日本語

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日本語
[nʲiɦoŋŋo] ([nʲippoŋŋo])
話される国 日本など(「分布」の節参照)
地域 東アジアなど
話者数 約1億3000万人(日本の人口をもとにした場合の概数)
順位 9
言語系統 論争あり

孤立した言語
日本語族
  日本語

公的地位
公用語 日本国(慣例上)
パラオ共和国アンガウル州
統制機関 特になし
日本国政府(事実上)
言語コード
ISO 639-1 ja
ISO 639-2 jpn
ISO/DIS 639-3 jpn
SIL JPN

日本語(にほんご、にっぽんご)は、主として、日本列島大和民族によって使用されてきた言語である。日本国の慣例上の公用語として、学校教育の「国語」で教えられる。使用者は、日本国内を主として約1億3千万人。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。

目次

[編集] 特徴

日本語の音韻は、「っ」「ん」を除いて母音で終わる開音節言語の性格が強く、また共通語を含め多くの方言がモーラを持つ。アクセントは高低アクセントである。古来の大和言葉では、原則として

  1. ら行」音が語頭に立たない(しりとり遊びで「ら行」で始まる言葉が見つけにくいのはこのため。「らく(楽)」「らっぱ」「りんご」などは大和言葉でない)
  2. 濁音が語頭に立たない(「抱(だ)く」「どれ」「ば(場)」「ばら(薔薇)」などは後世の変化)
  3. 同一語根内に母音が連続しない(「あお(青)」「かい(貝)」は古くは [awo], [kapi, kaɸi]

などの特徴があった(「系統」および「音韻」の節参照)。

文は、「主語修飾語述語」の語順で構成される。修飾語は被修飾語の前に位置する。また、名詞の格を示すためには、語順や語尾を変化させるのでなく、文法的な機能を示す機能語(助詞)を後ろにつけ加える(膠着させる)。これらのことから、言語類型論上は、語順の点ではSOV型の言語に、形態の点では膠着語に分類される(「文法」の節参照)。

語彙は、古来の大和言葉のほか、中国から渡来した漢語がおびただしく、さらに近代以降には西洋語を中心とする外来語が増大している(「語種」の節参照)。

待遇表現の面では、文法的・語彙的に発達した敬語体系があり、叙述される人物同士の微妙な関係を表現する(「待遇表現」の節参照)。

方言は、日本の東西および琉球地方で大きく異なる。さらに詳細に見れば、地方ごとに多様な方言的特色がある(「方言」の節参照)。

他の多くの言語と異なる点としては、まず、表記体系の複雑さが挙げられる。漢字(音読みおよび訓読みで用いられる)や平仮名、片仮名のほか、アルファベットなど、常に3種類以上の文字を組み合わせて表記する言語は無類と言ってよい(「字種」の節参照)。また、人称表現が「わたくし・わたし・ぼく・おれ」「あなた・あんた・きみ・おまえ」などと多様であるのも特徴である(「人称語彙」の節参照)。

[編集] 分布

日本語は、主に日本国内で使用される。話者人口についての調査は国内・国外を問わずいまだないが、日本の人口に基づいて考えられることが一般的である。

日本国外では、主として、中南米(ブラジルペルーボリビアドミニカ共和国パラグアイなど)やハワイなどの日本人移民のあいだで使用されるが<ref>見坊 豪紀 (1964)「アメリカの邦字新聞を読む」『言語生活』157(1983年の『ことば さまざまな出会い』(三省堂)に収録)では、1960年代のロサンゼルスおよびハワイの邦字新聞の言葉遣いに触れる。</ref> <ref>井上 史雄 (1971)「ハワイ日系人の日本語と英語」『言語生活』236は、ハワイ日系人の談話引用を含む報告である。</ref> <ref>本堂 寛 (1996)「ブラジル日系人の日本語についての意識と実態―ハワイ調査との対比から」『日本語研究諸領域の視点 上』によれば、1979~1980年の調査において、ブラジル日系人で「日本語をうまく使える」と回答した人は、1950年以前生まれで20.6%、以後生まれで8.3%だという。</ref>、3世・4世と世代が下るにしたがって日本語を話さない人が多くなっているのが実情である<ref>亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 [編] (1997)『言語学大辞典セレクション 日本列島の言語』(三省堂)の南不二男「日本語・総説」などを参照。</ref>。また、第二次世界大戦の終結以前に日本領ないし日本の勢力下にあった朝鮮半島台湾中国の一部・サハリン・旧南洋諸島(現在の北マリアナ諸島パラオマーシャル諸島ミクロネシア連邦)などの地域では、日本語教育を受けた人々の中に、現在でも日本語を記憶して話す人がいる<ref>真田 信治 (2002)「ポナペ語における日本語からの借用語の位相―ミクロネシアでの現地調査から」『国語論究』9-25によれば、ミクロネシアでは日本語教育を受けた世代が今でも同世代との会話に日本語を利用し、一般にも日本語由来の語句が多く入っているという。</ref>。

台湾では先住民の異なる部族同士の会話に日本語が用いられることがあり<ref>青柳 森 (1986)「台湾山地紀行」『東京消防』1986年10月(ウェブ版は、日本ペンクラブ:電子文藝館・地球ウォーカー)。</ref>、また、パラオのアンガウル州(2000年の時点で人口188人)が公用語のひとつに採用しているという<ref>CIA - The World Factbook -- Field Listing - Languages。</ref>。

日本国外の日本語学習者は、韓国の約90万人、中国の約40万人、オーストラリアの約40万人をはじめ、アジア・大洋州地域を中心に約235万人となっている。日本語教育が行われている地域は、120か国と7地域に及んでいる<ref>2003年国際交流基金調査</ref>。また、日本国内の日本語学習者は、アジア地域の約10万人を中心として約13万人となっている<ref>2004年文化庁調査。</ref>。

[編集] 系統

詳細は日本語の起源を参照

日本語の系統は明らかでなく、解明される目途も立っていない。いくつかの理論仮説があるが、いまだ総意を得るに至っていない<ref name="E">亀井 孝 他 [編] (1963)『日本語の歴史1 民族のことばの誕生』(平凡社)。</ref> <ref>大野 晋・柴田 武 [編] (1978)『岩波講座 日本語 第12巻 日本語の系統と歴史』(岩波書店)。</ref>。

アルタイ諸語に属するとする説は、明治時代末から特に注目されてきた<ref>藤岡 勝二 (1908)「日本語の位置」『国学院雑誌』14。</ref>。その根拠として、古代の日本語(大和言葉)において語頭にr音(流音)が立たないこと、一種の母音調和<ref name="G">有坂 秀世 (1931)「国語にあらはれる一種の母音交替について」『音声の研究』第4輯(1957年の『国語音韻史の研究 増補新版』(三省堂)に収録)。</ref>がみられることなどが挙げられる。ただし、アルタイ諸語に属するとされるそれぞれの言語自体、互いの親族関係が証明されているわけではなく<ref>北村 甫 [編] (1981)『講座言語 第6巻 世界の言語』(大修館書店)p.121。</ref>、したがって、古代日本語に上記の特徴がみられることは、日本語がタイプとして「アルタイ型」の言語である<ref>亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 [編] (1996)『言語学大辞典6 術語編』(三省堂)の「アルタイ型」。</ref>という以上の意味をもたない。

南方系のオーストロネシア語族とは、音韻体系や語彙に関する類似も指摘されているが<ref>泉井 久之助 (1952)「日本語と南島諸語」『民族学研究』17-2(1975年の『マライ=ポリネシア諸語 比較と系統』(弘文堂)に収録)。</ref>、語例は十分ではなく、推定・不確定の例を多く含む。関連性は不明であるといわざるをえない。

ドラヴィダ語族との関係を主張する説もあるが、これを認める研究者は少ない。大野晋は日本語が語彙・文法などの点でタミル語と共通点をもつとの説を唱えるが<ref>大野 晋 (1987)『日本語以前』(岩波新書)などを参照。研究の集大成として、大野 晋 (2000)『日本語の形成』(岩波書店)を参照。</ref>、比較言語学の方法上の問題から批判が多い<ref>主な批判・反批判として、以下のものがある。家本 太郎・児玉 望・山下 博司・長田 俊樹 (1996)「「日本語=タミル語同系説」を検証する―大野晋『日本語の起源 新版』をめぐって」『日本研究(国際文化研究センター紀要)』13/大野 晋 (1996)「「タミル語=日本語同系説に対する批判」を検証する」『日本研究』15/山下 博司 (1998)「大野晋氏のご批判に答えて―「日本語=タミル語同系説」の手法を考える」『日本研究』17。</ref>(「タミル語」も参照)。

個別の言語との関係についていえば、中国語は、古来、漢字漢語を通じて日本語の表記・語彙などに強い影響を与えてきた。日本は、中国を中心とする漢字文化圏に属する。ただし、基礎語彙は対応せず、また文法的・音韻的特徴は中国語と全く異なるため、系統的関連性は認められない。

アイヌ語は、語順(SOV語順)において日本語と似るものの、文法・形態は類型論的に異なる抱合語に属し、音韻構造も有声・無声の区別がなく閉音節が多いなどの相違がある。基礎語彙の類似に関する指摘<ref>服部 四郎 (1959)『日本語の系統』(岩波書店、1999年に岩波文庫)。</ref>もあるが、例は不十分である。一般に似ているとされる語の中には、日本語からアイヌ語への借用語が多く含まれるとみられる<ref>中川 裕 (2005)「アイヌ語にくわわった日本語」『国文学 解釈と鑑賞』70-1。</ref>。目下のところは系統的関連性を示す材料は乏しい。

朝鮮語は、文法構造に類似点が多いものの、基礎語彙が大きく相違する。音韻の面では、固有語において語頭に流音が立たないこと、一種の母音調和がみられることなど、上述のアルタイ諸語と共通の類似点がある一方で、閉音節や二重子音(中期朝鮮語の場合)が存在するなど大きな相違もある。朝鮮半島死語である高句麗語とは、数詞など似る語彙もあるといわれるが<ref>新村 出 (1916)「国語及び朝鮮語の数詞に就いて」『芸文』7-2・4(1971年の『新村出全集 第1巻』(筑摩書房)に収録)。</ref>、高句麗語の実態はほとんど分かっておらず、現時点では系統論上の判断材料にはなりがたい。

また、レプチャ語ヘブライ語などとの同系論も過去に存在したが、ほとんど偽言語比較論のカテゴリーに収まる。

日本語と系統を同じくする言語と明らかに認められるものは、琉球列島(旧琉球王国領域)の言語である琉球語のみである。琉球語は日本語と非常に近いため、日本語の一方言(琉球方言)とする場合もある。別言語とする場合、日本語と琉球語をまとめて日本語族とも称する。

[編集] 音韻

詳細は日本語の音韻を参照

[編集] 音韻体系

日本語話者は、「いっぽん(一本)」という語を、「い・っ・ぽ・ん」の4単位と捉えている。音節ごとにまとめるならば [ip.poɴ] のように2単位となるところであるが、音韻的な捉え方はこれと異なる。音声学上の単位である音節とは区別して、音韻論では「い・っ・ぽ・ん」のような単位のことをモーラ<ref>服部 四郎 (1950) "Phoneme, Phone and Compound Phone" 『言語研究』16(1960年の『言語学の方法』(岩波書店)に収録)。</ref>(拍<ref>亀井 孝 (1956)「「音韻」の概念は日本語に有用なりや」『国文学攷』15。</ref>)と称している。

日本語のモーラは、大体は仮名に即して体系化することができる。「いっぽん」と「まったく」は、音声学上は [ippoɴ] [mattakɯ] であって共通する単音がないが、日本語話者は「っ」という共通のモーラを見出す。また、「ん」は、音声学上は後続の音によって [ɴ] [m] [n] [ŋ] などと変化するが、日本語の話者自らは同一音と認識しているので、音韻論上は1種類のモーラとなる。

日本語では、ほとんどのモーラが母音で終わっている。それゆえに日本語は開音節言語の性格が強いということができる。もっとも、特殊モーラの「っ」「ん」には母音が含まれない。

モーラの種類は、以下に示すように111程度存在する。ただし、研究者により数え方が少しずつ異なっている。「が行」の音は、語中語尾では鼻音(いわゆる鼻濁音)の「か゜行」音となるが、若年層ではこの区別が失われてきている。そこで、「か゜行」を除外して数える場合、モーラの数は103程度となる。「ファ・フィ・フェ・フォ」「ティ・トゥ」「ディ・ドゥ」などの外来音を含める場合は、さらにまた数が変わってくる<ref>松崎 寛 (1993)「外来語音と現代日本語音韻体系」『日本語と日本文学』18では、外来音を多く認めた129モーラからなる音韻体系を示す。</ref>。

直音(母音) 
 
直音(子音+母音)拗音 
きゃ きゅ きょ清音
しゃ しゅ しょ(清音)
ちゃ ちゅ ちょ(清音)
にゃ にゅ にょ 
ひゃ ひゅ ひょ(清音)
みゃ みゅ みょ 
りゃ りゅ りょ 
が ぎ ぐ げ ごぎゃ ぎゅ ぎょ濁音
(か゜ き゜ く゜ け゜ こ゜)(き゜ゃ き゜ゅ き゜ょ)(鼻濁音)
ざ じ ず ぜ ぞじゃ じゅ じょ(濁音)
だ で ど (濁音)
ば び ぶ べ ぼびゃ びゅ びょ(濁音)
ぱ ぴ ぷ ぺ ぽぴゃ ぴゅ ぴょ半濁音
直音(半子音+母音)  
  
  
特殊モーラ  
撥音  
っ(促音  
ー(長音  

なお、五十音図は、音韻体系の説明に使われることがしばしばあるが、上記の日本語モーラ表と比べてみると、少なからず異なる部分がある。五十音図の成立は平安時代にさかのぼるものであり、現代語の音韻体系を反映するものではないことに注意が必要である(「日本語研究史」の節の「江戸時代以前」を参照)。

[編集] 母音体系

基本5母音の調音位置
左側を向いた人の口の中を模式的に示したもの。左へ行くほど舌が前に出、上へ行くほど口がせばまることを表す。なお、[o] のときは唇の丸めを伴う。

母音は、「」の文字で表される。音韻論上は、日本語の母音はこの文字で表される5個であり、音素記号では以下のように記される。

  • /a/, /i/, /u/, /e/, /o/

一方、音声学上は、基本の5母音は、それぞれ

  • [a] [i] [ɯ] [e] [o]

に近い発音と捉えられる。「う」は英語などの [u] のようには唇を丸めず、非円唇母音であるが、唇音の後では円唇母音に近づく(発音の詳細はそれぞれの文字の項目を参照)。

音韻論上、「コーヒー」「ひいひい」など、「ー」や「あ行」の仮名で表す長音という単位が存在する(音素記号では /R/)。これは、「直前の母音を1モーラ分引く」という方法で発音される独立した特殊モーラである<ref>金田一 春彦 (1950) 「「五億」と「業苦」―引き音節の提唱」『国語と国文学』27-1(1967年に「「里親」と「砂糖屋」―引き音節の提唱」として『国語音韻の研究』(東京堂出版)に収録)などを参照。</ref>。「鳥」(トリ)と「通り」(トーリ)のように、長音の有無により意味を弁別することも多い。ただし、音声としては「長音」という特定の音があるわけではなく、長母音 [aː] [iː] [ɯː] [eː] [oː] の後半部分に相当するものである。

「えい」「おう」と書かれる文字は、発音上は「ええ」「おお」と同じく長母音 [eː] [oː] として発音されることが一般的である(「けい」「こう」など、頭子音が付いた場合も同様)。すなわち、「衛星」「応答」は「エーセー」「オートー」のように発音される。ただし、九州や四国西部、紀伊半島南部などでは「えい」を [ei] と発音する<ref name="D">徳川 宗賢 [編] (1989) 『日本方言大辞典 下』(小学館)の「音韻総覧」。</ref>。

文末の「です」「ます」などの末尾母音は、無声化して、[des] [mas] のように聞こえる場合がある(方言差および個人差がある)。また、母音「い」「う」が無声子音に挟まれた場合も無声化し、声帯が振動しない。たとえば、「菊池寛(きくちかん)」の「きくち」や、「口利き行為(くちききこうい)」の「くちきき」の部分の母音は無声母音となる。

」の前の母音は鼻音化する傾向がある。また、母音の前の「ん」は鼻母音になる。

[編集] 子音体系

子音は、音韻論上区別されているものとしては、「か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ行」の子音、濁音「が・ざ・だ・ば行」の子音、半濁音「ぱ行」の子音である(このほか、特殊モーラについては本節末尾で言及)。音素記号では以下のように記される。

  • /k/, /s/, /t/, /h/(清音)
  • /g/, /z/, /d/, /b/(濁音)
  • /p/(半濁音)
  • /n/, /m/, /r/
  • /j/, /w/(半母音とも呼ばれる)

一方、音声学上は、子音体系はいっそう複雑な様相を呈する。主に用いられる子音を以下に示す(後述する口蓋化音は省略)。

  両唇音 歯茎音 そり
舌音
歯茎硬
口蓋音
硬口
蓋音
軟口
蓋音
口蓋
垂音
声門音
破裂音 p  b t  d       k  ɡ    
鼻音 m n       ŋ ɴ  
はじき音   ɾ ɽ          
摩擦音 ɸ s  z   ɕ  ʑ ç     h
接近音         j ɰ    
破擦音   ʦ  ʣ   ʨ  ʥ        
側面接近音    l            

基本的に「か行」は [k]、「さ行」は [s][θ] を用いる地方・話者もある<ref name="D">徳川 宗賢 [編] (1989) 『日本方言大辞典 下』(小学館)の「音韻総覧」。</ref>)、「た行」は [t]、「な行」は [n]、「は行」は [h]、「ま行」は [m]、「や行」は [j]、「だ行」は [d]、「ば行」は [b]、「ぱ行」は [p] を用いる。

「ら行」の子音は、語頭では [d] に似て、それよりも閉鎖のゆるい破裂音である<ref>服部 四郎 (1984) 『音声学』(岩波書店)。</ref>。英語の [l] に近い音を用いる話者もある。適当な音声記号はないが、有声そり舌破裂音[ɖ] で代用することもある<ref>斎藤 純男 (1997)『日本語音声学入門』(三省堂、2006年に改訂版)。</ref>。一方、「あらっ?」というときのように、語中語尾に現れる場合は、舌をはじく [ɾ] もしくは [ɽ] となる。

「わ行」の子音は、話者によっては唇を丸める [w] を用いることがあるが、多くは唇の丸めのない [ɰ] が用いられる(「日本語」の項目では、特別の必要のない場合は [w] で表現する)。外来音「ウィ」「ウェ」「ウォ」にも同じ音が用いられるが、「ウイ」「ウエ」「ウオ」と発音する話者も多い。

「が行」の子音は、語頭では [g] を用いるが、語中では [ŋ](「が行」鼻音、いわゆる鼻濁音)を用いることが一般的だった。今日、この [ŋ] の音は次第に失われつつある。

「ざ行」の子音は、語頭や「ん」の後では破擦音(破裂音と摩擦音を合わせた [ʣ] などの音)を用いるが、語中では摩擦音[z] など)を用いる場合が多い。いつでも破擦音を用いる話者もあるが、「手術(しゅじゅつ)」などの語では発音が難しいため摩擦音にするケースが多い。なお、「だ行」の「ぢ」「づ」は、一部方言を除いて「ざ行」の「じ」「ず」と同音に帰しており、発音方法は同じである。

母音「い」が後続する子音は、独特の音色を呈する。いくつかの子音では、前舌面を硬口蓋に近づける口蓋化が起こる。たとえば、「か行」の子音は一般に [k] を用いるが、「」だけは [kʲ] を用いるといった具合である。口蓋化した子音の後ろに母音「あ」「う」「お」が来るときは、表記上は「い段」の仮名の後ろに「ゃ」「ゅ」「ょ」の仮名を用いて「きゃ」「きゅ」「きょ」、「みゃ」「みゅ」「みょ」のように記す。後ろに母音「え」が来るときは「ぇ」の仮名を用いて「きぇ」のように記すが、外来語などにしか使われない。

「さ行」「ざ行」「た行」「は行」の「い段」音の子音も独特の音色であるが、これは単なる口蓋化でなく、調音点が硬口蓋に移動した音である。「し」「ち」の子音は [ɕ] [ʨ] を用いる。これらの音は、それぞれの行の子音が古くそのように発音された名残りと考えられている。外来音「スィ」「ティ」の子音は口蓋化した [sʲ] [tʲ] を用いる。「じ」「ぢ」の子音は、語頭および「ん」の後ろでは [ʥ]、語中では [ʑ] を用いる。外来音「ディ」「ズィ」の子音は口蓋化した [dʲ] [ʣʲ] および [zʲ] を用いる。「ひ」の子音は [h] ではなく硬口蓋音 [ç] である。

また、「」の子音は多くは口蓋化した [nʲ] で発音されるが、硬口蓋鼻音 [ɲ] を用いる話者もある。同様に、「」に硬口蓋はじき音を用いる話者や、「ち」に無声硬口蓋破裂音 [c] を用いる話者もある。

そのほか、「は行」では「」の子音のみ無声両唇摩擦音 [ɸ] を用いるが、これは「は行」子音が [p][ɸ][h] と変化してきた名残りである。外来語には [f] を用いる話者もある。また、「た行」では「」の子音のみ [ʦ] を用いる。これらの子音に母音「あ」「い」「え」「お」が続くのは主として外来語の場合であり、仮名では「ァ」「ィ」「ェ」「ォ」を添えて「ファ」「ツァ」のように記す(「ツァ」は「おとっつぁん」「ごっつぁん」などでも用いる)。「フィ」「ツィ」は子音に口蓋化が起こる。また「ツィ」は多く「チ」などに言い換えられる。「トゥ」「ドゥ」([tɯ] [dɯ])は、外国語の [t] [tu] [du] などの音に近く発音しようとするときに用いることがある。

促音「っ」(音素記号では /Q/)および撥音「ん」(/N/)と呼ばれる音は、音韻論上の概念であって、前節で述べた長音とあわせて特殊モーラと扱う。実際の音声としては、「っ」は [-kk-] [-ss-] [-ɕɕ-] [-tt-] [-tʦ-] [-tʨ-] [-pp-] などの子音連続となる。また、「ん」は、後続の音によって [ɴ] [m] [n] [ŋ] などの子音となる(ただし、母音の前では鼻母音となる)。文末などでは [ɴ] を用いる話者が多い。

[編集] アクセント

日本語のアクセントは、高低アクセントが主流である。アクセントは語ごとに定まっている。同音語をアクセントの違いによって弁別できる場合も少なくない。たとえば、東京方言の場合、「雨」「飴」はそれぞれ「ア\メ」(頭高型)「ア/メ」(平板型)のように、異なったアクセントで発音される(今、ピッチの上がり目を/で、下がり目を\で示す)。「端を」「箸を」「橋を」はそれぞれ「ハ/シオ」「ハ\シオ」「ハ/シ\オ」となる。

アクセントの高低は、歌でいえば音階の高低に相当する。かつての作曲家の中には、詞に曲をつけるとき、言葉のアクセントを踏まえる人が多かった<ref>金田一 春彦 (1981)『日本語の特質』(新NHK市民大学叢書)p.76-9。</ref>。たとえば、山田耕筰は「からたちの花が咲いたよ」(北原白秋作詞「からたちの花」)を「カ/ラタチノ ハ/ナ\ガ サ/イタヨ」というアクセントを生かして作曲している。その結果、「花が」の部分が「鼻が」(ハ/ナガ)に聞こえるようなことが避けられる。

もっとも、このことは、アクセントが違えばただちに別語になることを意味しない。「教育」「財政」は東京アクセントでは「キョ/ーイク」「ザ/イセー(ザ/イセイ)」であるが、専門家によってしばしば「キョ\ーイク」「ザ\イセー」と発音されることがある。また、年代が若くなるに従ってアクセントの平板化が進み、「電車」「映画」が「デ\ンシャ」「エ\ーガ(エ\イガ)」から「デ/ンシャ」「エ/ーガ」になるというように変化してきている。それでも意味が変化しているわけではない。

「花が」を東京で「ハ/ナ\ガ」、京都で「ハ\ナガ」というように、単語のアクセントは地方によって異なる。ただし、それぞれの地方のアクセント体系は互いにまったく無関係に成り立っているのではない。多くの場合において規則的な対応がみられる。たとえば、「花が」「山が」「池が」を東京では「ハ/ナ\ガ」「ヤ/マ\ガ」「イ/ケ\ガ」のようにいずれも中高型で発音するが、京都では「ハ\ナガ」「ヤ\マガ」「イ\ケガ」といずれも頭高型で発音する。このように、ある地方で同じアクセント類に属する語は、他の地方でも同じアクセント類に属することが一般的に観察される。

この事実は、日本の方言アクセントが過去に同一のアクセントをもった言語体系から分かれたものであることを意味する。服部四郎はこれを原始日本語のアクセントと称したが<ref>服部 四郎 (1951)「原始日本語のアクセント」『国語アクセント論叢』(法政大学出版局)。</ref>、それが具体的にどのようなものであったかについては諸説がある。たとえば金田一春彦<ref>金田一 春彦 (1954)「東西両アクセントのちがいができるまで」『文学』22-8。</ref>や奥村三雄<ref>奥村 三雄 (1955)「東西アクセント分離の時期」『国語国文』20-1。</ref>は、院政期京阪式アクセント名義抄式アクセント)を日本語アクセントの祖体系として想定し、現在の諸方言アクセントのほとんどは南北朝時代以降に順次アクセント変化を起こした結果生じたと推定している。

アクセント体系は、関東と関西で異なると一般に考えられているが、細かく見れば、分布はもう少し複雑である。すなわち、およそ愛知・岐阜・長野・新潟以東は東京式アクセントで、近畿・四国などの地方は京阪式アクセントであるが、西へ進み中国地方・九州地方まで行くと、東京式アクセントが現れる。すなわち、近畿地方を中心とした京阪式アクセントを東京式アクセントが挟む形になっている。また、九州地方の一部や北関東から南東北地方にかけての一帯などでは、すべての語が同じアクセントで発音される一型式アクセントや、特にどこを高く発音するという決まりのない無アクセントが見られる。さらに、それぞれの体系の中間型や別派などが多数存在する。

詳細は、以下を参照。

[編集] 文法

詳細は現代日本語文法を参照

[編集] 文の構造

日本語の文の例
上の文は、橋本進吉の説に基づき主述構造の文として説明したもの。下の文は、主述構造をなすとは説明しがたいもの。三上章はこれを題述構造の文と捉えている。

日本語では「私は本を読む。」という語順で文を作る。英語で「I read a book.」という語順をSVO型(主語・動詞・目的語)と称する説明にならっていえば、日本語の文はSOV型ということになる。もっとも、厳密にいえば、英語の文に動詞が必須であるのに対して、日本語文は動詞で終わることもあれば、形容詞や名詞+助動詞で終わることもある。そこで、日本語文の基本的な構造は、「S(主語 subject)‐V(動詞 verb)」というよりは、「S(主語)‐P(述語 predicate)」という「主述構造」と考えるほうが、より適当である。

  1. 私は(が) 社長だ。
  2. 私は(が) 行く。
  3. 私は(が) うれしい。

上記の文は、いずれも「S‐P」構造、すなわち主述構造をなす同一の文型である。英語などでは、それぞれ「SVC」「SV」「SVC」の文型になるところであるから、それにならって、1を名詞文、2を動詞文、3を形容詞文と分けることもある。しかし、日本語ではこれらの文型に本質的な違いはない。そのため、英語を学び始めたばかりの中学生などは、"I am happy." と同じ調子で "I am go." と誤った作文をすることがある。

また、日本語文では、主述構造とは別に、「題目‐述部」からなる「題述構造」をとることがきわめて多い。題目とは、話のテーマ(主題)を明示するものである(三上章は "what we are talking about" と説明する<ref name="A">三上 章 (1972) 『続・現代語法序説』(くろしお出版)。</ref>)。よく主語と混同されるが、別概念である。主語は「が」(「は」)によって表され、動作や作用の主体を表すものであるが、題目は「は」によって表され、その文が「これから何について述べるのか」を明らかにするものである。たとえば、

  1. 象は 大きい。
  2. 象は おりに入れた。
  3. 象は えさをやった。
  4. 象は 鼻が長い。

などの文では、「象は」はいずれも題目を示している。4の「象は」は「象が」に言い換えられるもので、事実上は文の主語を兼ねる。しかし、5以下は「象が」には言い換えられない。5は「象を」のことであり、6は「象に」のことである。さらに、7の「象は」は何とも言い換えられないものである(「象の」に言い換えられるともいう<ref>三上 章 (1960)『象は鼻が長い―日本文法入門』(くろしお出版)。</ref>)。これらの「象は」という題目は、「が」「に」「を」などの特定の格を表すものではなく、「私は象について述べる」ということだけをまず明示する役目を持つものである。これらの文では、題目「象は」に続く部分全体が「述部」ということになる。

日本語と同様に題述構造の文をもつ言語(主題優勢言語、)は、東アジアなどに分布する。たとえば、中国語朝鮮語ベトナム語マレー語タガログ語にもこの構造の文が見られる。

[編集] 主語廃止論

日本語・英語の構文の違い
三上説によれば、日本語の文は、「紹介シ」の部分に「ガ」「ニ」「ヲ」が同等に係る。英語式の文は、「甲(ガ)」という主語だけが述語「紹介シタ」と対立する。

上述の「象は鼻が長い。」のように、「主語‐述語」の代わりに「題目‐述部」と捉えるべき文が非常に多いことを考えると、日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方が成り立つ。三上章は、ここから「主語廃止論」(主語という文法用語をやめる提案)を唱えた。三上によれば、

  • 甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ。

という文において、「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はいずれも「紹介シ」という行為を説明するために必要な要素であり、優劣はない。重要なのは、それらをまとめる述語「紹介シタ」の部分である。「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はすべて述語を補足する語(補語)となる。一方、英語などでの文で主語は、述語と人称などの点で呼応しており、特別の存在である<ref name="A"/>。

この考え方に従えば、英語式の観点からは「主語が省略されている」としかいいようがない文をうまく説明することができる。たとえば、

  • ハマチの成長したものをブリという。
  • ここでニュースをお伝えします。
  • 日一日と暖かくなってきました。

などは、いわゆる主語のない文である。しかし、日本語の文では述語に中心があり、補語を必要に応じて付け足すと考えれば、上記のいずれも、省略のない完全な文とみなして差し支えない。

今日の文法学説では、主語という用語・概念は、作業仮説として有用な面もあるため、なお一般に用いられている。ただし、三上の説に対する形で日本語の文に主語が必須であると主張する学説は少数派である。森重敏は、日本語の文においても主述関係が骨子であるとの立場をとるが、この場合の主語・述語も、一般に言われるものとはかなり様相を異にしている<ref>森重 敏 (1965)『日本文法―主語と述語』(武蔵野書院)。</ref>。学校教育の日本語文法(学校文法)は、主語・述語を基本とした伝統的な文法用語を用いるが、教科書によっては主語を特別扱いしないものもある<ref>たとえば、東京書籍『新編 新しい国語 1』(中学校国語教科書)では、1977年の検定本では「主語・述語」を一括して扱っているが、1996年の検定本ではまず述語について「文をまとめる重要な役割をする」と述べたあと、主語については修飾語と一括して説明している。</ref>。

[編集] 文の成分

文を主語・述語から成り立つと捉える立場でも、この2要素だけでは文の構造を十分に説明できない。主語・述語には、さらに修飾語などの要素が付け加わって、より複雑な文が形成される。文を成り立たせるこれらの要素を「文の成分」と称する。

学校文法では、文の成分として「主語」「述語」「修飾語」(連用修飾語・連体修飾語)「接続語」「独立語」、および、教科書によっては「並立語」を立てる。以下、学校文法の区分に従いつつ、それぞれの文の成分の種類と役割とについて述べる。

  • 主語・述語 文を成り立たせる基本的な成分である。ことに述語は、文をまとめる重要な役割を果たす。「雨が降る。」「本が多い。」「私は学生だ。」などは、いずれも主語・述語から成り立っている。教科書によっては、述語を文のまとめ役として最も重視する一方、主語については修飾語と合わせて説明するものもある(前節「主語廃止論」参照)。
  • 連用修飾語 用言にかかる修飾語である(用言については「自立語」の節を参照)。「兄が弟に算数を教える。」という文で「弟に」「算数を」など格を表す部分は、述語の動詞「教える」にかかる連用修飾語ということになる。また、「算数をみっちり教える。」「算数を熱心に教える。」という文の「みっちり」「熱心に」なども、「教える」にかかる連用修飾語である。ただし、「弟に」「算数を」などの成分を欠くと、基本的な事実関係が伝わらないのに対し、「みっちり」「熱心に」などの成分は、欠いてもそれほど事実の伝達に支障がない。ここから、前者は文の根幹をなすとして補充成分と称し、後者に限って修飾成分と称する説もある<ref>北原 保雄 (1981)『日本語の世界 6 日本語の文法』(中央公論社)</ref>。国語教科書でもこの2者を区別して説明するものがある。
  • 連体修飾語 体言にかかる修飾語である(体言については「自立語」の節を参照)。「私の本」「動く歩道」「赤い髪飾り」「大きな瞳」の「私の」「動く」「赤い」「大きな」は連体修飾語である。
  • 接続語 「満腹になったので、動けない。」「買いたいが、金がない。」の「満腹になったので」「買いたいが」のように、あとの部分との論理関係を示すものである。また、「今日は晴れた。だから、ピクニックに行こう。」「君は若い。なのに、なぜ絶望するのか。」における「だから」「なのに」のように、前の文とその文とをつなぐ成分も接続語である。品詞分類では、常に接続語となる品詞を接続詞とする。
  • 独立語 「はい、分かりました。」「姉さん、どこへ行くの。」「新鮮、それが命です。」の「はい」「姉さん」「新鮮」のように、他の部分にかかったり、他の部分を受けたりすることがないものである。かかり受けの観点から定義すると、結果的に、独立語には感動・呼びかけ・応答・提示などを表す語が該当することになる。品詞分類では、独立語としてのみ用いられる品詞を感動詞とする。名詞や形容動詞語幹なども独立語として用いられる。
  • 並立語 「ミカンとリンゴを買う。」「琵琶湖の冬は冷たく厳しい。」の「ミカンとリンゴを」や、「冷たく厳しい。」のように並立関係でまとまっている成分である。全体としての働きは、「ミカンとリンゴを」の場合は連用修飾部に相当し、「冷たく厳しい。」は述部に相当する。

学校文法では、英語にあるような「目的語」「補語」などの成分はない。英語文法では "I read a book." の "a book" はSVO文型の一部をなす目的語であり、また、"I go to the library." の "the library" は前置詞とともに付け加えられた修飾語と考えられる。一方、日本語では、

  • 私は本を読む。
  • 私は図書館へ行く。

のように、「本を」「図書館へ」はどちらも「名詞+格助詞」で表現されるのであって、その限りでは区別がない。これらは、文の成分としてはいずれも「連用修飾語」とされる。ここから、学校文法に従えば、「私は本を読む。」は、「主語‐目的語‐動詞」(SOV)文型というよりは、「主語‐修飾語‐述語」文型であると解釈される。

[編集] 修飾語の特徴

日本語では、修飾語はつねに被修飾語の前に位置する。「ぐんぐん進む」「白い雲」の「ぐんぐん」「白い」はそれぞれ「進む」「雲」の修飾語である。修飾語が長大になっても位置関係は同じで、たとえば、

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲(佐佐木信綱)

という短歌は、冒頭から「ひとひらの」までが「雲」にかかる長い修飾語であり、詩的効果を生んでいる。

書き手によっては、修飾語を長々とつらねて、肝心の被修飾語がなかなか表れない文章を書くことがある。また、法律文や翻訳文などでも、長い修飾語を主語・述語の間に挟み、文意を取りにくくしていることがしばしばある。たとえば、憲法前文の一節に、

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

とあるが、主語(題目)の「われら」、述語の「信ずる」の間に「いづれの国家も……であると」という長い修飾語が介在している。この種の文を読み慣れた人でなければわかりにくい。英訳で "We hold…"(われらは信ずる)と主語・述語が隣り合うのとは対照的である。

もっとも、修飾語が後置される英語でも、修飾関係の分かりにくい文が現れることがある。次のような文は「袋小路文」()と呼ばれる。

The horse raced past the barn fell.(納屋を抜けて走らされた馬が倒れた。)

この場合、日本語の文では「馬」にかかる連体修飾語「納屋を抜けて走らされた」が前に来ているために誤解がないが、英語では "The horse" を修飾する "raced past the barn" があとに来ているために、誤解の元になっている。

[編集] 品詞体系

学校文法の品詞体系
元の図は、 橋本進吉「国語法要説」<ref name="F">橋本 進吉 (1948)『国語法研究(橋本進吉博士著作集 第2冊)』(岩波書店)。</ref>に掲載。上図および現在の国語教科書では微修正を加えている。

名詞や動詞、形容詞といった「品詞」の概念は、上述した「文の成分」の概念とは分けて考える必要がある。名詞「犬」は、文の成分としては主語にもなれば修飾語にもなり、「犬だ」のように助動詞「だ」をつけて述語にもなる。動詞・形容詞・形容動詞も、修飾語にもなれば述語にもなる。もっとも、副詞は多く連用修飾語として用いられ、また、連体詞は連体修飾語に、接続詞は接続語に、感動詞は独立語にもっぱら用いられるが、必ずしも、特定の品詞が特定の文の成分に1対1で対応しているわけではない。

では、それぞれの品詞の特徴を形作るものは何かということが問題になるが、これについては、さまざまな説明があり、一定しない。俗に、事物を表す単語が名詞、動きを表す単語が動詞、様子を表す単語が形容詞などと言われることがあるが、例外がいくらでも挙がり、定義としては成立しない。

橋本進吉は、品詞を分類するにあたり、単語の表す意味(動きを表すか様子を表すかなど)には踏み込まず、主として形式的特徴によって品詞分類を行っている<ref name="F"/>。橋本の考え方は初学者にも分かりやすいため、学校文法もその考え方に基づいている。

学校文法では、のうち、「太陽」「輝く」「赤い」「ぎらぎら」など、それだけで文節を作り得るものを自立語(詞)とし、「ようだ」「です」「が」「を」など、単独で文節を作り得ず、自立語に付属して用いられるものを付属語(辞)とする。なお、日本語では、自立語の後に接辞や付属語を次々につけ足して文法的な役割などを示すため、言語類型論上は膠着語に分類される。

[編集] 自立語

自立語は、活用のないものと、活用のあるものとに分けられる。

自立語で活用のないもののうち、主語になるものを名詞とする。名詞のうち、代名詞数詞を独立させる考え方もある。一方、主語にならず、単独で連用修飾語になるものを副詞、連体修飾語になるものを連体詞(副体詞)、接続語になるものを接続詞、独立語としてのみ用いられるものを感動詞とする。副詞・連体詞については、それぞれ一品詞とすべきかどうかについて議論があり、さらに細分化する考え方<ref>渡辺 実 [編] (1983)『副用語の研究』(明治書院)などを参照。</ref>や、他の品詞に吸収させる考え方<ref>鈴木 一彦 (1959)「副詞の整理」『国語と国文学』36-12。</ref>などがある。

自立語で活用のあるもののうち、命令形のあるものを動詞、命令形がなく終止・連体形が「い」で終わるものを形容詞(日本語教育では「イ形容詞」)、連体形が「な」で終わるものを形容動詞(日本語教育では「ナ形容詞」)とする。形容動詞を一品詞として認めることについては、時枝誠記<ref name="B">時枝 誠記 (1950) 『日本文法 口語篇』(岩波全書)。</ref>など否定的な見方をする研究者もいる。

なお、「名詞」および「体言」という用語は、しばしば混同される。古来、ことばを分類するにあたり、活用のない語を「体言」(体)、活用のある語を「用言」(用)、そのほか、助詞・助動詞の類を「てにをは」と大ざっぱに称することが多かった。現在の学校文法では、「用言」は活用のある自立語の意味で用いられ(動詞・形容詞・形容動詞を指す)、「体言」は活用のない自立語の中でも名詞(および代名詞・数詞)を指すようになった。つまり、現在では「体言」と「名詞」とは同一物とみても差し支えはないが、活用しない語という点に着目していう場合は「体言」、文の成分のうち主語になりうるという点に着目していう場合は「名詞」と称する。

[編集] 付属語

付属語も、活用のないものと、活用のあるものとに分けられる。

付属語で活用のないものを助詞と称する。「春来た」「買っくる」「やるしかない」「分かった」などの太字部分はすべて助詞である。助詞は、名詞について述語との関係(格関係)を表す格助詞(「名詞の格」の節参照)、活用する語について後続部分との接続関係を表す接続助詞、種々の語について、程度や限定などの意味を添えつつ後続の用言などを修飾する副助詞、文の終わりに来て疑問や詠嘆・感動・禁止といった気分や意図を表す終助詞に分けられる。

付属語で活用のあるものを助動詞と称する。「気を引かれる」「私は泣かない」「花が笑っ」「さあ、出かけよう」「今日は来ないそうだ」「もうすぐ春です」などの太字部分はすべて助動詞である。助動詞の最も主要な役割は、動詞(および助動詞)に付属して以下のような情報を加えることである。すなわち、動詞の(特に受け身・使役・可能など。ヴォイス)・極性(肯定・否定の決定。ポラリティ)・時制(テンス)・(アスペクト)・(推量・断定・意志など。ムード)などを示す役割を持つ。山田孝雄(よしお)は、助動詞を認めず、動詞から分出される語尾(複語尾)と見なしている<ref>山田 孝雄 (1909) 『日本文法論』(宝文館)。</ref>。また時枝誠記は、「れる(られる)」「せる(させる)」を助動詞とせず、動詞の接尾語としている<ref name="B"/>。

[編集] 名詞の格

名詞および動詞・形容詞・形容動詞は、それが文中でどのような成分を担っているかを特別の形式によって表示する。

名詞の場合、「が」「を」「に」などの格助詞を後置することで動詞との関係(格)を示す。語順によって格を示す言語ではないため、日本語は語順が比較的自由である。すなわち、

  • 桃太郎 きびだんご やりました。
  • 桃太郎 きびだんご やりました。
  • きびだんご 桃太郎 やりました。

などは、強調される語は異なるが、いずれも同一の内容を表す文で、しかも正しい文である。

主な格助詞とその典型的な機能は次の通りである。

「が」……動作・作用の主体を表す。例、「空が青い」「犬がいる」
「の」……連体修飾を表す。例、「私の本」「理想の家庭」
「を」……動作・作用の対象を表す。例、「本を読む」「人を教える」
「に」……動作・作用の到達点を表す。例、「駅に着く」「人に教える」
「へ」……動作・作用の及ぶ方向を表す。例、「駅へ向かう」「学校へ出かける」
「と」……動作・作用をともに行う相手を表す。例、「友人と帰る」「車とぶつかる」
「から」……動作・作用の起点を表す。例、「旅先から戻る」「6時から始める」
「より」……動作・作用の起点や、比較の対象を表す。例、「旅先より戻る」「花より美しい」
「で」……動作・作用の行われる場所を表す。例、「川で洗濯する」「風呂で寝る」

このように、格助詞は、述語を連用修飾する名詞が述語とどのような関係にあるかを示す(ただし、「の」だけは連体修飾に使われ、名詞同士の関係を示す)。なお、上記はあくまでも典型的な機能であり、主体を表さない「が」(例、「水が飲みたい」)、対象を表さない「を」(例、「日本を発った」)、到達点を表さない「に」(例、「先生にほめられた」)など、上記に収まらない機能を担う場合も多い。

格助詞のうち、「が」「を」「に」は、話し言葉においては脱落することが多い。その場合、文脈の助けがなければ、最初に来る部分は「が」格に相当するとみなされる。「くじらをお父さんが食べてしまった。」を「くじら、お父さん食べちゃった。」と助詞を抜かして言った場合は、「くじら」が「が」格相当ととらえられるため、誤解の元になる。「チョコレートを私が食べてしまった。」を「チョコレート、私食べちゃった。」と言った場合は、文脈の助けによって誤解は避けられる。なお、「へ」「と」「から」「より」「で」などの格助詞は、話し言葉においても脱落しない。

題述構造の文(「文の構造」の節参照)では、特定の格助詞が「は」に置き換わる。たとえば、「空が 青い。」という文は、「空」を題目化すると「空は 青い。」となる。題目化の際の「は」の付き方は、以下のようにそれぞれの格助詞によって異なる。

無題の文  題述構造の文
青い。青い。
読む。読む。
学校行く。学校行く。(学校には行く。)
向かう。へは向かう。
友人帰る。友人とは帰る。
旅先から戻る。旅先からは戻る。
洗濯する。  では洗濯する。

格助詞は、下に来る動詞が何であるかに応じて、必要とされる種類と数が変わってくる。たとえば、「走る」という動詞で終わる文に必要なのは「が」格であり、「馬が走る。」とすれば完全な文になる。ところが、「教える」の場合は、「が」格を加えて「兄が教えています。」としただけでは不完全な文である。さらに「で」格を加え、「兄が小学校で教えています(=教壇に立っています)。」とすれば完全になる。つまり、「教える」は、「が・で」格が必要である。

ところが、「兄が部屋で教えています。」という文の場合、「が・で」格があるにもかかわらず、なお完全な文という感じがしない。「兄が部屋で弟に算数を教えています。」のように「が・に・を」格が必要である。むしろ、「で」格はなくとも文は不完全な印象はない。

すなわち、同じ「教える」でも、「教壇に立つ」という意味の「教える」は「が・で」格が必要であり、「説明して分かるようにさせる」という意味の「教える」では「が・に・を」格が必要である。このように、それぞれの文を成り立たせるのに必要な格を「必須格」という。

[編集] 活用形と種類

詳細は活用を参照

名詞が格助詞を伴ってさまざまな格を示すのに対し、用言(動詞・形容詞・形容動詞)および助動詞は、語尾を変化させることによって、文中のどの成分を担っているかを示したり、時制などの情報や文の切れ続きの別などを示したりする。この語尾変化を「活用」といい、活用する語を総称して「活用語」という。

学校文法では、口語の活用語について、6つの活用形を認めている。以下、動詞・形容詞・形容動詞の活用形を例に挙げる(太字部分)。

活用形動詞形容詞形容動詞
未然形打たない
打と
強かろ勇敢だろ
連用形打ちます
打っ
強かっ
強くなる
強うございます
勇敢だっ
勇敢である
勇敢になる
終止形打つ強い勇敢だ
連体形打つこと強いこと勇敢なこと
仮定形打て強けれ勇敢なら
命令形打て

一般に、終止形は述語に用いられる。「(選手が球を)打つ。」「(この子は)強い。」「(消防士は)勇敢だ。」など。

連用形は、文字通り連用修飾語にも用いられる。「強く(生きる。)」「勇敢に(突入する。)」など。ただし、「選手が球を打ちました。」の「打ち」は連用形であるが、連用修飾語ではなく、この場合は述語の一部である。このように、活用形と文中での役割は、1対1で対応しているわけではない。

仮定形は、文語では已然形と称する。口語の「打てば」は仮定を表すが、文語の「打てば」は「已(すで)に打ったので」の意味を表すからである。また、形容詞・形容動詞は、口語では命令形がないが、文語では「稽古は強かれ。」(風姿花伝)のごとく命令形が存在する。

動詞の活用は種類が分かれている。口語の場合は、五段活用上一段活用下一段活用カ行変格活用(カ変)・サ行変格活用(サ変)の5種類である。

  • 五段動詞は、未然形活用語尾が「あ段音」で終わるもの。例、「買う」。
  • 上一段動詞は、未然形活用語尾が「い段音」で終わるもの。例、「見る」。
  • 下一段動詞は、未然形活用語尾が「え段音」で終わるもの。例、「受ける」。
  • カ変動詞は「来る」および「来る」を語末要素とするもの。
  • サ変動詞は「する」および「する」を語末要素とするもの。

[編集] 語彙

詳細は日本語の語彙を参照

[編集] 分野ごとの語彙量

ある言語の語彙体系を見渡して、特定の分野の語彙が豊富であるとか、別の分野の語彙が貧弱であるとかを決めつけることは、一概にはできない。日本語でも、たとえば「自然を表わす語彙が多いというのが定評」<ref>金田一 春彦 (1988)『日本語 新版』上(岩波新書)。</ref>といわれるが、これは人々の直感から来る評判という意味以上のものではない。

実際に、旧版『分類語彙表』<ref>国立国語研究所 (1964)『分類語彙表』(秀英出版)。</ref>によって分野ごとの語彙量の多寡を比べた結果によれば、名詞(体の類)のうち「人間活動―精神および行為」に属するものが27.0%、「抽象的関係」が18.3%、「自然物および自然現象」が10.0%などとなっていて、このかぎりでは「自然」よりも「精神」や「行為」などを表す語彙のほうが多いことになる<ref>中野 洋 (1981)「『分類語彙表』の語数」『計量国語学』12-8。</ref>。ただし、これも、他の言語と比較して多いということではなく、この結果がただちに日本語の語彙の特徴を示すことにはならない。

[編集] 人称語彙

こうした中で、日本語に人称を表す語彙が多いことは注意を引く。たとえば、『類語大辞典』<ref>柴田 武・山田 進 [編] (2002)『類語大辞典』(講談社)</ref>の「わたし」の項には「わたし・わたくし・あたし・あたくし・あたい・わし・わい・わて・我が輩・僕・おれ・おれ様・おいら・わっし・こちとら・自分・てまえ・小生・それがし・拙者・おら」などが並び、「あなた」の項には「あなた・あんた・きみ・おまえ・おめえ・おまえさん・てめえ・貴様・おのれ・われ・お宅・なんじ・おぬし・その方・貴君・貴兄・貴下・足下・貴公・貴女・貴殿・貴方(きほう)」などが並ぶ。

上の事実は、現代英語の一人称・二人称代名詞がほぼ "I" と "you" のみであり、フランス語の一人称代名詞が "je"、二人称代名詞が "tu" "vous" のみであることと比較すれば、特徴的ということができる。もっとも、日本語においても、本来の人称代名詞は、一人称に「ワ(レ)」「ア(レ)」、二人称に「ナ(レ)」があるのみである。今日、一・二人称同様に用いられる語は、その大部分が一般名詞からの転用である<ref>亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 [編] (1996)『言語学大辞典6 術語編』(三省堂)の「人称代名詞」。</ref>。一人称を示す「ぼく」「手前」や三人称を示す「彼女」などを、「ぼく、何歳?」「てめえ、何しやがる」「彼女、どこ行くの?」のように二人称に転用することが可能であるのも、日本語の人称語彙が一般名詞的であることの表れである。

なお、敬意表現の観点から、目上に対しては二人称代名詞の使用が避けられる傾向がある。たとえば、「あなたは何時に出かけますか」とは言わず、「何時にいらっしゃいますか」のように言うことが普通である。

親族語彙の体系」の節をあわせて参照のこと。

[編集] 音象徴語彙

また、音象徴語、いわゆるオノマトペ(onomatopee)の語彙量も日本語には豊富である(オノマトペの定義は一定しないが、ここでは、擬声語・擬音語のように耳に聞こえるものを写した語と、擬態語のように耳に聞こえない状態・様子などを写した語の総称として用いる)。

擬声語は、人や動物が立てる声を写したものである(例、おぎゃあ・がおう・げらげら・にゃあにゃあ)。擬音語は、物音を写したものである(例、がたがた・がんがん・ちんちん・どんどん)。擬態語は、ものごとの様子や心理の動きなどを表したものである(例、きょろきょろ・すいすい・いらいら・わくわく)。擬態語の中で、心理を表す語を特に擬情語と称することもある。

オノマトペ自体は多くの言語に存在する。たとえば猫の鳴き声は、英語で "mew"、ドイツ語で "miau"、フランス語で "miau miau"、ロシア語で "мяу"(myau)、中国語で「喵喵」(miao miao)、朝鮮語で「야옹야옹」(yaongyaong)のごとくである<ref>改田 昌直・クロイワ カズ・『リーダーズ英和辞典』編集部 [編] (1985)『漫画で楽しむ英語擬音語辞典』(研究社)による。</ref>。しかしながら、その語彙量は言語によって異なる。日本語のオノマトペは欧米語や中国語の3倍から5倍存在するといわれ<ref>山口 仲美 [編] (2003)『暮らしのことば擬音・擬態語辞典』(講談社)p.1。</ref>、とりわけ擬態語が多く使われるとされる<ref>浅野 鶴子 [編] (1978)『擬音語・擬態語辞典』(角川書店)p.1。</ref>。

新たなオノマトペが作られることもある。「(心臓が)ばくばく」「がっつり(食べる)」などは、近年に作られた(広まった)オノマトペの例である。漫画などの媒体では、とりわけ自由にオノマトペが作られる。漫画家の手塚治虫は、漫画を英訳してもらったところ、「ドギューン」「シーン」などの語に翻訳者が「お手あげになってしまった」と記している<ref>手塚 治虫 (1977) 『マンガの描き方』(光文社)p.112。</ref>。また、漫画出版社社長の堀淵清治も、アメリカで日本漫画を売るに当たり、独特の擬音を訳すのにスタッフが悩んだことを述べている<ref>堀淵 清治 (2006) 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』(日経BP社)。</ref>。

[編集] 品詞ごとの語彙量

日本語の語彙を品詞ごとにみると、圧倒的に多いものは名詞である。その残りのうちで比較的多いものは動詞である。『新選国語辞典』の収録語の場合、名詞が82.37%、動詞が9.09%、副詞が2.46%、形容動詞が2.02%、形容詞が1.24%となっている<ref>金田一 京助他 [編] (2002)『新選国語辞典』第8版(小学館)裏見返し。</ref>。

このうち、とりわけ目を引くのは形容詞の少なさである。かつて柳田国男はこの点を指摘して「形容詞饑饉」と称した<ref>柳田 国男 (1938)「方言の成立」『方言』8-2(1990年の『柳田國男全集 22』(ちくま文庫)に収録 p.181)</ref>。英語の場合、『オックスフォード英語辞典』第2版では、半分以上が名詞、約4分の1が形容詞、約7分の1が動詞ということであり<ref>AskOxford: How many words are there in the English language?</ref>、英語との比較の上からは、日本語の形容詞が僅少であることは特徴的といえる。

ただし、これは日本語で物事を形容することが難しいことを意味するものではない。品詞分類上の形容詞、す