このまま従来型の財政運用方法を改善しなくては市の財政が破綻し、財政再建団体に転落する可能性がある事が懸念されている。その為、市では財政政策として行政改革5か年プランを策定し、歳出削減および歳入の確保を目指して財政の健全化を図っている。

財政力指数

財政力指数はここ3年間で微増し0.81となっている。市税の減収はあるものの、人員の見直しや公共事業を見直して歳出削減に努めた事が要因として挙げられ、全国市町村平均(0.47)および県内市町村平均(0.66)を上回っている。

経常収支比率

経常収支比率は89.0%であり、全国市町村平均(90.5)および県内市町村平均(91.4)を下回るものの、一般財源の減少や生活保護世帯の増加、福祉関係費の増加といった要因により年々数値は悪化傾向にあり、前年度と比較すると+2.8ポイント増加している。

ラスパイレス指数

ラスパイレス指数は100.4と著しく高く、国の給与水準を大きく上回っている。これは勤続年数の長い職員の給与水準が高く、また職員の年齢層もその年代に集中している事が要因として挙げられる。

[編集] 行政機関

警察

  • 警察署
  • 交番・駐在所
    • 岩根駅前交番 - 小浜交番 - 木更津駅前交番 - 清見台交番 - 長須賀交番 - 江川駐在所 - 金田駐在所 - 桜井駐在所 - 中郷駐在所 - 波岡駐在所 - 馬来田駐在所

消防

  • 木更津市消防本部(管轄:木更津市)
    • 消防署本署 - 長須賀分署 - 富来田分署 - 金田分署 - 高柳出張所 - 波岡出張所 - 清川出張所

[編集] 市議会

市議会は市民の中から選挙により選出された議員によって構成されている。議員の任期は4年。議員定数は木更津市議会議員定数条例に基づき30名と定められている。地方自治法第91条で議員定数として定める事のできる上限数は、人口10~20万人の市である木更津市の場合、34名迄である。

[編集] 会派の構成

会派名 代表者 議席
市政会 滝口敏夫 11
正栄会 前田清治 5
新栄会 野田芳久 3
公明党 西勝義 3
(無会派) 7
29

(2006年6月現在 ※1名欠員)

[編集] 委員会

  • 常任委員会
    • 総務企画消防常任委員会
    • 経済環境常任委員会
    • 教育市民福祉常任委員会
    • 土木都市水道常任委員会
  • 議会運営委員会
  • 特別委員会
    • 議会広報特別委員会
    • 基地対策特別委員会
    • 業務核都市拠点地区対策特別委員会
    • 合併調査特別委員会
    • 予算審査特別委員会(必要に応じてその都度設置)
    • 決算審査特別委員会(必要に応じてその都度設置)

[編集] 裁判所

木更津市新田に千葉地方裁判所および千葉家庭裁判所それぞれの木更津支部が設置されており、千葉地方裁判所 木更津支部には簡易裁判所が設置されている。千葉地方裁判所 木更津支部は内房地域を管轄しており、管内で発生した民事訴訟刑事訴訟の合議事件を取り扱う。千葉家庭裁判所 木更津支部では家事審判および少年審判を取り扱う。

司法機関

[編集] 経済

[編集] 状況

バブル崩壊以降、木更津市の経済状況は停滞気味である。

太平洋戦争中は軍関連の施設が設置されることで人口が増加し、軍都として発展していった。戦後の高度経済成長期には千葉県の内房地域が京葉工業地域として発展する経緯の中、市の臨海部で埋立が行われ木更津港は工業港として整備される。そのような状況の中、隣の君津市には八幡製鉄所が誘致され、君津市と接する市南部を中心に製鉄所関係者とその家族が移住し人口が著しく増加する。人口増加を契機に経済活動が活発になり、木更津駅を中心に大手販売店であるそごうダイエー西友などが進出し、木更津商圏が形成され県南部の商業都市として発展する。

昭和50年代後半に入り千葉県で千葉新産業三角構想が策定され、木更津市はかずさアカデミアパーク構想の母都市(他に君津市、袖ヶ浦市、富津市を含む)として位置付けられる。鎌足地区の丘陵地帯に研究開発拠点の整備が行われ、民間を中心とする研究機関の誘致が行われる。昭和60年代前半、首都圏の大都市問題緩和を目的とする木更津業務核都市構想が計画される。歴史的経緯としてかつて木更津県県庁が存在した事、県南部の経済の中心として認識されている事、かずさアカデミアパーク構想等により、業務核都市として位置付けられ整備が行われる。その一環として東京湾横断道路建設が計画に含まれる。

東京湾横断道路建設にあたり当初の事業計画では、対岸の川崎市横浜市東京など京浜地区への交通の便が良くなる事で人の交流や物流が頻繁になり経済活動に好影響を与えると予想され、住宅購入者の増加や企業進出の増加などが見込まれていた。ところが実際に開通してみると事業計画とは正反対の結果となり、当初考えられていた地域振興や発展にはつながらず、逆に経済活動が混迷する事になる。

人口増加や産業発展を見越して計画されていたかずさアカデミアパークや宅地造成地では売れ残りの区画が目立つ状態であり、小売業では都心の業者と否応無しに競争を強いられ購買客の流出が顕著になり、商圏の吸引力低下により商業中心都市から準商業中心都市に格下げられる。<ref>千葉県商圏調査報告書では平成3年度版では商業中心都市とされていたが、平成6年度版には準商業中心都市に格下になっている(『千葉県の歴史 別編 地誌2 地域誌』頁206より、千葉県商圏調査報告書は千葉県ホームページ千葉県商工労働部経営支援課のページからでも閲覧可)</ref><ref>木更津商圏地域の市町村は木更津市、君津市、袖ケ浦市、富津市、鋸南町(平成13年度商圏調査報告書より 千葉県ホームページ千葉県商工労働部経営支援課)</ref>アクアラインには鉄道が併設されず道路のみでかつ高額な通行料のため、期待されていた東京のベッドタウンとしての需要がほとんど発生しておらず、また京浜地区と県南部間の通過点となってしまい、結果的としてストロー効果が発生する。

上記ストロー効果に加え、バブル崩壊による国内の景気低迷の影響により、東京湾横断道路完成を見越して上昇傾向にあった駅前商店街の地価は、1991年のピークを境に著しく下落。1999年から2003年にかけて東京圏における地価下落率の1位<ref>国土交通省『土地総合情報ライブラリー』「地価公示(記者発表資料)」より</ref>となる。また、商業地域への影響は大きく、木更津そごうやダイエーのような駅前商店街の中心的存在であった大型店舗が相次いで撤退する。その事により集客力を失った駅前商店街は閑散とし、閉店する店舗が相次いで続出し、そのことも地価に影響する。

現状の活動として、行政では平成10年に議決された木更津市基本構想において産業発展と国際交流が課題として挙げられており、交通網の整備と物流の強化、雇用の確保と人口増加、市民生活の充実、経済活動の活性化を目標とした基本計画を策定し実施している。また、駅前の中心的な建物であった西口再開発ビル(アインスビル)にはそごう撤退後、8階の空フロアに市民の企業活動支援を目的としたチャレンジセンター(チャレンジセンター Let's木更津)や、情報通信環境を備えた共同利用型のテレワークセンターを開設し地域活性化に向けた活動が行われ、2004年4月にアクア木更津という新名称で再オープンした。

[編集] 産業

産業別就業者数の総数は61,106人であり、全体の比率の中では第3次産業が7割近くを占めている。また、分類別で就業者数上位5位を挙げるとサービス業 16,596人(27.2 %)、卸売小売業 13,977人(22.9 %)、製造業 8,692人(14.2 %)、建設業 7,918人(13.0 %)、運輸通信業 4,631人(7.6 %)の順に多い。<ref>『木更津市統計書 2002年度版』頁10-11による</ref>

市内の産業別事業社数上位5位は卸売・小売業 2,533(47.8 %)、サービス業 1,532(28.9 %)、建設業 584(11.0 %)、製造業 248(4.7 %)、不動産業 150(2.8 %)である。

産業別従事者数(平成12年10月1日現在)

事業所数(個人、会社総数)(平成13年10月1日現在)

[編集] 農業

木更津市の農業は稲作が中心であり、小櫃川流域を中心に水田が広がっている。一部では野菜や施設園芸といった都市近郊型農業に従事している農家も見られる。現在の農業情勢としては減少傾向<ref>昭和60年の農家戸数が3,217戸に対し、平成17年は1,873戸に減少している(『木更津市統計書 2002年度版』頁26および『市政の概要 平成18年度版』頁107の調査報告を参考)</ref>にあり、消費者ニーズに対応した農業経営への転換、従事者の高齢化、後継者問題などの諸問題を抱えている状況である。

農家数・耕地面積(平成17年2月1日現在)<ref>『市政の概要 平成18年度版』頁107より</ref>

  • 農家数 1,873戸(農家人口 6,011人)
  • 経営耕地面積 1,593ha
    • 田 1,350ha
    • 普通畑 180ha
    • 果樹園 62ha

[編集] 水産業

東京湾内の海岸線が埋め立てられ工業地化する中、木更津市の海岸線では遠浅の砂泥干潟が形成いることから、浅海漁場として海苔養殖や貝類養殖が行われている。特に海苔養殖については全国でも有数の産地であり、富津市と共に江戸前海苔の産地として認知されている。

あさり・乾燥海苔生産状況(平成17年度)<ref>『市政の概要 平成18年度版』頁112より</ref>

  • 乾燥海苔
    • 共販枚数 86,234千枚
    • 金額 849,098千円
  • あさり
    • 水揚げ量 2,019トン
    • 金額 711,100千円

[編集] 商業

木更津市は古くより南房総の物流拠点として発展し商業中心都市として商圏を形成するに至るが、バブル崩壊による不景気が影響し商店数の減少<ref>平成6年次が商店数1,721件に対し、平成16年次には1,435件に減少それに伴い年間販売額も減少の傾向が見られる(『市政の概要 平成18年度版』頁114より)</ref>が見られる他、近隣都市の商業施設の増加や消費者ニーズの多様化などの要因が重なり、地元購買力や顧客吸引力の低下が見られる。東京湾アクアライン完成以前は市の玄関口にあたる木更津駅から木更津港にかけて商業地が集中していたが、以降は郊外に店舗が集まる郊外型への転換が見られ、木更津駅前を中心とする中心商業地の空洞化が顕著となる。

商業統計(平成16年6月1日現在)<ref name=shisei_h18_P114>『市政の概要 平成18年度版』頁114より</ref>

  • 商店数 1,435件(従事者数 10,731人)
    • 卸売業 315件
    • 小売業 1,120件
  • 年間総販売額 2,714億円

[編集] 工業

木更津市は京葉工業地域<ref>木更津市は工業都市の性質よりも商業都市としての性質の方が高い。京葉工業地域に含まれる他の近隣市町村では工場群立地による税収が見込まれ、財政力指数が地方交付税不交付団体の条件である1.00を越えているのに対し、木更津市は0.81である。</ref>に含まれており、木更津港重要港湾に指定され工業港として発展する。隣接する君津市に新日本製鐵所が立地する関係により、市内には関連の企業が立地する。鎌足地区をかずさアカデミアパークとして研究開発型企業の誘致を進めているが、誘致は難航し使用されていない区画も見受けられる状況である。

工業(製造業)統計(平成16年12月31日現在)<ref name=shisei_h18_P114/>

  • 事業所数 100(従業者数 3,546人)
  • 製造品出荷額等 3,661億円

[編集] 主な企業

[編集] 歴史・伝承

[編集] 歴史

木更津と言う地名の由来について、如月の津が転じて木更津になった、木足らずが訛り木更津になったと諸説あるが、一般的には倭建命伝承の一説、君不去(きみさらず)が元になっているというのが通説である(下記の伝承の項参照)。木更津という地名が使われ始めたのは、最も古い文章で1353年(文和2年/正平8年)に記された文献<ref>藻原寺(茂原市)の文書『仏堂伽藍記』(『角川日本地名大辞典 12千葉県』頁1014より)</ref>で木佐良津と記されている。ただし、当時の江戸湾沿岸を代表する港は木更津の北にある高柳(現在の木更津市高柳)や富津であったと考えられており、1576年に江戸湾沿岸の諸港に半手(戦国期に領土を争う両勢力が紛争地の租税を暫定的に半分ずつにする事)を認めた北条氏規朱印状には内陸化した高柳に代わって江川や葛間(現在の久津間、江川とともに木更津市)の名前はあるものの、木佐良津の名前はないため、当時は租税を取る程ではない小さな漁港に近かったと推測されている。

古事記』や『日本書紀』によると、倭建命が東征の折にこの地方に立ち寄ったと記されており、この事象が元となった地名が随所に見られる。しかしこれらの文献の歴史書としての正確性を考慮すると倭建命という人物は伝説上の架空の人物であり、事実というよりも創作と見解つけるのが妥当である。ただしこの一説を完全否定するのではなく、歴史的に考察するとこの地方には倭王権に敵対する勢力が存在していた事を示しているという説がある。事実、小櫃川流域を中心とする地域には支配階級にあたる豪族(国造)が存在していたとされ、それを証明する古墳群が形成されている。奈良時代の文献には小櫃川流域一帯(現在の木更津市、袖ヶ浦市、君津市の一部に相当)を馬来田国として記されており、この地方を馬来田国造という豪族が支配していたと記録されている。1950年(昭和25年)市内長須賀の金鈴塚古墳(二子塚古墳)の発掘調査が行われる。この古墳は6世紀後半頃に造られたものとされ、馬来田国造の一族のものとされる。この古墳からは太刀や銅容器・武具・古墳名称の元となる純金製の5つの金鈴などが出土されている。

1456年(康正2年)頃上総武田氏の祖である武田信長上総守護代となり、上総地方進出の足がかりとして真里谷城を築城する。以降、真里谷城は庁南城(千葉県長生郡長南町)と並び上総武田氏の居城として繁栄する。武田信長の子孫の内、真里谷城を拠点とするものは真里谷氏を名乗り戦国大名化する。真里谷氏は一族の内紛と第1次国府台合戦の末に勢力が衰退し、上総地方の支配者も真里谷氏から里見氏北条氏へと移り変わる。1590年(天正18年)真里谷城は豊臣秀吉小田原の役で侵攻された後、廃城になる。現在、真里谷城跡はキャンプ場(少年自然の家)として利用されている。

1614年(慶長19年)大坂冬の陣に木更津の水夫24名が徳川幕府方について戦功を上げる。その水夫の功により幕府は、江戸-木更津間での渡船営業権や江戸の日本橋に「木更津河岸」を拝領地として与える等の特権を与える<ref>『木更津河岸旧記 解読』頁18より</ref>(ただし、その根拠とされている現存文書は史実と矛盾する内容が含まれており、今日では偽文書と考えられている。もっとも、元和年間(1615年)以後に幕府が木更津に代官を置いた記録は確認できるため、これに近い事実はあったと考えられている)。幕府は軍事上の目的から主要河川に橋を架けることを禁止し陸路には至る所に関所を設ける政策を採っていた為、この時代の流通手段は水運が主流になる(河岸を参照)この特権により木更津は安房・上総-江戸間との海上輸送を取り扱う流通拠点として急激に発展する。運送には喫水が浅く海川両用の五大力船が用いられた。木更津から江戸にやってくる五大力船は通称木更津船と呼ばれ、安藤広重の浮世絵にも描かれている。歌舞伎の演目『与話情浮名横櫛』は江戸期に木更津で実際に起きた事件がモチーフとなっており、当時の港町木更津の様子を垣間見ることができる。

江戸時代末期の1825年(文政8年)幕府の旗本であった林忠英は3,000石の加増を受けた事により1万石の大名として諸侯に列し貝淵藩を立藩する。陣屋を望陀郡貝淵村に設けられるが、2代目藩主の林忠旭の時代に請西村に移し、以降同藩は請西藩と称するようになる。請西藩は、最後の藩主である4代目林忠崇が藩主自ら脱藩し明治政府の東征軍に抵抗したことが朝敵行為とされ、1868年(明治元年)幕府方諸侯の中で唯一改易処分を受ける。

明治新政府樹立後、1868年(明治元年)改易となった請西藩の替わりに松平信敏が上総国貝淵に移封し1万石で桜井藩が立藩する。1871年(明治4年)廃藩置県施行により8月には桜井藩は廃藩となり桜井県が設置、11月には桜井県を含む旧安房国・上総国に相当する木更津県が設置される。木更津県設置にあたり県庁が貝淵村に設置される。木更津県が存在したのはわずか2年足らずで、1873年(明治6年)には廃止し、印旛県と合併し千葉県となる。

日本国内が軍国主義にある1930年代、木更津は軍都として発展する。1935年(昭和10年)当時の大日本帝国海軍が帝都防衛を目的として、木更津港北側を埋め立て木更津海軍航空隊を設置する事を決定し、1936年(昭和11年)4月1日に開隊式が行われる。1941年(昭和16年)には同航空隊の北東、君津郡巖根村に海軍工廠(第二海軍航空廠)が設置される。その経緯の中、木更津町、巖根村では工員とその家族が多く移住し、急激な人口増加による住宅不足の問題に直面する。その為、木更津町、巖根村、清川村の3自治体を中心に合併協議が進められる。後に協議に加わった波岡村を含める4自治体の人口の合計が当時の市制施行条件である3万人を越すことが人口調査の結果で判明し、1942年(昭和17年)より木更津市として市制を開始する。太平洋戦争が終結した1945年(昭和20年)軍事関連施設は米軍の管理下に置かれ、1968年(昭和48年)からは陸上自衛隊の駐屯地、海上自衛隊の補給所として利用されている。

1961年(昭和36年)君津市が八幡製鉄所(現新日本製鐵君津製鐵所)を誘致する。製鉄所は木更津港南岸から君津市の東京湾臨海部の範囲を埋め立てて、その上に立地される。木更津市内には同社の関連企業が進出し、八幡や釜石、室蘭などからの製鉄所関係者及びその家族が転勤によって移住し人口が急激に増加する。市南部の波岡地区を中心に同製鉄所の団地が造成される。

1983年(昭和58年)千葉県において千葉新産業三角構想が策定される。木更津市は新産業三角構想でかずさアカデミアパーク構想の中核として国際水準に対応した研究機関の拠点として位置付けられる。1991年(平成3年)より鎌足地区において第一期区画整備が進められ、1994年(平成6年)にはかずさDNA研究所が開設する。1996年(平成8年)第一期区画整備で計画されていた278ヘクタールについては基幹整備がほぼ完了し、民間の研究所を中心に立地が進められる。<ref>『千葉県の歴史 別編 地誌2 地域誌』頁211-213 参考</ref>

[編集] 沿革

[編集] 伝承

千葉県には倭建命源頼朝に関連する伝承が多いという特徴が挙げられる。この特徴は木更津市においても同様であり、市内には関連する伝承が今に伝えられている。『古事記』や『日本書紀』、『風土記』の一説において倭建命伝説が扱われており、木更津市は倭建命が上総国に渡る場面の舞台として記されている。源頼朝伝説は、源頼朝が伊豆で挙兵したものの平氏との合戦に敗れて安房に逃れ、房総半島の諸勢力の力を得て再起したという歴史的経緯<ref>源頼朝が安房に逃れてから鎌倉に至るまでの経路は定かとされておらず、木更津を通過したか否かは推測の域を出ない。</ref><ref>文献に見られる頼朝の経路として、『吾妻鏡』によれば安房勝山から鴨川に出て、長狭街道を西に花立峠(木之根峠)を越えて上総国入りしたとされ、この経路を辿れば富津市に出ることになる(『木更津市史』 頁1056より)『義経記』では富津市の地名の後「きさうとの浜(木更津と思われる)」「開発(貝淵と思われる)」と木更津市と関連するだろうと思しき地名が記述されている(『角川日本地名大辞典 12千葉県』 頁1014より)</ref>の中から派生したものである。また、童謡証城寺の狸囃子のモチーフとなった、市内の證誠寺に伝わる『證誠寺の狸伝説』が有名である。

倭建命の東征
倭建命の東国征伐のこと。船で上総国に渡ろうとした時に一行は海上で嵐に襲われる。そして倭建命の妻、弟橘姫は海に身を投じることで嵐を静めようとする。弟橘姫の祈りが通じたのか嵐が収まり一行は無事に上総国に渡る事ができた。それから倭建命はこの地に暫らく留まり弟橘姫のことを思って歌にした。「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」 この歌の一節君さらずが転じて、木更津という地名となったと伝えられている。
市には吾妻という地名があるが、倭建命が弟橘姫を偲んで「吾妻はや(我が妻よ)」と言った故事に由来するとされている。市内には吾妻神社という神社が存在し倭建命と弟橘姫が祀られている。またこの地域には吾妻、我妻を姓とする人がおり、これも倭建命伝説に由来しているとされている。
源頼朝伝説<ref>『木更津市史』頁1056 「木更津における源頼朝伝説」より</ref>
石橋山の戦いで平家に敗れた源頼朝がこの地方に立ち寄った際に見かけた竹林があまりにも立派だったため、この竹を源氏の旗竿にすることにした。以降この地を旗竿村と呼ぶようになった。伝承では市内の畑沢<ref>市内畑沢の波岡寺境内に埋没していた石碑に「旗竿村」と記されている(『木更津市史』 頁147「畑沢集落と旗竿村」より)</ref>という地名はこの旗竿村に由来するとされている。また、草敷という地名についても頼朝が刈草を敷いて休息をとったという言い伝えが元になっている。
源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり、市内の八剱八幡神社に神領を寄進して社殿を造営したという伝えがある。
證誠寺の狸伝説
市内の證誠寺に伝わる伝説で、童謡『証城寺の狸囃子』はこの伝説を元に作られた。童謡は『しょ しょ しょうじょう寺~♪』と軽快なリズムの明るい曲だが、昔話として伝わる狸伝説は「秋の夜に和尚と何十匹ものが寺の庭で囃子合戦をした挙句、夜が明けたら調子を取っていた狸の親分が腹を破いて死んでいた」という面白くも悲しい話である。

[編集] 名所・イベント

[編集] 観光名所

アクアわくわく市場
東京湾アクアライン、木更津金田IC至近にある青空市場。野菜や海産物、木更津・金田産のあさりなどを売っている。
海ほたる
東京湾アクアラインの木更津側の人工島に設置されたパーキングエリア。詳細については海ほたるパーキングエリアの記事を参考の事。
太田山公園
木更津駅から東に1.0 km程の場所に位置する山。伝承によると日本武尊はこの山の頂より海を眺めて、海中に没した弟橘媛を思い『君不去』の歌を歌ったと伝えられることから別名恋の森と呼ばれている。山の頂上にはこの伝説をモチーフにした展望台「きみさらずタワー」が存在する。また太田山には他にも「上総博物館」や金鈴塚古墳から出土された5つの純金の鈴などを保管している「金鈴塚遺物保存館」などがある。
高蔵寺
市内にある真言宗豊山派に属する寺院。坂東三十三観音霊場第30番札所。詳細は高蔵寺の記事を参考の事。
潮干狩り(3月下旬~7月)
木更津市内の牛込、金田、久津間、江川、木更津の5ヶ所の海岸で潮干狩りが楽しめる。
證誠寺
市内にある浄土真宗本願寺派に属する寺院。詳細は證誠寺の記事を参考の事。
中の島大橋、中の島公園
中の島大橋は、木更津港港内の中の島公園と鳥居崎公園とを結ぶ深紅の橋。日本で一番高い歩道橋として知られており、全長236 m、高さ27.125 m、幅4.5 m。1975年(昭和50年)に完成。木更津港の玄関口にあたり、東京湾へ出入りする船舶はこの橋の下をくぐることになる。中の島公園は木更津港内にある公園であり、中の島大橋を渡って行くことができる。普段、潮干狩りやフィッシングポイントとして楽しむことができ、木更津港祭りの際には花火の打ち上げ場所になっている。

市内の主なスポット

[編集] イベント

八剱八幡神社例大祭
毎年7月第2土・日曜、市内の八剱八幡神社で開催される夏祭り。祭期間に町内を練り歩く重量1.5tの大神輿は、富岡八幡宮東京都江東区富岡)、鳥越神社東京都台東区浅草)の物と並び、関東三大神輿の一つに数えられる。また、祭囃子『木更津ばやし』は県の無形民族文化財に指定されている。
木更津港まつり
毎年8月14・15日の2日間、木更津駅西口から木更津港までの駅前通りを会場に開催される祭。14日は富士見通りを会場にやっさいもっさい踊り、15日は木更津港を会場に中の島公園から打ち上げられる花火大会をメインに開催する。

[編集] 交通

[編集] 道路

主要道路として高速道路には館山自動車道と東京湾アクアラインが挙げられる。館山自動車道を木更津北インターチェンジ(IC)から北方面に向かうと所要時間約20分程度で千葉市に到達し、京葉道路または東関東自動車道を経由して東京都へと結ばれる。また南方面は、木更津南ジャンクション(JCT)を館山方面に向かう事で君津ICまで到達することが可能であるが、2007年に開通予定の未開通区間が完成する事で富津館山道路と接続し、最終的には南房総市まで結ばれる。東京湾アクアラインによって東京湾を挟んだ対岸の神奈川県川崎市と結ばれており、木更津金田IC~浮島IC(約15㎞)の区間を所要時間約15分程度で移動できる。2006年現在、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の事業計画により、木更津JCTから東金市とを結ぶ道路が2010年開通を目途に建設中である。

一般国道は、国道16号線(袖ヶ浦木更津バイパス)が市内を通過する。国道16号線を北上することで千葉市-柏市-埼玉県…へ繋がり、幹線道路としての役割を持っている。長須賀交差点で外房地域へと結ばれる国道409号線・国道410号線(房総横断道路)、桜井交差点にて館山市を起点とする国道127号線(内房なぎさライン)に接続している。

高速道路

一般国道

国道16号国道127号国道409号国道410号

県道

  • 主要地方道
千葉県道23号木更津末吉線、千葉県道87号袖ケ浦中島木更津線、千葉県道90号木更津富津線
  • 一般県道
千葉県道146号木更津根形線、千葉県道160号加茂木更津線、千葉県道166号馬来田停車場富岡線、千葉県道167号馬来田停車場中川線、千葉県道168号鶴舞馬来田停車場線、千葉県道169号南総馬来田線、千葉県道222号木更津停車場線、千葉県道235号巌根停車場線、千葉県道245号木更津港線、千葉県道269号大鷲木更津線、千葉県道270号木更津袖ケ浦線

[編集] 高速バス路線

1997年以前は対岸の東京都神奈川県への交通手段はカーフェリーや鉄道が主であったが、1997年の東京湾アクアライン開通に伴いフェリー航路は廃止され、アクアラインを経路とする高速バス路線が充実するようになる。

路線

  • 羽田線:木更津駅-袖ヶ浦バスターミナル-羽田空港
  • 川崎線:木更津駅-袖ヶ浦バスターミナル-海ほたるPA-浮島バスターミナル-川崎駅
  • 横浜線:木更津駅-袖ヶ浦バスターミナル-横浜駅
  • 品川線:木更津駅-袖ヶ浦バスターミナル-品川駅
  • 東京線:木更津駅-金田バスターミナル-東京駅

営業事業社

[編集] 鉄道

市内の鉄道路線としてJR東日本の内房線と久留里線がある。内房線の全路線中で2駅、久留里線の全路線中5駅が市内に設置されている。市の中心駅である木更津駅には内房線(普通・特急)、総武快速線、京葉線直通列車が停車する他、久留里線の始発駅になっている。

鉄道路線