戦艦
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戦艦(せんかん)
- 戦闘用の船舶を指す一般用語で、戦列艦もしくは「戦闘艦」の略語、あるいは英語warshipの訳語と思われるが、近代海軍が成立して大半が機関動力の艦艇となった後は軍艦と呼称する方が一般的である。
- 軍艦の艦種の一つ。大砲を主要兵器とする軍艦のうち、最大最強のものを指す。第二次世界大戦までは海軍兵力の主力とされ、主力艦とも呼ばれた。現在では、戦艦は過去の存在となった。そのため、各国とも順次除籍し、現在保有する国はない。
1の用法として、日本では各種報道で海軍の艦船を「戦艦」と呼ぶケースがみられ、一般の辞書にも載っているが、かねてから軍事の専門書・専門家の見解では誤った用法と指摘されてきた。今日では、2の「大口径の大砲を主兵装とする軍艦」としての「戦艦」(battleship)が全て退役し、軍艦の艦種としては消滅しているため、やはり不自然かつ不適切の観が否めず、是正が望まれる所である。 本項目では2の「戦艦」について記述する。
戦艦(せんかん、battleship)は、軍艦の艦種の一つ。最も強大な砲力と堅牢な防御力を備え、艦隊の主力となった。
目次 |
[編集] 概要
軍艦の艦種としての戦艦は、その強大な砲力と堅牢な防御力により、敵艦船の撃滅を主任務とした。多数の大口径砲を搭載し、自己の主力弾と同等の砲弾が命中しても耐える甲鈑を装着した。そのため、船型は大型になり、第二次世界大戦までは最大の軍艦だった(一部の大型航空母艦を除く)。その巨体のため、速力は同時期の高速船艇よりもかなり遅かった(数ノット~10ノット遅い)。また、戦艦は海軍の主力とされながら、その高価なことと重要性から、積極的に戦闘(消耗戦)に使われることは少なかった。
戦艦は、第二次世界大戦まで、海軍の主力とされ、「主力艦」と呼ばれていた。戦艦は、その建造及び維持に膨大な費用がかかるため、大規模な保有は当時の列強国に限られた。戦艦が出現した19世紀後半から20世紀半ばにかけては、戦艦の保有隻数と威力が国力のシンボルとされ、政治・外交の局面でも重視された。しかし、第二次世界大戦中に海軍兵力の主力が航空機と航空母艦となったため、戦艦は兵術的価値を失った。過去の存在となった戦艦は、各国とも順次退役除籍され、現在この艦種を保有する国は存在しない。
[編集] 歴史
[編集] 概説
戦艦の起源は、17世紀後半に出現した戦列艦(ship of the line)とされる。戦列艦は、小型の大砲を100門以上並べた木造帆船である。当時の大砲の威力では艦に致命的な打撃を与えられず、最後は接舷して海兵が敵艦に乗り込んでの白兵戦で、戦列艦どうしの戦いの決着をつけた。大砲はその前段階で、艦上の敵兵を蹴散らすものに過ぎない。1805年のトラファルガー海戦で、イギリス艦隊司令長官ネルソン提督の旗艦となった「ビクトリー」(Victory)は、戦列艦の代表的なものである。
19世紀になって、大砲の威力が向上してくると、大型の艦に多数の大砲を並べるのは、防御の面で重大な欠点になってしまった。そこで戦列艦より小型のフリゲート艦に装甲防御を施し、装甲艦(甲鉄艦)が誕生する。艦材質の変化(木→鉄→鋼)、大砲の大型化、帆走から汽走への変遷、甲鉄装甲の強化などの発展を経て、装甲艦は次第に大型化し、やがて戦艦となる。なお、一方で小型の艦として発展していったのが巡洋艦である。最初の戦艦は、1859年に進水したフランスの装甲艦「グロワール」(Gloire)である。この艦は、木造船体に厚さ10cmの甲鈑を装着し、舷側に16㎝砲30門を装備した機帆兼用艦である。イギリスはこれに対抗して、1860年に「ウォーリア」(Warrior)を進水した。この艦は初めて船体を鉄製とした装甲艦で、後に戦艦、巡洋戦艦、大型装甲巡洋艦などへ発展する。
1880年頃、元込め式で砲身にライフルを切った後装施条砲が開発され、砲撃威力と命中精度が著しく向上する。1892年に竣工したイギリスの「ロイヤル・サブリン」(Royal Sovereign)型は、34.3cm後装施条砲4門を露砲塔に装備し、厚さ45.7㎝甲鈑を舷側に装着している。この艦は均整の取れた攻防力と優れた航洋力を備えており、近代戦艦のはじめとする。これをさらに改良強化し、1895年に竣工したイギリスの「マジェスティック」(Majestic)型で、戦艦の基本形態が定まった。この型は、前後部に30㎝連装砲塔を1基ずつ備え、以後、弩級戦艦の出現まで、これが戦艦の標準的主兵装とされる。
日本では、明治初年の海軍創設時から日清戦争あたりまで、装甲艦「東」を「甲鉄」と呼称していたことから、装甲艦を砲塔甲鉄艦と呼んでいた。1894年、富士型戦艦2隻(1897年竣工の富士、八島)をイギリスに発注するに当たり、排水量1万トン以上の艦を「一等戦艦」、1万トン以下の艦を「二等戦艦」と正式に定めた。日露戦争終戦後まもなく、等級を廃して「戦艦」という艦種が定められた。日露戦争で活躍した戦艦「富士」(1897年竣工、イギリス製、12,533t、30.5cm砲4門)は、ロイヤル・サブリン級戦艦を原型としている。また、日本海海戦時の連合艦隊旗艦「三笠」(1902年竣工、イギリス製、15,140t、30.5cm砲4門)は、これをさらに改良強化したものである。
これ以後、戦艦の「定義」を
- 建造時に開発・製造可能な最大の大砲(主砲)を搭載している
- 自艦に搭載した主砲弾の被弾に耐えられる装甲を有している
と考える海軍国が多くなり、"暗黙の定義"となった。しかし後に政治的事情や金銭的・環境的事情からこれに当てはまらない艦も出てきた。
日露戦争は鋼鉄艦同士による初めての本格的な戦闘が行われた戦争であり、列強はその戦訓を取り入れて、主砲の攻撃力向上を中心とする戦艦の改良を図った。最も早く反応した英国は、従来艦の倍以上の主砲を片舷に指向できる戦艦ドレッドノート(Dreadnaught)を特急工事で建造し日本海海戦の翌年に竣工させた。この戦艦は従来の同規模の戦艦を相手とした場合、高速でかつ2倍以上の火力を発揮できるため、海戦において一方的な展開に持ち込むことが可能となり、一夜にして世界の戦艦を旧式としてしまった。 そのため、これ以前の戦艦(計画・建造中、竣工・就役直後の戦艦を含む)を前弩級艦、同程度の性能を有する戦艦を弩級艦として区別する。
またこれと同時に英国では、戦艦並みの火力と、巡洋艦並みの速度をあわせもつ艦として、巡洋戦艦が登場する。イギリスのは装甲防御が犠牲になっており、前述の「自艦に搭載した主砲弾の被弾に耐えられる装甲を有している」という戦艦の条件を満たしていない。一方ドイツの巡洋戦艦は、英国ほどには装甲防御を犠牲にはせず、代わりに巨砲への更新を積極的にしなかった。この結果、第一次大戦のユトランド沖海戦において、巡洋戦艦の高速に置き去りにされた前弩級・弩級戦艦は戦闘に参加出来ず、事実上、巡洋戦艦同士の撃ち合いとなった。結果は装甲防御を犠牲にした英国巡洋戦艦は大打撃を受ける結果となった。
「戦艦は速度が不足し、巡洋戦艦は防御力が不足している」というのがユトランド沖海戦の結果であり戦訓であった。以降建造された戦艦は高速化と航続性能が向上され、巡洋戦艦の防御力は当初より大幅に向上し、やがて両者の区別がつかないまでに発展していく。そのような戦艦の防御力と巡洋戦艦以上の速度を兼ね備えた艦を、「高速戦艦」と呼ぶ。だが、加熱する建艦競争は前弩級戦艦、弩級戦艦、巡洋戦艦、高速戦艦という軍艦の発達について来られる国は少なくなっていった。第一次世界大戦より後に新造戦艦を就役させる事ができたのは、アメリカ、日本、英国、フランス、ドイツ、イタリアだけであった。
より大型に、より高性能になっていく戦艦は、価格も高騰していき、融通のきかない使い勝手の悪い艦になっていった。機雷、魚雷(を搭載する水雷艇・駆逐艦)、そして潜水艦というより安価な兵器が、次第に戦艦の脅威となっていく。そして航空機の登場が、戦艦にとどめを刺す事になる。第一次大戦は航空機が軍事に導入された初めての戦争でもあり、以後の海軍は航空兵力に護衛された艦隊ないし航空兵力による単独攻撃という新しい局面に対応することになる。第二次世界大戦においては、水上艦は航空戦力に対して単独では対抗できないことが明らかになる。航空戦力の優位性を世界に初めて知らしめたのはイギリスによるイタリア・タラント港攻撃と日本による真珠湾攻撃である。前記は停泊中の艦船に対する攻撃であるが、日本がマレー沖海戦において戦闘航行中の戦艦(イギリス海軍のプリンス・オブ・ウェールズと僚艦レパルス)を航空戦力のみで撃沈している。このように、航空戦力の優越が明らかになるに従い、戦艦は消えていく事になる。アメリカ海軍のみは長く戦艦を使い続けたものの、もはや戦艦を新造する事は無くなった。
[編集] 初期の戦艦(1892年~1904年)
初期の戦艦は、排水量1万~1万5千t、24cm~34cm(30.5cm=12inが最も多かった)の主砲4門を搭載し14ノットから19ノットの速度であった。この頃戦艦を建造していたのは、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ帝国、イタリア、ロシア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の7カ国。日本は日露戦争の前にイギリスから6隻の戦艦を購入した。
[編集] 最初の戦闘(1904年~1905年)
世界で最初に戦艦同士の本格的な戦闘が行われたのは、1904年の日露戦争であった。日露戦争の初期の黄海海戦には、日本の連合艦隊の戦艦4隻+装甲巡洋艦2隻とロシア第一太平洋艦隊(旅順)の6隻の戦艦が対戦し、翌年の日本海海戦では、日本の連合艦隊の戦艦4隻+装甲巡洋艦8隻と、ロシア第2及び第3太平洋艦隊(バルチック艦隊)の戦艦8隻他が対戦した。いずれも日本の連合艦隊の勝利に終わった。
[編集] ドレッドノートの出現(1906年)
日露戦争での黄海海戦と日本海海戦(1905年)の戦訓から、戦艦の主砲による遠距離砲撃力が海戦の雌雄を決する重要な要素とされた。この戦訓により1906年に主砲力を大幅に強化し、かつ「全主砲の砲撃力を平準化する」という画期的な建艦思想に基づいて設計された戦艦「ドレッドノート」(18,110t、30.5cm砲10門)」が英国で建造される。ドレッドノートの出現により、それ以前に建造された戦艦だけでなく建造中の戦艦までもが一挙に時代遅れとなる事態が発生した(これらの戦艦を前弩級戦艦(pre-dreadnoughts)と呼ぶ)。これ以後各国で建造される戦艦はドレッドノートに準じた「ド級戦艦(弩級戦艦;dreadnoughts)」となり、どんな小さい弩級戦艦でも列強の前弩級戦艦よりも強力な火力を有する為に列強各国は前弩級戦艦から弩級戦艦への転換を迫られる事になった。中小海軍は戦艦を整備するのは困難であったが、それでも少数でも弩級(または後述の超弩級)戦艦を整備すれば抑止力として充分に機能するとして、1~3隻の弩級(または超弩級)戦艦を建造した国も存在する。
[編集] 超弩級戦艦へ発展(1912年)大艦巨砲主義へ
ドレッドノート完成のわずか6年後に、ド級戦艦を大きく上回る攻撃力を有する戦艦がイギリスで誕生した。オライオン級(1912年、22,200t、34.3cm砲10門)である。ド級戦艦より強力なので「超弩級戦艦」(super dreadnoughts)と呼ばれた。オライオン級の3年後には更に強力なクイーン・エリザベス級(1915年、29,150t : 38.1cm砲8門)がイギリスで完成。より大きな艦体に、より大きな主砲を積む戦艦を建造する傾向が続いた。これを「大艦巨砲主義」と呼び、日本の大和型戦艦(64,000t、46cm砲9門)がその頂点に達した。また英独日では、弩級戦艦や超弩級戦艦と同等の攻撃力を持つが軽防御高速力の巡洋戦艦も建造された。
[編集] ユトランド沖海戦(1916年)
第一次世界大戦で最大の主力艦同士の戦い。第一次世界大戦時、戦艦・巡洋戦艦の建艦競争を行っていたのは英独であり、両軍の巡洋戦艦および戦艦が戦った。英国艦隊は数的には優勢であったが、巡洋戦艦の防御力の弱さが露呈し、インビンシブル(1908年竣工、17,373t、30.5cm砲8門)、インディファティガブル(1911年竣工、18,500t、30.5cm砲8門)、クイーンメアリー(1913年竣工、26,770t、34.3cm砲8門)の3隻がドイツの砲火を浴びて爆沈した。ドイツ側は巡洋戦艦リュッツオー(1916年竣工、26,318t、30.5cm砲8門)が多数の被弾による浸水で放棄された。
[編集] 建艦競争と軍縮条約
第一次世界大戦の終了直後には、ユトランド沖海戦の戦訓を取り入れた主力艦の熾烈な建造競争が、残された大海軍国である米・英・日で始まった。日本においても戦艦による艦隊決戦構想により41センチ砲搭載の戦艦8隻、巡洋戦艦8隻からなる「八八艦隊」の建造が計画されたが、1922年、ワシントン海軍軍縮条約が締結され、新規建造が制限されると、列強各国の建艦競争は一応の終息を迎えた。これを海軍休日と呼ぶ。
1934年に同条約が破棄されるまでの間、各国は現有艦の質的向上に力を注いだが、欧州では敗戦後、造船能力を取り戻しつつあるドイツがポケット戦艦ドイッチュラント級を建艦したことと、ロンドン軍縮条約に参加しなかったことで1933年から新戦艦建造の権利をフランス・イタリアが得たことで、三国で建艦競争が勃発した。フランスが「ダンケルク級」を造れば、イタリアは「コンテ・ディ・カブール級」と「カイオ・デュイリオ級」の近代化改装と「ヴィットリオ・ヴェネト級」の建艦に着手し、ドイツも「シャルンホルスト級」と「ビスマルク級」を造った。その後、ドイツ・イタリアの15インチ砲戦艦に対抗するためにフランスはダンケルク級の二番艦「ストラスブール」と「リシュリュー級」の建艦に踏み切った。ロンドン軍縮条約によって1937年まで新戦艦建造ができなかった英国は、欧州の中型戦艦対策に既存の巡洋戦艦「フッド」と「レナウン級」の改装により当座をしのいだ。
[編集] 軍縮条約破棄後の建造
ワシントン条約の破棄後は、再び列強による戦艦建造が始まり、アメリカのノースカロライナ級、サウスダコタ級やアイオワ級、イギリスのキングジョージV世級、日本の大和型などの巨艦が建造された。又、再軍備宣言をしたドイツもビスマルク級を建造した。この時期に建造された戦艦は速力も速く、のちに航空母艦を中心とした艦隊を編成する場合にも運用が可能であった。
[編集] 戦艦時代の終焉
このように、第二次世界大戦前においては艦隊の華であったが、戦艦を巡る環境は「不沈艦」という名称とはほど遠い現実が待っていた。
- 大西洋方面では、枢軸国軍とイギリス海軍の戦力差が大きく、戦艦ビスマルクの沈没やヴィーゼル演習において大型艦艇の損害を出したドイツ海軍に対し、ヒトラーがその後の活動を制限したために大きな海戦が行われなかった。
- 地中海でタラント港に停泊していたイタリア海軍の戦艦にイギリス空母の艦載機が大損害を与えた(タラント空襲)。
- 1941年、太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において日本海軍の航空機が真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊の戦艦を撃沈した。
- マレー沖海戦において航行中の戦艦を航空機が撃沈した。
以上のことから艦隊における主力は航空母艦に移り、戦艦は艦砲射撃による敵基地の破壊、対空戦力を強化して空母機動部隊の護衛など地味な役回りに甘んじた。
一般には戦艦を含む水上艦は航空機に対して脆弱であると理解されているが、これは誤解と言って良い。航空機の進化とともに対空火器も進化しており、太平洋戦争後半の艦隊、特に米艦隊の強大な対空火力は米機動部隊の圧倒的な航空戦力をもってしても簡単に抜けるものではないとさえ言われている。
戦艦時代を終焉させた真の理由は、戦艦という艦種の汎用性の乏しさと、相反する一隻あたりの価値の過度の高さである。一隻あたりの価値が高いために、一回の戦闘でそれが失われた場合の損失が極めて大きく、艦隊決戦のようなここぞという局面以外には簡単に投入できないことが、逆に戦力価値を低下させたのである。皮肉なことにこの状況を演出したのはワシントン海軍軍縮条約に伴う旧式戦艦の大量処分であった。海軍休日時代、各国は戦艦保有量を厳しく制限されたがために、戦艦1隻当たりの戦略価値は暴騰といえるほどに高まってしまったのである。
海軍休日により大幅に勢力を減じた戦艦は、それでもなお「戦艦に対抗するには同等の戦艦しかない」との認識が未だ健在であったために命脈を保っていた(すでに魚雷・機雷という艦砲以外の撃沈手段は登場していたが、戦艦の圧倒的な戦闘力は適切な護衛兵力さえ伴っていれば水雷戦隊・潜水艦などは対抗できないとされていた。またロンドン軍縮条約により、各国の潜水艦戦力がごく少数に制限されたことも影響した)。
しかしマレー沖海戦の結果、航空機が新たな撃沈手段として名乗りを上げたことにより、その認識は完全に崩れ去った。確かに大戦後半、対空火力を大幅に増強した戦艦を撃沈するためには百機以上の航空機による波状攻撃が必要で、それを運用するための航空母艦の建造まで考えれば、対抗戦力整備に要するリソースは五分五分程度であった。しかし航空機は戦艦の任務の大半を代替でき、しかも戦艦には不可能な様々な任務をこなす極めて高い汎用性を有していた。この事実は戦艦の戦略価値を完全に失落させ、戦艦の息の根を最終的に止めたのである。
むろん、上記のような「正しい認識」によって戦艦時代が終焉したとは言い切れない。現実問題としては、真珠湾攻撃やマレー沖海戦などの劇的な結果によって「戦艦時代の終焉・航空機時代の到来」を多くの者が認識したというのが正しい。レイテ沖海戦などその後の海戦によって、その認識はいささか時期尚早であり、実は航空機で戦艦を撃沈するのは困難である事が確認されたが、その頃には既に航空主兵への移行が進んでおり、後戻りはできなかったのである。
[編集] 第二次世界大戦後の戦艦
戦後ミサイルが利用されるようになって以降は、主砲による艦隊戦は有効性を失い、建造および維持にかかる対費用効果の問題もあり、戦艦の建造は行われなくなった。しかし陸軍及び海兵隊が行う、水際上陸作戦支援には戦艦の砲撃力は依然有効であり、アメリカは2次大戦以降、朝鮮戦争ではアイオワ級の4隻すべてを、ベトナム戦争ではニュージャージーを現役復帰させ上陸作戦の支援に使用した。その後アイオワ級は予備役として保管(モスボール)されていた。1980年代のレーガン政権下で、「強いアメリカ」の象徴として三度、4隻とも現役に一時的に復役し、ミズーリとウィスコンシンは湾岸戦争で出動したが、1990年代初頭に全ての戦艦が退役し、2006年までに全ての艦が除籍された。これらは最後の現役戦艦であり、巡航ミサイルトマホークを搭載するなど近代化改装が施されていた。2007年現在、アイオワ唯1隻が万一の復帰に備えモスボールされている。
イギリスは1946年にヴァンガードを、フランスは1950年にジャン・バールを完成させているが、実用艦というよりは国の威信と象徴を示すものであり、就役期間の大半を予備艦として使われ、退役した。
純粋な戦艦とは違うが、1990年代後半にアメリカ海軍でアーセナル・シップと呼ばれる艦の開発計画があった。アーセナルシップは大量のミサイルを搭載し対地攻撃に活躍する艦となる予定であったため、アメリカ海軍はこれを『21世紀の戦艦』と銘打っていた。しかし、予算・世界事情の変化などで計画はほぼ立ち消え状態となっている。
[編集] 戦艦の装備
[編集] 主砲と砲弾
主砲は戦艦の最重要装備。敵を圧倒するために大きな砲弾を遠くへ正確に発射する必要がある。大砲の大きさは一般に 発射する弾丸の直径と、砲身の長さで表される。直径はヤード・ポンド法(ただし、ドイツの戦艦はメートル法)で製造され、日本ではメートル法に基づきcmで表示される。カナ表記の場合はサンチ(フランス語)を使用する場合が多い。砲身の長さの表示については、実際の砲身長を砲弾の直径で割った数字を採用し、口径と呼んでいる。アイオワ級の50口径40.6cm(16in=40.64cm)砲の砲身の長さは20.3mである。1890年代の戦艦は、40口径/24cm~34cmの主砲を連装砲塔に収め、艦の前後に1基ずつ(計4門)装備していた。その後主砲は逐次巨大化し、日本の大和型戦艦の45口径46cm(18.1in=46cm)砲(砲身長 20.7m)に達した。
発射する砲弾は、敵の甲鉄を射抜く『徹甲弾』と呼ばれる特殊な砲弾で、弾体の大半が硬い特殊鋼でできており、火薬の分量は少ない。つまり敵の厚い甲鉄を貫く強度を持った鉄の塊の中に少しの火薬が入っている状態。徹甲弾の信管は一般の触発式(命中と同時に爆発する)ではなく、命中後しばらくたって砲弾が艦体の奥へ飛び込んでから爆発する遅発信管を装備する。砲弾重量は30.5cm砲で400kg程度、40.6cm砲で1t前後、大和級の46cm砲で1.5t程度ある。この砲弾を1門辺り毎分2発、速度800m/秒程度で発射し、2万~4万m先の敵艦を攻撃した。
[編集] 甲鉄(装甲)
飛来する敵弾をはね返す目的で装備される鉄板。自艦の搭載する主砲弾の攻撃に耐えられるだけの装甲を施すことが求められていた。艦の水線部近辺に垂直(後に傾斜装甲も生まれた)に装備する水線甲鉄と水平な甲板に装備する甲板甲鉄があり、どちらも特殊鋼でできている。甲鉄に求められる性能は
- 敵弾の侵入を阻止する硬さ
- 衝撃を受けても割れにくいこと
の2点であるが、これは鉄鋼にとって相反する性能であり、1種類の材質では達成が困難。そこで1890年代までは硬いがもろい鉄板を外側に、粘り強いが柔らかい鉄板を内側に張り合わせた「複合甲鉄」を用いていた(日本の初代戦艦富士)。しかし1890年代にアメリカ人のハーヴェイがニッケル鋼の表面に浸炭処理を施して耐弾力を飛躍的に強化した「ハーヴェイ鋼」(ハーヴェイ・ニッケル鋼)を発明した。富士級の水線甲鉄は「複合甲鉄」で457mmあったが、敷島級は「ハーヴェイ鋼」(三笠は、クルップ鋼)を使い 229mm に半減でき、耐弾力は富士を上回った。その後甲鉄は順次改良が施されたが基本的には表面浸炭処理技術を用いている。
水線甲鉄の厚さは主砲の強化に従って増加し、大和では 410mm に達した。甲板甲鉄は第一次世界大戦まであまり問題にされず50~100mmであった。しかし日露戦争~ユトランド海戦の損害や戦後の実艦を用いたテストで、遠距離砲戦時の艦水平部への着弾が大きな損害につながることが判明し、第二次大戦前に建造された艦は甲板部の甲鉄を強化している。独が120mm、米英で150mm前後、仏伊で200mm未満、大和では200mm強の厚さがあり、砲弾だけでなく航空機による急降下爆撃にも十分な防御力を持っていた。
またそのような装甲防御を艦全体に施すのは困難であり、中途半端な防御はむしろマイナスになるとして、主要部分のみ装甲防御を施す、オール・オア・ナッシング方式が戦艦の防御の標準となった。ただしドイツ海軍の戦艦は、全体防御を採用している。
[編集] 水中防御
機雷や魚雷等水中爆発に対する防御。砲弾に対する防御とは異なり分厚い鉄板は必ずしも必要では無い。舷側水面下部分に水雷防御区画を設け、水密構造にしている。防御方式には列強各国で特色があり、アメリカはテネシー級以後アメリカ戦艦に採用された多層水雷防御方式は防御区画を何層にも設け、液体を充填して、魚雷の爆発力から内部の重要区画を守る優れた方式。フランスはダントン級6番艦「ヴォルテール」以後から水密区画に半固形物を充填して避雷時の衝撃と水圧から隔壁を守る理想的な方式等が開発されていた。その他の国も独自の理論により開発を行っていたが工作技術の未熟性や理論倒れのために効果的な防御力が得られなかった。 ドレッドノート以前の戦艦や第一次大戦時代は水中防御についてあまり考慮されておらず、触雷や魚雷攻撃であっけなく沈没した艦が多い。その例として、日露戦争の初期に日本の八島と初瀬、ロシアのペトロパブロフスクが機雷に触れて沈没している。
[編集] 機関
ドレッドノート以前の戦艦は、蒸気レシプロ方式(蒸気機関車と同じ構造)。ドレッドノート以後は一部の例外を除き蒸気タービン式を採用。ドイツのポケット戦艦はディーゼル機関であった。第二次世界大戦前に日独で戦艦へのディーゼル機関採用の検討があったが信頼性や開発能力の関係で実現しなかった。アメリカは弩級戦艦以後にも一部の艦にレシプロを採用していたが、この当時のタービン機関は燃費が悪く、経済性でレシプロに及ばなかったためである。その後1920年代には蒸気タービンで発電機を回し、電気モーターでスクリューを回すターボ・エレクトリック方式を採用していた。いずれも巡航時の蒸気タービンの燃費の悪さを改善しようとした試みであった。しかし、後に高速回転するタービン軸に歯車を解してある程度の柔軟性が得られたギヤード・タービンが開発された事により高温高圧蒸気を使用できる高圧缶と組み合わせられ、ディーゼル機関に迫る高燃費機関の開発にアメリカとフランスが成功した。反面、機関開発能力の低いイギリスとイタリアは燃費の悪さから来る航続性能に他国に大きく遅れをとった外、頻繁な給油が必要になるなど運用性に欠けた。
[編集] 戦艦(および戦艦と名のつく艦)の種類
- 前弩級戦艦(pre-dreadnoughts)
- 戦艦という艦種の始祖とも言えるのが前弩級戦艦である。後述するドレッドノートが登場する以前の戦艦という事で、前弩級と呼ばれる。主砲を4門以下、10~15.2cmの副砲を多数搭載する。また水雷艇が登場すると、これを撃退するために7.6cm砲を多数追加した艦も存在する(例外的にドレッドノート以前にも4門を超える主砲を搭載する艦もあるが、後述する理由でこれらは前弩級戦艦に含める)。最初は主砲による遠距離砲戦から始まるが、この段階で主砲弾が命中する事はほとんどなく、やがて接近して副砲の撃ち合い、さらには衝角による体当たり攻撃で決着をつけるというのが、基本的な前弩級戦艦どうしの戦闘スタイルである。ただし衝角はほとんど実戦では役に立たず、後に消えていく。日本海海戦で主砲による長距離砲戦の有効性が示されたため、後述する弩級戦艦へと発展していく。
- 準弩級戦艦(semi-dreadnoughts)
- 前弩級戦艦が大型化・発展していく過程で、主砲と副砲以外に、17~25.4cmの中間砲(装甲巡洋艦の主砲クラス)を搭載するか、副砲自体が発展したものを指す。弩級に準じる砲力を備えるという事で準弩級と呼ばれるが、主砲、中間砲、副砲、対水雷艇用の小型砲と4種類もの砲を制御するのは極めて困難であった。特に遠距離砲戦においては弩級戦艦にはまったく太刀打ちできないとされた(近距離では中間砲の火力と主砲以上の速射性はかなりの威力を発揮しいい勝負になるが、そもそも弩級艦の多くは準弩級戦艦より高速であり、自由に戦闘距離を選ぶことができるため圧倒的不利は変わらないとされた)。そのため特に分類せずに前弩級戦艦に含める場合も多い。弩級戦艦の時代になってから、主砲用と別に中間砲・副砲用の射撃管制装置を追加したものがあり、この改良を加えた艦は本当に弩級に準じる砲力を備えていたとも評された。
- また、大日本帝国海軍の河内型は30.5cm(50口径)砲と30.5cm(45口径)砲を混載し、厳密には主砲を同一口径(この場合は砲身長の意味)砲で統一する弩級戦艦に含まれない。中間砲を搭載している訳ではなく、戦艦の主砲クラスのものを2種類搭載している艦ではあるが、同じく弩級に準じるという意味で、これを準弩級戦艦に類別するものもある。
- 弩級戦艦(dreadnoughts)
- 28.3~30.5cm位の主砲を同じ口径(この場合は砲身長を指す)で8門~14門装備する戦艦。前弩級戦艦では遠距離砲撃での主砲弾の命中はほとんど期待できなかったが、主砲の数を増やす事により命中率を増したのである。また、ただ単に主砲を多数搭載するというだけでなく、艦橋から一元的に各砲台に方位・距離を指示する事によって、遠距離砲戦に対応したのである(これ以前にも少数ながら4門を超える主砲を搭載した戦艦は存在するが、射撃指揮は各砲台でめいめいに行う撃ち放し式であり、遠距離砲戦で命中が期待できない事に変わりは無かった)。弩級の名称は、その始祖である英国戦艦ドレッドノートに由来する。ドレッドノートの場合は主砲を10門搭載すると同時に、軽量化のために中間砲・副砲を一切廃止し、対水雷艇用の小型砲だけを残すという徹底振りである。しかし、他国海軍の弩級戦艦の中には副砲を残したものが多数あり、ドレッドノートのその選択は誤りであったと言われる。その後英国戦艦も対水雷艇用の小型砲をより大型化し、事実上副砲が復活した。弩級戦艦に搭載する副砲は、近距離砲戦用というよりも、むしろ水雷艇に変わって脅威となった駆逐艦に対抗するために高威力よりも速射性能を重視したものとなった。
- 超弩級戦艦(super dreadnoughts)
- 34.3cmの主砲を搭載する戦艦が登場すると、弩級を超えるという意味で、超弩級戦艦と呼ばれた。また38.1cm~40.6cmの主砲を搭載する戦艦を超々弩級戦艦、46cmの主砲を搭載する大和型戦艦を超々々弩級戦艦と呼んだりもする。ただしこれらは単に主砲の口径の違いによるものであり、弩級戦艦と基本的な構成においては差異がある訳ではない。重要なのは主砲口径と艦体サイズへの枷が取り払われたことで、超弩級戦艦の出現により大艦巨砲時代は本格的に開幕した。
- 主砲口径が30.5cmを超過する艦を超弩級と定義するのが一般的だが、前弩級戦艦の時代にも34.3cm、あるいはもっと大口径の主砲を持つ戦艦が存在し、主なものではイタリア海軍の「カイオ・ドゥイリオ(初代)」級の45cm(20口径)前装砲、フランス海軍の「テリブル級」の42cm(22口径)砲・イギリス海軍の「ベンボウ」の41.3cm(30口径)砲など巨砲を持つものがあった。また、32cm砲のイタリア戦艦は弩級なのか超弩級なのか?28.3cmのドイツ戦艦の主砲は30.5cmの英国戦艦に威力で匹敵すると言われていた事もあり、であるなら30.5cm主砲のドイツ戦艦は超弩級ではないかといった、種々の異論が存在する。
- 巡洋戦艦(battlecruiser)
- 一般的な(あるいは英国海軍の)定義では、同時期の戦艦並みの火力(戦艦と同口径の主砲)と、巡洋艦並みの速力と航行性能を備えた艦の事。その代償として装甲防御が犠牲になっている。この種の艦を、この艦種名で建造したのは、英国および日本のみである。ドイツでも似たコンセプトの艦を建造しているが、若干内容が異なり、同時期のドイツ戦艦よりもひとクラス小型の主砲と、若干劣る程度(ただし英国戦艦とは同等)の装甲を持っている。またドイツでは巡洋戦艦という艦種名は存在せず、いわゆるドイツ巡洋戦艦は「大巡洋艦」に分類されている(大巡洋艦は、他国海軍でいう所の装甲巡洋艦や重巡洋艦を含む艦種)。またドイツ海軍が戦艦として建造したシャルンホルスト級と、アメリカ海軍が大型巡洋艦として建造したアラスカ級も、一般的な巡洋戦艦の定義とほぼ合致する艦であり、巡洋戦艦に分類される事が多い。特異な例として、旧ソ連海軍のキーロフ級ミサイル巡洋艦は、排水量ではドレッドノートを上回る大艦であり、ジェーン海軍年鑑において巡洋戦艦に分類されている。しかし現代的なミサイル艦が大型化したものであって、いわゆる第二次世界大戦までの巡洋戦艦とは全く性格が異なる艦である。
- ポスト・ジュットランド艦(post jutland)
- ユトランド沖海戦(英語読みではジュットランド沖海戦)以降に、この教訓を取り入れて新造・ないし改装された戦艦・巡洋戦艦の事。具体的には戦艦は速度の向上、巡洋戦艦は防御力の向上、そして戦艦・巡洋戦艦を問わず、それまで顧みられる事の無かった水平防御の向上がなされた。弩級・超弩級戦艦の砲戦距離の増大に伴い、放物線を描いて飛来する砲弾は、舷側ではなく甲板に命中する事が多くなったのである。主な艦では大日本帝国海軍の長門型が相当する。
- 新戦艦(new battleship)
- 海軍休日時代が明けた1937年以降(ロンドン条約に参加しなかったフランス・イタリアにおいてはさらに数年前)に起工された戦艦。対空火力の大幅な強化と速力の増大(最低でも27ノット)が特徴で、主砲や砲弾、照準機器の性能向上により最大3万メートル前後の戦闘距離を確保している。それまでの条約型戦艦とは次元違いの戦闘力を有するが、それは海軍休日時代の技術進歩を計画時から取り入れることができたからで、海軍休日という世代間断絶あってこそのレベル差でしかない。従って特にコンセプトを持って生まれた新艦種ではなく、「新」戦艦と呼ばれるのも10~15年に及ぶ建造休止期間が明け「新たに」建造された戦艦、という程度の意味でしかない。速力の増大という観点では後述の高速戦艦の分類と重なるものであり、それに含める事も多い。
- 高速戦艦(highspeed battleship)
- 広義には同時代の平均的戦艦より高速のものをこう呼び、イタリア戦艦ダンテ・アリギエリ(24ノット)などがこれに該当する。
- 狭義には超弩級戦艦の登場以降において、戦艦の火力・防御力と巡洋戦艦の速力を融合させた「走・攻・防」3拍子揃った戦艦とされ、英国戦艦クイーン・エリザベス級(24ノット)を始祖とする。コストや建造施設の制約からなかなか普及しなかったが、ユトランド沖海戦の結果、高速戦艦が戦艦の理想形であると再確認された。つまり前述のポスト・ジュットランド艦ともほぼ重なる。例えば日本の長門型(26ノット)は「ポスト・ジュットランド型戦艦」であると同時に「高速戦艦」でもあるが、対外的には23ノットと発表され、またその後の改装で速度が低下したため、高速戦艦としての知名度は低い。
- ユトランド沖海戦後に建造された巡洋戦艦は防御力を大きく向上させており、フッドなどは、事実上は高速戦艦と称すべきではないかという意見もある。こういった意味でもポスト・ジュットランド艦は高速戦艦と重なっている。
- 前述の新戦艦は、「走・攻・防」3拍子揃った戦艦という意味において、全てが狭義の高速戦艦に該当すると言ってもよい。ただし新戦艦の中においては比較的速度が低い(27ノット程度)イギリス海軍のキングジョージV世級や大日本帝国海軍の「大和型」は、同時代の平均的戦艦より低速という位置づけになってしまい、「同時代の平均的戦艦より高速」という広義の高速戦艦にはあてはまらない事になる。よってこれらは高速戦艦には含まない事が多い(ただしアメリカ海軍のノースカロライナ級やサウスダコタ級も同程度の速度だが、これらの艦については高速戦艦扱いする文献が少なくない。)。
- 航空戦艦(aircraft carrier battleship)
- 戦艦としての大口径砲を装備し、かつ航空母艦又は水上機母艦に準ずる航空機運用能力を持っている軍艦の事。航空母艦の黎明期においては、まだ航空母艦それ自体のコンセプトが固まっていなかった事と、当時はまだ航空機の航続力が小さく航空母艦も砲戦の機会があると考えられため、一定の水上戦闘能力が必要と考えられ考案された艦である。最初の航空戦艦と呼べる艦はフューリアスであり、建造途中よりの設計変更で艦前部に飛行甲板、後部に主砲という姿で完成した。本艦は空母の基本構成を模索する過程で生まれた徒花と呼べる存在で、空母という艦種の基本構成を固める上で重要な役割を果たした艦である。その後海軍休日時代以降様々な航空戦艦が提案されたが実現例はなく、伊勢型の2戦艦のみが既存艦よりの改修という形で、航空機24機を搭載する航空戦艦となった。しかしながら搭載すべき航空機が無かったがために、航空戦艦としての実際の運用はなされないままで終わった。
- ポケット戦艦(pocket battleship)
- ベルサイユ条約の制限下において、ドイツが建造したドイッチュラント級装甲艦は、正確には戦艦とは言えないが、マスコミはこぞって「ポケット戦艦」としてもてはやした。日本では豆戦艦とも言われた。主砲は28.3cmを6門搭載し弩級戦艦に匹敵する火力を持つが、装甲防御は巡洋艦レベルでしかなかった。しかしながら「戦艦に速さで、巡洋艦に攻防力で優る」というドイツの宣伝上手にフランスは危機感を抱き、ダンケルク級戦艦に始まる独仏の建艦競争の引き金となり、欧州の戦艦建造に大きな影響をもたらした艦である。
- 海防戦艦(Coast difence battleship/Coast Battleship)
- 主に中小国海軍において沿岸防衛に用いられる、低速で(戦艦に比べれば)小型の艦。艦体に比して大型の主砲を搭載する。前弩級戦艦並みの砲力を持つものは立派な小型戦艦と言えるかもしれないが、巡洋艦程度の砲力しか持たない艦も海防戦艦と呼ばれており、これらまで含めて戦艦と呼ぶのは疑問がある。なお、これらの艦は防御力において重巡洋艦から前弩級戦艦くらいの装甲を持つ。
- ミサイル戦艦・ミサイル巡洋戦艦(guided missile battleship/guided missile battlecruiser)
- いわゆるミサイル巡洋艦、ミサイル駆逐艦という艦種が存在するように、戦艦においてもミサイル戦艦という艦種が構想された事がある。1950年代においてアイオワ級戦艦をミサイル艦化しようという構想があったが、結局実現しないままに終わった。ニューメキシコ級戦艦のミシシッピは50年代の改装でテリア対空ミサイルシステムを搭載したが、これは練習兼砲撃実験艦という位置づけによってであり、実用艦としてのミサイル戦艦ではない。80年代において、アイオワ級戦艦の現役復帰に伴いミサイル装備が行われたが、追加装備的なものであり、本格的ミサイル戦艦とは言い難い。
旧ソ連海軍のキーロフ級ミサイル巡洋艦は、ジェーン海軍年鑑において巡洋戦艦に分類されており、本格的なミサイル巡洋戦艦と言ってよいと思われる。巡洋戦艦の欄の記述の通り、第二次世界大戦までの巡洋戦艦とは別物であるが、それはミサイル巡洋艦、ミサイル駆逐艦の場合も同様である。
1990年代後半のアメリカ海軍においては、『21世紀の戦艦』と銘打ったアーセナル・シップと呼ばれるミサイル艦の開発計画があったが、結局実現はされなかった。
[編集] 第二次世界大戦に参加した各国の戦艦
数字は竣工年、開戦時の排水量と主砲
[編集] イギリス
- クイーン・エリザベス級(1915年、29,150t、38.1cm砲8門)
- リヴェンジ級(通称:R級)(1916年、28,000t、38.1cm砲8門)
- リヴェンジ、レゾリューション、ラミリーズ、ロイヤル・ソブリン、ロイヤル・オーク
- 巡洋戦艦レナウン級(1916年、31,988t、38.1cm砲6門)
- 巡洋戦艦フッド(1920年、42,670t、38.1cm砲8門)
- ネルソン級(1927年、33,313t、40.6cm砲9門)
- ネルソン、ロドネイ
- キングジョージV世級(1940年、36,727t、35.6cm砲10門)
- キングジョージV世、プリンス・オブ・ウェールズ、デューク・オブ・ヨーク、アンソン、ハウ
- ヴァンガード(1946年、44,500t、38.1cm砲8門)完成が遅れて大戦には参加しなかった。
[編集] 日本
- 金剛型(元は巡洋戦艦)(1913年、金剛のみ英国製他は国産、31,720t、35.6cm砲8門)
- 扶桑型(1915年、34,700t、35.6cm砲12門)
- 伊勢型(1917年、36,000t、35.6cm砲12門)
- 長門型(1920年、39,130t、41cm砲8門)
- 大和型(1941年、64,000t、46cm砲9門)
[編集] アメリカ合衆国
- ワイオミング級(1912年、29,000t、30.5cm砲12門)
- ニューヨーク級(1914年、29,000t、35.6cm砲10門)
- ネヴァダ級(1916年、29,000t、35.6cm砲10門)
- ペンシルヴェニア級(1916年、31,000t、35.6cm砲12門)
- ニューメキシコ級(1917年、32,000t、35.6cm砲12門)
- テネシー級(1920年、32,300t、35.6cm砲12門)
- コロラド級(1921年、32,600t、40.6cm砲8門)
- ノースカロライナ級(1941年、38,000t、40.6cm砲9門)
- サウスダコタ級(1942年、38,000t、40.6cm砲9門)
- アイオワ級(1942年、48,000t、40.6cm砲9門)
[編集] ドイツ
- 旧式練習前弩級戦艦シュレジェン級(1906年、13,000t、28.3cm砲4門)
- シャルンホルスト級(1938年、34,814t、28.3cm砲9門)
- ビスマルク級(1940年、41,700t、38.1cm砲8門)
[編集] フランス
- クールベ級(1913年、23,000t、30.5cm砲12門)
- クールベ、ジャン・バール(オセアン)、パリ、フランス
- プロヴァンス級(1915年、24,000t、34cm砲10門)
- ダンケルク級(1937年、26,500t、33cm砲8門)
- リシュリュー級(1940年、35,000t、38cm砲8門)
- リシュリュー、ジャン・バール(二代目)
[編集] イタリア
- コンテ・ディ・カヴール級(1914年、26,140t、30.5cm砲13門→32cm砲10門)
- コンテ・ディ・カヴール、カイオ・ジュリオ・チェーザレ、(レオナルド・ダ・ヴィンチ→1916年爆沈し大戦には参加せず)
- カイオ・ドゥイリオ級(1915年、26,434t、30.5cm砲13門→32cm砲10門)
- カイオ・ドゥイリオ、アンドレア・ドリア
- ヴィットリオ・ヴェネト級(1940年、41,000t、38.1cm砲9門)
- リットリオ(後にイタリアに改名)、ヴィットリオ・ヴェネト、ローマ、インペロ(船体のみ完成)
[編集] ソビエト連邦
- 旧ガングート級(1914年、24,600t : 30.5cm砲12門)
- オクチャブルスカヤ・レボルチャ、マラート、ミハイル・フルンゼ、パリジスカヤ・コンムナ
- アルハンゲリスク(1944年貸与、29,150t、38.1cm砲8門)
- (大戦末期に英国から貸与されたR級戦艦ロイヤル・ソブリン)
[編集] その他の国の弩級、超弩級戦艦
- オーストリア・ハンガリー帝国
- 今でこそオーストリアは内陸国だが、第一次世界大戦で負ける前はその領土は地中海に及んでおり、イタリア海軍と張り合っていた。
- フィリブス・ウニティス級戦艦(1912年、21,730t、30.5cm砲12門)
- フィリブス・ウニティス、テゲトフ、プリンツ・オイゲン、セント・イシュトヴァーン→第一次世界大戦で2隻沈没、敗戦で残る2隻もイタリアの策謀により除籍
- アルゼンチン
- ブラジル
- ミナス・ジェライス級戦艦(1910年英国製、19,281t、30.5cm砲12門)
- ミナス・ジェライス(ミーナ・ジェライス)、サンパウロ
- ミナス・ジェライス級戦艦(1910年英国製、19,281t、30.5cm砲12門)
- チリ
- アルミランテ・ラトーレ(1915年英国製、28,600t、35.6cm砲10門)
- スペイン
- トルコ
- 巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム(ドイツから「ゲーベン」を1914年に購入、22,734t、28.3cm砲10門)→この艦の購入がきっかけとなって、第一次世界大戦でトルコがドイツと同盟して戦った。1936年「ヤウズ」と改名。
[編集] 「戦艦」以外の巨砲搭載艦船
本来の「戦艦」には分類されないが戦艦と同等の巨砲を搭載した艦船の例をここにあげる。
- ロシア 円形砲艦ノブゴロド(1874年、2,491t、28cm砲2門)
- 大砲を撃つことだけを考えて建造された円形平底の艦。川用砲艦として建造されたが、たらいのような艦形では川の流れの中ではクルクル廻って真っ直ぐ進まなかった異端というより駄作艦。
- 日本 防護巡洋艦松島型3隻 通称三景艦(1891年仏国製、4,278t、32cm砲1門)
- 日清戦争前に清国の戦艦定遠級2隻(1879年独製、7,220t、30.5cm砲4門)に対抗する為急遽建造された。艦の大きさに比べて主砲が過大であり、旋回させると艦が傾き、発砲すると衝撃で進路まで変わってしまうほどだった。日清戦争では主力艦として活躍し、黄海海戦では清国艦に対して多数装備された副砲の12cm速射砲が活躍したが、主砲は3隻で12発を撃っただけで戦果は無かった(一説によると1発命中したという)。なお、建造に当たっては当初、イギリスに依頼をしていたが、当時としては非常識な注文であったため断られた。その後、イギリスへの対抗意識があったフランスが注文を受けてようやく建造されることとなった。
- イギリス カレイジャス級2隻(1917年、18,600t、38.1cm砲4門)フューリアス(1917年、19,100t、45.7cm砲2門)
- 第一次大戦でイギリスが対独上陸戦用に建造した大型軽巡洋艦。フューリアスは上記内容で設計されたが、完成時には前甲板の砲を撤去し飛行甲板を設け、後部に45.7cm砲1門を備えていた。対独上陸作戦は行なわれなかったため活躍の場は無く、戦後は3隻とも航空母艦に改装され、空母として第二次世界大戦に参加した。
- イギリス M1級潜水艦3隻(1917年?、1,650t、30.5cm砲1門)
- 第一次大戦中に陸上砲撃用として建造された潜水艦。本来隠密行動すべき潜水艦に大きな音・光・煙を発する巨砲を搭載するのは矛盾であり、ほとんど活躍しなかった。
- ドイツ ポケット戦艦ドイッチュラント級3隻(1933年、11,700t、28.3cm砲6門)
- 第一次大戦の敗戦国ドイツがベルサイユ条約の制限下(1万t以下、30.5cm砲以下)に建造した艦。排水量は1万tと公表されていたが実際は制限を超えていた。重巡洋艦並みの防御と艦体に大口径砲を装備し大きな航続力を有し、第二次大戦初頭には通商破壊艦として活躍した。
- アメリカ 大型巡洋艦アラスカ級2隻
- オランダ 海防戦艦デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン1隻
- オランダ 巡洋戦艦案(未成)(1940年、27,950t、28.3cm砲9門)3隻
- ギリシア 超弩級戦艦サラミス級(未成)(1912年、19,500t、35.6cm砲8門)1隻
[編集] 関連項目
- 航空戦艦
- 航空母艦
- 戦争
- 海軍
- 軍艦
- 大日本帝国海軍艦艇一覧
- アメリカ海軍艦艇一覧
- アメリカ海軍の戦艦一覧(Wikipedia 英語版)
- 戦艦一覧
- 宇宙戦艦
[編集] 参考図書
- 世界戦艦物語, 福井静夫著作集第6巻,1993年8月光人社 ISBN 476980654X
- 近代戦艦史, 世界の艦船1987年3月増刊号, 海人社
- 日本戦艦史, 世界の艦船1988年3月増刊号, 海人社
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