日本の国旗
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日本の国旗(にっぽんのこっき)とは、正式には日章旗(にっしょうき)。日本では一般的に日の丸(ひのまる)と呼ばれる。
国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)の規定によれば、旗の形は縦が横の3分の2の長方形。日章の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心。色は地は白色、日章は紅色とされている。
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[編集] 起源
日章旗の起源は未詳であるが、日本人は古来、太陽を信仰の対象としており、聖徳太子も隋の皇帝・煬帝へ、「日出処天子―」で始まる手紙を送るなど、また国名「日本」(日ノ本)というところからも太陽(日の出)を意識しており、「日が昇る」という現象を大切にしていたことが窺える。
世界的・歴史的に太陽が赤で描かれることは珍しく(太陽は黄色または金色、それに対して月は白色または銀色で現すのが一般的である)、日本でも古代から赤い真円で太陽を表すことが一般的であったというわけではない。例えば高松塚古墳、キトラ古墳には東西の壁に日象・月象が描かれているが、共に日象は金、月象は銀の真円で表されている。また711年(大宝元年)の文武天皇の即位以来、宮中の重要儀式では三足烏をかたどった銅烏幢に日月を象徴する日像幢と月像幢を伴って飾っていたことが知られるが、神宮文庫の『文安御即位調度之図』(文安元年記録)の写本からは、この日像幢が丸い金銅の地に赤く烏を描いたものであったことが確認されている。これは世俗的にも共通した表現であったようであり、『平家物語』などの記述などからも平安末期の頃までの日輪の表現は通常赤地に金丸であったと考えられている。対して赤い真円で太陽を表現する系譜は、中国漢時代の帛画に遡る(上の日像幢と同様に内側に黒い烏を配するものである)。日本での古い例としては、法隆寺の玉虫の厨子の背面の須弥山図に、赤い真円で表された日象が確認される。また平安時代においても密教図像などに見出される表現であり、中国から仏教とともにもたらされた慣習であると推測される。こうした表現が原型となり、白地赤丸の日章旗が生まれたと考えるのが妥当であろう。なお日本では紅白がめでたい色とされており、日章旗が定着していった事実は日本人の精神構造を知るうえで興味深い。因みに「あか」の語源は「あかるい」と言う処からきている。
現存最古の日章旗としては、雲峰寺所蔵のものが知られる。これは後冷泉天皇より源義光(新羅三郎)が下賜されたという伝承をもっており、「御旗」(みはた)と呼ばれ義光の系譜である甲斐武田家に家宝として伝来した。その伝来を無条件に信じるわけにはいかないが、中世前半に遡る遺例として貴重である。また同じく中世の日章旗としては、奈良の堀家に伝わる後醍醐天皇下賜のものが知られるが、これは現在盗難に遭っている。
江戸時代の絵巻物などにはしばしば白地に赤丸の扇が見られるようになっており、近世には簡易な装飾として普及していた。特に狩野派なども赤い旭日の表現を多用するようになり、江戸時代の後半には縁起物の定番として認識されるに到っていた。
船印としては、薩摩藩に服属していた琉球王国が中国への進貢船に日章旗を用いており、江戸時代後期からは薩摩藩の船印としても用いられるようになった。開国後は幕府が日本国共通の船舶旗(船印)を制定する必要が生じたときに、薩摩藩からの進言(進言したのは薩摩藩主、島津斉彬だといわれる)で日章旗を用いることになった。一般的に日本を象徴する旗として公式に用いられるようになったのはこれが最初であるとされるが、戊辰戦争時には官軍が菊花旗、幕府側が日章旗を用いており、国旗として扱われるようになったのは明治以降である。
[編集] 国旗制定と法制化
1870年2月27日(明治3年1月27日)制定の太政官布告第57号郵船商船規則(後年、単に「商船規則」と称するようになる)に基づき、日本船の目印として採用されて以来、日本の国旗として使用されてきた。商船規則による日章旗の規格は現行とは若干異なり、縦横比は7対10、日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていた。
1931年(昭和6年)2月、第59回帝国議会において、いわゆる議員立法の法案として衆議院議員石原善三郎により全11条及び附則からなる「大日本帝国国旗法案」(国歌についての条項は含まず)が議員提出され、3月26日衆議院本会議において可決されたが、貴族院送付後の3月28日勅命による帝国議会閉会により審議未了廃案となり、続く第60回帝国議会に再提出されたが、衆議院解散により廃案、結局成立しなかった。
1990年代末から、各地の高校や大学の入学式で日章旗を掲揚するか否かの議論が高まり、1999年(平成11年)施行の国旗国歌法により、正式に国旗として定められた(ただしあくまで憲法の範囲内であり、これによって表敬・崇敬の強制をするものではないとの首相による憲法解釈が存在する)。教育における国旗掲揚の意見対立について、詳しくは国旗及び国歌に関する法律を参照。
なお、大喪時の掲揚方法は、大喪中ノ国旗掲揚方(大正元年閣令第1号)に定められている。
[編集] 法制化前における法令での扱い
商船規則は船の帰属国の旗に関する規定であり日章旗を純粋に国の旗として定める法規ではなかったこと、商船規則発布以降も当時の帝国議会で国旗法案が提出されたものの廃案となったことから見て大日本帝国憲法下の日本で「国旗法が欠けている」との社会的認識があったと思われることなどから、特に第二次世界大戦後に、日章旗の国旗としての法的正当性に疑義を唱え反・日の丸を主張する勢力が出現、統計調査等でもこれを支持する意見が一定の勢力を占めるようになった。これに対し日章旗を国旗と認める勢力は日章旗が日本国旗であることは一種の慣習法と考えられることなどを主張、その根拠として前出の商船規則、大喪中ノ国旗掲揚方のほかにも複数の法令の条文中に「国旗」(ここでは前後の条文の文意から外国旗でも普通名詞としての国旗でもなく日本国旗を明確に指す)の文字が使用され「日本国旗が存在することが当然の前提とされている」ことを挙げていた。国旗国歌法制定前の法律で日本国旗を意味する「国旗」の文字を含んでいた事例は次のとおり(当該条文は後に部分的に文言が改正されたものもあるがここでは初制定時のものを掲載。国会の審議を経ない命令(政令以下)での使用例は省略。旧字体新字置換)。
- 船舶法(明治32年法律第46号)第2条「日本船舶ニ非サレハ日本ノ国旗ヲ掲クルコトヲ得ス」ほか複数条項に登場
- 海上保安庁法(昭和23年法律第28号)第4条第3項「海上保安庁の船舶は、番号及び他の船舶と明らかに識別し得るような標識を附し、国旗及び海上保安庁の旗を掲げなければならない。」
- 保安庁法(昭和27年法律第265号)第83条第1項「保安庁の使用する船舶は、番号及び他の船舶と明らかに識別し得るような標識を付し、国旗及び長官の定める旗を掲げなければならない。」
- 自衛隊法(昭和29年法律第165号)第102条第1項「自衛艦その他の自衛隊の使用する船舶は、長官の定めるところにより、国旗及び第四条第一項の規定により交付された自衛艦旗その他の旗を掲げなければならない。」
- 商標法(昭和34年法律第127号)第4条第1項第1号「国旗、菊花紋章、勲章、褒章又は外国の国旗と同一又は類似の商標」
[編集] 制式(デザイン)について
国旗国歌法の本則における日章旗の制式は、縦横比を2対3、旗の中心(対角線の交点)を中心とし、縦の長さの5分の3を直径とした円(日章、日輪)を描くのが正式である。なお、日章の赤は法律では「紅色」となっているが、実際には金赤が使われることが多い。
長らく慣行として、縦横比を7対10とし、日章を旗の中心より旗竿側に100分の1近づけた点を中心として描くものが使用されてきたため、同法の附則第3項で当分の間この制式も用いることができる旨の特例が定められている。両者の縦横比を最小公倍数に換算すると、本則:14対21、特例:14対20となり、本則のほうがやや横長(あるいは特例のほうが縦長)となるが、日章と白地のバランスとしては特例の方が安定している、風にはためく時の見栄えは日章が旗竿に寄っているほうが美しい、とする意見もある。
過去に日本の委任統治領であったパラオ共和国の国旗(青地に黄色の丸)は、太陽をイメージした日本の国旗のデザインを元に月をイメージして作られたものである、と辻原康夫<ref>辻原康夫『図説国旗の世界史』河出書房新社、2003年、73,89頁。</ref>、や名越二荒之助が主張している。
安津素彦の著作『国旗の歴史』に、明治時代にイギリスまたはフランスが日本の国旗のデザインを買い取ろうとしたという記述があるが、学説上の根拠はなくフィクションの域を出ていない。この国旗買収の話は、伊本俊二の著作『国旗 日の丸』<ref>伊本俊二『国旗 日の丸』中央公論新社、1999年、176-177頁、ISBN 4122034639</ref>では、1874年(明治7年)の春頃にイギリスが買収を申し出て、(当時の500万円)、寺島宗則外務卿を交渉相手先とする噂話が漠然と日本国内に広まったもの(1876年頃終息)とされている。
[編集] 日章旗に対する反感
各種世論調査から、大多数の日本国民は日章旗を国旗と認めており、抵抗感もないとされている。テレビ朝日が1999年7月に行った世論調査では、日本国民の多数は日章旗を日本の国旗とすることに賛成している(同時に、法制化については国民投票を実施すべきとの意見も多数であった。ただし、当時は国民投票法は制定されていなかったため不可能であった)<ref>テレビ朝日の世論調査の結果</ref>。ただし、以下の経緯から国内外に反感を抱く住民も一部に存在している。
第二次世界大戦等では特にアジア各地での日本軍の統治・占領の象徴として日章旗が用いられた。このため中国・韓国・北朝鮮など、第二次大戦で日本軍による被害の多かった国や地域では、日章旗に対する嫌悪感が示されることがある。例えば韓国では日本に対する抗議デモ等では日章旗が燃やされる事もしばしば起こっている。また昭和天皇が1971年にイギリス、オランダを訪問した際には激しい抗議デモが起こり、ここでも日章旗が焼かれた。イギリス、オランダはかつて東アジア・東南アジア等を植民地としていた宗主国で、第二次大戦で日本と敵対した国である。
戦前には教育勅語などを根拠として天皇崇敬や所謂軍国主義を浸透させる際に御真影と伴に教育の場で使用されたが、そのため戦後の教育界では国旗掲揚と国歌斉唱については強い警戒心を持たれた。特に、革新・左翼勢力(主に日本教職員組合や日本社会党・日本共産党等)を中心に日章旗に対する根強い反発があり、国旗としての是非存続に関する議論が長い間なされてきた。ただ、君が代に比べると嫌悪感は低い。
沖縄では、戦後の米軍統治時代迄は、左派・右派を問わず、日章旗が祖国復帰を求める県民の愛国心の象徴として扱われていた。しかし日本復帰後には、第二次世界大戦で潰滅的な被害を受けた事を日本に切捨てられたものとする人々には日章旗掲揚に嫌悪感を抱く住民もいる。
[編集] 国旗掲揚運動
一方で祝日等に国旗を掲揚する事をすすめる運動が見られる。戦後、国旗に対する敬意の念や掲揚する事に抵抗を感じる感情が広まり、国旗の掲揚が公共機関等以外の各家庭等では余り見られなくなった。その為再び国旗掲揚を広める活動が起こり出した。
なお、これとはあまり関連しないが、日本国内の多くのバス会社では、祝日に休日ダイヤである事を示すため、路線バスの車体に国旗を掲揚して運行している。
[編集] その他
- 自衛隊航空機は、国籍マークとして「白縁赤丸」を採用している。これは日本軍時代から続いている。
- 海上自衛隊では日の丸を国籍旗としても採用している。
- 白米の真ん中に梅干しを一個のせた弁当を「日の丸弁当」と呼ぶ。
- 国家公務員や三公社五現業のように、国家や公社が行う事業とそこで働く人間の態度を、危機意識が欠けているなどの批判的な意味で、「親方日の丸」、「親方日の丸株式会社」と呼ぶ事がある(親方は国家という意味)。
- 天皇誕生日などの一般参賀での国旗は皇居外苑あたりで配られており、これは、社団法人国旗協会の皇居参賀協力委員会で提供しており、宮内庁ではない。ちなみに委員会メンバーは神社本庁や、仏所護念会教団、等である。
- 学習指導要領においては「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と示されており、 学習指導要領解説(文部科学省著作物)には、「国際化の進展に伴い、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、児童が将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長していくためには、国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。(後略)」と示されている。
[編集] 註釈
<references/>
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク

