日本プロサッカーリーグ

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この項目ではプロサッカーリーグ(Jリーグ)そのものについて記述しています。プロサッカーリーグの運営組織については日本プロサッカーリーグ (社団法人)をご覧ください。
日本プロサッカーリーグ
種類 サッカー
開始年 1992年
参加チーム 31(J1:18、J2:13)
日本
前回優勝チーム J1:浦和レッドダイヤモンズ、J2:横浜FC

日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、Jリーグ)は、財団法人日本サッカー協会が主催、社団法人日本プロサッカーリーグが主催・運営する日本プロサッカーリーグ。日本のサッカーの活性化・実力向上と、地域と一体となったスポーツ振興を目的に掲げている。

スローガンは「Join!」(1999-2004年)「Amazing,J.」(2005-06年)、「Will Be 見せたい未来がある。」(2007年)

目次

[編集] リーグの変遷

[編集] Jリーグ発足以前(-1992年)

Jリーグ発足以前、日本サッカーを取り巻く環境は非常に貧弱であった。すでに日本リーグ(JSL)が行われていたが、一試合の観客動員数も人気カードで数千人、平均では千人程度であり、天皇杯全日本サッカー選手権大会等のカップ戦を含めても年間20万~30万人程。サッカー日本代表の試合でも地方の小規模なスタジアムで開催し、それでも観客席はまばらな状況であった。社会人のトップクラスのチームでも練習設備は乏しく、試合会場のピッチは芝生が剥げ、冬になれば黄色く枯れ、雨が降れば水溜りが出来るものが一般的であった。選手はごく一部を除きアマチュアで、普段は会社員としての仕事をしており、サッカーに集中出来る環境ではなかった。

しかし1980年代後半、当時のFIFA会長であったジョアン・アベランジェからアジア初のFIFAワールドカップ開催を日本サッカー協会へ打診されると、一気にプロリーグ構想が推進されていく。まもなく日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の発足が決定。初年度は10チームの参加により開始することとなり、1992年に「Jリーグ ヤマザキナビスコカップ」が行われた。

[編集] Jリーグ開幕とJリーグブーム(1993年-1995年)

1993年5月15日、華々しく開幕したJリーグは、それまでメジャーなプロスポーツと言えばプロ野球プロゴルフ大相撲くらいしか存在しなかった日本に大きな衝撃を与えた。試合は満員の観客が集まりテレビ中継も頻繁に行われた、Jリーグ・サッカー関連の商品も多く売れ、クラブに大きな収入をもたらした。1993年には新語・流行語大賞を受賞した。

翌94年の1試合平均観客動員数は19,598人で、この記録は2006年シーズン終了時点でも破られていない。都市部にクラブが集中していたとは言えスタジアムの整備も現在と比べて行き届いておらず、さらに平日開催も頻繁に行った上でこの観客数は、当時のブームの大きさを窺わせる。

開幕当時、Jリーグの「企業に過度に依存しない経営」、「地域住民や自治体との連携」という考えは日本において極めて異色の独自性の強いものであったが、当初は「プロ野球のサッカー版」という見られ方をされることも少なくなかった。また、この時期は選手の年俸が国際市場価格と比較して異常なほど高騰し、後にJリーグ各クラブの経営を圧迫する一因となった。

現在では批判的に見られることの多いJリーグバブルではあるが、この時期にサッカーの認知度が劇的に向上しており、日本サッカーの発展に果たした役割は大きい。また数々の大物外国人や有名監督とのパイプも多くはこの時期に築かれている。

[編集] Jリーグブームの沈静化とクラブ経営の危機(1996年-2000年)

Jリーグは1996年に「百年構想」を発表する。すなわち「企業スポーツの枠内から脱し、地域に根ざした新しいスポーツのあり方を模索する」という理念を掲げ、積極的にクラブ数を拡大して、最終的には全国に100のクラブを作ることを目標とした。

しかし、Jリーグはこの頃からブームの沈静化が始まる。観客動員数も急激に減少し、1994年に19,598人を記録した平均観客動員数も、1997年には10,131人と僅か3年で半分近くまで減少した(もっとも、プロ化以前と比較すれば数倍の数であるが)。

そしてさらに1998年には、横浜マリノス横浜フリューゲルスの合併(事実上のフリューゲルス消滅)が発表される。横浜フリューゲルスという、当時のJリーグクラブの中では比較的人気があり、成績も上位に定着しつつあったクラブの消滅は、Jリーグの理念と日本社会のスポーツに対する考えとの乖離が生んだ悲劇といえる。また横浜フリューゲルスの事実上の後継として横浜FCが発足したが、多くのファンはこの事件に失望してスタジアムに戻って来なかった。

しかし、このような深刻な危機を迎えたJリーグではあったが、フランスW杯への日本代表の出場と日韓共催W杯の開催決定を契機として観客動員数は緩やかながらも復調の兆しが見え始める。

そして1999年にはJリーグ参加を希望するクラブの増加に応えるべく二部制を導入。これにより地方を中心に多くのJクラブが全国各地に誕生することとなった。

[編集] Jリーグの成長と地域密着の浸透(2001年-2005年)

ブームが沈静化した97年頃から1試合平均1~1.2万人程度で推移していた観客動員数は、日本開催のW杯を控えた2001年に急激に好転しその後も徐々に増加を始める。Jリーグの活動方針の柱である地域密着の取り組みが徐々に浸透していったためである。

メディアに煽られた感の強かった発足当初の人気に対し、2001年以降の人気回復は地域や地方都市のローカリズムに寄って立つ比重が非常に大きい。本拠地をフランチャイズ(独占的商業地)ではなく「ホームタウン」と呼ぶことに象徴されるとおり、地域住民に自分の街のクラブという意識を強く抱かせることでサポーターと呼ばれる熱狂的なファン層を増やし、リピーター効果によって観客数を押し上げた。また、かつてはごく少数の企業等がクラブを保有したが、現在では大手スポンサーに加え、自治体や地域の市民たちでクラブを支える経営手法をとるクラブも多数生まれた。この「地域密着」の動きは日本のプロスポーツ界全体に広がることとなった(具体例としてアルビレックス新潟#アルビレックス成功の余波も参照)。

この動きにW杯開催によるサッカーブームが加わり、Jリーグは発足当初ほどの盛り上がりはないものの徐々にファンを増やすことに成功した。また、2部リーグの開設により参入への敷居が低くなり、全国各地にJ参入(もしくはその下のJFL)を目標とするクラブが誕生した。これらの事象は、Jリーグ発足当時から目指してきた事柄が、10年以上の時間を掛けてようやく形となってきた、と各メディアで分析された。

[編集] Jリーグの現在と未来(2006年-)

Jリーグは07年現在、J1、J2合わせて31クラブが所属している。Jの将来構想委員会報告書によると、2010年までに36クラブ(J2を18クラブ)に拡張させることが望ましい、としている。また、リーグ全体の競技レベルを維持するため、当初予定されていたJFLとの入れ替えは当面行わず、ゆっくりとJ2の拡大を行っていく考えを示している。現在、Jリーグチームの存在しない山陰・九州南部には現実的にJ2入りを目指すJリーグ準会員が存在するものの、ほかのJリーグ空白地帯である東北北部・北陸・沖縄などにJリーグ所属チームが必要との声も多い(これらの地域でもJリーグに将来参加を目指しているチームはあるものの、経営面や実力面等の問題で現実的なJ2入りは当面先と見られている)。また、チーム数増加によるレベルの低下も懸念されており、外国人枠の増加なども叫ばれている。ちなみに2007年現在、東海の3チーム(名古屋、磐田、清水)は創設以来、唯一1度もJ2を経験していない地域である。

また別の問題点として、TV放送等の映像コンテンツとしてのJリーグの商品価値が90年代半ばのブーム沈静化以来回復していない点が指摘されている。巨額の放映権料を基盤とした欧州の主要サッカーリーグと比較してJリーグの市場規模は限定されていると言わざるをえない。

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[編集] 沿革

[編集] リーグ構成

[編集] Jリーグ ディビジョン1 (J1)

[編集] 試合方式(2007年)

  • 18チームによる2回総当りホーム&アウェイ方式1シーズン(通年制 34試合)の成績で順位を決定する。
  • 勝ち点は勝ち3点、引き分けは双方1点、負け0点。最終的に勝ち点の多いチームが優勝。同点の場合、得失点差→総得点→直接対決成績→抽選で決める。ただし、優勝決定の場合、抽選を行わず両クラブを優勝者とする。
  • 17,18位のチームが自動的に降格し、翌年はJ2となる。16位チームはJ2の3位チームと入れ替え戦を実施する。

[編集] 2007年の参加チーム

チーム名ホームタウンホームスタジアムJ1参加年度
鹿島アントラーズ茨城県鹿嶋市潮来市神栖市鉾田市行方市カシマサッカースタジアム1993年-
浦和レッドダイヤモンズ埼玉県さいたま市埼玉スタジアム2002さいたま市浦和駒場スタジアム1993-1999年、2001年-
大宮アルディージャ埼玉県さいたま市ナックファイブスタジアム大宮2005年-
ジェフユナイテッド市原・千葉千葉県千葉市市原市フクダ電子アリーナ市原臨海競技場1993年-
柏レイソル千葉県柏市日立柏サッカー場1995-2005年、2007年-
FC東京東京都全域味の素スタジアム2000年-
川崎フロンターレ神奈川県川崎市等々力陸上競技場2000年、2005年-
横浜F・マリノス神奈川県横浜市横須賀市日産スタジアム三ツ沢公園球技場1993年-
横浜FC神奈川県横浜市三ツ沢公園球技場2007年-
ヴァンフォーレ甲府山梨県甲府市韮崎市を中心とする全県山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場2006年-
アルビレックス新潟新潟県新潟市聖籠町東北電力ビッグスワンスタジアム新潟市陸上競技場2004年-
清水エスパルス静岡県静岡市静岡市日本平スタジアム1993年-
ジュビロ磐田静岡県磐田市ヤマハスタジアム1994年-
名古屋グランパスエイト愛知県名古屋市名古屋市瑞穂公園陸上競技場豊田スタジアム1993年-
ガンバ大阪大阪府吹田市万博記念競技場1993年-
ヴィッセル神戸兵庫県神戸市ホームズスタジアム神戸1997-2005年、2007年-
サンフレッチェ広島広島県広島市広島ビッグアーチ県営広島スタジアム1993-2002年、2004年-
大分トリニータ大分県大分市別府市佐伯市を中心とする全県九州石油ドーム2003年-

[編集] 過去の参加チーム

過去にJ1(1998年以前はJリーグ)に所属したことのあるクラブチームを以下にあげる。(2007年の所属クラブを除く)

チーム名J1加盟年度
コンサドーレ札幌1998、2001-2002年
ベガルタ仙台2002-2003年
横浜フリューゲルス1993-1998年(消滅)
ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ1994-1999年
東京ヴェルディ19691993-2005年
京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.1996-2000年、2002-2003年、2006年
セレッソ大阪1995-2001年、2003年-2006年
アビスパ福岡1996-2001年、2006年

[編集] 過去の優勝チーム

  • 1993~95年は前後期同一チーム完全優勝の場合でも、各ステージの2位同士のプレーオフを開催し、その勝者がチャンピオンシップ(年間王者決定戦)に出場できる方式を採用し、チャンピオンシップを必ず開催することになっていた。だが、この間は完全優勝がなかった。
    • 1993~95年まで(この3年間は年間4回総当りを1ステージ2回ずつに区切って開催)の第1ステージは「サントリーシリーズ」、第2ステージは「日本信販・NICOSシリーズ」として開催。
    • 1995年は、14チームで年間4回総当りを行うと1チーム52試合となり、選手の健康負担が増える可能性があることから一時は1シーズン制での3回総当り(1チーム39試合)にすることも検討されていたが、当時のリーグ戦ステージ・スポンサーを含むオフィシャルスポンサーとの契約上の問題(1995年度一杯まで契約があった)から断念し、結局4回総当りを維持。代りにナビスコ杯を休止にした。
  • 1996年は初の1シーズン制を採用しチャンピオンシップは開催せず、その代わりとしてサントリーカップ・96チャンピオンズファイナル と題する大会が開催される。その時はリーグ戦とナビスコカップの上位2チームずつが決勝トーナメントに進出してその年のJリーグ総合王者を決める方式を行った。
  • 1997年以降は再び2シーズン制を導入し、同一チーム完全優勝の場合はチャンピオンシップを行わないことになった。(チャンピオンシップの成績はその項を参照)
  • 2005年シーズンからは1シーズン制となるので、チャンピオンシップは行なわれない。
  • 優勝チーム特典としてAFCチャンピオンズリーグ(※)、A3チャンピオンズカップ、並びにゼロックス・スーパーカップの各大会出場権が与えられる(なお天皇杯との2冠を達成した場合、AFCはリーグ2位チーム、スーパーカップは天皇杯の準優勝チームが繰り上げ出場する。またA3は日本で開催される場合にはJ1の優勝チーム以外からの推薦出場枠がある。2003年と2006年はナビスコ杯優勝チームが出場した)。
1993年から2000年まで年間優勝クラブにはアジアクラブ選手権の出場権が与えられた。また1992年はレギュラーリーグがなく、Jリーグナビスコ杯の優勝クラブ(ヴェルディ川崎)が国内リーグ優勝クラブ扱いでこの大会に出場した。
  • 2005年ガンバ大阪が優勝し、ようやく13年目にして初めて大阪を本拠地としているチーム(関西としても初)が優勝したが、東京を本拠地としているチームの優勝は今のところない(ただし、東京を本拠地とするチームは2000年昇格のFC東京が最初。なお、ヴェルディは東京に移ってからのリーグ優勝経験はない)。
  • 2006年浦和レッズ初優勝。1999年の2部制移行以後、J2降格および在籍経験を持つチームが優勝したのは史上初である。
年間優勝チーム第1ステージ第2ステージ
1993年ヴェルディ川崎鹿島アントラーズヴェルディ川崎
1994年ヴェルディ川崎サンフレッチェ広島ヴェルディ川崎
1995年横浜マリノス横浜マリノスヴェルディ川崎
1996年鹿島アントラーズ(1シーズン制)
1997年ジュビロ磐田鹿島アントラーズジュビロ磐田
1998年鹿島アントラーズジュビロ磐田鹿島アントラーズ
1999年ジュビロ磐田ジュビロ磐田清水エスパルス
2000年鹿島アントラーズ横浜F・マリノス鹿島アントラーズ
2001年鹿島アントラーズジュビロ磐田鹿島アントラーズ
2002年ジュビロ磐田ジュビロ磐田ジュビロ磐田
2003年横浜F・マリノス横浜F・マリノス横浜F・マリノス
2004年横浜F・マリノス横浜F・マリノス浦和レッドダイヤモンズ
2005年ガンバ大阪(1シーズン制)
2006年浦和レッドダイヤモンズ

[編集] J1同一カード未勝利記録(リーグ戦)

1、ヴィッセル神戸(vsジュビロ磐田)(18戦) 2、京都サンガFC(vsジュビロ磐田)(13戦) 3、大分トリニータ(vsジェフ千葉)(9戦)

[編集] Jリーグ ディビジョン2 (J2)

[編集] 試合方式(2007年)

  • 13チームによる4回総当りの通年制(1シーズン制 年間48試合)。1、2位のチームがJ1の17、18位のチームと入れ替わって翌年のJ1昇格。また、3位チームはJ1の16位チームと入れ替え戦ホーム・アンド・アウェー方式で対戦。入れ替え戦ではアウェーゴール方式が採用される。
  • ただし上位2チームのうちどちらかがJ1参入条件を満たしていない場合は、入替え戦敗者がJ1昇格(あるいは残留)となる。上位2チームが両方ともJ1参入条件を満たしていない場合はさらに下位チームに昇格権が与えられる。(なお過去に上位2チームがJ1参入条件を満たしていないことはなかった)
  • 勝ち点は勝ち3点、引き分けは双方1点、負け0点。最終的に勝ち点の多いチームが優勝。同点の場合、得失点差→総得点→直接対決成績→決定戦で決める。なお、決定戦は主催者が特に必要とした場合に実施する。行わない場合は抽選で順位を決める。

[編集] 2007年の参加チーム

チーム名ホームタウンホームスタジアム
コンサドーレ札幌北海道札幌市札幌ドーム札幌厚別公園競技場
ベガルタ仙台宮城県仙台市ユアテックスタジアム仙台
モンテディオ山形山形県山形市天童市鶴岡市を中心とする全県NDソフトスタジアム山形
水戸ホーリーホック茨城県水戸市笠松運動公園陸上競技場
ひたちなか市総合運動公園陸上競技場
ザスパ草津群馬県草津町前橋市を中心とした全県敷島公園陸上競技場
同群馬県サッカー・ラグビー場
東京ヴェルディ1969東京都味の素スタジアム
湘南ベルマーレ神奈川県厚木市伊勢原市小田原市茅ヶ崎市
秦野市平塚市藤沢市大磯町寒川町二宮町
平塚競技場
京都サンガF.C.京都府京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場
セレッソ大阪大阪府大阪市大阪長居スタジアム、大阪長居第2陸上競技場
徳島ヴォルティス徳島県徳島市鳴門市美馬市松茂町板野町
北島町藍住町を中心とする全県
ポカリスエットスタジアム
徳島市球技場
愛媛FC愛媛県松山市を中心とする全県愛媛県総合運動公園陸上競技場
アビスパ福岡福岡県福岡市東平尾公園博多の森球技場
サガン鳥栖佐賀県鳥栖市鳥栖スタジアム

[編集] 過去の上位チーム

2003年までは自動昇格の2位まで、2004年からはJ1・J2入れ替え戦出場の3位までを記した。
優勝チーム準優勝チーム3位チーム
1999年川崎フロンターレFC東京 
2000年コンサドーレ札幌浦和レッドダイヤモンズ
2001年京都パープルサンガベガルタ仙台
2002年大分トリニータセレッソ大阪
2003年アルビレックス新潟サンフレッチェ広島
2004年川崎フロンターレ大宮アルディージャアビスパ福岡
2005年京都パープルサンガアビスパ福岡ヴァンフォーレ甲府(J1昇格)
2006年横浜FC柏レイソルヴィッセル神戸(J1昇格)
  • 二度J2に降格し、二度J1に這い上がったチームは2006年現在京都サンガF.C.のみである。しかし2006年J2降格が決定。三度J2に降格したのも史上初である。

[編集] Jリーグ 準加盟クラブ(準会員制度)

Jリーグ準会員制度とは、将来構想委員会で制定された制度でありJリーグへの入会を目指し一定の基準を満たしたクラブがJリーグ準加盟クラブとして認定される。 準加盟クラブは、JFL所属クラブだけではなく、地域リーグまたは都道府県リーグ所属クラブでも対象とされるが、JFLにおいて4位以上の成績を収めた準加盟クラブのみがJ2入会が認められる。

過去に準加盟申請を行ったクラブは以下の通り
申請年月申請チーム所属リーグ本拠地結果
2006年8月ロッソ熊本JFL熊本県 熊本市 承認
栃木SCJFL栃木県 宇都宮市審議継続
2007年1月栃木SCJFL 栃木県 宇都宮市承認 
ガイナーレ鳥取JFL鳥取県 米子市鳥取市承認
FC岐阜JFL岐阜県 大垣市 審議継続→条件付承認 *1
FCペラーダ福島東北リーグ2部福島県 福島市 不認可  
  • *1 成績に加え、経営基盤の強化がJ2昇格の条件となる

[編集] 準加盟承認クラブ

[編集] 観客数

  • 掲載順は平均観客数による。
  • 所属リーグも含め、Jリーグ2006年シーズンのもの。ただし、命名権によりホームスタジアム名が変更になったものはそれに従い、通称・愛称があるものもそれに従う。
  • 開催数が最も多いものか、開催数同数では座席数最大のものをホームスタジアムとし、その座席数を記載。
  • ホームゲーム数:J1は17試合、J2は24試合。
 チームホームスタジアム収容人数観客数
平均(合計)
リーグ
1浦和埼玉スタジアム2002
さいたま市
63,700人45,573人
(774,749人)
J1
2新潟東北電力ビッグスワンスタジアム
新潟市
42,300人38,709人
(658,050人)
J1
3F東京味の素スタジアム
調布市
49,970人24,096人
(409,634人)
J1
4横浜FM日産スタジアム
横浜市
72,327人23,663人
(402,270人)
J1
5大分九州石油ドーム
大分市
40,000人20,350人
(345,955人)
J1
6磐田ヤマハスタジアム
磐田市
16,893人18,002人
(306,033人)
J1
7G大阪万博記念競技場
吹田市
21,000人16,259人
(276,395人)
J1
8鹿島カシマスタジアム
鹿嶋市
40,728人15,433人
(262,365人)
J1
9名古屋瑞穂陸上競技場
名古屋市
27,000人14,924人
(253,702人)
J1
10仙台ユアテックスタジアム仙台
仙台市
19,694人14,453人
(346,868人)
J2
11川崎等々力陸上競技場
川崎市
25,000人14,340人
(243,780人)
J1
12清水日本平スタジアム
静岡市
20,399人14,302人
(243,137人)
J1
13福岡博多の森球技場
福岡市
22,563人13,780人
(234,259人)
J1
14千葉フクダ電子アリーナ
千葉市
19,781人13,393人
(227,680人)
J1
15C大阪長居スタジアム
大阪市
50,000人13,026人
(221,438人)
J1
16甲府小瀬スポーツ公園陸上競技場
甲府市
17,000人12,213人
(207,629人)
J1
17広島広島ビッグアーチ
広島市
50,000人11,180人
(190,066人)
J1
18札幌札幌ドーム
札幌市
41,580人10,478人
(251,476人)
J2
19大宮駒場スタジアム
さいたま市
21,500人10,234人
(173,986人)
J1
20京都西京極競技場
京都市
20,588人9,781人
(166,280人)
J1
21日立柏サッカー場
柏市
15,900人8,328人
(199,872人)
J2
22鳥栖鳥栖スタジアム
鳥栖市
24,490人7,465人
(179,151人)
J2
23神戸ホームズスタジアム神戸
神戸市
34,000人6,910人
(165,834人)
J2
24東京V味の素スタジアム
調布市
49,970人5,705人
(136,926人)
J2
25湘南平塚競技場
平塚市
18,500人5,365人
(128,766人)
J2
26横浜FC三ツ沢公園球技場
横浜市
15,046人5,119人
(122,852人)
J2
27山形NDソフトスタジアム山形
天童市
20,315人5,085人
(122,042人)
J2
28愛媛愛媛県陸上競技場
松山市
20,000人4,139人
(99,334人)
J2
29草津敷島公園陸上競技場
前橋市
19,000人3,736人
(89,670人)
J2
30徳島ポカリスエットスタジアム
鳴門市
21,228人3,477人
(83,452人)
J2
31水戸笠松陸上競技場
那珂市
22,022人3,017人
(72,405人)
J2

[編集] 備考

Jリーグの1・2部制となる以前の1992年1993年にもジャパンフットボールリーグ(旧JFL)の略称としてJ1・J2が使われたことがある。

[編集] Jリーグが主催する大会

J1、J2リーグ以外のJリーグが主催する大会は以下の通り。

[編集] 賞金・表彰制度

[編集] J1

[編集] リーグ戦(2005年~)

  • 1位 2億円、優勝杯(銀皿)、日本サッカー協会キャプテン杯、優勝旗
  • 2位 1億円、準優勝杯(銀皿)
  • 3位 8000万円
  • 4位 6000万円
  • 5位 4000万円
  • 6位 2000万円
  • 7位 1000万円

[編集] サントリーチャンピオンシップ(2004年まで)

  • 1位 2000万円、優勝杯(銀皿)、日本サッカー協会キャプテン杯、優勝旗
  • 2位 1000万円、準優勝杯(銀皿)

[編集] J2

  • 1位 2000万円、Jリーグカップ
  • 2位 1000万円、Jリーグカップ

[編集] 個人賞

  • 最優秀選手賞
  • ベスト11
  • 得点王
  • 最優秀新人賞(新人王)
  • 高円宮杯フェアプレー賞(チーム賞)
  • フェアプレー個人賞
  • 最優秀監督賞
  • 優勝チーム監督賞
  • 優秀主審賞
  • 優秀副審賞
  • Join賞

※得点王以外はJ1のみ

いずれも12月に横浜アリーナで行われるJリーグアウォーズにて表彰される。

[編集] 試合で着用するユニフォーム

  • 原則としてそれぞれのチームカラーベースの1stユニフォームを着用するが、チームカラーが重複する場合にはホームチームは1stユニフォーム、アウェーの場合は白ベースが中心の2ndユニフォームを使うことになっている(チームによっては3rdユニホームを取り入れているチームもある。以前は黒一色だけのユニホームは審判団と混同される恐れから使用が認められなかった)。
  • ただ、かつての横浜フリューゲルス(チームカラー:白)やアビスパ福岡(同:銀色)、ヴィッセル神戸(同:白と黒の縦縞)は、お互いが直接対決する時以外には対戦相手とユニフォームカラーが重複しないので、アウェーの試合のほとんども1stユニフォームだけでプレーできた。
  • それによる弊害もあった。1995年4月1日に開かれた第1ステージ・横浜フリューゲルス対サンフレッチェ広島(熊本・水前寺)の試合で、ホームの横浜Fは白ベースの1stユニフォームを着用しているため、広島の選手も本来紫ベースの1stユニフォームで試合するべきところを、間違えて白ベースの2ndユニフォームを持参してしまった。そのためサポーターから1stユニフォームのレプリカを借りて背番号をガムテープで貼りあわせて急ごしらえした。この後日本サッカー協会から広島に対し制裁金が課せられた。
  • Jリーグ初期に白ベースのチームはフリューゲルスしか所属していなかったので、ユニフォーム使用パターン表ではホーム用しか描かれていなかった。しかし何試合かで2ndユニフォーム(青)を着用することもあった。なお現在はJリーグ所属チームの中で1stユニフォームが白ベースのチームは無い。(かつてのアビスパ福岡は2ndユニフォームと1stユニフォームのカラーを入れ替え、ヴィッセル神戸はチームカラーごと変更している)。
  • 背番号に関しては1996年まで(天皇杯を除く)スターティングメンバーは111番、控えは1216番(GKは116番)を試合ごとに変える方式が取られたが、1997年以降はかつての日本リーグやジャパンサッカーリーグと同じく、選手個別で番号がつけられるようになった。2004年に改正され、欠番などが認められるようになった。それに伴い、現在では12番をサポーター用番号として欠番とするチームもある。現在の規定を以下に示す。
    1. 自然数000を除く)であることが条件。
    2. 1番はGK専用。
    3. 211番はGK以外のフィールドプレイヤー用。
    4. 12番以降はポジションに関係なく着用可能。
    5. 140番に関しては欠番が認められる。
    6. 41番以降を使用する場合、入団順に着用し、41番以降は欠番とすることができない。
    7. 各選手は、1年間を通して同じ背番号を着用する。
    • Jリーグ発足初年度の1993年、鹿島アントラーズの石井正忠611番までの6つの背番号をつけて出場した。当時の鹿島は6本田泰人7アルシンド8サントス9黒崎比差支10ジーコ11長谷川祥之のパターンが一般的だったが、この6人のうち出場停止処分を受けた選手や怪我で出場できない選手がいた場合は石井が代役として使われたため、このような珍しい記録が生まれた。
    • また、1996年シーズンは、ガンバ大阪の今藤幸治は、スタメン出場時、GKの番号の1以外、211のFPスタメン番号全ての背番号を付けた。
  • J1リーグ年間チャンピオンチームは、日本サッカー協会のシンボルであるヤタガラスの付いたチャンピオンマーク(上部に"J"を表示)を翌シーズン、ユニフォームの袖にJリーグのロゴに代えて付けることができる。(ちなみに天皇杯優勝チームは"E"、リーグと天皇杯の二冠チームは"☆"となる。)
  • 最近では背番号の下部に登録選手名をローマ字で表すこともある。これは背番号の上部がスポンサーの広告スペースであることが通常のためである。ただしAFCチャンピオンズリーグなどに出場する場合、スポンサーは1つに限られ、それが胸部に掲載されるため、野球などと同様、背番号の上部に名を表記することが多い。
  • ユニフォームに記載される名は登録名に基づくため、日本人選手の場合は苗字が入ることが一般的だが、リーグへの届出をすれば名前(ファーストネーム)や愛称を入れることができる。
  • ユニフォーム・サプライヤー(供給メーカー)は1996年度までミズノが全クラブに対して行っていたが、1997年度はミズノをはじめ、アンブロアディダスプーマがリーグとサプライ契約していた。これに対しカップ戦などでは各チーム単位で契約となっていたため、リーグ用、カップ用それぞれ別のユニフォームを用意していることが多かった。(各チームのユニフォームサプライについてはそれぞれの項を参照されたい)。しかし1998年からは各チーム単位でスポーツユニフォームメーカーと契約となったため、どちらでも同じユニフォームが使用されている。

[編集] 試合の開催日

  • J1は創設当初から2000年までは基本的に毎週土曜日が中心だった。(1993~95年の2ステージ制時代は水曜日の開催もほぼ恒常的に行われた)
  • J2は旧ジャパンフットボールリーグの時代とほぼ同じように1999年、2000年の2年間は主として毎週日曜日と月1~2回程度の木曜日開催が中心だった。
  • その後totoの導入に伴い、2001年は原則的にJ1、J2とも毎週土曜日中心の開催(J2は一部日曜開催あり)としたが、2002年からテレビ中継の日程調整も考慮しJ1は原則として2試合を日曜日開催とする分散型が取り入れられた。
  • 祝日以外の平日開催はすべてナイトゲーム(但し初期のころ一部の試合で水曜日開催ながらデイゲームで行ったケースあり)。週末分はデイゲームが基本だが、テレビ中継への配慮からナイトゲームが1-2試合程度(夏季は週末でもほぼ全試合)行われることがある。
  • 原則として最終戦は順位決定の有利・不利をなくす為、全試合とも開催日・キックオフ時間を統一している。特に2004年以後は終盤数節もそれらの試合日程を統一している。

[編集] 指導者資格ライセンスについて

  • 第1種チーム(トップ)の監督は