日中戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

保護:このページ「日中戦争」は、荒らし編集合戦などを理由として、保護の方針に基づき編集保護されています。現在の記述内容が正しいとは限りません。ノートで合意が形成されるなど、Wikipedia:保護の方針#保護を解除してもよい場合に該当する状況になったときは、保護の解除を依頼してください。

日中戦争(にっちゅうせんそう)とは、1937年昭和12年)から1945年昭和20年)の間に日本中華民国の間で行われた戦争を指すことが多い。1931年昭和6年)の満州事変を起点として「日中十五年戦争」ととらえる見方も以前見られたが、最近は少数派である。中国では(中国人民)抗日戦争(【ちゅうごくじんみん】こうにちせんそう)或いは八年抗戦などと呼ばれる。

目次

[編集] 呼称問題

当初日本では、支那事変(しなじへん)(最も早期には北支事変)と称しており、新聞等マスコミでは日華事変(にっかじへん)などの表現が使われる場合もあった。現在でも日本政府の正式な呼称は変らず、防衛庁防衛研究所戦史室や厚生労働省援護局、準公式戦史である「戦史叢書」、靖国神社や各県の護国神社では支那事変の呼称を使用している。しかし、マスコミでは日中戦争という呼び方が広く定着している。これは日米開戦(昭和16年12月)とともに、蒋介石政権は日本に宣戦布告し、日本側は「支那事変開時点始に遡って今回の戦争全体を大東亜戦争と称する」と定めたため、おおまかに「戦争」と認識されることが多いからである。さらにマスコミでは「支那」という言葉の使用を嫌って日中戦争と言い換える例が多い。 「事変」という呼称が選ばれたのは、「日本と中国が互いに宣戦布告しておらず公式には戦争状態にない」という状態を、事変の勃発当初から日米戦争の開始までの四年間、日本と蒋介石軍の双方が望んだからである。双方が宣戦布告を避けたのは両国が戦争状態にあるとすると、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対して軍事的な支援をすることは、中立義務に反する敵対行動となるためである。これ以上の国際的な孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしには戦闘継続できない蒋介石側にとっても不利とされたのである。

[編集] 日中戦争年表

1936年までの経緯については十五年戦争参照

[編集] 1937年(昭和12年)

[編集] 1938年(昭和13年)

[編集] 1939年(昭和14年)

[編集] 1940年(昭和15年)

[編集] 1941年(昭和16年)

[編集] 1942年(昭和17年)

  • 1月 米国人スティルウィルが中国国民党軍参謀に就任
  • 3月 米国 国民政府に5億ドル借款成立
  • 10月 英米、中国における治外法権を撤廃(不平等条約の廃止)

[編集] 1943年(昭和18年)

  • 1月 延安で「日本人開放連盟」成立、前線の日本兵へ投降の呼びかけ

[編集] 1944年(昭和19年)

[編集] 1945年(昭和20年)

1941年から1945年までについては太平洋戦争の年表も参照

[編集] 関連項目

ことばこって?

「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

おススメサイト
トラブログ
アレどう?
アフィリエイトB